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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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<   2011年 01月 ( 11 )   > この月の画像一覧

Hiroshima 2011(終)―秋葉退任・広島市長選

正月4日、小学校入学を今春にひかえ、嬉々として何かとランドセルを背負う6歳児と遊びながら黄金山を眺めていると、玄関に夕刊が届けられた「コトン」という音。中国新聞は一面黒抜きで、「秋葉退陣」を伝えた。

               ***

広島市長には二つの仕事がある。
一つは、福祉や教育、インフラ整備といった通常の市長の仕事、もう一つは「平和宣言の読み手」という特殊な仕事です。



三期12年にわたる「秋葉時代」は、「ワンマン」という評判を耳にしながらも、いわば、落ち着いて故郷を任せられるという安心感があった。とりわけ、大阪や名古屋など地方首長の騒がしい三文芝居が横行する昨今、秋葉のまじめさは評価できるものでした。しかし3期目に入り、オリンピック誘致や市民球場解体、「オバマジョリティ」熱などで、これまでの支持層だったリベラル層からも離反が相次いでいたようです。

               ***

三期12年の「秋葉時代」は、実質、保守系の分裂に救われてきた。秋葉が当選した3回の市長選は、いずれも秋葉と有力な保守系二候補という構図で、どの場合も保守系二候補の得票数を合わせれば秋葉を上回っている。社会党出身の秋葉が、元来は保守的な地盤の広島で果たした三選は、毎回、敵失に恵まれた「薄氷の勝利」というべきものだったと思います。



「マイ・ウェイ」、「憧れのハワイ航路」を歌う秋葉市長

同時に、小選挙区(広島1区)では自民党磐石であり続けながら、市長選は秋葉を選んできた背景には、「広島市民の良識」もあったといえよう。たとえば、それは、4年前の市長選で柏村武昭を「泡沫化」したことにも示されている。柏村候補はローカル・テレビ番組で絶大な知名度を誇り、参議院議員に転進後は、イラクでの人質三人を「非国民」と呼ぶなど右翼的な発言を繰り返してきた防衛族で、自民党中央が送りこんだ「本命」でした。しかし、結果は3位。これは広島市民の良識だったと思います。

               ***

来るべき市長選は、混戦の予感である。行政の仕事は、効率性や利潤追求の論理だけでは無くなってしまったり、充足させられないもの――教育や福祉、被爆遺跡や近代化遺産の保護――をしっかり担うことだと思います。とりわけ、昨今の広島の都市開発におけるコンクリート主義を見るにつけ、「経済」の野放図な動きから生活や景観を守ることに「政治」の意義があろう。私は、concerned citizen のあたり前の実践として、次の広島市長に以下のことを請願し、その意思決定に働きかけたいと思います。

【平和】「平和宣言」の読み手にふわさしいヒロシマ認識を持ち、アジアへの視点と憲法9条を尊重すること。

【都市開発】紙屋町シャレオ、高速二号線など車中心、コンクリート中心の都市開発の方向性を見直し、バスや市電など公共交通機関を維持、拡大すること。

【被爆建物・近代化遺産の保存】広大跡地・旧理学部一号館(You Tube で秋葉の後ろに見える)、旧日銀(中区)、陸軍被服廠(南区)など極めて重要な価値を持つ被爆建物・近代化遺産をしっかりと保存し、教育、文化、芸術施設としての再利用を目指すこと。

【海浜地域】元宇品など海浜地域開発は、地域の自然を保存し、元宇品の大規模な山林伐採や海の埋め立てなどは絶対に行わないこと。

【オリンピック】オリンピックに関しては、さしあたり広く市民の議論を喚起し、意見を聞く人。この問題を契機に市民による市政参加を促進し、その方途を容易化、多元化すること。
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by akai1127ohi | 2011-01-21 16:52 | Comments(0)

【詩】全羅道の海を

全羅道の海をくだってみたい
群山から光州、木浦へ、そして済州島へ
小高い丘に登って、歩きつかれて
春の気配を感じさせる風をあびながら
あの甘ったるいコーヒーを飲みたい

全羅道の海をくだってみたい
自分の知らない風景を見てみたい
路地裏の食堂で酒を飲んで、港に出ては詩をひねってみたい
かの地から投函する絵葉書には
I love you より I love her と書きたい

全羅道の海をくだってみたい
親には言っておけ、『今元気で勉強中』
許されていいはずの、青年の自立の模索
「大きな流れ」にいつか、永遠に失われてしまうものを
この目で見ておきたい
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by akai1127ohi | 2011-01-21 01:30 | | Comments(0)

アリゾナ大学におけるオバマのMemorial Speech

ギフォーズ議員銃撃事件を受けた、オバマのアリゾナ大学での memorial speech が気になり、フル・テキストを読んだ。

前半は、犠牲者一人ひとりを、その愛犬の名前に触れてまで言及し、犯人を取り押さえた通行人やけが人の救護にあたった市民の勇気や公共心を讃える。また、スーパーマーケットでの政治集会を「建国者によって示されたデモクラシーの中心的教義」、「最も純粋にアメリカ的な光景(quintessentially American scene)」としながら、ガンマンの犯行をそこから「外部化」することによって、共和・民主を超えた「われわれnation/fellow citizens」のイメージを見事に浮かび上がらせています。

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You see, when a tragedy like this strikes, it is part of our nature to demand explanations・・・・・・Already we've seen a national conversation commence, not only about the motivations behind these killings, but about everything from the merits of gun safety laws to the adequacy of our mental health system. And much of this process, of debating what might be done to prevent such tragedies in the future, is an essential ingredient in our exercise of self-government.

But at a time when our discourse has become so sharply polarized・・・・・・, it's important for us to pause for a moment and make sure that we're talking with each other in a way that heals, not in a way that wounds. (Applause.)



               ***



人々が理解不可能な惨事が起こったとき、その出来事を位置づけ、解決のために今何が必要かを示す演説であり、文字通り、”leader” の発言だと感じさせる。必要なことを的確かつ誠実な表現で伝えており、誰が書いたか知らないが、率直にさすが、と思わせます。

ちなみに、オバマのこの演説に「心の底から同意する」と表明し、リベラル・保守の双方に「相手に対するより好意的な評価」を求めたのが、他ならぬマケインであるという事実も印象的です。

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言論の自由が「自己統治の実践 our exercise of self-government 」にとって極めて肝要な徳目であること。他方で、それが一定の洗練さや流儀、思いやりを必要とすること。これはいずれにも妥当な尊重を払うべき価値であり、両者の間で逡巡すべきジレンマであると思います。

言論は基本的に制限なく行われるべきだが、その行使の仕方(語彙や象徴の選択)には、一定の civility が必要だろう。落選させたい候補の殺害を主張する言論は civility に反する。しかし他方で、既存メディアから除外され、多数決的デモクラシーにおいて構造的な少数者の立場におかれる人々が、耳目聳動的な語彙や表現方法をとる権利は留保されるべきだろう。そのような少数者に対してなお言論 civility を求めることは、彼らの意見流通を抑圧する「反動的」な政治的機能を果たすだろう。言論に対する civility の要求が、積極的な意義を持つか、「反動的」な機能を果たすか、その見極めにこそ、「現状認識」が問われます。

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言葉が脈打つアメリカの政治状況を傍らに、日本政治のお寒い現状に目をやるとき、「自虐史観」というべき自己反省的な憂国の至情を感じないのであれば、それこそ問題ではあるまいか。

たとえば、2007年の長崎市長射殺事件の際、その当夜に安倍総理(当時)が出した短いコメント、「捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む」・・・・・・。内容空疎な官僚言葉こそ、このような時局において最も「時宜外れ untimely」に聞こえる。自称「愛国者」が、暴力を排する一点において「国民nation」の団結を確かめようとする知恵も意志もまったくありません。オバマの機敏かつ深慮のある反応と比べると、痛切の思いがします。
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by akai1127ohi | 2011-01-18 01:13 | Comments(2)

Hiroshima 2011(5)―黄金山

正月元旦の「シャリバリ地下大学」の酒席で樺美智子の詩を吟詠し、二日には旧友シーウルと流川「八昌」へ梯子して道浦 『無縁の抒情』 について感想を語った。正月三日、仁保姫神社の背後にそびえる黄金山を、一人で登った。

               ***

広島市南区にある黄金山は、戦後に住宅地化が進んだ小高い山で、私が学んだ中学校はその中腹にあった。徒歩40分程度で頂上まで登ることができ、頂上は夜景スポット、春は花見の名所でもある。

かつて、夜景の見える展望台までバスを通すために、50年かけて育てた桜並木を伐採する計画があったそうですが、地元住民の反対で断念されたそうです。これが本来の筋だと思います。

               ***

「黄金山」という名前を、実のところ、田舎者の拝金主義的な感じがして、この土地に引っ越してきて以来、私は長らく好きになれないでいた。しかし時を過ごすにつれ、いつのまにか、黄金山という名前は私の自分史の一部となっていった。自分の一部になっているものを、芯から嫌いになることはできない。嫌いではあるが、愛着があり、放棄できない。だからたとえば、拝金主義的だからといって今さらこの名前を変えることには、私は断固反対です。

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写真は黄金山から広島市内

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黄金山から似島、遠くは宮島方面。手前はマツダの工場。

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黄金山から向洋方面。写真右方面が呉。

               ***

私は昨年、「60年安保」を問い直したわけですが、実のところ、沖縄の米軍基地の苦悩を、私は肌感覚で実感できておらず、したがって根源的なところで共有できていません。

しかしたとえば、この黄金山の山肌を削ってそこに米軍基地を作るというような事態を想像すると、ゾッとします。おそらく私は徹底的に抵抗するだろうと思います。それこそ、辺野古の海柱に自らを縛りつけてまで抵抗する、あの人たちと同じように。
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by akai1127ohi | 2011-01-15 18:50 | Comments(0)

Hiroshima 2011(4)―樺美智子『人知れず微笑まん』と道浦母都子『無縁の抒情』(その2)

道浦母都子『無援の抒情』(雁書館、後に岩波現代文庫)は、全共闘の闘争や恋愛を対象とした歌集で、いわゆる団塊の世代における「一つの時代の青春の代弁者」(近藤芳美)とされる。1947年生まれの道浦は、早大文学部二年で、1969年1月19日の東大安田講堂「落城」をむかえている。

道浦の短歌の対象は、闘争の挫折、イデオロギーに分断される恋愛、親子間の闘争、日共批判やセクト間の内ゲバなどです。(以下、【小見出し】は引用者)

               ***

【闘争】
炎あげ地に舞い落ちる赤旗にわが青春の落日を見る
夜を徹しわが縫いあげし赤旗も故なき内ゲバの血に染まりゆく

【恋愛】
言葉交わせば傷つけあうしかない二人地下の茶房に向かい合いたり
敗れざる党を持つ君さいわいと告げてしだいに寂しくなりぬ

【父子】
釈放されて帰りしわれの頬を打つ父よあなたこそ起たねばならぬ
燃ゆる紅失せて滅びし父の旗越えて私の青春が行く

               ***

私の読後感としては――-戦い敗れたわが青春、今では戦場に荒涼とした風が吹いている・・・・・・(てん、てん、てん)、という感じです。

事実の指摘として、道浦においては学生時代の「政治化politicalization」は、闘争挫折後は持続しません。「“前歴”からであろう、さまざまな市民運動や運動組織からの誘いもあるが、よほどのことがない限り、直接かかわることはしない。社会的問題への関心を失ったわけではないが、『運動』はもう自己の領域ではない」(後藤正治、「わが世代を歌う―道浦母都子小論」、『無援の抒情』、p258)。むしろ、壮年以降の作品の傾向は、直裁に私生活主義への回帰を示すものも見られる。

【生活への沈潜】
土曜日はバラの束買う平安をいつしかわれも愛しはじめぬ
<世界より私が大事>簡潔にただ率直に本音を言えば
変節というならばいえうつむきて涙ぐみよりほかなきわれを

うつむいて涙ぐむ人にまでその「変節」を責める気はしませんが、68-9年の学生運動を詩的、回顧的に表現すると、どうしても自己否定的ノスタルジーの印象が拭えないのが正直な感想です。

他方、学生運動からの「退却」は、作者のなかで、結果として、「女性」性への意識とその対象化をもたらしているのかもしれない。

【女性】
誰にでも叶いてわれに叶わざる「平凡にして泣きやすき妻」
水の婚 草婚 木婚 風の婚 婚とは女を昏くするもの
ポシェットは肩から腰へすべり落ちフェミニズムさえわれを救えず

               ***

人は自らの「同時代」に参画し、それを作ることができる。そこに人の自由と栄光がある。だが同時に、人は、「同時代」の人為を超えた「大きな流れ」に呑み込まれてもいる。そこにおいて自由は制限されるとともに、責任もまた緩和されていく―――。

いわゆる全共闘運動の達成を批判的に「吟味」することは必要だが、その「論難」を目的化する気はありません。道浦における「女性」性の対象化と詩的表現を、樺の時代には希薄であった、新たな意義として捉えたい。
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by akai1127ohi | 2011-01-15 08:11 | Comments(0)

Hiroshima 2011(3)―樺美智子『人知れず微笑まん』と道浦母都子『無縁の抒情』(その1)

帰省中、樺美智子『人知れず微笑まん』(三一書房、1960年)と道浦母都子『無援の抒情』(岩波現代文庫、2000年)を読んだ。期せずして、この二つの著作はそれぞれ1960年と1968年の経験を当事者が詩的に表現している点に共通点がある。また、樺、道浦とも逮捕・留置所経験がある点も共通する。

他方、相違点としては、(1)樺は1960年で道浦は1968年。(2)樺は運動の渦中でいわば現在進行形で書き残し、道浦は運動が終焉した後にいわば回顧的に書いたという点。(3)本人たちの気質や性格の違い。

そのような差異を自覚しつつも、両書が与える読後感は、およそ対極的です。樺『人知れず微笑まん』から感想を記しておく。

               ***

樺美智子の魅力は、優等生気質と反逆児気質との実に見事な内的連続性です。一方で努力家で典型的な文部省優等生でありながら、他方で、一旦そのまじめさが指示すればマクロ権力だろうがミクロ権力だろうが徹底的に反抗する。『人知れず微笑まん』の読後感として浮かんでくるのは、徹底的にまじめなゆえの徹底的な反抗者としての樺美智子像です。そのストイックな勉強への姿勢と行動主義は、吉田松陰の「知行合一」を想起されるものでもある。

               ***

「まず第一に誇りと謙虚とをもってお知らせすることがあります。11月8日、私の二十歳の誕生日は私の入党記念日(党員候補)になりました。」(樺美智子、20歳の時の友人への手紙。『人知れず微笑まん』、p112)

「大学三年生のときでしたろうか。・・・・・・夕食のあとでございますが、主人も同席しているところで、『美智子、あなたは共産党に入党したりしていないでしょう』と聞いたのです。すると、『共産党?あら、私、党員なんかじゃないわ』と明るい返事をしました。それで安心してほっと胸をなでおろしたんですけれども、このとき美智子はもうブントのほうへ入っていたんですね。ですから、たしかに共産党員ではなく、嘘はついていないんですが、もっとすごいところへ入っていたんですよねえ」(樺光子の回想。江刺昭子、『樺美智子 聖少女伝説』、文芸春秋、p131)

               ***

樺は、文学部「国史」科の助手だった「青木」という先輩に、「国史を勉強してらっしゃるのは、なんのためなんですか」という質問をしている。助手「青木」は、そのような質問は、「正直にいうと、忘れていたほうが毎日の仕事がスムーズに片づく」としながら、「私らは先生や先輩をからかうときにしか、そんな質問はしなかった」(『人知れず微笑まん』、p238)という。

樺美智子は、凡人が「からかい」で言うことを「まじめに」発する人だったのだと思います。この助手は答えをはぐらかすが、「下唇を噛んで、ちょっと興福寺の八部衆の誰かに似た表情の樺さんの眼は、納得しなかったようだし、私自身にも、ごまかしたという痛みが残った」(同、p238)という。

他方、樺自身は、大学一年時、歴研のアンケートにこう答える。
「どんな学問をやるにせよ、学問のための或いは自分(ないしは自分を中心にした少数の人)のための学問としてではなく、全ての人が人間を回復する方向へ現実の社会を前進させるための学問としてやることが先ず第一。従って研究の内容とともに、いやむしろその成果の活かし方こそが問題。・・・・・・卒業後は史学か経済学方面の研究機関にはいりたい。それが駄目なら○○・・・・・・またこれが駄目なら△△・・・・・・。いずれにしろ苦しいのは承知の上で何らかの形で研究を続けたい。」(p125)

               ***

江刺昭子『樺美智子 聖少女伝説』は、「日本のジャンヌ・ダルク」にまで高められた樺美智子を脱神話化するものですが、脱神話化された、等身大の樺美智子こそ考えさせられるものが多い。江刺の次の指摘に同意したい。「自分が堕ちそうなとき、立ち返るべき原点を彼女は示してくれている。樺美智子はそういう人だったのだ」(江刺昭子、『樺美智子 聖少女伝説』、文芸春秋、p310)。
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by akai1127ohi | 2011-01-14 01:56 | Comments(0)

Hiroshima 2011(2)-仁保姫神社の「再建」

時計の針が12時を過ぎたというだけで、人々が互いに「おめでとうございます」という新年の風習は、考えて見れば奇異です。時間が変わっただけで、私自身は変わっていません。本当の「おめでとう」は、時間が変わった時ではなく、人間が変わったときにとっておきたいようにも思います。

               ***

広島市南区の仁保姫神社にとって、今年の初詣は特別でした。三年前に不審火で全焼した本殿が再建され、今年初めての新年を迎えたのです(中国新聞1月3日付「天風録」でも取り上げられた)。この神社は私の地元であり、私にとって秋祭りの思い出の場所です。

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            再建された仁保姫神社

               ***

しかし、再建された仁保姫神社への初詣は、昨今の広島の街開発の極みを見せつけられるようで、辛い経験でした。再建に伴い、かつて90段あった階段は60段程度に縮減され、やをら「ひのまるヒノマル」するようになった。しかし最大の問題は、神社のある丘を覆っていた鎮守の森を伐採し、コンクリートの要塞にしたことです。

本殿が立派に再建された喜びにおいて私は人後に落ちません。しかし、新年の慶事ということで私はそれなりに言葉を慎みましたが、鎮守の森を破壊した土建工事は「犯罪的行為」だと思います。(このブログがそれを伝えている)。

神社はそれをとりかこむ鎮守の森とセットであり、鎮守の森の破壊された神社は片手落ちです。それに加え、破壊された森は車道になったおかげで、本殿の前はバスや自家用車だらけである。排気ガスと交通整理の大声のなかを参拝客が慌しく参拝していた。これが理想の神社であろうはずがありません。

元来が「反対運動」的なものとは無縁の保守的土地柄。人々は、愛着のある山肌が「大胆に」削られても、「解せない」、「他の方法はなかったものか」というような雰囲気でごまかしている。鎮守の森は、本殿再建にかこつけて、ついでに「上手くやられてしまった」のです。

あらためて教訓としたのは、田舎の「保守」は実に何ものも「保守」しないということ。土建屋の横暴と結託して「破壊」ばかりしている。ただでさえ原爆で多くの自然や文化財を破壊されたのに、なにゆえ自分たち自身の手でまたそれらを打ち壊すのか?山肌をブルドーザーで削り取る「再建工事」に、地元の有志が反対の意思表示を組織しえなかったことが悔恨です。鎮守の森を「破壊」したM工務店の犯罪的行為を、私は許しません。
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by akai1127ohi | 2011-01-11 04:27 | Comments(0)

井上荒野、『ひどい感じ―父・井上光晴』(講談社、2002年)

昨年は、「井上光晴詩集」などに触発された。井上光晴が詩人として優れているかどうか、私にはわからない。しかし、「書く動機」が、復讐心、嫉妬心、功名心、使命感などが渾然一体となった、「全身的」な理由に支えられていることは感じられた。

帰省中、実家の本棚から井上荒野、『ひどい感じ―父・井上光晴』(講談社、2002年)を抜き出し読んだ。「嘘つきみっちゃん」の家庭での実像を伝える。

               ***

井上光晴は「現実が想像力を上回る」という。井上光晴はその例として、
・「原発の街の客のいないスーパーマーケット」
・「相模湖のラブホテル街に向かう自家用車の行列」
・「炭鉱廃鉱跡地にできた養鶏場から聞こえてくる鶏の鳴き声」
などを挙げる(p135)。

               ***

物足りないのは井上荒野自身の「筆力」である。井上荒野は次のように述べる。

「私は小説家の家に生れたために、小説の方法やスタイルがすでに身近なものとしてあり、ある日『書かなければならないこと』を探しはじめたのだった。そうして『書かなければならないこと』がない、という状況を書くことから出発したということもできる。」(p139)

書くことは義務ではない。「書きたいことがない」のに書く必要はない。ただでさえ「読まねばならぬもの」が氾濫するなかで、わざわ他人の視力低下に一役買う必要はない。本当に書きたい人、書かなければ自己を存立しえぬ人がいるのに、わざわざ「書かねばならないこと」を探してまで書く必要などない、と言ったらいいすぎだろうか。しかし私は、そんなふうに思う。

激烈な動機があって、それが表現を不可避的に呼び寄せる人々がいる。このような種類の人にとって、表現の稚拙さに恥じいるような「余裕」はないだろう。とにかく、書かなければ済まされない、という動機に支えられて書くのだろう。

他方、表現(技巧)を学び、それから「書くための対象」を探す人々がいる。革命も共産党も現実味を失った世の中で、花の美しさ、恋愛の苦しみ、子どもが成長していく喜び「のみ」のなかに、「書かねばならないこと」を探しにわけ入る。

井上光晴の詩には、前者の片鱗を感じる。何か、得体の知れない破格的な力を感じる。井上荒野が後者かどうかはわからない。しかしこれは、文学のみならず他の文芸領域における一世と二世の差異にも通じるように思う。

               ***

本書によれば、「文学伝習所」は文学学校というより「宗教団体」のきらいがあり、井上光晴はそこで「教祖的役割」でさえあったという(p142)。
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by akai1127ohi | 2011-01-10 12:33 | 散文 | Comments(0)

Hiroshima 2011(1)-N中学校同窓会

年の瀬、日々の繁忙に疲れて夜半に帰宅し、宿舎の郵便ポストを開けると、中学校の同窓会を知らせる葉書が入っていた。

「呼び捨て」こそ親愛の証だったあの関係性への追慕と、それが二度と復元しえないことを痛感させられるかもしれないという不安――。どうしようか・・・・・・。それから2週間、葉書をカバンに入れて逡巡していたが、返信期日が迫り、迷った挙句、「出席」に丸をして投函した。

               ***

12月30日。帰省したその日に、そんな不安を抱えながら、会場となった広島駅新幹線口のホテルへ向った。エスカレーターで4階に上がり、受付らしき場所へ歩み寄ると、緩やかな円陣を組んで談笑する男たちの一人が振り返り、私を見つけて声をかけた。

「おうohi !久しぶりじゃのう。お前、東京行って天狗になっとんじゃないんか?」

「今なにしとん?うんうん、えっ?『高学歴ワーキングプーア』みたいなもん?・・・・・・何ならそりゃ?あーはー、わしゃカタカナだめじゃけえ。ガハハハ」

私の不安は杞憂でした。
60人の30歳が集まり、ものの5分で、自然に「呼び捨て」で呼びあうあの関係性になっていった。何ともなしに仲良しだった、「2組」と書かれたテーブルを囲んだときの、あの底抜けの自然な安堵感・・・・・・。しかし、やはりそれは「似て非なるもの」だったのかもしれません。それぞれの横顔が、「巻き戻されることのできない自分史」を示しています。

               ***

二次会、三次会と続き、山陽本線愛宕踏切の前のカラオケ「ビリー・ザ・キッド」。三次会が終わったのは夜の2時半になっていた。愛宕踏切の前でしばしの喧騒を続けながら、タクシー、車、徒歩で、それぞれの方向に散っていた。

静かに眠る広島駅を見ながら、一人になって線路を渡ると、あの日と同じ、透き通るように冷たい冬の広島の夜の匂いがした。





空にひかる星を 君とかぞえた夜
あの日も 今日のような風が吹いていた
あれから いくつもの季節こえて 時を過ごし
それでも あの想いを ずっと忘れることはない
大切なものに 気づかないぼくがいた
今 胸の中にある あたたかい この気持ち
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by akai1127ohi | 2011-01-09 01:24 | Comments(0)

【詩】 永遠の童貞/15歳のままのHへ

全員リレーの一番走者だった僕が
後続のランナーたちと交錯して見事に転倒し
全校生徒の歓声を浴びながら「もう死にたいわ」とつぶやいたとき
中学生のあどけない野卑さをたたえながら、君は言った
「なんじゃ、このまま死ねるんか?わしゃ童貞のままじゃ死ねんよ」

生活指導の教師に禁じられたバス通りのゲーセンに、君はよくいたね
(あの辺りも今では再開発で全く変わってしまった)
不良というわけでもないが常に一人だった君が
煙草を吸っている姿を見たときは驚いたがすぐに慣れた
僕が訪れると君はいつも僕のセーターをからかったね
「あいかわらずオヤジ臭い服着とるのう」

あの中学校で「回覧」されていたビデオ・テープが回ってきたのも君からだった
「無修正」なのに全体モザイクがかかったような粗い画面の奥に
集中して目をこらした僕は初めて深海の海産物のような未知の物体を見た
勉強はそれほど出来るほうではなかったが
数学のプリントで答えが「8」になると必ず君は口走ったね
「エイトマーン!」

12月の寒い日だった
昼休みに職員室に行くと先生たちが慌しく
担任のF先生が真剣な表情で電話をとっていた
何も知らない僕は、午後の授業中ずっと西日の照らす黄金山を見ていた
君は胸に持病があったんだね
帰りのホーム・ルームで突然F先生が声を詰まらせて言った
「今朝、Hくんが亡くなりました」

黄金山のふもとの集会所に、クラス全員が集まった
市長や教育長やらの弔電が読み上げられているあいだ
あの透き通るような冬の黄金山の空気を吸い込みながら
僕は童貞のままで死んでいった君のことを思った

           *

あれから15年たって、僕らは30歳になった
同窓会の3次会のカラオケで、君の話にもなったよ
まるで中学生の時のように楽しかったけど
僕らの横顔は、決して巻き戻されることのない各々の自分史を示している

今でも君だけが、15歳のまま佇んでいる
君だけが、柔らかいうぶ毛と未熟な性器を抱えたまま
あの透き通るような冬の黄金山の夜のなかに
ひっそりと佇んでいる


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           黄金山 Jan, 2011
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by akai1127ohi | 2011-01-07 17:13 | | Comments(0)
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