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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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政治時評(33)ー「鳩菅」の落日と民主党現執行部の行方

自民党に何を言っても焼け石に水。共産党に何を言っても聞かれないだろう。その点、民主党への意見は、どこかでこの党の今後に影響を与えられるのではという気がする/してきた。

民主党、それは右往左往、優柔不断を続ける日和見主義の集団、どんな形にもなるアイスクリーム。だからこそ、自分の叱咤激励が、この党のこれからの形に、少しでも影響を与えられるような気がした/してきた。

民主党、それは右往左往、優柔不断を続ける日和見主義の集団。だがそんな頼りない姿に、自民党政治ではもはや駄目だとうっすら自覚しつつ、かといって新しい政治にも踏み出す勇気もないまま、踏ん切りがつかず逡巡している「われわれ日本の有権者」姿それ自体が重なって見えた。民主党の弱さはわれわれ日本有権者みんなの弱さを体現しているように思えて、それを外から鞭打つような気持ちになれないできた。

叱咤に重きをおいた叱咤激励、批判に重きをおいた批判的期待を寄せながら、民主党にはどこかいとおしい気持ちもしてきた。玉石混合、曖昧灰色だからこそ、そして日を追うごとに石が増え、灰色の黒味が勝ってきたにせよ、それでも残る玉に、それでも残る白に、望みをかけようと努めてきた。最後の最後で、民主党は私にとって、「あっち側」の存在ではなかった。

               ***

過日(2013年7月)の参議院選挙での東京選挙区での「分裂・共倒れ」を契機に、民主党執行部が菅元首相に離党勧告をした。東京選挙区の分裂は「ボタンの掛け違い」かもしれないが、初めにボタンを掛け違えたのは現執行部であろう。「党内ガバナンス」を口実に、これを好機とばかり鳩山イメージ払拭と菅氏放逐を狙う党内保守派、それに結託的に押し切られる日和見執行部の図が透けて見える。

メディアの「反共」ならぬ「反『民』攻撃」傾向は一向に変化の兆しなく、有権者の「懲罰感情」(長島昭久)なる趨勢も不可解である。しかし現執行部は、鳩菅をスケープゴートにしてそれら民主党への悪評一切を彼らに負わせようとしていまいか。民主党が鳩菅にこの仕打ちを完遂するなら、私は同党を完全に見限る。

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民主党という器、残るにせよ消えるにせよ、もはや2009年政権交代の民主党という器は消えるだろう。菅氏除名となれば、私の気持ちを最後の最後でこの器とどこか結んでいた愛着も、消えていく。民主党に対する批判、民主党批判に対する批判のそれぞれを反芻しつつ、複雑な思いを抱えながら、2009年政権交代の送り火を見ている。
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by akai1127ohi | 2013-07-25 04:45 | 政治時評 | Comments(0)

政治時評(32)ー2013年参議院選挙を終えて

参議院選挙(2013年7月21日)の結果は、喜ぶというわけでもなく、かといって悲観ばかりするとも違う、実に複雑な結果と拝察する。

大手新聞は「ねじれ解消」を参院選最大の争点かのごとく報道し、安倍総理も「ねじれ解消」を誇るが、では民主党政権時代の2010参院選挙の際、安倍氏は「自民党が『ねじれ』を作り出してるから自ら議席を減らしましょう」と一言でも言っただろうか。

連立友党の公明党。山口代表は連立という「助手席」に乗っているから自民党の「暴走」の歯止め役になるとの主張を繰り返していたが、そもそも公明党が早く助手席から降りておけば、車はここまで「暴走」することはなかったはずではなかろうか。

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民主党は、ただただ耐える選挙であった。民主党は東京選挙区で候補者の「一本化」に失敗、分裂選挙から共倒れという最悪のパターンを辿った。その過程で細野幹事長と菅元首相の対立が露呈した。だが何より民主党は、有権者が何ゆえ「共産党躍進」を選んだか、それを拳拳服膺する必要あろう。前原氏や長嶋氏など「党内右方面の大リストラ」は必至だ。民主党は、党再生のための自己脱皮を図るならば、辻元清美議員など女性議員が前面に出て党改革を担うしかないのではないか。民主党が自民党に代わる「もう一つ」の選択肢になるためには、それが唯一の突破口のように感じられる。

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共産躍進はポジティブ要素であり、素直に言祝ぎたい。同時に、注文も大きい。選挙戦を通じて、山本太郎、みどりの党の三宅洋平、社民党の元府連幹部、元自民党重鎮などが共産党躍進に期待し連帯のエールを送った。「反共攻撃」どころか、最も他党からの義侠心的応援に恵まれたといえまいか。それでいてその共産党が「自共対決=共産党以外は自民の補完勢力」ではもはや通用しまい。今後は、共産党が様々な課題で他の野党といかに連携できるか、その度量と義侠心が問われる番だろう。

民主激減、共産躍進の間で、イデオロギー的にはその中間にある社民党の埋没が不可解でもある。今、社民党はより必要とされる政党だろう。共産党の「正しさ」に社民党の「やさしさ」が加わって初めて「正しくてやさしい社会」ができるのでは。マッチの灯、ろうそくの灯でもいいから、消えずに残ってほしい。再び日本の政治を照らす燎原の火となる日が来ると信じる。

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山本太郎や三宅洋平などの胎動は、政治の「保守化・固定化」に対して市民社会が明確にそれに対抗抑制する底力を持っていると実感させた。もとよりその行先は未定型で不安もあるが、われわれの世代で/われわれのスタイルで、もう一度「まじめさ」を取り戻す「対抗文化形成」に掉さしたい。
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by akai1127ohi | 2013-07-25 04:27 | 政治時評 | Comments(0)

政治時評(31)ー「上部構造」の19世紀的復古主義と「下部構造」の21世紀的グローバル化の狭間で

図書新聞(7/20号)、「杉田敦×斎藤純一対談/衆院選と参院選の狭間で考えること」。20世紀末以降のネオコン(新保守主義)とネオリベ(新自由主義)との奇妙な同棲関係の指摘など、興味深く拝読。

対談での杉田教授の発言を私なり理解すれば、19世紀におけるナショナリズム(国民主義)の高揚は、国民経済圏の確立という「下部構造」の課題と並行して生じていた。その意味でナショナリズム(観念)と国民経済(下部構造)は合致していた。しかし、20世紀末以後は、経済はグローバル化して政権はなべて新自由主義政策を強要されている反面、観念では新保守主義(復古的ナショナリズム)が高揚する奇妙な状況になっている。

「グローバル化した経済の中で『ナショナル・エコノミー』という単位が大きな意味を持たなくなりつつある今、『上部構造』の所でナショナリズムだけを経済的な裏付けなしに維持するというのは、論理的に無理なことではないでしょうか。ネオコン(新保守主義)とネオリベ(新自由主義)の結合ということは、20世紀末くらいから言われていて、安倍氏やその周辺についてもそう見えますが、きっちりと思想的に詰められているとは到底思えません」(杉田教授)。

経済では新自由主義、政治では新保守主義による復古ナショナリズムという「組み合わせ」の代表例としては、1980年代のサッチャー政権を想起する。2010年代の安倍自民党は、その「奇妙な同棲」を周回遅れでより一層いびつな形で体現しているかもしれない。

安倍自民党の掲げる憲法改正の「政治日程化」によって、政局はにわかに緊張しているが、その実、どこかカラ元気の右傾化、あまりに古典的すぎて滑稽な右傾化、という印象もある。もちろん、だからと言ってその危険性を軽視することはできないが、「ポスト・モダン」やらグローバリゼーションらが叫ばれてきた中、「今なんでこんな古典的な右傾化?」という違和感がつきまとうのも事実だ。

憲法改正案に示される自民党の右傾化は実に19世紀的アナクロニズムで、その意味では日本は確実に「右傾化」している。他方、経済のグローバル化は不可避的趨勢として進んでおり、企業の突き上げから政治もそれを後追い的に促進せざるえない。現在の自民党政権は、上部構造における19世紀的復古主義と、下部構造における21世紀的グローバル化が、思想的に整合性のないまま並存している。

もちろん、このような「日本的政局状況」のなかで、19世紀復古的国家主義に対して「まとも」にイデオロギー闘争を行う必要は減じていないと思える。と同時に、構造的には「上半身の右傾化」と「下半身のグローバル化」の居心地の悪い過渡期ともいうべき状況のなかで、いかに展望を見いだすか、複雑な時代とも感じる。
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by akai1127ohi | 2013-07-17 16:58 | 政治時評 | Comments(0)

政治時評(30)ー「尖閣問題 少数意見も尊重を」

 鳩山由紀夫元首相の尖閣発言をめぐり、「鳩山元首相 国益損なわないで」(7月1日朝刊)を拝読しました。たしかに鳩山氏の発言は軽率ですが、ある意味では日本の成熟を示すものとも感じます。
 たとえば「尖閣諸島は中国が盗んだと言われても仕方ない」と公言できる中国の元国家主席がいるでしょうか。また「中国のかたくなな態度が日本との関係を悪くしている」と発言できる中国の言論人も少ないと思います。日中双方の世論が過熱する中、元首相がこう公言できることこそ、本来、日本の成熟と多様性を示す証左と感じます。
 むしろ、「国益」という言葉を前に多様な言論が委縮してしまえば、民主社会とはいえません。多様な主張の表出を誰も止めることができず、意見が画一化しがちな問題でも少数派の考えがしっかりと出てくる。そのような雰囲気が残っている所に、われわれの政治社会の強みや優位性があるはずです。
 とりわけ、日中友好を唱えてきた保守政治の遺産が先細っている今、批判を浴びながらも自説を述べる鳩山氏は稀有な存在とも感じます。それを許容する度量を示したいものです。

(上記は朝日新聞7月9日朝刊「声欄」に掲載された拙投稿の基原稿)
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by akai1127ohi | 2013-07-09 17:06 | 政治時評 | Comments(0)

政治時評(29)―民主党への注文と「民主自民同根論」への注文

7月21日の参議院選挙を控え、東京選挙区では民主党が事実上分裂することになった。毎度唐突なドタバタお家芸であり、民主党の党運営の稚拙さに深く閉口する。加えて、鈴木寛氏と大河原雅子氏との二者択一では結果的に鈴木氏を公認、大河原氏を非公認とする現執行部の判断もまた、現在の民主党の一定の傾向を示す一端かと感じる。

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それに先立つ東京都議選(6/23)では民主党は大敗、代わりに共産党が躍進した。共産党はこれまでその主張が過小評価・過小報道されており、その実績に見あった議席の反映がなされるべき存在であり、その意味で同党の躍進は脱原発や現行のTPP等を考える上で、一定のポジティブ要素だったといえよう。

同時に、日本の政治イデオロギー「全体」から見た場合、今回都議選のような、民主凋落のうえでのイデオロギー二極化(共産党のいう「自共対決」)というのが果たして今後ポジティブな方向性をもたらすのか、比較的危惧をのこす結果とも感じる。

民主党の激減の上でのイデオロギー的二極分化(共産党のいう「自共対決」)は、たしかに双方の極が伸びたわけだが、圧倒的に片方の極(自公)が大きく、共産の極は「これまでと比べて」というものともいえる。結局、「イデオロギー二極化」よりも、それによって相対的に後景化されがちな民主党の凋落ぶり、いわゆる「中道/中道リベラル/穏健保守」の選択肢の先細りが、日本のイデオロギー構造「全体」を見た場合に、やはりもっとも本質的に危惧されるべき課題と感じられる。

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選挙は党派の闘いなので、党派の主張、党派の利益が前面に出てくるのはしょうがない。しかし、共産党の掲げる「自共対決」という図式は、現在の政局のイデオロギー図式の認識としては、客観的な妥当性を欠くと感じる。

「自共対決」のコロラリーは「自民民主同根論」であり、それは常に民主党批判と対になっている。これは、「そうした方が共産党の独自性が出る/支持者のボルテージが高まる」という党派的戦略としては十分理解できるが、現在の日本のイデオロギー状況、平たくいえば政局磁場の全体像を踏まえた場合、若干の違和感をぬぐえないでいる。

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自民党と民主党は、同じと言えば同じだし、違うと言えば違う。2009年政権交代以後、民主党は「右寄せ要因」に面白いほど揺さぶられ、政権交代時の立場から離反していった。とはいえ、その民主党と自民党を「同じ」とすることもできないだろう。

たとえば消費税、TPP、生活保護法、議員定数削減などの点では自民と民主は軌を一にしており、ある争点では自民党以上に「自民党的」ともいえる。他方、96条改憲、脱原発、新大久保ヘイトスピーチ、LGBTといった論点では両党には無視しえない差異がある。

したがって、自民党と民主党の差異は、要はどの争点、どのアジェンダで両党を捉えるかに左右されるといえよう。消費税やTPPを重視すれば同質性が目立つし、96条改憲や脱原発を重視すれば差異性が意識化される。したがって、民主党に対する評価の仕方も、どの争点/アジェンダを重視するかで変ってくるといえる。

               ***

現在の政局の争点、参院選挙の最大の争点として何に優先順位をつけるかは各人各様と思われる。しかし、重要なアジェンダとして①憲法と②脱原発を挙げることは自然であろう。

憲法は戦後日本のイデオロギー対立の最も象徴的な争点といえる。硬性憲法ゆえに自民党にとっても改憲も容易ではないが、万一条文改憲ということになれば、比較的中長期にわたって「取り返しのつかない損失」ということになるだろう。

「脱原発」は、3・11以後、これまで政治には無関心だった人々のも含めて、多くの有権者の「政治化politicalization」を触発する争点となってきた。脱原発は、広義の運動側にとって、若干後退したとはいえ最も現実的に勝算のある争点、またその好機がはらんでいる「伸び代」を最大限に活かさなければならない争点と感じる。

もちろん、こう述べることは、その他の(主として経済的)アジェンダを軽視しているわけではない。憲法や脱原発における多数派を構成してくなかで、他のアジェンダも状況を好転的に展開させる政治的道筋の模索が必要と思える。

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とりわけ、「脱原発」では民主党と自民党の差異は比較的顕著だろう。

民主党は、2009年政権交代以後、最も保守化が進んだ野田政権でさえ、建前上は2030年代の原発稼働ゼロを掲げていた。自民党が原発再稼働に「積極的」であるのに対し民主は「容認」であった。また民主党は新規原発建設は「認めず」の立場であった。もちろん、民主党の「脱原発」は不十分であるし、政局や世論とのかねあいで今後も紆余曲折、右往左往があるだろう。しかし、基本的に日和見主義者の集団である民主党は、自民党に比べて、運動や世論の風向き次第で変化する割合を多く含んでいると思われる。

そうでありながら、2012年衆院選は、原発政策推進を公言する自民党に対し、野党は「30年後の脱原発」か「15年後の脱原発」か「即時原発ゼロ」か等をめぐり批判の応酬を行い、選挙共闘も行えないまま、結果的に、30年後の脱原発でも15年後の脱原発でもなく、端的に原発推進を掲げる自民党の政権回帰を許した。

原発政策の積極的推進を掲げる自民党「さえ」止められないのに、脱原発の「時期」をめぐって野党同士が批判しあうなど、通常の常識と悟性(=予見能力)、一定の政治感覚があれば、愚の骨頂以外の何ものでもないのは明白ではないだろうか。

               ***

もちろん、民主党はこれらの争点「でさえ」建前を貫徹しえておらず、明確な政治理念を欠いており、自民党に対決してそれに代替しえる確固とした中道左派政党の登場を期待する有権者の声に応えきれていない。民主党に対して批判的な圧力を加え続ける必要は減じていない。とはいえ、「民主党と自民党が同じだ」という主張は、「民主党をどう評価するか」以前に、「民主党をどう認識するか」という点で妥当性を欠くといえよう。

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たとえば、産経系メディアの攻撃を受けながらも菅氏は脱原発活動を続けている。鳩山氏は(その政治感覚に一定の疑問符もつくが)「歩くバカ」を自認して、昔年の保守政治が維持していた日中友好のパイプを代替している。有田氏は新大久保ヘイトスピーチの国会での争点化に尽力し、「芦部」質問をした小西議員は先日の上智大学での「96条の会」で私の横で立ち見で講演会に参加していた。これらはいずれも、自民党とは明らかに異なる政治行動といえよう。これを含めて「自民党と同じ」とすることは、私にはできない。

参議院選挙に際しての判断はもとより、より中長期的に、自民党に対抗し、それに代替されるべき政治イデオロギーの枠組や勢力をどのような線で構築するのかを考える際に、このような「民主党認識」を前提にして判断すべきだと感じる。
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by akai1127ohi | 2013-07-07 00:37 | 政治時評 | Comments(0)

政治時評(28)―エジプト政変とデモクラシーの「制度的/運動的要素」

昨年(2012年)のエジプト「アラブの春」は、私の引証枠組では、日本60年安保闘争と実に相似形に見えた。ムバラクは岸、タハリール広場は国会前で、広場の若者はブント系全学連、そしてムスリム同胞団はさしずめ、比較的原則主義的ゆえ穏健世論とはやや離れているが、最も組織的な基盤から運動を支えた当時の社会党といえようか。

               ***

そのムスリム同胞団が革命後の政治統合と「デモクラシーの制度化」に失敗し、エジプトは再びデモクラシーの「運動的側面」が前景化している。以下、新聞報道等から知る限りの印象をメモ書きしておきたい。

モルシ(前?)大統領側は国民の実質的支持を失って、ただ「民選の正統性」のみがただ漂っている印象。しかし、依然流動的な情勢のなかで、直接選挙によって選ばれた「形式的正統性」は、形式的とはいえ/であるがゆえに、無視しえない権威的力があるだろう。

民衆運動は、物事の帰趨を方向づける根本的正統性を含みながらも、その民衆運動のなかに「単一の意志」を読み取ることが比較的難しい状況と感じる。ムスリム同胞団は、今回はともすれば「悪役」とも位置づけられるが、モルシ氏支援の対抗デモも報道されており、民衆運動に「実質的正統性」がありながら、それが何を指示しているのか、明瞭に読み取れない現状と思われる。

そして、「政治の終わり」を告げるデウス・エクス・マーキナとしての「実力」(軍)。政治的正統性をめぐる混乱の収束にむけ、政治における「最終手段」としての実力が出てくる。軍は、モルシ大統領の「形式的正統性」を一刀両断に覆して、超憲法的に新たな秩序創生の役割を自認している。当座、世論や米国とのかねあいで謙抑的な姿勢をとり、混乱収拾の後のスムーズな民政移管を約束的に唱えるが、字義通り楽観するはリアリズムの欠如だろう。そうしなくても権力を維持できる「実力」を持つ以上、そうするかしないかは、あくまで軍の自己決定による、というべきものと感じる。

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デモクラシーは「治者と被治者の同一性」の理念を目指す運動と制度といわれる。運動が制度を作り、その制度が形骸化すれば再び運動が制度を批判し、新たな制度を導きよせていく。

「治者と被治者の同一性」に依拠して、形骸化した制度(たとえば代議民主政)などを批判する「運動的要素」と、一度高まったその運動に再び制度に制度的表現を与え、「治者と被治者の同一性」に向けて人々を統合していく「制度的要素」。その二つはおそらく緊張関係を伴った相互補完関係にあり、エジプトの政変はその古典的課題の現代的表出の一つと感じる。
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by akai1127ohi | 2013-07-07 00:03 | 政治時評 | Comments(1)
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