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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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京都・奈良(3): 『居酒屋の加藤周一』 



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立命館の生協書籍部、「立命館コーナー」で同書を購入。
カウンターで本の検索を頼むと、中年女性の店員さんに、「そんな(変な)書名ですの?」と言われた。

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最初にかもがわ出版の編集者が考えたタイトルは、『居酒屋での加藤周一』だったらしい。間違いなく反対されると思いながら編集者が加藤周一に提案すると、

「そりゃ面白い、『で』はいらないな」

と言われ、『居酒屋の加藤周一』になったらしい。

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加藤周一と、それを囲む京都の人々の会話から、人々が「教養」を欲求をそれを尊重していた時代を感じる。また、その欲求を満たしてくれる知識人の姿も感じる。細部に至っては歴史考証や正確性について議論もあるだろうが、細分化した「専門知」の研究者には話せない洞察も感じます。

オリンピック、村上春樹、臓器移植、車社会……、いかにして態度決定していいか分からない問題が生じたとき、人々が加藤周一に意見を求めます。それに対し、加藤は常に「模範解答」を投げ返します。

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加藤周一が折々に見せる近代中心、ヨーロッパ中心主義は、今から見ると少し度が過ぎるという印象もあります。その裏返しは近代以降の日本をめぐる「自虐史観」で、これが鼻につく人も多いはず……。

左派知識人の総退場がいわれて久しい。
しかし、彼らが格闘した問題群もそのまま消え去ったのだろうか?

たとえば、われわれの親父の世代が徐勝兄弟に対して示した支援と連帯を、その後の世代は、トフティさんに対して示しているだろうか?権力による学問への強権的干渉こそ、知識人――あるいは「研究者」もまた――がまとまって「活躍」すべきまたとない局面のようにも思えます。トフティさん事件は一例ですが、今現在のこれらの問題を「問題化」しないままに「左翼知識人」の「時代遅れ」を論じる風潮に、私は同意できません。

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職業的な専門知に仕える研究者や、毎日の仕事や雑事を抱える非研究者が、加藤周一のような「知の巨人」になるのは不可能です。加藤周一を神格化する風潮には「適切な距離」をとりたいとも思います。それでも、教養や知識への尊重を復権し、自分たちの文化や社会を批判的に見つめ返し、小市民的傍観者におちいることなく、自分の頭で自律的に考え発言する、「小さな加藤周一」を目ざすことには意義があるだろうと思う。
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by akai1127ohi | 2009-09-30 21:23 | 散文 | Comments(0)

京都・奈良(2): 立命館大学・国際平和ミュージアム

碁盤目に通りが走る京都で、御所から「荒神橋」をすぎて京都大学に抜ける道だけ「斜め」なのはなぜか?Tさんによると、南からの急襲に備えて、天皇を滋賀方面へ逃がすための近道だったそうです。

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翌日、立命館大学と立命館国際平和ミュージアムを訪問。
ミュージアムでさっそくその「荒神橋事件」なる展示を目にした。

1953年、東大で受け入れが拒否された戦没学生祈念「わだつみ像」が、末川博総長の尽力により立命館に受け入れられる。歓迎のために立命館に向かう京大生と、それを「違法デモ」とする京都市警が夕暮れの「荒神橋」で衝突。木製の南側欄干が崩落し、学生が鴨川に転落、13名が重軽傷を負った事件を「荒神橋事件」というらしい。もっとも、最近の京大生はめっきり「おとなしく」なってしまい、京都市警はヒマしているという話も聞きました。

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加藤周一を初代館長に迎えた同ミュージアムは、侵略戦争を反省するというメッセージ性を想像以上に強く打ち出しており、大変意義のある博物館だと感じました。

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第二次大戦末期、京都は、原爆投下の目的地のリストの最上位に上がっていたが、米政府内で、京都の文化的価値を強調する知日派がいたそうで、結局、原爆は広島に落とされる。私は見損ねてしまったのですが、京都に原爆が落ちたらどうなるか、という街の模型もあるそうです。

また、立命館と戦争の関わりの興味深かった。
西園寺公望による設立、末川博による「平和と民主主義」という教学理念のイメージとは対照的に、戦中の立命館は軍国主義的色彩の強い学園だったという。昭和天皇の即位を機に禁衛隊が設立され、戦時中は「立命館禁衛隊」が京都御所の警備に当たっていたそうです。

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写真は、四条大橋近く、高瀬川の西沿いを少し南に下ったところにある、「フランソワ」という喫茶店。昔は学生たちで賑わったところらしく、Wさんに「お前の好きそうなところだ」と勧められ、足を運んだ。人待ちしつつコーヒーを飲みながら、しばしここで『居酒屋の加藤周一』を読んだ。
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by akai1127ohi | 2009-09-28 22:42 | 散文 | Comments(0)

京都・奈良(1): 豚と口笛 (Pig and Whistle)

全ての忙事をスカッと忘れて、9月の中旬、3日間だけ気分転換に、京都・奈良に行きました。

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先日、朝日夕刊が三日間(8月26日~28日)にわたり「居酒屋のムッシュ 素顔の加藤周一」という企画を組み、そこで『居酒屋の加藤周一』にまつわる、四条河原町の「静」という居酒屋が紹介されていた。

旧制三校の時代から、学生たちの落書きで一杯になったこの居酒屋の二階を訪問することは、今回の京都行きの最大の関心事だったのだが、「真に勝手ながら…」と臨時休業でした。非常に残念でしたが、次に京都を訪れる時の楽しみとして大事にしたいと思います。

「静」が閉まっていたので、Tさんに、木屋町の奥ぞまったところにあるバーを紹介された。細い路地を通った先の二階にあって、もう自力ではたどりつけないだろう。Tさんの「実存的問題」を酒のさかなに、バーで聞かせてもらった音楽が染み入りました。

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三条大橋の、スタバの逆の方に、「豚と口笛Pig and Whistle 」という English Pub がある。私はこのパブが好きで、京都に来るたびに来ている。

最初に来たのはもう数年前。
夕暮れの、まだ人の少ないカウンター。
「ギネスとハイネケンの half & half で、混ぜないように」という注文など、ちょっと粋でパブリカンを試すような注文なのだが、また夕方でお客が少なかったせいもあるが、イギリス人のパブリカンがものの見事に下半分は琥珀色、上半分はギネス色のhalf & halfを作ってくれた。深い絨毯に包まれた店内の雰囲気も気に入った。

今回、なぜかインテリアの本棚に佐藤優『獄中記』(岩波書店)が入っており、友人のWさんは熱心にそれを読みふけり出した。横にいたOL風の女性三人はダーツに興じている。私は2パイントのビールにアイリッシュ・ウイスキーのダブルで、気持ちよく酔っ払ってしまった。
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by akai1127ohi | 2009-09-27 20:26 | 散文 | Comments(0)

山口二郎、『政権交代論』、岩波新書、2009年

衆議院選挙についての政治学者の講評が相次ぐ。
これらは、歴史に沈潜しなければならない自分にとって最たる撹乱材料です。意ならずも、本書で半日潰してしまった。

新聞を読んでいれば、小沢が「著名な政治学者」と折にふれて接触していたことがわかる。民主党は小沢による「二重権力」などと指摘されるが、小沢の向こうに、私は著者の姿が見えるような気がします。

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前半は英米での政権交代を論じたもので、むしろ大変興味深いのは、「日本において中道左派的な理念を持った政権政党を作り出すという私自身の目標」(p156)に照らして民主党を論じた後半です。

「市民派と市場派の雑居状態」だった民主党が、「生活第一」を掲げて政権を取るにいたる経緯で、著者の果たした役割は独自のものがある。少なくとも、批判もあるのだろうが、「いなければ作り出さなければいけない存在」だと思います。

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It’s easy to be wise after the evet ではあるが、小泉構造改革が民意によって大きく否定され、「改革」に傾注した政治(学)が問われている。

その点、「改革の呪縛を断つ」と題された本書pp216-8の指摘は実に興味深い。

「たとえば2008年12月8日の朝日新聞に、東大法学部と朝日新聞の共同研究による国会議員の意識調査の記事が出ていた。自民党議員の多くが、経済対策のために財政出動すべきだと答えた点を捉えて、「自民、弱まる改革志向」という大見出しが出ていた。この言葉遣いは、小泉時代とまったく同じである。経済危機に対して財政出動すべきかどうかは、改革を進めるべきかどうかとまったく関係ない。」(p271)

「この調査と記事を担当した人々は、意図しているかどうかわからないが、財政支出を増やすべきと答えた政治家に、反改革というレッテルを貼ることで、結果として新自由主義的改革路線に加担したのである。2008年9月の自民党総裁選挙では、小泉改革の継承を唱える小池百合子や石原伸晃が季節外れのお囃子のように、改革を訴えていた。東大の政治学者と朝日新聞の担当者が、小池や石原と同じような認識の枠組みをもっていることが、あの記事からは伝わってくる。」(p218)

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たとえば政治家の言う「改革」、「有事」、「国益」……、これらの言葉を政治学者がそのまま自らの分析概念に取り入れて良いはずがない。政治を「実証的」、「科学的」に分析するのならば、当然、政治家自身が使う言葉の内実を、「実証的」に吟味することが最低限の条件だろう。

小泉「改革」の話題性の渦中で、政治家が用いる言葉を、その内実を吟味することのないまま政治学者も使っていたことはないか?

政治家の言語操作の磁場に、国民のみならず政治学者さえもが絡めとられていたことはないか?

「実証的」に、没イデオロギー的に、虚心坦懐に政治を分析することが、「無批判的」に現実政治に向きあうことになっていないか?

「実証的」であるからこそ「批判的」になる(意図せずにそうなる)経路が必要なのではないか?

政治学が自問すべき問題は多いと、私は思わざるをえない。

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先日の朝日の天声人語で、「愛のある」などの形容詞を多用する鳩山に対し、「政治は形容詞でやるものではない、動詞でやるものだ」という中曽根元首相の言葉が紹介されていた。「友愛の」や「美しい」といった美辞麗句で内容空疎な形容詞が飛び交う政治が貧困であることは間違いない。しかし、国民のみならず政治学者までもが「改革断行」という動詞に踊らされた小泉政治の教訓を踏まえれば、政治に最も重要なのは、形容詞でも動詞でもなく、目的語ではないだろうか。
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by akai1127ohi | 2009-09-12 02:34 | Comments(0)

神聖ローマ帝国

ラスキの初期主権論の関係で、フィッギスの The Divine Right of Kings (1914) に取り組む。その後、時間的制約のなかで「神聖ローマ帝国」についていくつか散読。1/3は趣味の領域で、純粋に興味深かった。

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教皇ボニファティウス8世を「憤死」させたフィリップ4世も、離婚問題でローマ教会から断絶したヘンリー8世も、中世の叙任権闘争の重要人物ではあるが、それぞれ仏王、イングランド王であり皇帝ではない。言われてみれば当然だが、教皇権と並立される皇帝権は神聖ローマ皇帝であり、中世帝権の「国際法的」普遍性は、原理上、神聖ローマ皇帝にのみ認められていた――はずである。

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「神聖ローマ帝国」は、「神聖」「ローマ」「帝国」のそれぞれについて実に興味深い論点がある。古代国家の名残なのか近代国家の萌芽なのか。普遍的帝国なのか特殊ドイツ国家なのか。そもそもカール大帝の帝国の正統的継承と近代ドイツ国民国家の成立までのおよそ1000年の過渡期であった「神聖ローマ帝国」は、その名前で同定できる実在が存在するのか。

一般的な説明では、神聖ローマ帝国の「死亡宣告書」といわれるウェストファリア条約(1648)以降、ヴォルテールによって「神聖でもなくローマ的でもなく、帝国でもない」と揶揄され、「名前負け」していくといわれる(最近の研究はそれを反駁しているらしい)。フランス革命後にナポレオンが「皇帝」を名乗ると、ビザンツ皇帝の継承者たるロシアの「皇帝(ツァー)」を含めて、神聖ローマ皇帝と鼎立し、1806年に終焉する。それ以降、「帝国主義」の時代になると、皇帝のインフレ状態の様相です。

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ヒトラーが「第三帝国」という場合、当然「第一帝国」は神聖ローマであり、その意味で近代ドイツの民族主義に対しても大きな象徴性をもたらしている。他方で、現在のEUでは、カール大帝の帝国とならんで神聖ローマ帝国もヨーロッパ統合の理念的象徴とされているようだ。いつか専門家の話を聞いてみたいと思う。
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by akai1127ohi | 2009-09-11 00:50 | 政治学史 | Comments(0)

「チルソクの夏」(2003年・日本)

佐々部清監督。よい映画でした。

1977年、下関と釜山の二つの港町。
釜関フェリーを通して、チルソク(七夕)に再会する高校生の話である。
内陸の都市に対して、国際性とそれに伴う人間の流動性に富んだ港町は、それに固有の物語を生みだします。
               ***

「異国人」との文通にいい顔をしない郁子の父(山本譲二)は、流しの歌を歌う。
郁子の文通相手、安くんは日本のラジオで聞いたイルカの「なごり雪」を歌う。
最後に郁子の先生役(イルカ)が、韓国語の「なごり雪」を歌います。
The power of music is arbitrary。しかし、音楽は恣意的であるがゆえに普遍的なのかもしれない。

               ***

昨年の夏にこの釜関フェリーで、同じ航路を辿った。その帰路、下関の街を歩いた。
映画のなかで活気あふれていた下関の商店街は、小泉構造改革のあおりを直接に受けたような所で、今ではシャッター通りです。人の息吹が消えたシャッター通りのそこらに、「美しい国」の元首相のポスターが、どこか遠いところを見上げながら、貼ってあった。地域に根を張った人間の暮らしで活気づいてほしいと思います。
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by akai1127ohi | 2009-09-10 02:10 | Comments(0)

夏休みの日記・09  (完) 元宇品の海

   ふるさとの 海に向って言うことなし
   ふるさとの海は ありがたきかな

       石川啄木の詩から「山」を「海」に改変

               ***

夏休みの終わり、東京へ戻る前日、自転車を走らせ宇品の海辺まで出かける。

まずは、中高生のころなじみだった近所の自転車屋さんで自転車の空気を入れてもらう。
最近の自転車屋にはたいてい自働の空気入れがあるものだが、工具や部品が散乱して摩訶不思議な屋敷のようになっているこの自転車屋さんは、ランニングシャツ姿のおやじさん自らがギコギコと空気入れを押し、それで金を取る。あれこれと解説もついてくる。

「自転車整備士の試験でもね、毎年必ず出るんよ、空気入れの正しい使い方。これで落ちる人もおるんじゃけんね。ほんまよ。考えてみんさいや、それ落とせば5点で一年棒にふるんじゃけんね。こりゃたまらんよね。」

「ちから入れればええゆうもんじゃないけえね。この前ものう、そこの市工(市立工業高校)の高校生が二人きおったがのう、はあ17、8の高校生が目いっぱいやっても出来んのんじゃけえ。」

「ほら、わしがやるとよう入ろう。パンパンになっとろう。できたよ、はい200円」(高!)

               ***

自分が日ごろ生活している文脈から一旦離れて、この間の自分を見つめ返し、これからの自分のための方向性と胆力を養ってくれるような、そんな自分だけの場所を持てることは幸福なことです。

私にとってそれは、元宇品の海辺です。
夕暮れの宇品港から、宮島や呉、松山へのフェリーが出て行きます。
自分にとって「ふるさと」といえるこの場所を、私は素朴な気持ちで誇りにしたいと思います。

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            写真は宇品の海と灯台


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            写真は宇品の海と空

自分の子どもがかわいいなら、自分の子を可愛がる他の親の気持ちもわかるだろう。
自分のふるさとを懐かしむなら、自分のふるさとを懐かしむ他人の気持ちもわかるだろう。
自分の言葉や暮らしに愛着があるなら、同じように自分の言葉や暮らしに愛着を持つ他人の気持ちにつながるはずだろう。

               ***

東京への帰路、昨年の夏に釜山で買った緑色の帽子を失くしてしまった。
毎年、一足を履きつぶすと決めている青い鼻緒のせったも、すり切れてきました。
日中の蝉の声に代わり、夜半に耳を澄ますと、鈴虫の声が聞こえてきます。
私の夏が、終わろうとしています。
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by akai1127ohi | 2009-09-05 03:10 | Comments(0)

夏休みの日記・09  (4) 盆踊り

テレビのない実家であるがゆえ、5歳の女の子は映像に興味津津。
私のiPodに入っている、英米の政治家の演説の映像を眺めつつ、アメリカ大統領が出てくると、

「あ、オバマさんじゃ」

とつぶやきます。

               ***

8・6も終わり、落着きをとりもどし始めた広島の街。

5歳の女の子と近所の公園まで盆踊り大会におもむくと、夏の宵、提灯の光と盆踊りの音楽の相乗効果で、ビールがこの上なくうまいです。

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盆踊りの中心のやぐらからはずれた、会場となった公園の片隅に、供養所がたたずんでいた。今年一年間に町内で亡くなった人の名前と、線香が静かにおかれている。

喧噪からはなれるように供養所に行くと、近所のガキどもが束になって駆け寄ってきた。

「何しとん?マッチすらせてや!」
「なんでここに二百円あるん?もらってええん?」

わかるように同じ言葉で言って聞かせます。

「マッチはすったげるから、火はこれでつけんさい。」
「その200円は、死んだ人が天国で使うお金なんじゃけえ、そのままにしんさい」

「へー、そうなん……」

言って聞かせると、子どもたちは納得して、神妙な様子で線香を立てます。
そして、おそろしいほど素直な顔で手を合わせていました。
一瞬の静寂が、盆踊り会場の片隅をつつみこむ……。

次の瞬間、「めっちゃんこ!!」。
静寂を突き破るように、四隅に設置されたスピーカから「アラレちゃん音頭」がものすごい音量で流れてきました。

人間が生きていれば、音楽がある。帰り道では自然と「めちゃんこ めちゃんこ めっちゃんこ!」を口ずさんでいた。陽気さのなかに一抹の哀愁を秘めるこの盆踊り音頭は、この夏を象徴するBGMとなりました。

               ***

めちゃんこ めちゃんこ めっちゃんこ
アラレ音頭で んちゃちゃちゃ
ペンギン村に 陽が昇りゃ 
ぷたさんマイクで コケコッコー
おててつなげば みなお友だち
キキィーンと走れば ドドンがドン


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by akai1127ohi | 2009-09-04 00:55 | Comments(0)

夏休みの日記・09  (3) 不動院

8月7日、広島は牛田、不動院で行われている「せこへい美術館」に参加した。
「せこへい」は、「世界子どもの平和像をつくる会ヒロシマ」の略称であり、紙屋町、旧広島市民球場の正面入り口のすぐ前に、「せこへい」像がある。

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             写真は不動院入口

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             写真は不動院

不動院は爆心地から3.9キロのところにあるにもかかわらず、山の地形によって倒壊を免れた寺院である。京都の寺院と比べてもそん色ない、立派な寺であることは素人目にも感じられた。被爆の際は、市内から広島の北部へ逃げる被爆者たちを受け入れた避難場所でもあり、ここで息を引き取った被爆者も多いということです。

不動院の一部を借りた展示場には、高校生や大学生、市民の労作が並ぶ。あらためて党派や原爆認識を越えた、「せこへい」の運動の根付き方を感じる。また、自分の専門を通して「廣島・ヒロシマ・広島」とどう向き合うか、どのように問題化していくのか。いつか、本気で向き合うべき課題であるとも感じる。

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               ***

後日、親父とともに、不動院のすぐ上にある、S先生のご自宅に招かれて、しこたま痛飲。やはり団塊の世代は、酒の鍛えられ方が団塊Jrとは一回り違うと痛感。広島から済州島へ、今年の夏を印象づける酔いとなりました。
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by akai1127ohi | 2009-09-03 01:42 | Comments(0)

期待的批判/批判的期待

数年前の東京都知事選ではじめて、Mさんと一緒に朝一(深夜?)から投票所に並び、一番目と二番目の投票者にのみ許される「空票確認」を行った。先月の東京都議選では3番目でできなかった。今回の衆議院選では2番目で、前回2番目だったおじさんが今回の1番目だった。

               ***

民主党は財源についての批判を受けたが、小泉構造改革を経て、有権者が何を一番求めたかというと、格差是正や「共生」の社会へ向けた政治の確固とした態度表明、メッセージだったろう。その点、財源についての不安や疑いもありながら、いやむしろそれにも関わらず、ばらまき政策の列挙によって「共生」への政権の方向性を示した民主の方針が評価されたように思える。

歴史的な政権交代、ではあるのだが、本来、その歴史性に相応しい高揚観は見受けられない。日の丸切り刻むなとか、君が代歌ってるのかとか、日教組だ連合だとネガティブ・キャンペーンを繰り返しもはや昔日の「自民党」から完全に変質し、単なるイデオロギー政党へと陥落した自民党を退場させ、民主党という名で、昔の安心できた自民党をすえたようなものだと思う。

先進国の政治は、もはや多かれ少なかれ、原則的には中道化していかざるをえない。敗北後の自民党が、たとえばオバマ以後の現在の共和党のように、自身のイデオロギー的立ち位置をめぐって暗中模索の迷路に迷い込むのではないかと予測している。

小選挙区制のダイナミズムもあるが、最終的に結果を見てみると、比例復活が旧中選挙区的な効果をもたらしている。それにつけても、政治はタイミング、浮き沈みの生業だと痛感しました。人為半分、天命半分、その半分半分がちょうど力を発揮したときに救済 salvation が来るというキリスト教の教義を思いだした。

民主党がマニフェストで掲げた政策のすべてが実現されるとは思わない。民主党に入れた人も、すべてが実現されるはずだから投票したというほどナイーブではないだろう。同時に、すべてが全部実現されないではないかと民主党を批判する人は、建設的な批判ではなく悪意による批判です。ソフトクリームのようにどのような形にもなる民主党を、なるべく有権者の実像に引きづり込んでいくべく、民主党に持続的な批判的期待/期待的批判を寄せていきたいと思う。
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by akai1127ohi | 2009-09-01 00:46 | Comments(2)
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