Modest Comments on What I Have Read


Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
by akai1127ohi
プロフィールを見る
画像一覧

<   2011年 08月 ( 4 )   > この月の画像一覧

既成事実の前提化と菅内閣「延命」批判という愚

菅首相は8月26日に、正式な退陣表明を行った。この間、菅内閣に対しては、基本的に左右を問わず、「延命」「政権居座り」という画一的な批判が量産されてきた。菅内閣の終焉は、七割以上が「脱原発依存」を望みつつも、菅首相個人に対するこのような画一的批判のイデオロギー性を自覚することなく、その量産の前に既成事実的に押し流された、この国の世論の敗北によるものであろう。

                    ***

菅首相に対する「延命」あるいは「居座り」批判という言論がパターン化したのは、6月2日の不信任案政局を契機とした。与党の一部と自民党が画策した菅内閣に対する不信任案決議は、およそ民意・常識とかけ離れた暴挙であり、最も厳しく批判されるべき行為だった。それはまた、その後の政局混乱の最も直接的な原因であったはずだ。結果的に不信任案否決は、「退陣するから信任する」という奇妙な論理になった。

しかし確認されるべきは、6月2日の代議士で首相は「若い世代に責任を引き継ぐ」と述べただけで、「辞意表明」と取れる言質は与えていない。しかしながら、マスコミは首相の発言中に「退陣表明」と速報し、情勢を既成事実化した。首相への「延命」という批判が可能になったのもこれ以後のことだ。すなわち、首相は「退陣表明」したのに「居座っている」「延命」している、という批判のパターンが可能になり、しかも画一的に量産されるようになった。「延命」批判はすなわち、不信任案決議をめぐる「退陣表明」を前提としており、意識的であれ無意識的であれ、それを既成事実化してきたものだ。

「脱原発」に反対する自民党や読売新聞はもとより、朝日新聞や赤旗などの「リベラル」や左派までもが、無分別にもこのような菅批判に掉さした。結果的に、国民世論の多くは「脱原発依存」を望みながらも、メディアが結論において糾合した「首相退陣」の既成事実化の前に、全てが飲み込まれる結果となった。

                    ***

8月29日に民主党は新代表を選出する。しかし、前原氏であれ海江田氏であれ、新代表の選出よりも、菅首相の退陣の方が、民主党なる存在の今後にとって重要な意義を持つだろう。菅内閣の終焉を契機に、政権交代とは何だったのか、民主党とは何なのか、また、「脱原発」の今後の帰趨をめぐり、いくつかのことの一つの区切りとなるだろう。
[PR]
by akai1127ohi | 2011-08-28 06:01 | Concerned Citizen | Comments(2)

【詩】真如堂

緩やかな石畳を登ると
鬱蒼とした新緑の木立のむこうに
お前の façade が浮かび上がる

真如堂
無言で佇むお前は
全ての有限なるものを
自らを演出するための小道具にする

真如堂
その装飾細工の陰影を表現せんがため
2B 鉛筆に加えるべき筆圧の具合を
誰も知らない

a0101503_1575615.jpg


a0101503_158269.jpg


だが真如堂
敬虔に佇んでいるお前は
その非時間的な敬虔さゆえに
俺のなかの深い部分を挑発する

真如堂
わずか 15 秒でポトリと落ちる
線香花火をまんじりともせず凝視する
取り憑かれた子どもの眼を見たことがあるか

真如堂
一夏の命を与件とし
満身の怒りで声を振り絞る
敗北必至の蝉の大合唱がお前に聞こえるか

真如堂
朝顔がなぜ朝顔というか知ってるか
答えは朝に咲くからだ

その朝顔が夕暮れにどうなるか知ってるか
灼熱の陽ざしに一日中曝されて
優しい小陰唇のように
小さく萎むのだ

真如堂
俺はお前を敬い、憎んでいる
お前はその敬虔さによって
小さきもの、優しきもの
消えていくものを貶めているからだ

a0101503_1592431.jpg



a0101503_1595177.jpg


真如堂
この石畳を
これまで幾人が歩いたというのだ

俺は石畳を静かに登り
幾千いや幾万とあるだろう柱の一つに
野蛮に近づくと
恭しく接吻した


*写真は京都市左京区の真正極楽寺(通称「真如堂」)
[PR]
by akai1127ohi | 2011-08-14 02:03 | | Comments(3)

「The Town I loved So Well/私の愛した街」

新宿に二軒だけ残るうたごえ喫茶、「家路」と「ともしび」。大学入学(2001年)と同時に時代錯誤にも学生運動の人々に関わることになった私が、横井久美子訳で有名な「私の愛した街」を聞いたのは、活動仲間に連れられた「家路」でだった。薄汚れた歌集の一角に素朴な筆致で書かれた、民衆の挿絵を覚えている。

大学二年の春休みにダブリンに語学留学をした。ホーム・ステイ先のホスト・マザーだったシェリーアさんは、料理と掃除(のみ)を自らの職責と考える良妻賢母で、私がコノリー書店で買い漁るトロツキスト系の機関紙を部屋に散らかしておくと、それらを怪訝そうに眺めては、掃除してもいいかと尋ねた。

ある日、新宿で聞いたあの歌を思い出し、シェリーアさんに尋ねた。「私の愛した街」だから ”My beloved town” くらいかなと思い、そんな歌知ってますか?と聞くと、知らないという。しかし、二言三言歌を口ずさんでみると、ひざを打つように、”The town I loved so well” と教えてくれた。今は成人して家を出た息子が、小学生の時に学芸会で歌ったという。

私のダブリン滞在はイラク戦争(2003年3月)と重なった。シャノン空港での反戦活動が組織され、concerned citizen の当然の同時代責務として、私もそれに参加した。シェリーアさんは、「過激な連中に近づくな」と忠告しつつも、ボリュームあるサンドイッチを作ってくれた。

私のダブリン滞在はまた、フィル・コウルターのアルバム、Coulter Classics の発売とも重なり、 Eason & Son で ”The town I loved so well” を視聴することができた。語学学校で知りあった韓国人女学生と一緒に店を訪れ、「韓国でいえば『朝露아침이슬』のような歌だよ」と、知ったかぶり説明したわけだが、あながち間違いではなかったと思う。

横井久美子の訳詩には、三つの「問題」がある。第一に、原詞にある「ball/wall」、「rain/lane」、「youth/truth」といった韻が捨象されていること。第二に、少年時代のデリーを回想して、 ”Past the Jail and down behind the Fountain” という箇所。「煙ただようガス工場」、「失業中の男たち」といった風景描写のなかで ”the Fountain” が一見不釣合いにも思えるが、横井はこれを「共同井戸」と訳していて妙案だ。しかし、デリーには the Fountain という通りもあり、真偽が定かでない。第三に、横井の明らかな意訳(意図的誤訳)は、 ”I can only pray for the bright grand new day” を、「私にできることは一つ戦うことだけなのだ」としている点だ。しかし、原詩の語彙に留意しつつも、なし崩し的な現状追認の前に「異議申し立て」があまりに欠落しているかに思える昨今、むしろこの意図的誤訳の精神は継承したい。

横井久美子の先行訳業に敬意を表しつつ、いつか、私自身の語彙で、この曲を歌ってみたい。

(本文は「日本アイルランド協会会報・July, 2011」に掲載されたものである)







[PR]
by akai1127ohi | 2011-08-12 14:43 | 散文 | Comments(0)

自然エネルギーをめぐる対立構図と菅首相の肯定的役割

自然エネルギー法案は、単に一つの法律に終始しえない象徴的な意味を含んでいると感じる。

第一に、あの大震災と原発事故から日本列島に住むわれわれが「何を教訓として学んだのか」という、態度表明の一歩となろう。第二に、企業活動の拡大に人間の福利を理由づけるようなこれまでの社会通念から、それとは別の新しい価値観への転換の可能性、少なくともその糸口になりえると思うからだ。

原発が爆発して多くの人が恐怖の中ですごした3月中旬の夜、余震が駆け抜けたベッドの中で、絶対にこの恐怖を胸に刻み、教訓を学ばねばならないと感じた。これは本当に絶対の課題だ。さもなければ、後世の人々から、今この時代を生きる日本列島の住民は、あれだけの災害にもかかわらず、「学ばなかった人々」として記録されるであろう。あれほどの震災と大事故を経験した「意味」というものも、完全になくなるだろう。

                    ***

7月13日の菅首相による「脱原発依存」記者会見以降、原子力産業/行政をめぐる力関係の推移のなかで、メディアの大半は「脱原発」という本質を争点化せず、首相の「思いつき」や「手続き論」ばかりを執拗に批判してきた。

しかしその後、保安院、独占的電力会社、そして地方首長が一体化してきた原子力行政のズブズブの癒着構造が明らかになりつつある。九電の意見誘導の契機となった古川佐賀県知事のニュースは、怖いくらい予測通りだ。自らのやり口を正面から正当化できないこのような人々が、自民党や与党の一部と糾合し、「脱原発」の手続き論ばかり執拗になじってきたのだろう。

とりわけ、原発利権を代表しながら、「国に振り回される弱い地方」を演じた佐賀県知事の罪は二重であり、許されるべきではない。不条理を飲み込んでこのような知事に電話謝罪した首相に、率直にいって同情する。

                    ***

同時に、反権力の立場からいまだに首相批判に乗っかる一部意見があるとすれば、佐賀県知事に示されるこの構造を批判しなくて、いったい何を批判するというのだと強く問うておきたい。

反権力、権力への監視、権力性悪説は、実に重要なことだ。権力は常に批判すべきものだし、常に懐疑すべき対象だ。しかしそれは、首相を支えるべき時には支えるという賢明さを放棄することではないはずだ。原発というこれまでの巨大な産業をめぐって複雑な力関係が拮抗し、政府の中枢さえモザイク状態にあるとき、それを忍耐強く識別する努力を放棄して、首相も内閣も民主党も、味噌もくそも一緒だとして総批判するのは、本当の権力批判ではないと私は考える。

                    ***

「みんなのエネルギー・環境会議」が設立され、7月31日の第一回会議のパネリストには、飯田哲也、海渡雄一、くしぶち万理、小林正弥、宮台真司、保坂展人などの名前が見える。もちろん、これらの顔ぶれのそれぞれに異見もあろうが、ISEPなど民間機関の働きは、実に敬意に値するものを感じる。そしてその会議で首相があいさつするというのは、やはり自民党ではありえないことであり、そしておそらく、今名前が取りざたされている民主党の代表後継でもやはり、考えにくいように感じる。




原発事故を受けて、私も含めて、多くの人が、原子力に鈍感だった過去の不明を後悔し、考えを変えた。それは全く恥じることではないだろう。認識が変わったのであれば、判断が変わるのは当然だし、むしろ、断じて変えなければならない。一貫性や「ブレない」ことが賞揚されるなか、多くの人がそろりそろりと立場を変えたの対し、考えを変えたことをはっきりと公言して総括したのは、首相と吉永小百合氏くらいのものではないか。私はそれを率直に評価したい。

                    ***

菅首相は 8・6 に広島に来るようだ。
いい意味で私の予測を裏切ってほしいが、率直なところ、平和やヒロシマをめぐる発言で、首相にそれほど期待してはいない。この首相は、そういうのは不得手だ。その意味で、もちろん批判的に要求すべき点は多い。また、私自身が政府の提灯持ちをするつもりはないし、このブログを政府広報にする気などさらさらない。

しかし、全体的な力関係の磁場のなかでプラグマティックな政治判断をすれば、世論がしっかりと意見を挙げ、それに対し首相が明確に感受性を示している「脱原発依存」の流れを、しっかりと守っていかなければならないと感じる。首相の「脱原発依存」と、社会運動や高円寺系の人たち、民主党の一部や社民党と共産党、孫正義氏や小宮山宏氏など民間の知恵と意志、そして 3・11 以降に考えをあらためた多くの人たちの声が結びついて、目的のために力を合わせる必要があろう。われわれがあの震災と原発事故から「学ぶ」存在であるとすれば、それが最低限の条件であろう。
[PR]
by akai1127ohi | 2011-08-02 05:28 | Concerned Citizen | Comments(0)
ブログパーツ
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
venusgood.com
from venusgood.com
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
愛国心を育てる名言
from 愛国心を育てる名言
愛国心を育てる名言
from 愛国心を育てる名言
愛国心を育てる名言
from 愛国心を育てる名言
イカー!イーカチュー!!
from イカチュウ
総員第一種戦闘配置!!
from 司令
しょーすしょすしょすw
from びえぶ
ちょちょちょ(^^;
from さい8
ライフログ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧