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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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「最強の拠り所/最後の抵抗線」としての「辞書」

早稲田あかねで知り合った1994年生まれの20代青年と政治の話になり、私が、「『左翼』っていったら誰を思い浮かぶ?」と聞いたら、しばし逡巡して、若者は、「菅直人、小沢一郎、それから田母神サン?」と答えてくれた。

菅直人、小沢一郎、田母神俊雄は、それぞれ自分が「左翼」といわれれば否定するだろう。「左翼」には、それなりに「辞書的定義」がある。

しかし、この青年が上記の三者を「左翼」と答えたのは、なぜか肌感覚のリアル感があった。現代の日本のとりわけネット上の言論の磁場が、そうなっているからだ(田母神はご愛嬌)。すなわち、「辞書的定義」以上に、言葉の自由市場における「流通的定義」がそうなっているからだ。


          ***


イデオロギー闘争とは、いわば「言葉の使い方をめぐる闘争」といえる。それはすなわち、言葉の定義をいかに「自分に有利なように」変形させて流通させるかをめぐる闘争といえよう。

自分に有利なように言葉を「恣意的」に変容させ、そしてそれをいか「普遍的」なものとして流通させるか。それが「イデオロギー闘争」の要諦と思える。

そして「左翼」は、今そのような形で、言葉の自由市場のなかで変容させられている。言葉の「辞書的定義」から逸脱して、とかく「安倍政権にとって気に食わぬもの」一般を漠然と名指す言葉として、既成事実的に流通している。


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リンカーンの言葉に、「犬の尾を足と呼んでも、犬の足を5本にすることはできない(How many legs does a dog have If you call his tail a leg? Four. Saying that a tail is a leg doesn't make it a leg)」というのがある。

このリンカーンの言葉を知った時、リンカーンもまた激しい「イデオロギー闘争」のなかを生きていたのだと感じた。「尾」を決して「足」とは呼ばせない、「足」の定義にこだわる姿勢がある。


          ***


たとえば、「立憲主義」という言葉は、「国家の権力制限」というのが辞書の意味だ。しかし、いつのまにか、「国柄」、「古来からの国の形」「国の伝統的価値観」といったような意味に変容されつつある。

リベラルや左派は、「それは辞書的な意味とは違う」、「ばかなネトウヨ/産経三流文化人のされごと」、「いちいち反論するに値せず」として見過ごしてきたかもしれない。

しかし、言葉の市場のなかでそれが「多数派」になれば、いずれ辞書までも、「立憲主義=古来からの国柄」と掲載されてしまうだろう。


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イデロオギー闘争の「最強の拠り所」は、辞書だ。
だから安倍政権も辞書に最低限のリップサービスを払わざるをえない。

そして、イデオロギー闘争の「最後の抵抗線」もまた、辞書だ。
既成事実的な言葉の「恣意的流通」の前に、辞書の定義さえもが変えられないために。


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by akai1127ohi | 2017-05-13 00:57 | Comments(0)

三つの「20世紀論」

思想とは、思想以外の条件(歴史、人種、ジェンダー、年齢など)のなかで形成される。そのなかで、歴史は最も基底的条件の一つであろう。したがって、思想史研究にとって歴史はいわば「前提条件」となるだろう。


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S和女子大で担当する「教養の社会思想史」。

主として20世紀の社会思想を扱うこの授業で、毎回、学期の前半に「20世紀論」をするのだが、これまで①「短い20世紀」(ホブズボーム)、②「長い20世紀」(木畑洋一)の二項対比で行ってきたところを、今年からバージョンアップしてみた。

すなわち、①「長い20世紀」(アリギ)、②「短い20世紀」(ホブズボーム)、③「褐色の20世紀」(プラシャド)。

結論からいってしまえば甚だ図式的だが、イメージとしては以下。
①「長い20世紀」=1910sから現在=資本主義蓄積サイクル=アメリカ中心
②「短い20世紀」=1914から1991=共産主義体制基軸=ソ連からの視座
③「褐色の20世紀」=1870sから1990s=脱植民地主義=アジア・アフリカ視点


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①「長い20世紀」:アリギ『長い20世紀』(作品社2009)、副読本:三宅芳夫編『近代世界システムと新自由主義グローバリズム』(作品社2014)。

歴史学において、「構造」への関心というのは希薄化しているのかもしれない。(その背景には対象領域・対象時代の断片化、学問の専門分化があるのかもしれない)。

社会運動理論家の武藤一羊氏は、欧米とアジア・アフリカとを統一的に捉える視点の喪失、20世紀を総体的に捉える視点の喪失へのいらだちを表明しているが、従属論など、その理論的な欠陥を含め「構造への関心の復権」が必要なのかもしれない。

ウォーラステインにはまとまった20世紀論はなく、それはアリギが代替している。20世紀を「構造的に」捉えたアリギの本は巨視的かつ巨史的であり、この浩瀚な著作から自分も多くを学んだ。

アリギ的視点を日本で、独自のツイストを加えながら紹介しているのが三宅芳夫氏だろう。歴史マニアであり、そのヴィヴィッドな歴史叙述がアリギに彩りを与えている。

ちなみにウォーラステインは20世紀システムに対抗したプロジェクトとして、社会主義と民族主義を挙げている。以下の二つの20世紀論は、それと重なるものとなるだろう。


②「短い20世紀」:ホブズボーム『20世紀の歴史:極端な時代(上下)』(三省堂1996年)、補強本:塩川伸明『《20世紀史》を考える』(勁草書房2004年)等。

ホブズボームが捉える20世紀は1914-1991で、すなわち第一次大戦・ロシア革命からソ連崩壊までだが、その実、ホブズボームの視点は人口、経済成長、都市化、殺戮兵器の近代化など幅広い。

正直にいえば、ホブズボームの筆致は個人的には苦手で、多様な逸話や具体例から歴史をあぶり出す手法は見事ながら、「論旨を集約した一文」というのがないので、端的にいって「引用しずらい」。塩川伸明『《20世紀史》を考える』などでソ連史および「ソ連がどう受け止められたか史」について補強。


③「褐色の20世紀」:プラシャド『褐色の世界史』(水声社2013年)、副読本:木畑洋一『20世紀の歴史』(岩波新書2014年)

プラシャドの本は20世紀を貫く第三世界運動を描き切るもので、あれこれたくさんの地名が出てくるため、世界地図を傍らにおいておかなければ読めない。原題Darker Nationsは、darker and darkder=より暗くなるという趣旨も込められているそうであり、すなわち独立後に独裁や腐敗に陥った第三世界の行程を示すものでもある。したがってその読後感は、大田昌国氏の憂いに満ちた声のように、どこかペシミスティックである。

他方、木畑洋一『20世紀の歴史』は、同様の視点から20世紀を捉えながら、1990年代におけるアパルトヘイト終焉、香港返還など1990年代の脱植民地化の完了をもって筆致を閉じるもので、どちらかといえばオプティミスティックな印象で終えられている。


          ***


ちなみに、今回、『近代世界システムと新自由主義グローバリズム』(作品社2014)で、三宅氏と水野和夫氏の対談を読み返し、三宅氏の以下のような発言が目に留まった。

「『思想』的な次元でだけ見た場合は、『自由』を『平等』とともに、『社会主義』のなかの中心的な課題として構想し続けることにこだわった『アナーキズム』は、――少なくとも僕にとっては――もっとも評価し得る、ということになります。……政治的影響力という点では……完全にマイナーなものにとどまったのもまた事実です」(p44)。

議論の本筋とは関係ないながら、このような表明をさらっと一札入れるあたりに、三宅氏の特色があろう。三宅氏はド左翼だが、しかし、あくまで(「平等」と同時に/むしろ以上に)「自由」を突き抜けた左翼だという一段階がある。


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by akai1127ohi | 2017-05-13 00:52 | Comments(0)
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