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政治時評(35)ーシリア内戦と英米(仏)の帰趨

かつて羽仁五郎は、朝、新聞を読む際に、氏独自の「マルクス主義史観」に従って歴史前進的ニュースに赤で、歴史後退的ニュースには青で線を引き、以て政局観の鍛錬に務めたという。一つの卓見と思う。とはいえ、日々刻々と変化する昨今のエジプトやシリア情勢を見れば、赤青二色では足らぬという感も否めない。

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8月29日現在のシリア情勢、局面はイラク戦争開戦時と「似ている」。英米(仏)は国連安保理決議という正統性を一応模索するが、実際は安保理決議なしでも限定攻撃「辞さず」の構えだ。米国が拙速な軍事介入に出ることを何よりも危惧する。それは結果的にオバマ政権の歴史的評価の低下になる可能性が高い予感がしてならない。

しかし、2011年以降のシリア内戦におけるアサド政権による反体制派や市民への弾圧の深刻さは(日本では報道稀少ゆえにわかに浮かび上がった感だが)英語圏、少なくともBBCでは持続的に関心が注がれてきた。政権側による反体制弾圧の深刻さは、イラクをかろうじて「統治」していたフセイン政権とは「異なる」種類のものと思える。

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そのアサド政権が、自国の一般市民に対して化学兵器を使用したとすれば、米国なども「無反応」は厳しいと思える。国際問題において何が「普遍的基準」かは、それ自体がイデオロギー闘争の課題だが、そうはいっても経験的に踏襲された政治道徳律があると思える。問われるべきは、アサド政権に対して「いかなる反応」をするか、すなわち「軍事的反応」か、それとも「政治的な/civillianな反応」か、だと思える。

イラク戦争は大量破壊兵器疑惑に対する国連とIAEAの査察を打ち切る形で開戦され、多くの禍根を残した/残している。その教訓を踏まえるならば、とにかくシリア政権の化学兵器利用の有無と反体制派弾圧の実態に関する国連調査団の綿密調査とその公表が必須だろう。「軍事的解決」の圧力を前にした、どこまでも「政治的解決」追及にこそ現下の喫緊の焦点があると思える。
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by akai1127ohi | 2013-08-29 22:28 | 政治時評 | Comments(0)

オリバーストン&カズニック『もうひとつのアメリカ史』(早川書房2013)を読んで

1936年にスペイン戦争が起こった時、ヨーロッパの人々は、「これは来るべき世界大戦の前哨戦だ」と思った。しかし、その来るべき世界大戦の構図とは、――英米中心の連合国と独伊枢軸国との第二次世界大戦ではなく――、独伊ファシズムとソ連との殲滅的イデオロギー戦争だと感じられたそうです(斉藤孝『ヨーロッパの1930年代』岩波1990年)。

スペイン戦争では、周知のように、独伊がフランコを支援したのに対し、英仏米は「不干渉政策」をとり、政治的にはフランコを「間接的に支援した」といえる。イギリスに限っては、1930年代を通して保守党中心の挙国内閣は一貫してナチを「容認」し、ソ連との関係においてはむしろ「同盟」していた。イギリス挙国政権それ自体が、いわば「セミ・ファシズム」(ラスキ)であった。

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オリバーストン&カズニック著『オリバーストーンが語るもうひとつのアメリカ史(第一巻)』(早川書房2013)拝読。アメリカの対外進出には自由や民主主義の拡大という特別の使命があるとする「アメリカ例外主義」の「神話」の相対化を図るもので、興味深く拝読。それは同時に、第二次世界大戦を「自由民主主義」諸国とナチス枢軸国との戦いとする、いわば英米中心の「連合国」史観を相対化するものといえる。

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1930年代を通じ、その後の「連合国」、とりわけイギリスがファシズムと終始一貫して「同盟」していた事実は、戦後の「連合国史観」によって見えなくされている最たるものです。保守党を中心としたイギリス挙国内閣は一貫してムッソリーニを賛美しており、程度は劣るもののヒトラーに対しても終始宥和的、あわよくば同盟関係を模索していた。少なくとも、ソ連よりはナチスを好意的に見ていて、願わくば互いに戦争して互いに磨滅してくれればいいという態度でいた。このようなイギリスとナチスとの「もたれ合い」は、戦後の「連合国史観」によって見えにくくなっている一例です。

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そのような「連合国史観」を相対化するオリバストン&カズニックの歴史叙述のコロラリーは、転じて、第二次大戦におけるソ連の役割の強調です。すなわち、やや大胆に言えば、第二次大戦とは独ソ戦だった、ドイツを降伏させたのはソ連だった、日本を降伏させたのもソ連だった、という主旋律です。

第二次大戦のヨーロッパ戦線での犠牲者数は、英米豪仏あわせても25万~30万だったのに対し、ロシア人の犠牲が2700万人で突出している。これは、第二次大戦の主戦場が独ソ戦であったこと、換言すれば、ナチを軍事的に打ち破ったのは(英米ではなく)ソ連であったことを傍証している(p206)。

日本の降伏についても、新型兵器ゆえにその破壊の全貌が即座には把握できなかった原爆投下(8月6・9日)よりは、ソ連参戦(8月9日)の方が日本軍部には決定打として印象づけられた。それゆえ、オリバストンが繰り返している、「原爆投下が戦争を終わらせたのではない」という主張の裏側は、日本降伏に対するソ連の影響力を強調するものです。

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とはいえ英米中心史観の相対化が、「ソ連評価」であるわけではありません。スペイン戦争(1936年)から独ソ戦(1941年)の開始までの間に、ソ連もまた取り返しのつかない裏切りを行っている。独ソ不可侵条約(1939年)はヨーロッパの左翼に対する決定的な背信であり、同条約にかこつけたフィンランドやバルト三国への侵攻は、ソ連も「ナチ同然」の火事場泥棒と言われて仕方ない。

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結局、遅れに遅れた1944年の「第二戦線(ノルマンディー上陸作戦)」によって、かろうじて戦後に通用する英米ソの「連合国」史観が可能になる。「エルベ川の誓い」(1945年)は、世界史の教科書では米ソの美談として記述されているが、実際は、裏切りに裏切りを重ねた英米とソ連が、互いに抜き難い猜疑心と、自分も裏切ったという禍根を抱えながら、国家生命学の必要に迫られる形で最後の最後で手を結んだというもので、互いに相当バツの悪い「連合」国の形成でした。

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ただ同時に、いかにイギリス(および部分的にアメリカ)が1930年代を通じてナチスと「同盟」していたとはいえ、第二次大戦の過程において、行き掛り的に、また対ナチ戦争のための「自由民主主義」のイデオロギー鍛錬の必要に迫られる形で、一定の普遍的理念を自覚化していったのも事実だろう。

たとえば第二次大戦の大義を明確にしたルーズベルトの「四つの自由」(1941年)、英米の大西洋憲章(1941年)などは、たまたま英米という特定の列強国によって示されたものであるとはいえ、戦後の国連憲章の基軸となり、それは回り回ってその後の米国の行動それ自体を規制する原理ともなっている。

このような歴史叙述のなかで、興味深いのはオリバーストン&カズニックによるF・ルーズヴェルト評価で、その感想はまた書きたいと思います。
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by akai1127ohi | 2013-08-24 01:22 | 散文 | Comments(0)

中沢啓治『はだしのゲン』との邂逅

中沢啓治『はだしのゲン』は、その掲載誌をめぐり、『ジャンプ』、『文化評論』など転々とするが、一時期は日高六郎らが主催した雑誌『市民』に連載されていた。

昨年、日高六郎に関する関心から、総合図書館の書庫で『市民』のバックナンバーを見返していたら、硬派な総合雑誌の半ばに突然『はだしのゲン』の漫画が出てきて、書庫の床に座ってしばし読んだ。『市民』に連載されていたのは、焼け跡の闇市やバラックで原爆孤児たちが生き抜く第二部の冒頭だった。

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原爆から二年たった広島、夜の本川小学校で、月明かりの下で少女が一人「ケンケンパッパ、ケンパッパ」と遊んでいる。ゲンが声をかけると、石を投げて逃げ出す。顔の半分にケロイドを負い、学校に行けない少女(夏江)が、人目のつかない夜に一人で校庭で遊んでいたのだ。

夏江が機縁となり、ゲンは、夏江がともに暮らす原爆孤児たちのグループと親しくなっていく。孤児たちは不良で、大人に対する猜疑心に満ちた目と、仲間に対する固い同情心を持ちながら、ヤクザの下っ端(「鉄砲玉」)として一番汚く危ない仕事を担い、担わされている。

闇市のヤクザ抗争に巻き込まれ死んだ「どんぐり」という少年のために、仲間の少年たちが粗末な石で紙屋町に「どんぐりの墓」を作る。漫画に描かれた被爆二年後の紙屋町は、驚くほど寂しく吹きさらした荒野です。その寒々しい荒野の上を、その年(1947年)の冬、広島巡幸した天皇を乗せた乗用車が駆け抜けていく。

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紙屋町交差点は現在、そごうやデオデオ(大型家電販売店)が立ち並ぶ広島随一の中心地で、私にとっても、高校生の時にユニセフ募金をしたことのある、懐かしい場所です。

昨年(2012年)夏、ビルが林立する紙屋町交差点で「どんぐりの墓」を探したが、見つからなかった。
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by akai1127ohi | 2013-08-20 01:19 | 散文 | Comments(0)

オリバーストーン監督&P・カズニック教授の広島訪問

今夏の8月6日には、アメリカの映画監督のオリバーストン氏とカズニック教授が広島を訪れ、メディアの大きな関心を呼んでいた。オリバーストーン監督は、2010年に「もうひとつのアメリカ史」という全十篇の長編ドキュメンタリー作品を作成しており、カズニック教授はその歴史考証を務めたようだ。

ちょうど帰省の折、8月5日は広島平和研究所の田中利幸さんが司会をした方の集会と、6日は坪井直氏が「来賓」として参加する方の集会で、いずれもオリバーストン監督とカズニック教授の話を聞いた。

オリバーストーン氏が現代アメリカの信用にたる反体制映画監督であること、カズニック氏が実に批判精神に満ちた米国「自虐史観」主義者であることはよくわかった。そして、暑い8・6の広島で、両氏は、謝罪に来たんか教えを垂れにきたんかわかぬヤンキー風の豪放な流儀であった。

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5日の集会では、オリバーストン監督、カズニック脚本の映画「もう一つのアメリカ史」の第三編「原爆投下」も拝見した。内容は、原爆が戦争終結を早めたというトルーマン的神話の相対化を狙うもので、そのコロラリーはソ連参戦の決定的影響の強調。全体的に、アメリカの対外進出に自由やデモクラシーといった普遍的価値の伝播という使命を課した「アメリカ例外主義」の打破を意図する主旋律が明白。同時に、ルーズベルト政権で副大統領を務めた民主党左派の良心H・ウォレスの伝統に米国史の望みをかけるもので、人類史的犯罪と、自らそれを批判する稀有な高い理想とが並行混在する米国史を象徴するような映画だった。

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オリバーストーンの話は聞けば聞くほど挑発的であり、おいおい、そんなに聴衆に Why, why, why? と聞くなら私にも that’s because と応えさせろという思いが込み上げてきたが、いずれの集会も質疑応答の時間が皆無で大変欲求不満であった。

オリバストン作品の歴史考証を務めるP・カズニック教授は実に原理原則的なアメリカン・レフトで、オバマ政権を含めアメリカ覇権の歴史イデオロギーを痛罵していた。同時に、その物言いからは、「学者のアジ演説」はいかにあるべきか、ということも学んだ。学者も、できるのであればアジ演説をしてもいいし、それはアカデミックな評判を落とすことではない。しかし、それは、政治家や学生運動家のそれのようにしてはいけない。何というか、物事を単純化しはするのだけど、かといってやはり正確な単純化なのだ、というような。

両氏のアメリカ史のより実質的な内容はオリバーストン&カズニック「もうひとつのアメリカ史(全三巻)」(早川書房2013)に詳しく、帰路の新幹線で第一巻を拝読した。1930年代ニューディールから40年代の第二次大戦期にかけての私の最近の関心とあわせて、感想をまた書きたい。

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by akai1127ohi | 2013-08-12 03:12 | 散文 | Comments(0)

政治時評(34)ー「読売系保守」は「産経系右翼」から距離を取れ

第一次安倍政権(2006-7年)の外交政策ブレーンには、桜井よし子、葛西敬之など「産経系右翼」と北岡伸一、柳井俊二など「読売系保守」が、岡崎久彦氏などを媒介に混在並存していた。だが読売系保守の一部は、対米配慮を欠いたまま安倍首相に無責任な対外強行路線を入れ知恵をする産経系右翼に対してにがり顔を見せる場面もあった。たとえば北岡伸一氏もその一人だったろう。

第一次安倍政権の政策を支えたイデオロギーの内、読売系保守の絶対的枠組は「日米同盟」であり、米国に心中では複雑な感情を抱きつつ、その則を越えなかったといえよう。他方、産経系右翼は、基本的にその桎梏を承認しつつも、靖国史観や東京裁判の見直しに触れ、ややもすれば「政治」よりも「信条」を優先し、日米安保体制よりも皇国史観の地金をチラ見させていた。そのことによってアメリカとの関係では危ない火遊びを自制できずにいた。読売系保守と産経系右翼との間には、権力を媒介にした支配層という同床と同時に、微妙な違いがあったといえる。

2012年の自民党政権復帰と第二次安倍政権の外交イデオロギーは、一気に産経系右翼の比重が増え、恥ずかしげもなく粗暴な妄言を国際的に繰り返している。麻生ナチス発言が飛び出した集会のメンバーを見れば、産経系右翼の狂信の度合いは読売系保守に比べ「桁外れ」であった。

朝日(8月10日)の北岡伸一氏による「集団的自衛権 全面解禁」の提言は、第二次安倍政権の安定と一人勝ちの中で、読売系保守が産経系右翼になし崩し的に寄り切られる形で、両者の間の最後の違いを失いつつあるという感を抱く。

集団的自衛権の行使は、長年アメリカが日本に求められてきた項目であるが、目下、北岡氏の提言やそれに基づく自民党政府の積極姿勢は、相撲でいえば「うっちゃり」に似たものといえよう。腕力では劣勢な小兵力士が、その細い腕で相手の力を借りながら土俵際で相手そのものを覆い返す仕業であり、 アメリカからの「外圧」の利用を通して日本の対外的軍事活動の突破口を探ろうとするものであろう。そして、そのような集団的自衛権の行使を、アメリカは望んでいないだろう。

中韓との関係悪化に加え、自由や人権を重んじる米国や欧州まで敵に回せば、日本は孤立と破局の道であろう。その帰結は避けんとする狡い親米リアリズムは、現代日本の根本的桎梏であると同時に、読売系保守の最後のバランス感覚ではなかったか。読売系保守は、いい加減に産経系右翼から手を切れ、と諫言したい。
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by akai1127ohi | 2013-08-11 00:35 | 政治時評 | Comments(0)
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