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「群集(multitudo)」が変る小さなきっかけ

スピノザは『神学・政治論』(1670)では、「自然権」や「契約」など当時の学問のスタンダードである社会契約論の形式に準じて自身の思想を展開しているが、スピノザの思考の内実と「社会契約」の形式とは、やはりずれが生じているような予感を持つ。

他方、『国家論(政治論)』(1675)では、社会契約の形式からとりいそぎ解放され、それに捉われずに自身の思想を展開しているようである。

『神学・政治論』から『国家論(政治論)』へのスピノザのこの変化は、まるでロールズの『正義論』から『政治的リベラリズム』への軌跡を重なるようで興味深い。この軌跡を、井上達夫大先生のロールズ解釈にならって、「社会契約からの逃避」と見るか、それとも、「社会契約からの解放」による、より十全たるスピノザ思想の展開とみるか……。

そんなところに「あたり」をつけながら、スピノザ読書を進めていきたい。

          ***

スピノザは人びとの集合体である「民衆」を表す語彙に豊富で、それらは秩序形成能力に応じて、「公民cives」、「臣民subditos」、「群衆multitudo」、「民衆vulgus」、「俗衆plebs」、「暴徒turba」などに分けられる。そこにおいて、「群衆(マルティチュード)」は「これから先どのようにでもなる可変的な存在」としての民衆像。

マルティチュードが「暴徒」に転化するか、「公民」へと転化するか、おそらくそれは小さな「きっかけ」なのではなかろうか。たまたま出会った人、見つけた本、聞いた話、通りかかった光景、触れた情報など。
たとえば、よくテレビなどでよく耳にするところの「曖昧模糊とした無党派層」。社会閉塞に直面し、政治に対してそれなりに健全でそして漠然とした不満を持つ人々。

そういう人たちは、トランプのデマゴーグに持っていかれもするだろうし、オバマの呼びかけの前に少し立ち止まって、問題の相対的に本質的な原因を見つめ、異なる人々との持続的な関係性を探り、自分たちの社会を建設的に作り変えていく方向に引き留められることもあるだろう。

そういう人たちは、橋下政治の掛け声に自らの思いを託したり、メディアが喧伝する桝添批判に雪崩を打って乗じて行ったりするだろうし、おそらく何か小さな「きっかけ」で、日本の社会のモデルを、もう少し長期的で、なんというか民主的なドライブを発揮させる形で打開していこうともするだろう。

そういう小さな「きっかけ」をどれだけ作れるか、どれだけそういう経路を生活のなかで豊富にしておけるか、それが勝負だろう。
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by akai1127ohi | 2016-06-20 03:47 | 政治時評 | Comments(0)

スピノザの「自然権」

先週からある研究会で修士院生のイニシアティブの下にスピノザを読み始めたのだが、これが面白い。古典の言葉が、自分の今の問題意識にぴったりとはまる。17世紀オランダの文脈が、明確に2016年日本の眼前の状況にフィットする。今、自分にとって「スピノザと出会う時」だったのだろうと思う。

          ***

スピノザは「自然権」という言葉を「自然法則」のような意味で使っていると解釈され、たとえば魚の自然権は「水の中を泳ぐこと」だとしている。ゆえに、魚に陸をあがれと言うことは、自然権に反する。その要求は、正しいとか間違いである以前に、魚にとって不可能であり、「魚の自然権に反する」。

人間にもできることとできないことがあるが、人間の「自然権」は、魚よりも幅が広く、揺らぎがあり、可変性がある。したがって、人間の自然権を探求するとは、人間の力の及ぶ範囲、変わることのできる範囲を認識すること。だから、スピノザの自然権は、「人間がこう生きるべき」という規範ではななく、水中が魚の生きる条件であるように、人間が生きる条件を認識する行為であろう。

しかし、だからといってスピノザの自然権が「規範」と無関係なのではない。人間とそのまとまりである民衆の「自然権」を探求することは、人間の「できるないこと/できること」を見つけることであり、どういう条件が揃えば人々は「できること」を発揮するかを内在的に理解することでもある。そこから、「認識」が規範に繋がりうる。

          ***

「魚に陸にあがれ」と要求することが「魚の自然権」に反するように、ただ知識人が上から「民衆に政治的であれ」と要求することは、おそらく「人間の自然権」に反するだろう。だから、そのような要求はおそらく実現することはないだろう。

しかし、今、確かに民衆は政治的であり、それが野党共闘をもたらしている。それは、魚が水中に生きながらなお自らを変化させるように、人間も、人間の自然権に規定されながら、その制約のなかで、内側から自らを変えていく光景のようにも映る。「人間の自然権」に内在した民衆の動きが、人間の「できること」の幅の広がりを実証し、その幅が一体どこまで広がりうるのかを、確認しようとしているように見える。

スピノザを読みながら、そんなことを想起している。


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by akai1127ohi | 2016-06-20 03:44 | 政治時評 | Comments(0)
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