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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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シンポジウム「『分断』から連帯の社会へ」(10月10日文京区民センター)

20世紀後半を規定した政治対立軸の一つが冷戦構造だとすると、「ポスト冷戦」、すなわち1990年代以降から現代までの時代はポスト東西対立、換言すれば左右対立の相対化の時代、とひとまずはいえよう。

とはいえ、ヨーロッパでは冷戦崩壊後も「保守/社民」で政治対立を区分するナラティブは根強く、1990年代はむしろブレア政権やシュレーダー政権など欧州社民中興の時代でもあった。

他方、日本はどうか。1990年代以降の日本は、東西対立由来の「左右対立」をほぼ全面的に捨て去ってきた。しかし、それでも政治はある種の「対立軸」を前提とし、それを捻出しないと回っていかない。「対立軸」がなければ政治は論じられないし、認識できない。そこで、「左右対立」が消滅した後に日本の政治対立軸を(なかば疑似的に)演出、席巻してきたのが、「改革」をめぐる政治であろう。

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1994年、社会党に代わる野党第一党として新生党が誕生した時、党首の海部俊樹は新聞記者に「新党の理念は『革新』ですか?」と問われ、「いえ、我が党は『革新』ではなく『改革』です」と答えている。これは90年代(以降)の日本政治を一語でまとめる極めて象徴的な言葉だが、これを英語に訳したところで(We are the party of, not Progress, but Reform)、その言葉の負荷は非日本語話者にはちんぷんかんぷんだろう。その意味で、90年代以降の日本政治における「改革」なる理念や政策の跋扈は、著しく「日本的」、日本に特徴的な現象といえよう。

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90年代以降、この「改革の政治」は、左右対立に代わる政治対立軸として政治言説上に支配的な位置を占めてきた。政治改革(細川)、行政改革(橋本)、構造改革(小泉)などが続き、そしてその極端な形が橋下旋風、橋下による地方分権と統治構造改革だったといえよう。

「改革の政治」はその都度、敵対者や「抵抗勢力」を創り上げ、それを再編したり縮小したりすることで政治的加点としてきた。「改革の政治」が対峙する敵役は、労働組合や族議員、教育委員会などその都度流動的ながら、敵役の筆頭は常に官僚であった。

この点では2000年代まで民主党も自民党と同罪で、松下政経塾的な若手政治家がことごとく「尊敬する政治家」に幕末の志士や明治維新の政治家を挙げることは、明治維新がその実「巨大な行政改革」であった、換言すれば左右イデオロギーと無関係であったがゆえだろう。

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「改革の政治」は、その手法において「政治主導」、「リーダーシップ」、ないしは「ポピュリズム」と親和的で、それを政治的資源として有効に活用してきた。「リーダーシップ」や「ポピュリズム」は、それ自体、政治目的を達成するための手法であり、本来左右をとなわい(というかニューディールにせよ南米社会主義政権にせよ左もそれを使ってきた)。しかし、90年代以降の日本政治では、「リーダーシップ」や「ポピュリズム」は、専一的に「改革の政治」が独占してきたといえよう。

加えて、「改革の政治」は「本音の政治」でもあったろう。『本音で生きる』という時代の寵児としての堀江貴文、左派リベラルの建前や偽善を痛罵する橋下徹など。
          
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しかし、「改革の政治」は、①ある意味でやはり冷戦後の日本における「必然性」があったし、②そのなかには「民主的」な理念が孕まれていた、というよりむしろ、結局はその「民主的」な理念が換骨奪胎される形で、疎外される形で吸収された、という側面があろう。

第一に、「改革の政治」は、やはり一定の「時代的必然性」があったのだあろう。たとえば行政の肥大化や非効率化の是正など。青木雄二の『ナニワ金融道』で最も嫌らしく描かれるのは、役人である。それには、おそらく市井の人々からみた役所や役人の姿が投影されていたものと思える。青木雄二は共産党支持者だったが、その漫画で描かれたような反役人感情は、橋下政治に回収されたように推測する。

また第二に、「改革の政治」には、その原初には、「民主的」な方向へ展開される萌芽もあった。官僚批判は、転じて、政治を「市民」に取り戻すという大義によって正当化され、これ自体は理念としては批判すべきものでもない。中央集権の是正と地方分権もまた、理念としては、「民主的」な方向に即したものだろう。天下り批判や金権腐敗に対する批判も、その原初においては、「納税者意識」の始点であり、主権者意識の形成にも展開されうるものであろう。問題は、このような「民主的」な契機の萌芽が、小泉から橋下までの「改革の政治」の展開なかで、どこか「疎外」されていったことだろう。
          
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上部構造における「改革の政治」は、市民社会においてその基礎をも持っていたと思える。たとえば、行政制度や役所のあり方、企業の政治社員や労働組合のあり方など、55年体制下での様々な社会制度が、長期にわたりおそらく確かに肥大化、非効率化していたのは事実なのだろう。

また、55年体制下で安定的な政党支持と結びついていた労働組合が衰退し、非正規雇用などが蔓延するにつれ、伝統的な職業と政党支持との連関と、それに依拠した政党クリーヴィッジが流動化する。

言論メディアでは、90年代以降、「右でもない左でもない」言説が跋扈し、おそらく現在の20代から40代はそのような言論に触れながら政治志向を形成してきた。タブーに挑戦する『宝島30』、左右の偽善を暴く呉智英や宮崎哲哉、ポストモダン東浩紀など。古市くんがツイッターの自己紹介欄に「誰の味方でもありません」と書いているが、これは「右でも左でもなく」言論の行きつく先であろう。このような言論を受容する若年層が、左右対立なる古い図式を超克しながらも、「既得権」や「規制勢力」に抗って改革する政治に、ある種の公共性や現状変革のやり場を見つけだしていったのではいだろうか。

総じて、「改革/非改革の政治対立軸」は、「ポスト左右対立」の政治を描き出す、最も説得的で効果的なナラティブだったといえよう。

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このような市民社会の変化に対して、古典的な「戦後民主主義」や左派(社民党や共産党)は、若年有権者に対して魅力的かつ説得的なナラティブを示すことができず、基本的(いや決定的にか)守勢にまわってきた。
護憲や平和、格差是正など古いやり方を反復するしかなく、どうもそれが有権者に響いていないというのは相次ぐ選挙結果からうすうす自覚しながらも、他に方法がないので、現在もそれを追求するしかない状況にある。(付言すれば、護憲も平和も格差是正も大変重要で、「古いやり方」は重要だし、私も確実にその側にいると自己認識している)。
   
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しかし、何かのきっかけがあれば、流れは変わるだろう。

「改革の政治」を支持する有権者、極端にいえば、橋下旋風を支持した若年層は、おそらく、「反動的だから」そうしたわけではない。何か社会に関わりたく、現在の日本が抱える問題を解決したく、ある種の公共的目的に連なりたく、その発露が都構想なり「既得権打破」なりであったのだろう。左派的リベラル的な環境、文化、ヴォキャブラリーが衰退した条件で、それでもなお社会変革に連なりたい、貢献したいと思った時、人は「改革の政治」に自己同一化するのではないか。

人類学者のD. Greaver が「利他主義者の軍隊:疎外された善行権(Army of altruist: Alienated right to do good)」という小論で、アメリカでは、軍隊に行く若者は、教育の機会が奪われているからそうなるというよりむしろ、社会的に有意義で公共的な行為(たとえば反戦運動など)を行う機会が教育資本的に奪われているから、しかしそれでも他人や社会の役に立ちたいと思う(ないし自己納得させる)から、軍隊に入るのだ、と指摘している。だから、軍隊に入る若者は、逆説的にも、反戦運動をする条件がないから軍隊に入るのだ、と。それが「疎外された善行権」であり、東部エスタブリッシュメントのエリートは、この入隊する若者のこの気持ちを理解していない、と。

おそらく、橋下維新を応援した若年有権者も、官僚叩きや行政機構の不効率是正といった目的に、ある種の「善行」、すなわち社会的公共性を持つ目的を見出しているのではないか。その回路を、少し切り替えれば、「善行」の方向をこちら側に向ければ、端的にいえば、それを「疎外」されたものから、より長期的に熟議を伴って日本の制度を変革していく方向に切り替える回路さえ見つかれば、善行の発露は、われわれの方向に戻ってくるだろう。
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90年代以降の「改革の政治」を総点検し、それを内在的に理解しながら、それに対するオルタナティブとして、私としては「公正なグローバリズムの政治」という方向性に希望があると考えている。

前日の宣伝で恐縮ですが、明日10月10日13時30分より、文京区民センター2階Aにて、宇都宮健児さんと「分断から連帯の社会へ」というシンポを行ないます。私なりの「改革の政治」への分析と、それに対するオルタナティブとしての「公正なグローバリズムの政治」のイメージを提示して見たいと思います。

シンポジウム「『分断』から連帯の社会へ」(10月10日13時30分より・文京市民センター2A)



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by akai1127ohi | 2016-10-09 14:06 | 政治時評 | Comments(0)
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