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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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30歳の記録に

もう一ヶ月前になるが、名古屋での報告の際、私が「針の莚」にされる姿をわざわざ京都から見に来た dawa さんに連れられ、学会終了後、京都まで足を伸ばしました。

               ***

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写真は「サンボア・バー」

dawa さんとともに、出町柳の名曲喫茶「柳月堂」から始まり、夜11時すぎ、京都市役所近くのバー「サンボア・バー」へ。

カウンターに並ぶ4,5人の客はすでに出来上がっていたが、驚くべきは、客以上に泥酔しているマスターの姿です。最終の山手線で見かける酔客のごとき千鳥足でカマンベール・チーズを切りつつ、その姿は酔拳だったのでしょうか、金の計算だけは微妙にボラれた感もありながらも、旅人の一夜として了としました。

               ***

翌日、dawa さんの薦めるまま、京都、神護寺を訪ねた。
神護寺は市街地から北西、高尾山の奥に佇む山寺で、教科書でよく見る「源頼朝画像」を所有している。
他律的なきっかけとはいえ、私はこの山寺を気に入りました。

写真は道中、地元の教育委員会か何かの啓発標語。
見えにくいが、「何でも話そう かくさずに」とある。

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これは本当でしょうか?
人間の真実を言い当てているでしょうか。

本当の悩みであればあるほど、それは他人にはいえない類のものです。
本当の悩みであればあるほど、自分自身で解決するしか術がないという「自覚」が伴うものです。

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写真は高尾山の渓谷

紅葉にはまだ早いものの、道中、あまりの美しさに、私のヴォキャブラリーでは「何という、何という……」としか出てこなかった。”beyond describtion” という ”description” の妙を感じます。ここにターナーを拉っして来て風景画を書かせたら、どのような絵の具を配色するだろうか。


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写真は夕暮れの神護寺

新しいものはすべて軽薄で、古いものはすべて立派である……。そんな感慨を一般原則としたい気持ちに駆られてくる。

               ***

風のなかを、歌い出しの一句が、ふっと口をついて出てくる。
「遠い日の愛の残り火が 燃えてる嵐山」なんて、うまく言ったもんだ。

初めて聞いた「京都慕情」は、深夜の御茶ノ水での伊藤博文さんの熱唱でしたが、夕暮れのなかで、私も口ずさんだ。



                ***

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写真は神護寺本堂

迷える者が、宗教の扉を叩く。

歴史への謙抑性と、抑えることのできない「同時代性」を隠すことのできない rover が、神護寺の階段を登っていきます。古典的なものへの敬意を把持しつつ、しかし、自分の心の最も奥深いところから、「同時代を憂いて、何が悪い」と、「学問」に猛然と啖呵を切ってやりたい気持ちが、どこか疼いているのです。

               ***

神護寺の本堂でおみくじを引く。そっと開くと、「第九十番 大吉」。

一信向点飛
泰川舟自帰
前途成好事
応得貴人推

               ***

しかし、美辞麗句で並べられた「大吉」の成功譚も、全て「信力あれば」、「努力すれば」という条件法で成り立っている。その主旨は、努力すれば、報われる。だから努力しろ、ということにすぎない。換言すれば、努力しても報われない、という絶望的な恐怖を、払拭してくれる、というでもあります。

人に相談してもしょうがない、自分自身の問題である以上、自分自身で解決するしか術はない。そんな自覚を新たにしながら、静かに山寺を降りました。
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by akai1127ohi | 2010-11-27 00:58 | Comments(3)

沖縄県知事選挙ーー伊波洋一候補の訴え

11月23日 政談演説会(県民広場)
反訳責任「県民の会」教宣局
イハ洋一候補者の訴え

 みなさん、こんにちは。
沖縄県知事候補のイハ洋一でございます。どうぞ、よろしくお願いいたします。
本日は、推薦をいただいている三政党党首そろい踏みでの政談演説会に、このように多くの皆様がお集まりいただきまして、ありがとうございます。

 私は、沖縄県民の県内移設に反対する強い思いをうけて、今回の知事選挙に立候補いたしました。一昨日、名護市に行って、名護市の個人演説会に参加いたしました。本当に熱気のこもった演説会でした。400名の会場に600名もの皆さんが参加して、名護市民の思い、12年間県内移設に翻弄されて、市民が二分されてきたこの名護の思い、北部の思いがひしひしと感じられました。今、私たちの思いは一つになっています。県民の思いは、もう二度と県民を分断させるような県内移設に反対していこう、許さないでおこうということでございます。

 私は、今度の選挙で、県内各地で個人演説会を開催して、参加させていただいておりますが、宮古島でも、八重山でも、そのほかの各地域で、ほんとに会場いっぱいの皆様が参加をいただいております。
皆様の思いは今回の知事選挙、何としても負けられない、最後の最後までたたかって勝っていこうという思いを、どこの会場でもひしひしと感じております。どうしても、みなさん、この知事選挙勝っていきましょう。
これは、単に3期12年の保守県政から政権の奪還だけではありません。戦後65年、この沖縄にのしかかる基地の重圧を取り除くための私たちの一歩なんです。どうしても勝っていかなければならない、多くの皆様が訴えているのは、この知事選挙に負けたら、沖縄から基地がなくなるということはなくなる、まさに新基地を許したら、子どもたちや孫たちに私たちは基地を押し付けることになるという、先輩の皆様の悲痛な思いがどの会場でも語られております。決してそういうことにさせてはいけません。この選挙をしっかり勝ってまいりましょう。

 私はこの7年半、宜野湾市長として、市民の先頭に立って、県内移設に反対しながら、普天間飛行場の閉鎖と返還を求めてまいりました。アメリカにも三度渡り、何度も日本政府に要請を繰り返し、国会でも参考人として何度もこの普天間の問題を訴えてまいりました。私は、ぶれることなく県内移設に反対をしてまいります。そして、辺野古への新基地建設を認めることはありません。辺野古の、あのジュゴンの住む美ら海を埋め立てさせることはありません。どうか、みなさん、県民のみなさんの県内移設に反対する思いを、私、イハ洋一、イハ洋一に託してください。

 私は、県民の先頭に立って日本政府にも、アメリカ政府にも、アメリカ議会にもしっかりと沖縄の立場を主張し、県内移設を断念させてまいります。ともにこの選挙に勝って、そして、新しい沖縄を創っていこうではありませんか。

 そしてまた、私は県民のための県政を取り戻します。皆さん、この12年間、県政は県民を忘れています。私たち県民の福祉や教育、医療、そのことをないがしろにして財政だけが一番大事であるかのように、赤字を理由としていろんなものが削減、切り捨てられています。しかし、それでは何のための県政なんでしょうか。

 みなさん、県民のための県政でなければなりません。私は、7年半前、市長になる前、2期7年間、沖縄県議会議員でした。その頃は、子ども病院の設立や、久米島病院の設立や、大平養護学校の寄宿舎問題や、教育の課題を取り組ませていただきました。その頃には、まだ県政には聞く耳があったのです。しかし、今の県政になって、まさに小泉改革の模範県として、削減や廃止、財政だけを重視する県民無視の県政が続いているのではないでしょうか、みなさん。 私は、県政に福祉の心を取り戻したいと思います。そして、県民の命を守る砦をしっかりつくってまいりたいと思います。

 宮古島でも八重山でも、宮古病院や八重山病院が離島の医療を守っています。24時間いつ担ぎ込まれても大丈夫のように医者が待機し、看護師が待機し、スタッフが待機し、手術ができる準備が常に行われているんです。そのための救急医療や、子どもの医療や、周産期医療や様々な医療、これは私たちが何としても守っていかなければなりません。沖縄本島だけでなく、中部病院や那覇病院や北部病院、宮古病院、八重山病院、すべての県立病院を独立法人化と言う切り離しをさせず、私たち県民の手でしっかり守り抜きましょう。

 皆さん、子育て支援もしっかり取り組んでまいります。私は7年半宜野湾市長として宜野湾市の保育所の定数を555名増やしました。3つの認可外園を認可にし、そして分園を四つつくり、様々な増改築をとおして定数を増やしながら、555名の定数を増やしました。他の市町村でもできないことはないんです。このことを県としてしっかり財源を確保しながら支えてまいります。一番子どもたちが多い沖縄で、保育所が一番少ないんです。おかしいと思いませんか。やはり、これは国の戦後補償の責任としてもこの沖縄の子育て支援をしっかり支えてまいります。どうかみなさん、皆さんの1票1票を、この私イハ洋一に託してください。新しい県政を創ってまいります。県民のための県政を県民の暮らしのための県政を、県民を守る県政を創ってまいります。

 併せて、産業政策としても私たちは新しい若者たちの雇用の場を創りだしてまいりたいと思います。一つは、観光産業です。皆さん、4300億円の年間収入があった観光産業は、今3800億円と500億円も落ちてしまいました。どうしてでしょうか。観光客が増えているのに年間収入は減ってきている、600万人になろうとしている沖縄で観光産業が曲がり角にきています。

 一方、ハワイは780万人の観光客ですけれども、観光収入は沖縄の3倍の1兆3千億円あるのです。どこがちがうのか。宿泊日数が違います。ハワイでは1週間お客さんが滞在をしております。沖縄は格安料金のパックツアーが売り出されているため、それにより宿泊日数が短くなってしまいました。2泊3日が一般化してしまいました。私はやはりそこには大きな問題があると思います。沖縄観光の魅力を売り出していく、もっとしっかりと売り出していく、そしてゆっくり滞在をしてもらって沖縄を楽しんでもらう、そのようなサービスをぜひ実現していかなければなりません。

 なぜならば、今のホテルの業界や様々な観光業界から悲鳴が聞こえるんです。このままやっていても儲けがあがらない、本当に大変な状況です。私は県として観光産業をしっかりとしたものにつくり変えていきたと思います。取り組んでいきます。どうかみなさん私に任せてください。私たちの沖縄が本当の魅力を出せる観光をつくっていきましょう。

 そのためには国頭から与那国までそれぞれの地域における豊かさ、個性をしっかり出すような第一産業、農水産物をしっかり生み出していく、そのための第一産業の振興や併せて、それを加工する第二次産業、製造加工業をしっかりと推進して、お土産品にも本当にそういうものをつくり出していこうじゃありませんか。

 みなさん、離島にいきますと島一面がサトウキビです。サトウキビは沖縄の地域を支えています。しかし今、自由貿易協定の中で、このサトウキビが大変危機に瀕することになります。私は、ぜひ県政として、国に対してサトウキビ農業を守るように強く求めていきます。

 そして、そのことを通して地域の中に新たな農作物も作りながら、基幹産業であるサトウキビや糖業しっかりと私たちの地で守り、豊かな地域づくりをしていきます。どうか、皆様方の一票一票を私、イハ洋一託してください。新しい産業政策のなかで、雇用を広げ、県内あらゆる地域でその可能性を広げる県政を実現していきます。これはできることです。これをやっていこうとあらゆる政策を私たちは提案しています。

 どうか、私たちにみなさんのお力をお貸しください。イハ洋一、最後の最後まで、この28日の投開票日まで走りぬきます。皆様がたのご支援で、今回の知事選挙、なんとしても勝ってまいりたいので、ご支援をよろしくお願いいたしまして、私のあいさつ、決意表明とさせていただきます。
ありがとうございました。
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by akai1127ohi | 2010-11-25 11:49 | Concerned Citizen | Comments(0)

「大統領決断に揺れる街ー原油流出事故から6か月のルイジアナー」(NHK)

NHK・BSのドキュメンタリー「大統領決断に揺れる街ー原油流出事故から6か月のルイジアナー」。秀作だと思いました。古典的なイデオロギー対立としての「左右」と「ポスト・マテリアル」な政治価値との複雑な諸相を考えさせるものでした。

               ***

政治イデオロギーの「左右対立」は、基本的には、プロレタリアートとブルジョア、労働者と資本家という安定的な二大階級対立を前提とし、その政治的反映であったといえよう。他方で、西側先進国の一般的富裕化やホワイト・カラーなど「新たな中産階級」の興隆とともに、1960年以降、フェミニズムやエコロジーなど「ポスト・マテリアル」な価値が顕在化し、古典的な「左右対立」は相対化(消滅ではない)といわれる。

               ***

BPの石油流出事故の後、オバマは、メキシコ湾での石油採掘を6ヶ月間全面禁止とする「オバマ・モラトリアム」を出す。番組は「モラトリアム」をめぐる地元フロリダの人々の反応を追う。

環境保護団体は石油採掘禁止「モラトリアム」の永続化をオバマに求める。しかし、次第に、「モラトリアム」によって石油採掘の機械を研磨する街の中小企業が損害を受けることがわかります。採掘労働者を収容する宿舎の賃貸人も困る。そのようなフロリダの地域経済の不景気によって、挙句の果てに、当初は環境保護団体と歩調をあわせていたエビ漁師たちが、地元経済の停滞により売り上げが激減したとして「モラトリアム」に反対に転じます。

「モラトリアム」の永続化を求める環境保護の学生たちはオバマを「財界に押され気味」と批判し、エビ漁師や地元経済界はオバマの「モラトリアム」自体を「やりすぎ」と批判する。

結果的に、エコロジー価値と労働者の利害(伝統的「左」)が相反したまま、皮肉にも「オバマ批判」で現象的には糾合している。また、同時に、「ポスト・マテリアル」な価値どうしも衝突することがある(たとえば風力発電を主張する環境保護団体と、風車に鳥が衝突するとしてこれに反対する動物保護団体)。

               ***

人びとは、直接的には当然ながら、自分の利益から物事を考える。
エビが売れないからモラトリアムが嫌いだ。(我が家には小学生がいないから「子ども手当て」には反対だ。サッカーは興味がないからサッカー場の建設など反対だ……)

しかし、①そのような自分の利益が、非常に特殊で部分的であることを、どのように自己認識しえるのか、②また、他者との関係のなかに存在し、またそれによって始めて可能になっているはずの「自己利益」の認識を、どのように持ちえるのか。

自己の主張の的確な表明と、他者の主張に対する同様の尊重、そのような過程を通じ、他者の利益の 偏頗性partiality を認識することによって自らの partiality を自覚する技術、経験的な(アプリオリな、では決してない) totality へと到達しようとする態度……。公共生活におけるこのような「技術」を、いかにして獲得しえるのか。デモクラシーの質や持続性といった課題にとって、大きな課題だといえよう。
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by akai1127ohi | 2010-11-13 23:47 | Concerned Citizen | Comments(1)

「軽信性」と「裏切られた」の相互依存

オバマの「裏切り」、鳩山の「裏切り」、社民党の「裏切り」、喜納昌吉の「裏切り」……。

最近の新聞投書、主として平和運動、市民活動のブログ、MLを見ていると、このような、「裏切り」を指弾するワン・パターンなレトリックが目につきます。

               ***

イノセントな「軽信性」で為政者に「期待」し、待ってましたといわんばかりに「裏切られ」、もう何も信用できない!と「失望」する……。このような画一的な思考と文章のパターンが、オバマに対しても、鳩山に対しても、沖縄の基地でも、広島の核廃絶でも非常に多く見られた。「裏切られた」というからには、それなりに「期待」していたのでしょう。しかし、このような文章の書き手には、為政者の側の「裏切り」を指弾する反面、そのような為政者に期待した自らの「軽信性」を政治的に総括する視点はおよそ見られません。

本来なら、『裏切られることの責任』を自己総括することが先にくるはずです。そのような自己批判がなければ、今後もずっと「裏切られ続ける」でしょう。

               ***

「裏切られた」型の発想と文章に対して、私が感じる違和感は次の三つです。第一に、何事も為政者がやってくれる、やって当然という他力本願的な政治的態度、第二に、自分がなぜ政治的に「裏切られた」のかを自らに問い返す内省的な「総括」の欠如、そして第三に、自分は常に「他人の裏切り」を指弾しえるような、「民衆の立場」に不動に身をおいているという独善的な態度です。

「民主派の偉業にあっては大抵そうだが、指導者はその『民衆』にたいして、逃げたという罪をかぶせたことで満足し、民衆はその指導者に、だましたという罪をおわせたことで、満足していた」(マルクス、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』、岩波文庫、p60)

               ***

一旦、自分を「裏切った」人間と、再度の信頼関係を構築するのは非常に困難です。「裏切り」のレトリックは、そのような関係の模索を放棄するものです。「裏切り」と結論を下す前に、今一度、それでも、「平和」と「平等」の価値に為政者を引き戻す努力の価値を把持することが大切だと思います。
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by akai1127ohi | 2010-11-07 20:52 | Concerned Citizen | Comments(5)

日高六郎、『私の憲法体験』、筑摩書房、2010年

「朝日新聞」(10月21付夕刊)のコラム「私の収穫」で、仏文学者の海老坂武が本書を紹介していた。

「憲法9条を『マッカーサーが日本にあたえた懲罰であり、同時に贈物だ』と考える兄、むしろ『アジアの民衆へのメッセージ』と考える父、『9条を懲罰として受けとる自覚こそが、贈物として受けるための大前提』と考える六郎青年。三人の言葉、共に熱がある。」(海老坂武)

日高をほぼ全て読んでいる私にとっては、既知や「くり返し」も多かったが、購入の上読了。

               ***

日高がしばしば引用する、1945年「9月」の三木清の獄死、憲法作成のための「松本案」などは、戦後の日本人が、自らによって自己を解放しえなかったこと、また、当時の為政者に日本の「戦後」を自力で構想する力のなかったことを示している。自分たちの政治社会を「自力」で構想したという共有経験の欠如は、現在にいたるまで、日本デモクラシーにおける「当事者性」の未発達として残っているように思う。

今回の反日デを前に、中国の若手ブロガーが同胞に対し、先鋭にも、「自己の尊厳を与えられていない人間が、他人の尊厳を守ることはできない」と述べた。しかし日本人もまた、「自ら理解していないものを、他人に教えることはできない」というのが真実だろう。

               ***

しかし不思議なのは、「自力解放しえなかった日本人」の記録を淡々と列挙する日高の筆致に、単に自国を卑下して愉快な「自虐史観」というような心根が全くないことです。おそらく、「自力解放できなかった日本」をめぐる探求が、「15年戦争を知りたい。敗戦国日本をもっと深く知りたい。天皇、天皇制、戦争、指導者……、民衆、兵士を知りたい。それに自分を知りたい」(pp115-6)という、日高自身の「自分さがし」に由来しているからであろう。いかに非力で惨めとはいえ、その政治社会の一員であり、そこから離れることはできないという意識を感じる。
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by akai1127ohi | 2010-11-02 22:59 | Comments(0)

Concerned Citizen:山口二郎、『ポピュリズムへの反撃』(角川Oneテーマ新書、2010年

「ポピュリズム」は、評価の難しい二面的な現象だといえよう。

「ポピュリズム」は、一方で、形骸化した代議制民主主義を活性化させる側面がありつつ、他方で、その過剰はデモクラシーの自滅的選択を招きかねない危険性がある。それは、一方で、既存の政治制度に収まりきらない民意の表出でありながら、他方で、政治家の巧みな指導によって不必要な分断を持ち込みもする。それは、民主主義の大事な要素でありながら、時に本質的な対立点を覆い隠したりもする。

そのような「ポピュリズム」を考える上で本書はタイムリーであり、興味深く読みました。

               ***

19世紀アメリカにおけるポピュリズムは、反知性主義anti-intellectualismと同時に経済的平等の主張と結びついていた。しかし現在日本の「ポピュリズム」は、倦怠や飽き、閉塞感に基づいており、必ずしも経済的平等を目指すものではない。その代わり、「感情に基づく多数者の専制」によって、本質的な対立軸を見えにくくさせている側面もある。

               ***

重ねて私は、大阪の橋下知事による、特定の学校を「やくざと同じ」とするヘイト・スピーチと、それに対する健全な抵抗力を喪失した現在のメディア言論を問題視しています。自らの「人気」を背景に、社会の閉塞感を利用し、圧倒的少数者に対する差別的言論によって「日本人」の支持を巧妙に集めるかのごとき言論テクニックには、唾棄に値するものです。難波のサヴォナローラは、いつか手痛いしっぺ返しを食らうことになるだろうと思います。

               ***

「ポピュリズムにはポピュリズムで反撃を」として、社会民主主義の側における「ポピュリズム的手法」を一定評価する方向性には議論があるかもしれないが、私は首肯できます。「憲法を命がけで破る」と宣言する石原慎太郎がなぜあれほど新鮮に映るのか、「憲法守れ!」と街頭デモをする市民運動がなぜあれほど旧態依然と映るのか、リベラル左派の側も新しい発想で問いなおす必要があろうと思います。
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by akai1127ohi | 2010-11-01 21:47 | Concerned Citizen | Comments(0)
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