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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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2010・夏(2)-萩小旅行(その一)

広島に帰省の折、一泊二日で山口県の萩へ小旅行をした。
歴史の足音が聞こえるような城下町、少し急ぎ足でしたが、踏みしめて歩くことが出来ました。

明治日本を担ったいわゆる長州閥の本拠地は萩です。
広島が、戦前は加藤友三郎(海軍出身、ワシントン軍縮会議)、戦後は池田勇人、宮沢喜一と、相対的に穏健な「保守本流」の地盤であったのに対し、お隣山口は、伊藤博文は別格として、山縣有朋、黒田清隆、桂太郎、寺内正毅、田中義一など陸軍出身の政治家が多く、どちらかといえば武断系に傾斜している。

その結果、萩の町の至るところに「悪いおじさん」たちの厳つい銅像が並んでいます。

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松下村塾のすぐ近くに、伊藤が少年期を過ごした旧宅があり、伊藤少年が叱られて立たされていた石が「出生石」と呼ばれている。写真はそこにある伊藤像。この像だけ着色が施されているが、萩焼で作られたそうです。

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写真は、萩市役所近くの山縣有朋像。
ちなみにこの像の製作者であり「日本はおろか世界有数の芸術作品」(同碑文)の彫刻家である北村西望(1884-1987)は、1927年に本像製作によりお国に奉仕し、芸術的というよりはむしろ扇情的な裸婦像を量産し、戦後は長崎の平和の像を作っている。

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写真は、山縣有朋の生誕地。

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そのすぐ前に、すばらしくきれいな橋本川が流れていた。山縣もここで泳いでいたのでしょうか。

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明治日本を担った「薩長土肥」といわれるが、土佐と肥前は明六政変で消えていく。薩摩も西南戦争で多くの人材を失い、藩閥政治を最後まで担ったのが長州閥。その最後にあたる軍人・政治家の最後が田中義一(内閣:1927-29)です。

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写真は田中義一像(ちなみに道を尋ねた街の人は皆「田中大将」と呼んでいた)。

田中義一は1864年、「駕篭かき」の三男坊として生まれる。同郷の山縣という後ろ盾があったにせよ、努力家だった様子も窺える。1925年、軍服から背広に着替え、政友会総裁に就任する。

1920年代、桂新党から発した民政党がリベラル層の支持を得ていく反面、政友会は伊藤博文の立憲主義から親軍的な保守政党へと変質していく。田中の政友会総裁就任は、その転機にあるようです。

その田中も、1929年の張作霖爆殺後、天皇から「お前の最初に言つたことと違ふぢやないか」と叱責を受け、ほどなく死去。田中義一の死因については、憤死、狭心症の発作、腹上死などといわれるが、先日読んだJ・ダワー『吉田茂とその時代』は、「明らかな(しかしうまく隠された)自殺」(p417)とあった。

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オリジナルの田中義一像は1944年の金属供出で失われ、写真は昭和38年に再建された二代目です。これは広島に戻ってから見つけたものですが、初代田中義一像を見たければ、広島八丁堀、福屋デパート裏の「古書アカデミア」、階段上がって2階、右奥の「昭和史」の棚に、『田中義一伝 付録写真帖』(5300円)があり、そこに、故郷に錦を飾った田中義一像の除幕式の際の写真があります。
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by akai1127ohi | 2010-08-31 01:00 | Comments(0)

M・サンデル教授「白熱講義」@安田講堂

安田講堂での4時間にわたるサンデル教授の「白熱講義」は、ベンサム(功利主義)、カント(義務論)、アリストテレス(徳)、この3人の哲学者を partner of our journey として出発し、小カント、小ベンサム、あるいはその折衷といえる会場の意見を教授が臨機応変に整理する算段で進められた。

時間を大幅にオーバーし、熱心に聴衆の意見を聞くサンデル教授の熱意に、まずは率直に敬意を表しておきたい。

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日常的な問題について、人々が哲学的指針を渇望している。
これまでの日本の法哲学は、一般大衆とは隔絶した秘境的な概念や言語を好み、知的専門者によって構成された閉鎖的共同体を構成してきた。政治思想史は歴史考証を行ってきた。唯一、憲法学が、ギリシア以来の政治哲学のエッセンスが詰まった憲法典と戦後日本社会の具体的事例との適用関係を、判例評釈という形で地味に行ってきたといえよう。

「サンデル・ブーム」は、一般市民の哲学的渇望と専門学問とのこのような「日本的間隙」の上に興隆したものではなかっただろうか。

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サンデル教授の講義スタイルは、聴講者に自らの意見を clear and distinct に話すことを促進させるもので、パロールを軽視してきた日本においては、意義のあることだと思います。

テーマに関わりなく常に自己の半生記を語りだすおじいさん、善意だが脈略のない長広舌をぶる人、「われわれも加害者だって、気づいてますか!」と独りよがりの義憤をぶつける活動家、……これらは日本の市民集会の質疑応答時間に必ずのつき物でした。

日本の言論文化が、万人の認識深化のために簡潔に発言する習慣を欠いてきたことは自明で、その意味でサンデル教授の授業がもたらす debater-ship が参照されることは、日本においては有意義だろう。日本人にとって未だディベート文化は「上滑りの文明開化」ではあるが、「上滑り」のままでも滑っていくしかない習慣であることは率直に認めるべきだと思います。

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他方で、アメリカにおいてはもはや、このような「ソクラティック・メソッド」が、ある種の知的なショー、知的エンターテイメントとなってはいないかとも感じた。

パロールは大事ですが、それに固有の否定的課題もある。設問の過度の極端化、簡潔であるがゆえの掘り下げの深さ、即興的であるがゆえの逡巡の欠如など。

アメリカのロー・スクールでは討議型授業が主流のようですが、オックスブリッジの tutorial はエッセイ中心であり、教育は基本的に書き言葉を介して行われ、パロール=レクチャーは付随的な役割です。

書き言葉は論理性を厳しく吟味されるのに対し、パロールの場合は、声の出し方、手振りやしぐさなど、人間の五感に直接訴える「論理以外」も多分に含まれる。その意味でサンデル教授の話し方は「政治家」だったと思います。たとえばサンデル教授の手のポーズは、ブレア首相にメディア・アドヴァイザーが進言したそれにそっくりです。

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8月の日本で、アメリカ人のサンデルがjusticeを語るならば、「ヒロシマ」に言及するかどうかは、当然問われるべき試金石でした。

講義が広島への原爆投下に及んだとき、「来たか!」と思っておもむろに噛んでいたガムを紙に出して発言に備えたが、周囲の視線などを不必要に気にして、結局度胸がありませんでした。これは私自身の克服すべき問題です。

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日本社会が抱える固有の問題までサンデル教授にレクチャーしていただく必要はないだろう。むしろ興味深いのは、かかる「サンデル・ブーム」を日本の法哲学界、政治思想史学界がいかに向き合い、いかに発展的に消化していくかでと思える。
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by akai1127ohi | 2010-08-29 00:38 | Comments(2)

熊谷伸一郎、『なぜ加害を語るのか-中国帰還者連絡会の戦後史―』、岩波ブックレット、2005年

過日の60年安保集会での石田雄先生のテープ起こしをしつつ、その講演の最後に本書が言及されており、KGSMさんとの縁もあって、Amazonで注文。戦後の中国、撫順戦犯管理所で人道的処遇を受けて、日本に帰国後、戦時中の自らの残虐行為を証言し、反戦平和と日中友好に尽力する中国帰還者連絡会の記録。

日本軍兵士たちが自己の残虐行為を証言するまでは、およそ多くの苦闘があったと思われる。逆に、本書を読むにつけ感じたのは、戦後日本社会で、このような残虐行為を決して口にしないまま、事実を墓場まで持っていった「好々爺」も無数にいただろうことです。

現在の中国は「死刑大国」といわれるが、その中国共産党政府にとって、自分たち自身がかつて証明した「撫順の奇跡」は、彼等自身にとっても振り返るべき参照点となるだろう。しかしむしろ、中国を「死刑大国」として嘲笑する日本の右派メディアこそ――彼らも自国の死刑制度は存置論者なのですが――共産中国が日本人戦犯を死刑にしていないことをこそ想起すべきだろう。
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by akai1127ohi | 2010-08-27 22:29 | Comments(0)

2010・夏(1)-『ヒロシマ 希望の未来』

澤野重男著、『ヒロシマ 希望の未来ー核兵器のない世界のために』(平和文化、2010年)を読む。
原爆瓦、高暮ダム、被爆者の聞き取り、ノエル・ベーカー卿の手紙運動、そして「せこへい(世界子どもの平和像@旧市民球場前)」といった広島高校生平和ゼミナール(平ゼミ)運動35年の、一つの到達点を示すものとして拝読しました。

オバマに対する中高生ノーニューク・ネットワークの意見(p23)は、私が最も共感するものでした。依然として、オバマがその在任中に広島に来ることは、現在の平和運動の現実的かつ建設的な目標であるように思う。オバマに、そして何よりオバマを通してアメリカの人々に、問題を提起し事実を知らせることが大事だろうと思います。

同時に、オバマのプラハ演説に対する平岡敬(前市長)と浅井基文(広島市立大学平和研究所所長、元外務省)の厳しい反応も紹介されている(pp26-32)。本書が、「海図なき時代」に自分の頭で平和を考えるための指針となればと願います。

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あらためて、広島をめぐる「加害と被害」という古典的問題が頭の片隅に残る夏となった。

「日本」が責めを負うべき「加害」に対して、ヒロシマが――「日本」の一部として、あるいは「廣島」として――どう対応するべきなのか、問われるべき問題は多いし、私としても考え続けたい。

しかし、「被害と加害」という二項的発想において、「ヒロシマ」といえばすぐ「パールハーバー」、「南京大虐殺」をぶつけるという関係は不毛だろう。「被害と加害」は、議論に困った時に見せつけあう印籠のようなものではない。

日本で「加害」を主導した主体と、日本で「被害」を被った主体とは、同一ではない。「加害の主体=責任を取るべき主体」(政府)と、実際に、「責任を取らされた主体」とが混同された上での「加害と被害」の枠組みは、不毛であるのみならず、「被害者どうし」の連帯を阻みもするのではないか。

日本軍国主義が侵したアジア侵略の「責任」を、なぜ地方の一都市の住民が皆で受けなければならないのか。(同様に、アメリカ覇権主義が世界中で侵している愚行の「責任」を、なぜたまたまあの日のツィン・タワーにいた人間がとらなければならないのか。)

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7月のICNKWゼミで、駒場の高橋哲哉ゼミでヒロシマ研究を行うCさんの刺激的な発表に大変触発された。

8月の中旬、新幹線で広島駅についたその足で八丁堀に向かい、福屋裏の韓国料理屋「オンドルパン」にて、そのCさん、母親、オンドルパンのオーナーのPさん、そして本書著者と飲む。

本書『ヒロシマ 希望の未来』をはじめ、米山リサ『広島 記憶のポリティクス』(2005)、奥田弘子『原爆の記憶―ヒロシマ/ナガサキの思想』(2010)などの新刊、そして公文書館や市立中央図書館3階の「広島資料室」に佇む膨大な書籍、資料群……。広島文献も汗牛充棟だと痛感。私自身もいつか、という思いもありつつ、とても片手間で取りくめる対象ではないという思いも。Cさんの研究が大成されることを願っている。
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by akai1127ohi | 2010-08-26 00:43 | Comments(0)

ジョン・ダワー、『吉田茂とその時代(上・下)』、中公文庫、1991年

外務省の「親英派」、1940年代の「吉田反戦グループ」と近衛上奏文への関与、また牧野伸顕との親族関係などにより、「反軍主義者」というイメージを帯びて戦後政治の中心を担った吉田茂。本書は、ジョン・ダワーのいささか浩瀚にすぎる博士論文の文庫版ですが、むしろ戦前の吉田の外交官活動に関する記述が意義深く、感想を羅列的に書いておきます。

               ***

1920年代の吉田は寺内や田中義一といった長州閥の陸軍軍人と親しく、中国での排日問題に関しては繰り返し「断然たる決意」を求めている。1920年代後半の、いわゆる協調主義の幣原外交(民政党)、積極政策の田中外交(政友会)にはいずれも親しく参画しながらも、どちらかといえば田中外交に望みをかけていた(p132)。戦前の吉田の主張は、中江兆民『三酔人経綸問答』の3類型でいえば、典型的な豪傑君タイプといえるだろう。

吉田自身は、自身は「親英米派」ではなく「英米利用派」だという。吉田は、日本の中国政策に欧米とくに英米の支持との強調が不可欠なこと、そしてどれほど無茶をすれば英米に叱られるかをよく知っている。

しかし、第一に、英米の事情に通じる吉田も、中国の民族主義、抵抗ナショナリズムについてはついぞ見誤っている。それがいかに根強く、また無視しえないものであるかについての認識は薄い。

第二に、時代が下り1930年代から40年代にかけて軍部が台頭してくると、そのような軍部の暴走を止めるために、結局軍部の穏健派を頼みにせざるを得ない発想がある。これは、西園寺や吉田のような、「穏健派」に通底している。

西園寺は、犬養が暗殺された後の斉藤、岡田といった穏健派軍人を指名して、「これ以上悪い方向に行かない小康」を選択している。後知恵で見れば、政党政治はここで終焉している。東条を下ろして終戦工作をしようとした際の「吉田反戦グループ」も、首班として想定するのは宇垣です。「軍部を抑えるには軍部内部の穏健派しかない」という「保守の側の反軍派」の前提が、結果的に彼らが既成事実に追い込まれていった背景にありそうです。
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by akai1127ohi | 2010-08-23 07:18 | 日本政治思想史 | Comments(0)

「前事不忘 後事之師~731部隊元少年隊員の証言」(2010・日本))

60年安保集会を一緒に担ったKGSMさんからのご紹介で、8月6日、多摩市永山にて、ドキュメンタリー映画「前事不忘 後事之師~731部隊元少年隊員の証言」を見てきた。

自転車で訪れた多摩市は、多摩川沿いを走って関戸橋を南に下り、乞田川という小川が流れる、心地よいホーム・タウンでした。

               ***

多摩川上流に落ちるきれいな夕暮れを見ながら、対照的に「重い映画」だろうと踏んで実はそれほど気乗りがしなかったのですが、畢竟、良い映画だと思いました。

15歳で731部隊に入った篠塚良雄さんに密着したドキュメントで、自身が731部隊で関わった冷酷な人体実験から、戦後、遼寧省にある「撫順戦犯管理所」において経験した内面的変化までを語り、相手の立場に立つことの困難さと、それまでの自身の精神的道程を的確な言葉で表現します。もちろん、みんながみんな、「撫順の奇蹟」と呼ばれる内面的変化を起こすとは限りらない。その意味で、この映画を、「重要」な示唆の「一つ」として受け取りたい。

ちなみに「撫順戦犯管理所」は、1950年以降、ソ連から引き渡された日本と満州国の「戦犯」を収容した場所で、溥儀が収容されたことでも有名です。撫順の冬の景色が美しく、この街にも行ってみたくなった。

               ***

8・6にこの映画をみた機縁をふまえれば、自主的・自律的な経路を通して相手の内面的変化を待つという「撫順の奇蹟」は、6割が原爆投下という加害を正当とするアメリカ世論の前で、「ヒロシマ」がアメリカに対して、来るべきオバマ来広に対して、どう対応すべきかについての、一つの示唆を与えているように感じた。

               ***

「被害」と「加害」は、トレード・オフではない。「被害」と「加害」を天秤にかけ、相殺するのでもない。「加害」があるから「被害」がある(あって仕方ない)、という因果応報でもないだろう。

自分たちの近くに「被害」があるからこそ、もう一つの「被害」、他人の「被害」も、自分たちの延長上に想像できるようになること。そこに突き抜ける回路が必要だろうと思います。(加藤典洋の、「自国の死者を先におく」、ということではありません。「自国」であれ「他国」であれ、何か一つの特殊な経験を徹底的に内面化することが、それを普遍的なものへの共感のために必要だ、ということです。)
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by akai1127ohi | 2010-08-10 01:24 | Comments(2)
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