Modest Comments on What I Have Read


Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
by akai1127ohi
プロフィールを見る
画像一覧

<   2010年 04月 ( 5 )   > この月の画像一覧

春休みのソウル(最終回):路地裏の人生

日本へ帰国後、新年度の怒涛に圧倒されつつ、5月病というべきだろうか、心身のバイオリズムの閉塞を感じる度に、自分の心のなかの最も vulnerable な部分を無防備にさらけながら、それを包みこむような夜のソウルの路地裏に逃避したいという気持ちがもたげてくる。

               ***

春の木洩れ日のなか、私自身の個人史において一つの懸案として残っていた、南山公園の金九像にも訪れることができた。金九は日帝統治下の民族主義活動家ですが、右翼思想より南北統一を優先させた点で、南北双方、左右両翼から肯定的に評価される朝鮮(韓半島)の民族主義者である。

a0101503_23325493.jpg

写真は南山公園の金九像。

               ***

自分の意思と責任の下で初めて韓国を訪れた2001年、夜の鐘路大通りを歩いた時、ひしめく屋台と、それをめぐる人々の vitality に完全に圧倒されたことを鮮明に記憶している。

夜の12時を過ぎても屋台で鯨飲しあう男たち、インフレ気味のウォンの札束を団扇がわりにしてあおぐ屋台のおばさん、美女をはべらせながらごった返す大通りでダーツ遊びに興じる成金風の男、天まで届くかのごとくに設置された人形売りの露店……。

そんな大通りの喧騒を見ながら、一つ路地裏に入ると、こんなところにも人間がいて、独自の世界があるのだと気づかせる、小さな別世界のごとき食堂や飲み屋があった。そして、夜の喧騒にまみれたこの街の一部に、私もなれたような気がした。

あの night walk の経験とその興奮は、私の人生のなかで忘れがたい貴重な経験として残っている。

               ***

At the dark end of the street.
That is where we always met.

Hiding the shadow where we don’t belong.
Living in the darkness to hide our wrong.

You and me.
You and me.
At the dark end of the street.



               ***

私が意識的にソウルを眺めてきた2000年代の初頭からでも、この街が大きく変化して来たことがわかる。1970年代のソウルを知る人にすれば、おそらく文字通り隔世の感だろう。

現在、ソウルは「近代化」され、きちんと夜12時には眠る街になった。これから10年先、20年先、かつて歩いたような裏路地が「再開発」の波にのまれて変貌していく様子を、私はいともたやすくpictureすることができます。

私がそのエネルギーに圧倒され、また私自身が一瞬であれその有象無象の一部ともなったあのソウルの街は、消え去ろうとしている。いささかセンチメンタルな思い出とともに、私がこの目で体感したあのソウルは、70年代から続く、汗と民衆とストリートのソウルの、最後の残り香だったのかもしれない。
[PR]
by akai1127ohi | 2010-04-16 23:29 | Comments(2)

春休みのソウル(3)ー雨の降るソウル駅

実は、ソウル駅は初めての訪問だった。
旧駅舎は東京駅と酷似しており、現在改装中。新駅舎は大変新しく、モダンな造りです。

               ***

改装中の旧駅舎の周りに、ソウル駅をめぐる写真展示があった。
40年代後半にはソウル駅周辺は、荒野だが解放の息吹がある。
60年代には、ソウル駅の周りにはちらほらと生活の息吹がある。
70年代のソウル駅には人々の熱気がある。

a0101503_1224146.jpg

写真は、1980年5月15日の「ソウル駅前軍」。
79年の朴正煕暗殺直後、尹潽善、金大中らが復権し、「ソウルの春」が訪れる。しかし、1980年5月15日、ソウル駅前に集まった多数の学生を、指導部は解散させてしまい、この日和見的決断が「ソウル駅前回軍」とよばれる。その二日後、光州事件に起きる。

               ***

a0101503_12243740.jpg

1980年代、雨の降るソウル駅。
右手でハーモニカを吹く男は、左手には小銭入れをもち、そして杖をはさんでいる。

70年代後半からの経済発展の影響でしょうか、傘をさして通り過ぎる通行人の向こうに、ちらほらと建ちはじめたコンクリートの高層ビルが窺える。

そして、そのビル群にかこまれ、どことなしに小さくなったかのようなソウル駅が見える。
[PR]
by akai1127ohi | 2010-04-15 12:27 | Comments(0)

春休みのソウル(2)ーソウルあれこれ

鐘路3街の安い大衆食堂でビビンバを食べたら、「3500W」だった。少し洒落たカフェでカプチーノを飲んだら、それも「3500W」だった。まず、「3500W」は、完全に覚えた。

a0101503_10435335.jpg

写真はソウル駅近くの大衆食堂で食べたチゲ。

a0101503_10443555.jpg

写真は鐘路3街の裏路地の焼き肉屋さんで。

               ***

明洞カソリック大聖堂に初めて訪れた。
1890年代に建立。大変素晴らしい教会でした。

a0101503_1045148.jpg

写真は明洞カトリック大聖堂の前景。

「ソウルの繁華街にそびえる明洞大聖堂は1892年に着工し、97年に完成したフランス式教会堂である。それは民主化運動のときは戦いのメッカともいえた。……1960年代に入って、この教会は積極的に社会参加を始め、明洞大聖堂はその中心となった。」(池明観、『韓国民主化への道』、pp184―5)

76年、57回目の「三・一」記念日に、尹潽善、金大中、。錫憲などによる「民主救国宣言」がここで発表されている。86年の6月民主化抗争においても、明洞から大聖堂にいたる緩やかな坂道を、多くの群衆が埋めつくしている写真がある。

               ***

平和市場は服飾、被服製造会社が密集する、東大門近くの市場です。

a0101503_10452379.jpg

写真は平和市場。

「平和市場というのは三階の建物で、一階は店舗、二階と三階は工場であったが、天井の低い、腰をかがめないと立ち居振まいもままならない屋根裏部屋であった。換気装置などまったくなく、むせびながら働き、昼休みの一時から二時までの休み時間にも日向ぼっこする場所もなかった。」(池明観、『韓国 民主化への道』)

1970年11月、平和市場の劣悪な労働条件に抗議し、全泰壱が焼身自殺して、朴政権の「先成長、後分配」の論理の陰で苦しむ労働者の実態を衝撃的にあらわす。以後20年以上にわたる軍事政権との闘争において、約60名の焼身自殺のさきがけとなります。

a0101503_10454340.jpg

写真は全泰壱の銅像。地底からはいあがるごとき構図で、独特のインパクトを示している。

               ***

仁寺洞通りは、四方田犬彦の指摘する通り、ノスタルジックなジオラマです。同時に、ジオラマであっても伝統文化を復興する努力には価値があります。

そして、仁寺洞の入り口にあるバッティング・センターの不釣り合いが、私は好きです。


a0101503_104681.jpg

写真は仁寺洞にある茶室、「シンイエチャチプ」。

a0101503_10463457.jpg

写真は仁寺洞にあった、路上の似顔絵売りで。この他にアメリカ人俳優など。

               ***

文化財にとっての敵は、地震、火事、戦争、そして資本主義の「効率性」だろう。

鯉城広島城、烏城岡山城はいずれも米国による原爆・空襲で焼かれている。列島の文化財をのきなみアメリカによって破壊された日本は、その人類史的罪責を問うことなく、戦後の高度成長期は自らの手で日本の文化財を打ち壊してきた。そこには後悔の驚くべき欠如がある。

現在、開発や資本主義の「効率性」から文化財を守る努力は、日韓共通の課題です。
[PR]
by akai1127ohi | 2010-04-12 10:49 | Comments(0)

2010年イギリス総選挙へ向けた観察(3):ブラウンと労働党

イギリス下院は、5月4日投票が決まり、一ヶ月間の選挙戦が始まった。
労働党は1997年以降、13年間にわたり政権を担ってきたが、ブラウン政権にとっては初の総選挙となる。

「不人気」と伝えられるブラウン首相ですが、天才詐欺師ブレアよりは実直な人柄で、古き良き労働党魂の片鱗をかすかに残しているように思います。私が座右の銘として心に刻んでいる、Aspiration, not to get more, but to be more は、実は、ブラウンが自著でアッシジのフランチェスコの言葉を引用していたのがきっかけです。「不人気」の評判と同時に、「ブラウン首相の評価は実力に比べて低すぎる」という世論もそれなりに高いようです。

               ***

ブラウン降ろしの先頭に立っていた、ヒューイット保健相とフーン運輸相が、つい先日、新聞社が企画した、不正なロビー活動請け負いを誘発する「おとり捜査」で両者とも引っ掛かっていて大変驚いた。「ブラウン降ろし」がいかに腹黒い連中によって画策されていたかが暴かれたといえる。新聞社による「おとり捜査」は、労働党にプラスではないにせよ、ブラウンにとっては党をまとめやすくなっただろう。

心機一転、党内結束を示す狙いから、解散のための女王謁見の直後、ダウニング10の前で閣僚を背後に並べてスピーチをし、内閣のco lleaguing な性格を印象づけている。保守党キャメロンの第一声は対照的で、テムズの対岸で一人で演説し、one-man band の様相です。保守党はキャメロン個人の勢いに頼るところ大と見える。



               ***

しかしながら、労働党は13年間の与党生活、なかんずくイラク戦争支持という歴史的致命傷により、完全にその体制改革的役割を喪失した。他方、保守党は政策的には単に中道であり、差異の明確化をもっぱらブラウンへの個人攻撃へ求め、政権交代を正当化する理念やスローガンを見つけえていない。キャメロンに「1997年のブレア」の再来を見出すのは不可能です。いずれも、根本的な価値対立が消滅した先進国の政党政治の煮詰まり具合を象徴している。

これに対して、かろうじてそれを打破するポーズだけは取りえているのが、自民党Lib Demsです。
[PR]
by akai1127ohi | 2010-04-09 16:30 | Comments(0)

春休みのソウル(1)-「国立4・19民主化墓地」

3月末から4月にかけての時間を、ソウルで過ごした。
旅は人を詩人にさせる。ソウルは私を pensive にさせる。いささかのセンチメンタルは許されるだろうと思います。

               ***

ソウル中心部から地下鉄4号線で北に約30分、「水喩駅」で下車し、北漢山のふもとにある「国立4・19民主化墓地」を訪ねた。

李承晩を打倒した1960年の「4・19学生革命」は、「赤色独裁反対、同じ論理の演繹から白色独裁へも反対」を掲げる学生革命で、その後の20年以上の民主化闘争の原点となる。日本の60年安保闘争にも影響を与え、日高六郎が「4・19と6・15」というエッセイで、樺美智子と、同じく4・19学生革命で犠牲となった陳英淑という女子学生の遺書を並べて論じており、それは私にとって大変印象的な文章でした。

「4・19学生革命」も「60年安保闘争」も、今年ちょうど50周年をむかえる。いずれにおいても特徴的なのは、学生と大学教授が連帯して重要な役割をになったという点です。

              ***

1986年の民主化以後、「4・19学生革命」は韓国の政治体制の正当化象徴の一つであり、「民主聖地」という入口石碑の揮毫は金泳三、現職の李明博も先日献花に訪れている。

a0101503_1829727.jpg

写真は「国立4・19民主化墓地」の全景

a0101503_18293511.jpg

写真は、「国立4・19民主化墓地」の高台から見たソウル市街

a0101503_18295890.jpg

展示の一つである、金大中による「復活4・19革命精神」の揮毫。

              ***

公園内には「4・19革命記念館」があり、説明が全てハングルで理解できないままの個所もあったが、私はこれは大変すばらしい博物館だと思った。これからソウルに行く人には自信を持って薦めたいと思います。

大文字の ism やイデオロギーではない。同級生が殺された、息子が行方不明だ、そのようなことから、女子高生や普通のおじさんが「政治化」されていくとは、こういうことか、と認識させられる。

a0101503_18302317.jpg

4・19革命は、右目に銃弾を受けて惨殺された高校生金朱烈の死体が海中から発見されたことが発端となる。写真は、かけつけた弔問客でごった返す金朱列の葬式。

a0101503_18303911.jpg

警官につめよる市民

a0101503_18305659.jpg

大学教授団による反李承晩デモ

記念館の最後には、世界3大革命、すなわちイギリス革命、アメリカ独立革命、フランス革命の簡潔な展示があり、「4・19学生革命」をその延長上に位置付けていますが、その認識はあながち大げさではないだろう。竹内好などの中国研究が日本人による中国「近代化」への認識を180度回転させたように、日本人による韓国「民主化」への認識を180度回転させる仕事が、なされていいだろう。

               ***

私にとってとても印象的な邂逅もあった。
4・19民主化墓地には、光州にある光州事件メモリアル・パークと同様、犠牲者の墓が延々と並んでいる。全てを歩き見ることはできない、どこか一画を歩いて済ませることにしよう、そう思い、おもむろに眼前の一画を歩いていると、日高六郎が「4・19と6・15」において、樺美智子と並べてその遺書を紹介していた、陳英淑の墓石に出会った。この時に、この場所を訪れて良かったと思います。

a0101503_18311365.jpg

写真は、陳英淑の墓
[PR]
by akai1127ohi | 2010-04-06 18:32 | Comments(0)
ブログパーツ
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
venusgood.com
from venusgood.com
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
愛国心を育てる名言
from 愛国心を育てる名言
愛国心を育てる名言
from 愛国心を育てる名言
愛国心を育てる名言
from 愛国心を育てる名言
イカー!イーカチュー!!
from イカチュウ
総員第一種戦闘配置!!
from 司令
しょーすしょすしょすw
from びえぶ
ちょちょちょ(^^;
from さい8
ライフログ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧