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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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朝鮮人学校の高校無償化排除への反対(再々々)

大阪の橋下知事による、「朝鮮学校は基本的にやくざと同じ」の発言は、見過ごされるべきではない。そもそも、朝鮮総連は「やくざと同じ」ではない。公的な立場の人物がそのような語彙を使うのは、相手に対する最低限の礼儀を逸してはいないか。このようなレッテル貼りの価値判断ありきの発言は、持続的に対話を行うこと自体を不可能にしてしまいます(もちろん、在日の人でもこのような独善的な発言をする人がいる。橋下知事と同列に論じられないが、それはそれで、私は良くないことだと思います。)

金日成肖像画には、私も違和感を感じるし、そのような政治体制に対して皮肉の一つでも言うのが健全な精神だろう。しかし、外すかどうかは、あくまで、どこまでいっても朝鮮学校の人たちが決定すべき問題です。それに対して、授業料無償化をたてに「外せ」というのは、札束で相手の頬を叩くような愚行です。

               ***

鳩山政権は、今からでも朝鮮学校の無償化排除を再考すべきだし、できるだけ早い時期に無償化の対象として再定義すべきだと私は思います。無償化から除外された朝鮮学校の高校生たちが、その後の人生のなかで、日本人と日本社会をどのような眼差しで見るだろうか、どのような気持を抱くだろうか。それを想像すべきだろう。

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同時に、この問題について、「週刊金曜日」など左派メディアによる、「それ見たことか!」というような鳩山政権批判にも問題を感じる。鳩山政権に「裏切られた、幻滅した、期待して損した」というような政権批判の論調には、問題がある。第一に政治権力を「全否定」か「全肯定」による評価対象とする視点、第二に、混濁、黒白、正邪など様々な要素が混在した現在の政権を、持続的に吟味・より分けして、状況にふさわしい態度決定を熟慮しようという視点の乏しさです。

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裏切られた?別に鳩山政権は裏切ってない。初めからこのレベルだったのだから。
幻滅した?幻滅するほど期待していた自らの政治的洞察力の無さをまず嘆くべき。
期待して損した?じゃあもう、いい所を伸ばすための期待も放棄する?

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日比谷公園年越し派遣村の人にとって、目の前の一杯の雑炊が何政権によって提供されようが大した問題ではないだろう。今、一度しかない人生を送る朝鮮学校の高校生にとって、何政権が授業料を無償化しようと、それは「日本政府」と認識されるでしょう。五十歩百歩といっても、その50歩の間が多くの人の幸福を左右する事実を踏まえることが大事だと思います。
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by akai1127ohi | 2010-03-25 01:02 | Comments(0)

2010年イギリス総選挙へ向けた観察(2):保守党とキャメロン

政治は実に生もの。先日まで、次のイギリス首相が確実視されていたキャメロンに赤信号がともっている。

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2005年から06年にかけて在英していた私は、ブレアからブラウンへの禅譲をこの目でみることは叶わなかったが、その代わり、ヘイグからキャメロンへの保守党首の交代を目にすることが出来た。イートン高校、オックスフォード大、ウェストミンスターというキャメロンの経歴はイギリスのエリートそのもの。ちなみにキャメロンはオクスフォードではブレイズノーズ・カレッジで、これは私がいたリンカン・カレッジの隣だった。(隣接するカレッジは仲が悪いというのが慣習で、年に一度、両カレッジを隔てる塀ごしに生ごみを投げ合う慣習があったと記憶している)。

私の友人にも保守党員がおり、キャメロン選出の際は保守党内での党員投票があってので、その友人は「もちろんキャメロンさ」と述べていた。若者のあいだでのキャメロン人気は高かったと思う。

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キャメロンの演説やPMQには麻薬的な面白さがある。

田舎町でのキャメロンの演説では、原稿なしで、よどむことなく、力強い言葉をたたみかける。ロンドンから地方までおそらく数時間の移動中、車の中でくり返し演説内容を諳んじていたであろう努力の跡を強く感じさせる。そのポピュラリズム的姿勢に置いて大阪知事と共通するところがありつつも、性差、年齢、人種に関して、少なくともポーズとして、言って良いことと悪いことの区別を厳格につけるだけの素養はあり、「保守党」でさえこのレベルの選択肢を持ちえているイギリス国民がいます。



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王室、国教会、地主の政党だったイギリス保守党ですが、戦後の行動指針は一貫して「ご都合主義Expediency」といえる。国民に受けると思えば何でも取り入れます。就任後、「中道化」を進めて労働党支持層にも食い込んできたキャメロンは、イギリス保守党はアメリカの保守主義とは、「3つのG」、すなわちGun(銃規制支持)、Gay(性的多様性の尊重)、Green(環境への配慮)で異なるという。

そのキャメロン自身、環境保護をアピールして議会まで自転車で通っている。そして、自動車で行けば一台ですむところ、自転車で通うために左右と後ろに計三台の警護車を走らせる結果になっている。

環境政策が票になるとわかれば「Vote Blue, Go Greem」を、オバマが人気なら「Change by Conservative」をスローガンに取り入れ、イデオロギー的には何でもありです。最近は、「ラディカル」という言葉も多様している。「要求実現」路線を最も忠実に踏襲しているのは、イギリス保守党ではないかと思います。

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一見真剣な顔で女性の話に聞き入るキャメロンが、話の最中、愛国的かつスポーツ好きに見せるために装着した「England」のリスト・バンドをずり上げるようアドヴァイザーから指示され、誰にも気づかれず遂行し、カメラを確認しています。このような偽善(と労働党のいい意味での愚直さ)が、昨今の支持率緊迫をもたらしている一因のように思えます。


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by akai1127ohi | 2010-03-23 01:08 | Comments(0)

「反共」と「ナショナリズム」

戦後における「反共」意識は、日本や韓国など冷戦構造のなかでアメリカに「利用価値」を見出された国々に共通の病弊だろう。

「反共」が絶対的なスティグマ化され、政府へのどんな批判も「反共」とレッテル張りをされると、いかなる変革も自力では不可能となる。既存権力への批判をすべて「反共」で片づけ、またそのスティグマが絶対的な呪縛力を持つ政治風土では、自国の社会の欠点や不条理を「改革」することはもちろん、「認識」することさえ困難になる。その結果、体制と思想の双方において発展のメカニズムが硬直し、非常に停滞した社会へとなっていく。

なぜ「反共」がこれほど強力なスティグマとなったのか。なぜ「反共」は社会のダイナミクスを阻害するのか。「反共」の内実を思想史的に取りくむことも、これはこれで興味深いテーマのように思える。

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「反共」が非生産的な思想的呪縛だとすれば、東アジアにおいてそれを克服した思想は、広義の「ナショナリズム」ではないか。

孫文の革命戦術における「連ソ・容共・扶助工農」に見られる「容共」は、清朝異民族支配と欧米列強に対抗するための、「民族主義」のための「容共」であろう。韓国民衆による、韓国の自主独立と北への連帯を示す「民族主義」が、アメリカという庇護者に依存した「似非民族主義」であった朴正煕政権の、「反共」という体制原理を否定していくのも、同様の構図といえます。

根強い「反共」というイデオロギーを克服する思想は、少なくとも東アジアにおいては、リベラル左派やキリスト教左派でなく、湧き上がる「民族主義/nationalism」のマグマであったことを、もう一度想起すべきように思う。

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「アカ」を「非国民」として排斥した戦前日本はどうでしょう。戦後日本は「反共」の呪縛を自力で解放したか。「アカは非国民」ではなく、「アカでも日本人」の立場で、「民族的/国民的課題」の前で、団結しえた経験はあるか。そんな疑問は、必然的に生じてきます。
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by akai1127ohi | 2010-03-22 11:59 | Comments(0)

「洪水後半年間の緊張」

「ぼくの村で洪水が起ったとき、お坊さんとか神主とか学校の先生が集まって、それぞれいままで予期しなかったような新しい知恵を発揮して頑張りました。半年ぐらいそのまま緊張している。それから弛緩して、もとにもどってしまいまいたけれども。そういう、洪水後6ヶ月くらいの復興期の感情が[創刊当時の]この雑誌に満ち満ちていると思うんです。」(大江健三郎の発言、「『世界』の40年」、岩波ブックレットNo. 39、1985年、p16。挿入引用者)

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ちなみにこの大江の発言に対し、聞き手だった安江良介は以下のように応える。

「間接的ですけれども、いまの私たちに対するきわめて手厳しい批判として聞いています。」

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蛇の路は蛇、は半面の真実。他方で、どの「専門家」も存在しないような新しい問題に直面したとき、素人である一人一人が個人の資格で知恵を絞り、解決策の提案のために発言するときに、「政治」が現れるのも事実でしょう。洪水後半年間の緊張を、洪水が引いた後にも、いかにして維持するのか。これは、「政治」思想家が取り組んできた古典的な問いの一つのような気がします。
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by akai1127ohi | 2010-03-20 22:43 | Comments(0)

朝鮮人学校の高校無償化排除への反対(再)

「北朝鮮は暴力団と基本的には一緒」、「金日成の肖像画を外すという条件」、そして、そんな橋下知事は「甘い」という中井洽拉致担当相の言動……。

さらっと新聞報道されていますが、このような言質、このようなものの言い方を、そんなに単純に受け流していいのでしょうか。これはかなり重大な発言のように思います。大阪知事のこのような物の言い草を、「人気者」ということでスルーしてしまう日本社会は、根本的にどこか危ないのではないかという感覚を持つのは、私だけでしょうか。

               ***

寝しなに知ると、眠れなくなる。とりあえず、このような差別的な言動が野放しにされる、最低限の「矜持」さえ欠いたわれわれの社会のあり方は、相当ヤバいのではないかという危機意識だけ表明しておきたい。(もちろん、私の知らないことも多々あるという事実、別の意見によって自分が説得、納得させられる可能性、これらもまた自覚しておきたいと思います)。

何も朝鮮人学校が素晴らしいとか、日本が全部だめだとか、そんなことを考えているわけがない。日本の社会のあり方、メディアの在り方、そして何より、この問題に対する「日本人」の反応が、今のままでいいのか、大変に疑問である。日本国憲法が掲げる日本のあり方の理想と、現実の日本社会の狭隘さとの落差に、忸怩たる思いをする日本の主権者が、本来あるべき以上に少なすぎるのではないか。後日改めて、朝鮮人学校の高校無償化排除への反対(再々)として、私の考えをまとめて書きたいと思います。

               ***

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。……。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」
(日本国憲法・前文)
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by akai1127ohi | 2010-03-14 00:51 | Comments(0)

St. Patrick Dayをむかえて(1)

 静かな夜にはアイルランドのことを思い出す。アイルランドにゆっくりと落ちてくる静かで蒼い夜の光景。郊外のダートの駅で電車を待っているときに感じた、世界の端の小さな場所に一人でいるような感覚。人気のない駅のプラット・ホームをゆっくり歩きながら、Houth行きを告げる電光掲示板の明かりに照らされたアイルランド特有の霧の細粒を眺めるときの、あのどこか冒険的な孤独感。明日になればまた太陽が昇り、オコンネル通りや語学学校もいつもの喧騒に満たされるに違いない。しかし、そうわかっていてもまるで永遠に続くようなこの夜の静寂。明日への希望をはせながら、しかし今はもうしばらくこの孤独を大切にしていたい・・・。ダートの駅で不意に包まれたアイルランドの蒼い夜の記憶は、そんなことを感じさせた。

               ***

 大学2年生の春休みに語学研修でアイルランドに行き、冬から春へと移り変わるダブリンの様子を感じることができた。漠然としたアングロマニアであった反動から、アイルランド近現代史に急速に惹かれ、キルメネイム刑務所やアイルランドの社会運動関係の書籍を扱うコノリー書店などに日参した。セント・パトリックデイの前夜祭、リフィー川での花火のあとは語学学校の友人たちとザンジ・バーで遅くまでビールを飲み、火照った体で街を歩きながら、アイルランド銀行のギリシア風のファサードを見上げたのを覚えている。セント・パトリックデイを前に街全体が胎動していて、その鼓動に自分も胸が高まっていたのだと思う。その年のパトリックデイ当日は素晴らしい天気で、ジョージア様式のダブリンの街並みがひときわ美しく見えた。短い期間だったけど自分にとってダブリンは、何か生涯にわたり特別な街になるのではないか、そんな確定的な予感がした。

               ***

 今でも小雨にぬれたテンプル・バーの様子やグラフトン・ストリートの雑踏、そして夕暮れの日が沈んでいくリフィーの川面など、ダブリンの見せる様々な光景が心に残っている。そして何より、静かで孤独な夜が訪れるたびに、あの霧の細粒に包まれた小さな駅のプラット・ホームを、驚くほどの鮮明さと懐かしさとともに思い出すのだった。
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by akai1127ohi | 2010-03-11 00:30 | Comments(2)

寝しなの「笑点」

ジャーナリストの後藤健次が寝しなに、仕事がらみの興奮を鎮めるためにウイスキーを飲みながら落語を聞くという経験談にならって、私も最近、寝しまに「笑点」を散見している。

政治や社会問題への風刺、むしろ親密さを感じさせる他人への「罵倒」ネタ、そして何より感服するのは、老いと死を笑いにするユーモアです。誰でもいつか必ず、のっぴきならない「死」に直面する。しかし、生前にそれをユーモアに出来ていれば、死をより楽天的に受け止める諦念もつくような気がします。

               ***

今になって気づくという話ですが、やはり円楽の司会には緊張感がある。破顔一笑と微妙な静寂とのメリハリがある。そしてメンバー全体として、それこそ、まとまりの中の滲み出る個性、個性の発揮が醸し出す統一感、というのがある。

歌丸師匠の司会になって、昇太さんやたい平さんになってから、やはりあえて諫言すれば、ボールをポロポロこぼす草野球の試合を見るような気もする。スカパーの無料放送お試し期間で若手落語家による「若手大喜利」も目にしたが、確立された個性ではなくバラバラ観、まとまりではなく画一性を感じた。

それでいてなお、日曜日夕方を特徴づける「笑点」は重要な文化の一環だと思います。そして、たった15分の「個性の発揮が醸し出す統一感」を出すためには、およそ数倍の準備や稽古が必要だろうと思うと、芸の世界の厳しさは、研究者の世界の厳しさと、実は通底しているような気もします。


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by akai1127ohi | 2010-03-07 01:47 | Comments(2)

朝鮮人学校の高校無償化排除への反対

新聞にはいくつかの反対意見の投書が出たので、当座、中井洽拉致担当大臣へ抗議のメイルを送った。

               ***

この政策方針は単なる「いやがらせ」であり、およそ想起可能な中で最低の愚策だと思います。政権交代をしても、このような発想が容易に出てくる。在日コリアンの人はこのような「日本」に当然怒るだろうし、日本の政治に自分なりに「参加」してきた私は、このような「自国」を、愛するどころか軽蔑します。

               ***

なるほど主権国家という人類史的限界を(無国籍者以外の)誰もが背負っている以上、日本政府が「日本国民」の権益を第一義とすることは道理です。しかし、現代日本における最大の主権侵害である米軍基地について恐ろしいほど批判意識を欠いた言論が、朝鮮学校のみを恣意的に「問題化」するという卑屈な精神への自覚は、恐ろしいほど低いです。

また、このような形で「日本」から除外された朝鮮学校の高校生たちは、どのような気持ちでしょうか。どのようなまなざしで「日本」を見つめるでしょうか。この愚策を撤回されることを強く望みます。

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戦後日本の民主主義には二つの弱点があったといえるだろう。第一に、ナショナル・デモクラシーの担い手たる「日本国民」として、アジアの植民地と沖縄、在日といった「外地異種族」を排除したこと。第二に、悲しいかな、このように「日本国民」に限定してさえ、その「日本国民」は自らデモクラシーの実体化を通した国民形成をなしえなかったことです。

このような戦後「日本国民」の根本的脆弱さに、何かウルトラCの解決策があるわけではありません。先頭を走るかに見える走者が実はトラック一周分遅れた走者だったと自覚した場合、可能なことは、一周分の遅れを取り戻すべく、「まだ間にあうだろう、歩きはじめれば」という気持ちで少しでも前に進むことだけです。

在日外国人への参政権を、既存「日本国民」が決断することは、そのための第一歩です。
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by akai1127ohi | 2010-03-03 02:25 | Comments(3)

「しかしそれだけではない。 加藤周一 幽霊と語る」

Fatal Purity というロベスピエールの伝記を読んでいると、ロベスピエールはその最後の演説で、death is the beginning of immortality と述べているようです。死んでいるからこそ死ぬことのない幽霊と語ることによって、現世の人間は何か eternal な判断基準を得られるということでしょうか。



渋谷「シネマ・アンジェリカ」で、公開初日に「しかしそれだけではない。加藤周一 幽霊と語る」を見てきました。きっかけを与えてくれた Tree Field さん、ありがとうございました。(また、劇場でとある実定法のM先生を、そしてスクリーン上で、加藤周一に対坐するY先生をお目に掛けました)

               ***

2月24日の朝日にあったこの映画の広告に、姜尚中が加藤周一について述べている。

「『平家物語』とイラク戦争を結びつける。なぜ加藤さんはそんなことが可能かと言えば、非常に膨大な知のストックを持っていて、ある出来事が起こった時、すぐにチューニングができるからなんです。学者は知識のストックがあるけれど、実際の事件とのチューニングが出来ない。ジャーナリストは生ものの事件とのチューニングが出来るけれどもストックがない。加藤さんが凄いところは凄い知の蓄積をどの専門家も越えるほどに持っていて、ジャーナリスト以上にシャープなチューニングができたことだと思うんです。」(姜尚中、「朝日新聞」、10年2月24日)

加藤は役者です。姜尚中は加藤周一の「少年らしさ」を指摘しますが、私はこの人に、いつまでたっても消えない、「オスの匂い」ともいうべき魅力を感じます。

単に甘えた若者たちと、単に保守化した老人たちが「いがみ合う」現代日本の不幸のなかで、戦争に反対するための「老人と学生の連帯」は、一つの理想です。その戦争批判の思想を、自分たち自身の文脈の中で継承したいと思います。

               ***

以上を踏まえた上で、私は「加藤周一 幽霊と語る」に対し、あえていささか辛辣な野辺送りをしたいと思います。

源実朝の短歌を紹介する際、加藤が瀬戸内海を「地中海」と言い間違えるのはご愛嬌。しかし、戦時中の軽井沢の木製ベンチに、ラテン語を解する誰かが「Pax in Terra」と彫り刻み、それを見つけた加藤がその体制批判を理解して共鳴する、というくだり……。戦争批判の気持ちによく共感します。が、ラテン語で軽井沢の奥地のベンチに彫り刻む「抵抗」を、知識階級の特権的な自己慰撫にすぎないと喝破する人がいても、共感します。

               ***

本映画で加藤は、「ぜいたくは敵だ」という時代に、「英国製の背広」を着込んで大学構内を闊歩した神田盾夫の枢軸批判を紹介する。また、戦時中にフランス語で日記を書きつけていた渡辺一夫に言及し、率直な戦争批判は「日本語で書けなかった」という。

しかし私は、英国製背広とフランス語の日記で示された「抵抗」が、どれだけ日本国民の、あえていえば大衆の心に響くもだったのかと、私は考えざるをえませんでした。「ぜいたくは敵だ」という時代の要求に、「ぜいたく」をすることによって抵抗できる人の数は限られているだろう。そしてそのような「抵抗」は、どれほど「本気」の抵抗だったのでしょうか。

               ***

日本人が自分たちの政治体制を「フランス語」で批判することはできない。ダンテがトスカナ語で書いたように、ルターが聖書をドイツ語で翻訳したように、魯迅が現代口語で中国文学を綴ったように、日本人が、日本人に分かる日本語で問いかける必要があったのではないか。ラテン語だとかフランス語ではなく、自分たちの言葉で、自分たちの同胞の胸に届くように、訴えるべきではなかったのか。

社会と国家の全体主義的アマルガムと化した軍国主義を、「日記」で変革することはできない。夜な夜なノートブックに向けて自己の心情を吐露する「抵抗」は、「行動する良心」たりえるか。もちろん、戦前日本の状況を想像すれば、これは身の程知らずの遡及的批判かもしれません。しかし、それこそ日本が侵略した地域では、それでいてなお、日本によって暴力的に禁じられた自分たちの言葉で、日記よりもはるかに公開された方法で、自分の意見を articulate した人々がいたのではないでしょうか。

               ***

加藤が生きた特定の時代に、加藤が示した特定の立場を、そのまま継承するのではなく、自分たちの時代の、自分たちに固有の問題の中で、自分自身で「加藤周一」を実践する必要があるのだろうと思います。
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by akai1127ohi | 2010-03-01 23:48 | Comments(0)
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