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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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金大中著、『金大中自伝(Ⅰ) 死刑囚から大統領へ―民主化への道』(岩波書店、2011年)

岩波書店から『金大中自伝(Ⅰ)死刑囚から大統領へ―民主化への道』、『金大中自伝(Ⅱ)歴史を信じて―平和統一への道』が出た。

金大中の「自伝」はかつて千早書房からも出ているが、生前からのゆかりある岩波から出た今度の『自伝(Ⅰ・Ⅱ)』は、おそらく決定版となろう。定価4095円に何の躊躇もなく、『金大中自伝(Ⅰ)死刑囚から大統領へ―民主化への道』を読んだ。実に喚起されるところが多く、余白は書き込みで一杯になった。備忘録までにいくつか。

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金大中といえば、在野の民主運動指導者か大統領(あるいは「大統領病患者」)か、というイメージがある。しかし、本書からは、いくつかの金大中の「顔」が伺える

第一に、「経営者としての金大中」。
木浦商業高校を卒業し、木浦での20代では造船や新聞を企業し、いわゆる「青年実業家」であった。朝鮮戦争後、いち早く、木浦港と群山や仁川を結ぶ海運事業を起こしてそれなりの成功をする。経営者としての管財能力と適正な冒険心があり、また労働問題への関心もそこから生じている(p48)。

ちなみに金大中の市場観は、冒険心と創意工夫に富む企業家が果敢に競争しあうというシュンペーター的理想を持ちつつも、市場がもたらす様々な失敗を是正し、それを監視するという穏健な市場介入主義といえよう(pp166-7)。

第二に、「国会議員としての金大中」。
金大中は、54、58、59、60年と4回連続で落選し、61年の選挙で37歳にして初当選する。金大中には、在野の民主化指導者か大統領か、というイメージが強いが、わずかではあるが国会議員時代の活動も言及されている。

第三に、「キリスト教徒/信仰者としての金大中」である。洗礼名トマス・モア。私自身が信仰を持たないため、この点を内在的に理解できませんが、将来の見通しが立たず、激しい弾圧の渦中で、正体の見えない大きな権力と対峙するという困難な時代に、信仰が金大中の不屈の闘争を支えた最大の要因の一つであることは自明です。

70年代以降、金大中は、民主化運動のなかで金寿煥枢機卿、文益煥牧師など在野の宗教家や知識人、運動家と知己を結び、これは金大中の大きな遺産となる。その契機は1976年の「三一救国宣言」発表とそれによる集団投獄である。「私はこの事件で在野の宗教者、知識人の真面目を知ることとなった。彼らの純粋な熱情は私の胸に深く刻印された。ほとんどが私とは一面識もない人たちだった」(p278)。

80年代の投獄時には、刑務所経験によってさらに自らの信仰を厚くする。金大中は、軍事政権に対する激しい怒りを明らかにしながらも、不思議と「人」を憎みません。朴槿惠との「和解」(p301)はある種キリスト教徒としての「赦し」かもしれない。他方、97年大統領選における金鍾泌との「同盟」は政治家としての「野合」といえる。

第三に、「学者としての金大中」である。金大中の学歴は高卒で、「学歴コンプレックス」があったことを認めている(p467)。勉強は独学であり、とりわけ監獄での読書による部分が多きい。「私は刑務所で二つの貴重なものを得た。一つは厚い信仰であり、もう一つは読書を通じた知識と知恵だ」(p280)。

1980年の光州事件に際してはその「首謀者」として再び投獄。その際の読書傾向は以下。「清州刑務所の二年間はまったく、読書に浸りきりで過ごした。哲学、神学、政治、経済、歴史、文学など、いろいろな分野の本を読んだ。トインビーの『歴史の研究』・・・・・・、ラッセルの『西洋哲学史』、プラトンの『国家論』、アウグスティヌスの『神の国』、テイヤール・ド・シャルダン神父の著書の数々・・・・・・、『論語』、『孟子』、『史記』などの東洋の古典や元暁、栗谷についての著書、そして朝鮮王朝末期の実学関係の書籍を精読した。監獄生活はまたとない、学びの時間だった。・・・・・・監獄こそが私の大学だった」(p347)。

といっても、いわゆる「研究者」ではないため、たとえばアーノルド・トインビー『歴史の研究』にインスピレーションをえたり、アルヴィン・トフラー『第三の波』にこれだ!と膝を打つ、という感じなのですが、とにかく勉強を尊重し、勉強を続けるという意味で金大中は「学者」といえよう。

1992年の大統領選挙に敗北後は「政界引退」を発表し、ケンブリッジ大学クレア・ホールへ一年弱の留学をする。そこでアンソニー・ギデンズやジョン・ダンと交流している(pp492-494)。1994年には、アジアにおける民主主義伝統の有無をめぐり、『フォーリン・アフェアーズ』誌上でのリー・クアンユーとの有名な論争となる。もちろん、儒教や東学の主張を駆使してアジアにおける民主主義伝統を強調する金大中の所説に、専門家からはあれやこれやあろう。しかし、政治家としては稀な勉強家、研究家であったことは否定しがたい事実である。

第四に、大統領としての金大中である。が、『自伝Ⅰ』は1997年の大統領当選までで終わり、大統領任期中は26日発売の『自伝Ⅱ』で書かれることになります。

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写真は、朴正煕との大接戦となった1971年の大統領選挙時、奨忠壇公園での100万人集会。(昨年四月、私はこの公園を訪れました)。

「1971年4月18日、奨忠壇公園での遊説。そこに100万人の聴衆が集まった。・・・・・・正午になると公園の敷地だけでなく、退渓路、薬水洞、漢南洞の坂道から奨忠壇に至る四つ角は、車道まで車がいっぱいだった。それでも、人々は続々と奨忠壇公園に押し寄せた。・・・・・・道という道は人で埋まった。車から降りて演壇まで進むのにさらに1時間もかかった。国民が政権交代と自由民主主義をどれほど渇望しているか、わかった。生涯、忘れることのできない光景だった。・・・・・・政府と与党は奨忠壇での演説を妨害しようと、さまざまな措置をとった。・・・・・・それでも、奨忠壇には市民が押し寄せた。奇跡のようなことだった。演壇に登ると、あたり一面が人の波だった。生涯で最高の熱情を燃やして演説を始めた。」(pp181-2)
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by akai1127ohi | 2011-02-26 17:36 | Comments(0)

「国民nation」という言葉について (1)

Abbé Sieyès による 『第三身分とは何か (Qu'est-ce que le tiers-état?)』 の日本語訳は、1950年に大石誠訳(岩波文庫)があったが、旧字体で大変読み難く、タイトルは『第三「階級」とは何か』となっていて、また底本もテキストの決定版 (増補版) ではなかったようです。この度、岩波文庫で『第三身分とは何か』 (稲本洋之助他訳、2011年) で新訳が出た。大変読みやすく、「国民nation」 という概念・言葉の「意義と限界」の双方をあらためて感じた。

いわゆる civic nationalism についてはもっぱらルナン 『国民とは何か』 が挙げられることが多いが、これほど nation について論じているにもかかわらず、シィエスの本書が、1980年代以降の欧米における国民国家批判や、それを受けた日本でのナショナリズム「批判」の文脈で、ほとんど触れられていないのは意外の感がします。そのことは、1980 年代以降のナショナリズム「批判」の言説が、どのような「ナショナリズム」を関心化してきた/してこなかったか、を示しているようにも思える。

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「国民nation」概念の「革命的」な定義からはじまるシィエスの所論が、具体的な制度論に至っていささか現実化/保守化する感もあるが、思想史的関心よりも現代的関心で見た場合、「国民nation」という概念・言葉の原初的な形成は興味深いです。

シェイエスにおける「国民nation」概念は極めて法的政治的であり、それは一方で「特権の不在」、同一の法律の下での国民相互の平等性に特徴づけられ、他方で、それは「憲法制定権力」の所存として位置づけられる。

そしてそのような「国民nation」の性格は、何より貴族の「特権」との対比によって抽出され、特徴化されるものといえる。特権者を「国民nation」に対する寄生的病巣と位置づけ、それを切除して「外部化」するところに、相互に平等な政治的主権者としての「国民」が定立する。貴族など特権者を「異常」とし、それを国民から「排除」する観念操作は、一つの政治社会の正常な主権者として「国民」を特徴づける上で、不可欠な作業だったといえよう。

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他方で、1980年代以降、欧米における国民国家批判の興隆や、それを受けた日本でのポスト・コロニアルの言説において、「国民nation」が孕んでいる恣意的な「排除と包摂」の暴力が繰り返し指摘されてきた。

とりわけ、19世紀末以降、ヨーロッパ諸国が「帝国化/帝国主義化」していき、人種や文化の異なる新たな国や地域を併呑するにつれ、国民国家におけるマイノリティとなった人々を恣意的に「国民化/脱国民化」してきたことが問題となった。相対的マイノリティは、恣意的に「国民化=包摂」され、また恣意的に「脱国民化=排除」されてきた。その結果、「国民」の内外区分の都合よさが暴露され、「国民」は著しく評判の悪い言葉となったといえよう。

これらの一連のナショナリズム「批判」が指摘するように、「国民nation」という範疇は「恣意的な排除と包摂」の暴力を孕んできた。しかし、シィエスによる「国民nation」概念に立ち戻れば、そのような「国民nation」による「排除の暴力」が最初に行使された対象は、貴族など特権階級であったこと、むしろ、特権階級の「排除」そのものが、政治的主権者としての「国民nation」それ自体と密接不可分であったことの意味は、思い返されてよいように思う。そこには、「国民nation」概念がその資格をめぐって相対的マイノリティに行使する暴力とはまた別の、「国民nation」の特徴が持つ普遍的な政治的意味あいもあったように思います。

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したがって、「国民nation」という言葉には、いささか粗野にいれば、歴史的には(1)一つの政治社会の「憲法制定権力」、相互に対等で平等な政治社会担い手としての意味と、(2)その資格をめぐって恣意的な「包摂と排除」の暴力が行使されてきた潜在的可能性という、二つの側面があろう。

前者の意味あいでの「国民」は、デモクラティックな政治社会を運営する上で、それなりに普遍的な価値を持つ存在だろう。(フランスの歴史や教養に依拠しつつ、そのような意味で「国民nation」を肯定的に使う例が、一時期の桑原武夫や加藤周一にはあったと思います)。他方で、後者の問題性は、今「国民nation」という言葉を使う異常、留意せざるをえない点です。「国民」という言葉をめぐるこの二面性を留意しつつ、いかにその普遍的意味あいを継承しえるか、いかにその潜在的差別性を減少できるか、を考える必要があるかと思います。
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by akai1127ohi | 2011-02-25 20:01 | 政治学史 | Comments(0)

잠깐만요!(2) :「朝露(아침이슬/アチミスル)」

現代日本青年の最大の不幸の一つは、自分たちの歌がない、ということです。
カラオケという個室化された施設で消費される歌はある。しかし、ストリートで、大学で、酒場や駅のホームで、上手いからではなく、人間としての当然の感情の表出として歌う、「自分たちの歌」がありません――。

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1998年に初めて訪れた韓国「歴史と平和の旅」で、その各所で「朝露(아침이슬/アチミスル)」の歌声を聞いた。

「世代を超えて共感を奮い立たせてきた韓国人の愛唱歌といえば、やはり「朝露」をおいて他にないのではないか」(真鍋祐子、『光州事件で読む現代韓国』、平凡社、2010年、p290)。金民基の作詞作曲による「朝露(アチミスル)」は、1980年代の民主化の際に歌い継がれた愛唱歌であり、私くらいの世代(1980s~)でも、とりあえず歌うことはできます。

「アチミスル」には日本語訳もあるので、私は歌詞の意味を知っていたのですが、かつて韓国 친구 に「どんな意味なの?」と聞いたところ、少し逡巡した後、overcome everything と答えてくれた。一言でいえば、本当にその通りだと思います。

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「朝露(아침이슬/アチミスル)」

背景の映像は、李韓烈君「民主国民葬」(1987年)である。1987年の民主化デモで、延世大学の学生・李韓烈が後頭部に催涙弾の直撃をうけ、一ヶ月後に死亡する。それを受け、延世大学からソウル市庁舎まで永別式の行進が行われ、ソウルで100万人、韓国全土で160万人が参加したそうです(映像 3.09 あたりには金大中、金泳三の顔も見える)。

긴 밤지 세우고 풀잎마다 맺힌
진주보다 더 고운 아침이슬처럼
내맘에 설움이 알알이 맺힐 때
아침동산에 올라 작은 미소를 배운다.
태양은 묘지 위에 붉게 떠오르고
한낮에 찌는 더위는 나의 시련일지라.
나 이제 가노라.
저 거친 광야에 서러움 모두 버리고
나 이제 가노라.

長い夜をあかし 草葉に宿る
真珠より美しい朝露のように
心に悲しみが実るとき
朝の丘に登り 微笑みを学ぶ
太陽は墓地の上に赤く昇り
真昼の暑さは私の試練か
私は行く 荒れ果てた荒野へ
悲しみ振り捨て私は行く

               ***

アチミスルは現在も、韓国の運動圏におけるイコンとして歌われているようです。映像は2008年のデモ。ソウルのデモ行進の列から、地鳴りのようなアチミスルが流れている。

民主化の実践と象徴を、それが達成された今、韓国の人々がどのように活用していけるか、課題も多いのだと思われる。しかし、自らの政治社会を自力で変革していくという実践の歴史において、日本と韓国でその差は歴然としているように思える。


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by akai1127ohi | 2011-02-15 01:01 | 잠깐만요! | Comments(0)

잠깐만요!(1) :「言語文化学習の不均衡」

「なぜハングルを?」
ハングルを勉強しているというと、不思議そうにそう尋ねられることがある。
そこには、「なんでまた?」、「なぜ物好きに」といったニュアンスも感じる。

世界の人々にとって、英語は必須としても、その次に勉強する言葉は、往々にして「隣の国の言葉」が自然なのではないだろうか。ドイツ人でフランス語を勉強して、「なんでまた?」と不思議がられることはないと思います。そう考えると、隣の国の言葉を勉強して、「なんでまた?」と不思議がられる、この国の不思議さがある。

               ***

ソウルの地下鉄のキオスクや、大通りの雑貨露店などで並べられている簡単な語学学習書は、たいてい、英語と日本語です。高齢者は歴史的な事情により日本語を話せる人も多いが、若い世代でも高校から日本語を選択でき、彼らは「勉強」して日本語を話すようになります。

釜山の国際線フェリー乗り場でも、売店のおばさんが普通に日本語を話してくれます。日本からの観光客は、韓国のこのような市井のおばさんと「普通」に会話をしているが、その背後には、売店のおばさんの側での、一つの言語を習得するという甚大な努力があったはずです。彼らは、日本語を「勉強してくれている」といえよう。

               ***

「よく貿易の不均衡が大きな問題になりますが、文化受容も相互主義を原則と考えるべきです。韓国のことわざで 가는말이 고와야 오는마리 곱다(語りかける言葉が美しければ返ってくる言葉も美しい)というように相互主義の上に初めて交流や理解が成り立ちます。私たちは日韓の言語文化の学習の不均衡を正す努力をもっとするべきだと思います。」(梅田博之監修、『韓国入門―ことばと文化』、東方書店、pⅲ)

「日韓の言語文化の学習の不均衡」は、実に大なるものがある。最近、山手線の車内テレビでも、英語と並んで韓国語の簡単なフレーズを紹介するようになった。hello、merci、Danke と並んで、われわれにとっての「隣の国の言葉」が、「常識」となる必要があろう。

               ***

잠깐만요!(チャンカンマンヨ!)とは、韓国/朝鮮語で、「ちょっと待って!」という意味です。
一通り話題がつきて、このまま、話を終えてしまおうか、でももう少し話したいな・・・・・・、そう逡巡するとき、勇気を出して 잠깐만요!(チャンカンマンヨ!)と口にすると、そこから話がはずむことがある。

今年の夏休みは、韓国/朝鮮語の勉強のためのささやかな投資を計画中です。それまで、息抜きがてらに、「韓国と私」を綴ろうと思います。
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by akai1127ohi | 2011-02-14 01:58 | 잠깐만요! | Comments(2)

ロールズ『正義論』への関心のあり方

日進月歩の political theory について、本来は言及する資格もないが、『正義論』日本語訳再版をへて、先日参加したシンポジウム『六粋人』の感想を記しておきたい。

               ***

シンポジウムは、パネリストの専門領域が多岐だったためか、様々なロールズの読まれ方、関心のもたれ方、利用のされ方といった諸点が伺えて勉強になった。現代におけるロールズへの関心の持ち方・あり方には、あえていえば以下の三つがあるように思える。

①法哲学領域における抽象的論理の次元―ロールズ『正義論』の論理性を厳しく吟味することに関心を寄せる。この立場からすると、後期ロールズは哲学からの逃避となる。(ただしこの議論は、専門性の代償としての「秘教化」、「タコツボ化」の傾向も)。

②社会政策の理念的モデルとして―社会政策の実証畑からのロールズへの関心。自由主義的(市民的)社会民主主義の政策の哲学的理念を求めてのロールズへの関心といえる。この場合、現実政策上におけるロールズの「使い勝手」が重要となろう。(ただし、「使い勝手」がなければこの関心は放棄されよう)。

③(政治)思想史上の著作としての『正義論』への関心。ギリシア以来の(政治)思想史の古典の延長上に、「現代の古典」としてのロールズを位置づける位相。『正義論』がどう読まれ、どう解釈され、現在どう位置づけられるか、という関心がありえる。(ただし、思想家に特化してテキストを読み込む「政治思想史」ディシプリンそのものの存在意義が問われつつもある)。

議論の中で、ロールズ『正義論』の「専門化」「哲学的洗練化」(①)と、現実政策の場におけるロールズ『正義論』の汎用性あるいは「使い勝手」(②)とが、反比例の関係にあるような印象もうけた。学問および出版における「正義」の活性化と、現実の政治におけるそのような理念的機軸の完全なる消滅という驚くべきギャップを目の前にして、『正義論』という哲学的素材を、いかにして現実に活かしていくか、持続的課題といえよう。
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by akai1127ohi | 2011-02-11 02:11 | 政治理論 | Comments(0)

「暴力装置」再考―「装置」と「人間」

仙石前官房長官の「暴力装置」発言に対する学者(法哲学者)のコメントは、ウェーバーに依拠しつつ、政治家における「暴力装置という概念」の無理解を批判するもので、その内容は社会科学の領域においては正確であった。

しかし、T さんが的確に述べるように、これに類するコメントは、社会科学の領域において正確である表現が、現実政治の領域においてはなにゆえ「間違い/不適当」とされ、謝罪と訂正を求められるのか、ということを度外視しているという点で、事態の一面しか理解できていないと思います(この点は私自身も、政治家を「わかっていない」とただ突き放すだけでは、その意味は限定的であると自戒しました)。それだけであれば、なぜ学問上「正しい」発言をした政治家が批判され、なぜ当の政治家本人も問題を「自己の誤り」とすることで可及的速やかに問題収束を図らざるを得ないかという、現実政治のイデオロギー磁場に無頓着なままだといえる。

「政治家は法哲学/政治学を理解していない」という点においてこの学者(法哲学者)は正論であり、そのような「啓蒙的」な主張も必要であるが、それ「だけ」では、この学者(法哲学者)の意見もまた現実政治を理解していないということにならざるをえないのではないか。

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その上で、仙石「暴力装置」発言で比較的に捨象されてきたのは、「暴力装置」を現場で実際に活用する「人間」についての考察と思える。「装置」は歴然と存在するが、現場でそれを使用するのは「人間」である。そこから、「人間」を説得して「装置」の使い方を変えることが可能となる。「人間」が銃の引き金を引かなかったり、あるいは銃口の向きを180度変えて引き金を引いたりすることが可能となる。

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「治者と被治者の同一性」というデモクラシーの理念にとって、治者が専制化した際に、その政治権力を覆す現実的な条件として被治者の側に「暴力」が担保されていなければならない。これは福田歓一の政治学において理念的な課題であったと思います。古典古代のデモクラシーが「重装歩兵民主制Hoplitendemokratie」として存在したのはそのためである。治者の暴力と被治者の暴力とが「正のバランス」にあるゆえに、政治の緊張が生まれる。その点から福田は、独立期アメリカの民兵制度、フランス革命における国民総武装、スイスの民兵制度などを、近代においてデモクラシーの原初的な理念を実践するものと評価している。

しかしながら、19世紀以降、近代国家の制度的機構が確立されるのつれ、軍隊による暴力の独占的集中と軍事技術の高度化により、「暴力所有」における治者と被治者の格差が格段に広がる。その結果、民衆が暴力によって政治権力を覆す現実的条件は保障されえず、デモクラシーにおける民衆総武装の伝統は、デモクラシーの原初的緊張を想起させる「象徴的記憶」へと退いていく。福田はその契機として、正規軍と市民軍の圧倒的な暴力格差を見せつけたパリ・コミューンの鎮圧(1871年)を挙げている。

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「治者(近代国家)の暴力」と「被治者(民衆)の暴力」とが著しく不均衡となり、国家の「暴力装置」を民衆の「暴力」によって覆すことが非現実的となった19世紀以降において、専制化した権力を覆す「民主化」の政治実践は何か?

それは、いささか粗野にいえば、「暴力装置」それ自体に抵抗することではなく、その装置を担う「人間」に説得し、働きかけることだったと思います。最前線の現場で「暴力装置」の引き金を握る「人間」に語りかけ、説得し、仲間として自覚させ、その銃口の「向き」を変えさせる、ということだろう。

「あらゆる革命は支配層を心ならず防衛している者が支配層から離れ自己の出身地である被支配層の側へ自覚的に復帰することによって成就される」(埴谷雄高)。「暴力装置」に守られた支配者と「暴力装置」を直接担っている兵士とを区別した上で、兵士たちを「こちら側」の存在として呼びかける所に、体制変革の機運を求めることになる。兵士たちに彼らの「本来の居場所」を自覚させるべく、言論や象徴を駆使する。その結果、「暴力装置」をはぎ取られ、裸になった政治権力は、その最後の存立基盤を失います。

20世紀末、東欧革命の際に見られた、武装兵士の胸に民衆が花を添えて歩くという象徴的行為はまさに、「暴力装置」の担い手に対して「自己の出身地である被支配層の側への自覚的復帰」を促すことを企図した、政治的実践であったといえよう。

              ***

戦後日本の「新左翼」の場合、60年ブントは非武装で丸腰でした。そのことが、広く国民世論の同情と共感を呼んだ。しかし、佐藤訪米阻止闘争(1967年)や佐世保エンタープライズ寄航阻止闘争(1968年)などを境に、学生運動に角材やヘルメットが登場し、その「武装化」が恒常化していく。パリ・コミューン以降の「先進国地域」においては不可能となったはずの、「暴力装置」に対する時代錯誤的なガチンコ対決主義が極端化していく。

それに対して、60年安保から60年代の後半へと引き継がれた「市民運動」の一部には、
「暴力組織」とのガチ勝負はもはや不可能という認識と、「暴力装置」の担い手への政治的説得という手段が実践されてもいる。

「1968年の1月、エンタープライズという原子力空母が佐世保に入りましたとき、佐世保に出掛けていって、上陸した乗組員にスピーカーやビラで呼びかけた小田実さんは、その行動の思想的根拠について、エンタープライズを鉄のかたまりと見るか、人間のあつまりと見るかが分かれめなんだ、と書き記しています。……思想をもって鉄によびかけることはできませんが、人間によびかけることは可能です。多くの人間が思想を変えれば、その物理性は解体されるほかないのです。」(福田歓一、『近代の政治思想』(岩波新書)、188-189頁)

               ***

2011年1月の現在、チュニジアでもエジプトでも、軍の動向が趨勢を左右している。エジプトでは、現在、軍は大統領命令に対して消極的不服従の模様である。軍が「暴力装置」であることは社会科学的な事実だが、同時に、それが為政者の側につくか、デモ隊の側につくかは、その暴力装置を握る「人間」への、「思想」あるいは「観念」による呼びかけの領域となろう。

               ***

数年前に欧米の政治家のあいだで、テレビ映りが良いというメディア心理学の結果を受けて、ダーク・スーツに紅色のネクタイが流行したことがあった。その際、最も見栄えのいい真紅のネクタイで自意識を露にしていたのが、IAEAのエルバラダイ事務局長だった。私はそのときから「この人には野心あり」と見てきた。(健全な政治的野心は、健全なデモクラシーにとって不可欠の一要素だと思います)。BBC はすでにエルバラダイを opposition leader と肩書きしている。事態をどう展開できるか、注視したいと思います。
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by akai1127ohi | 2011-02-02 01:45 | Comments(0)
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