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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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「福田歓一著作集」

ここ数日、地味で概念的な眼前の歴史研究からの逃避傾向が甚だしい。

現実逃避にしては、逃避先もまた難渋なのであるが、『福田歓一集』をA to Z で読みたいという欲求に強くかられている。激しい欲求と関心にかられている今なら、何の苦痛 pain もなく読めるような気がするのである。

               ***

金大中が死去したことも大きい。
戦後史について、若い世代がやってもいいと思うのである。
今年いっぱいの目の前の課題が終わったら、ぜひしばらくこれをやってみよう。
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by akai1127ohi | 2009-08-28 18:53 | 政治学史 | Comments(0)

夏休みの日記・09  (2) Obamajority

最後に、英語で世界に呼び掛けます。
 
We have the power. We have the responsibility. And we are the Obamajority.
Together, we can abolish nuclear weapons. Yes, we can.

                       秋葉市長の今年の平和宣言より

               ***

今年は被爆64周年ですが、今年の8・6は、オバマのプラハ演説(とタモガミトシオ訪問)で盛り上がっていました。

オバマのプラハ演説がヒロシマを刺激し、ある意味で勇気づけたのは間違いありません。
沖縄の米軍基地、アフガンへの増兵をもってオバマへの批判も聞きます。しかし、核廃絶への道義的責任に言及したオバマ演説を、引き返すことのできない到達点にすることは重要だと思います。また、 Obamajority という親父ギャク的な造語を盛り込んだ秋葉の今年の平和宣言も、そのアピール力、発信力を私は高く評価したいと思います。

               ***

JRのヤード跡地にマツダ・スタジアムが出来て、再開発が進む広島駅前。
真新しいショッピング・モールの脇に、大須賀地区という、細い路地に根強く生きのびる飲み屋街がある。時代に取り残された、どこかアウト・ローな、「まごまごしい」通りです。

高校生の時、発行部数の少ない新聞を配達していたが、そのうちの一部はこの飲み屋街の小さな日本料理屋に入れていた。今回の帰広で、8・6の夜、はじめて大須賀地区の一軒、「和」という飲み屋を訪れる機会があった。店内はロッカー風の男二人、そこに初老のおじいさんが入ってきた。

「朝のう、原爆慰霊碑いってのう、そんでから手合わせてきたわいね。」

「ほうね、そりゃええことしたね」

「そうよ、そんでからのう、こりゃええことした思ってのう、パチンコいったらのう、おまえ、3万負けたで。」

「ハハハ、原爆死没者の例も助けてくれんかったんね?」

「そうよ。おまえ、考えてみいよ、3万で!ガクッと来ての。3万ゆうたらおまえ、女子高生……(以下省略)」

「ハハハ、ほうねえ……」

広島の夜が更けていきます。
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by akai1127ohi | 2009-08-28 02:16 | Comments(0)

映画「蟹工船」(2009年・日本)

テアトル新宿で映画「蟹工船」(2009・日本)を見た。
論文でも小説でも映画でも、完結された作品には一定の敬意を払うべきだろうから、先に肯定的な感想から述べたい。

蟹工船とは、文字通り「船上で缶詰に加工する工場施設を備えたカニ漁船」だが、率直にいって、工場が一体になった船舶というのはどんな代物なのか、なかなか想像がつかない。映画によって、蟹工船という工場船舶の実状がどのようなものか、想像力の一助になった。(実際、カニ漁は8隻の川崎船で行い、缶詰加工は本船で行うようだ)。

また、小林多喜二の原作はすべてが灰色の印象で色彩がなかった。カラー版映画を通してはじめて、船内に充満する深紅のカニの甲羅の色彩が感じとれた。

               ***

しかしこの映画は、「蟹工船」という「古典」の現代化には失敗しています。
「連合赤軍」を見ても感じたが、私たちの世代(1980S ~)の役者は、政治性やイデオロギー性を強く含んだセリフをうまく言えていません。それを肉感する経験がないので、自分のセリフにできていないし、結果的にとても表層的に聞こえました。

率直にいって松田龍平は「蟹工船」をやるには力不足か準備不足で、ソ連船での思想変化は唐突、決起演説はやけに攻撃的で刺々しい印象を残した。乗組員同士の連帯も表現しえていません。同じ金額を払うなら「アマルフィ」で地中海の風景に身をゆだねるほうが良かったかなと後悔している。

総じて私に残された印象は、蟹工船も連合赤軍も、われわれの世代にとってはやはり「過去」だということ。われわれの世代は、現在の文脈で自分たちの「蟹工船」を、自分たちの肉感と言葉で問題化しなければならないと感じた。

               ***

小説「蟹工船」の面白いところは、一回目のストライキが失敗し、再度立ちあがるところで物語が終わっているところだろう。「代表者」に頼った一回目の決起は失敗した。二回目の決起をどうやるか、今、われわれの「蟹工船」をどう起こすのか、その方法は観客に委ねられている。
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by akai1127ohi | 2009-08-20 03:22 | 散文 | Comments(0)

夏休みの日記・09  (1) 横川シネマ

8月5日、昼過ぎの新幹線で広島に帰省。
夕暮れの広島駅に着くとそのまま横川シネマへ直行。5日の19時から6日の未明にかけてのオールナイト上映、「ヒロシマ平和映画祭」プレ・イヴェントに参加した。

『マリーンズ・ゴー・ホーム2008年版』(藤本幸久監督、2008年)、『アメリカばんざい Crazy as usual』(藤本幸久監督、2008年)、『ブライアンと仲間たち パーラメント・スクエアSW1』(早川由美子監督、2009年)、『Pak Poe 歌いたい歌がある 在日コリアンアーティスト朴保』(田中幸夫監督、2009年)の4作品を見た。上映終了後には、朴保バンドによるライブが行われ、母親もチャンゴで参加し、刺激的な夜となった。

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              写真は朴保バンド

『アメリカばんざい』の撮影で通訳として早川監督の渡米に同行した沖縄学専攻の女性は駒場の学生で、K森ゼミ生。『ブライアンと仲間たち』で、ブライアンに被爆者の写真を送るのは日本の大学生「S野綾」さん。「友達の友達は友達」というが、本当にもう2、3人友達をたぐり寄せればアルカイダにまで続いているのではないかと思うほど、ネットワークを感じた。

               ***

最も持続的な印象を残したのは、やはり「在日コリアン・アーティスト」朴保である。
長髪にひげにヒッピースタイル。「いかにも」という芸術家である。しかし、たった数分間でも、一瞬にして人を固まらせて、まんじりともさせずにその視線を集中させる人間。実に芸術家だと感じた。

たとえば「傷痍軍人の歌」。子どもの頃、成田山で白色の衣をまとった、片足のない傷痍軍人を見て、子どもながらに大変ショックだった。昨年の冬、ソウルの地下鉄の駅で、亡くなった足を示す傷痍軍人と、その横で、全くそれを無視してネイルアートに興じる若者を見た。戦争は莫大な技術的、科学的進歩と同時に、傷痍軍人を残していく。誰かがそれを問題にしなければならない対象だったはずである。

               ***

朴保が大阪の高校に呼ばれて、高校生相手に体育館で「ケンチャナヨ」という曲を歌うシーンがある。朴保が歌いはじめると、高校生は一瞬にして固まり、理屈なしでその目線を奪われる。30秒でも1分でも、他人の全関心をここまで引きつけ、その胸のなかに何か熱いものを残すことが、自分にできるだろうか。


音楽ドキュメンタリー映画「PAK-POE(朴保)」予告編。
ちなみに朴保バンドは9月11日に大久保「Club Doctor」でライブの予定だそうである。

               ***

矢臼別、沖縄、梅香里、ロンドン、京都、ソウル……。
4本の映画を見るなかで、多くの場所に連れて行かれた。そして朴保バンドのライブが終わり、映画館の外へ出ると、すでに空が白んでいて、8・6の広島があった。

ライブの興奮もあり、横川から三篠橋、基町高校から広島城の堀を歩き、紙屋町、そして平和公園まで歩いた。早朝の平和公園でNHKのインタビューに遭遇、オバマ大統領、広島に来てください、と返答した。

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               今年は小雨の8・6でした。
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by akai1127ohi | 2009-08-20 01:01 | 散文 | Comments(0)

蓮池薫、『半島へ、ふたたび』、新潮社、2009年

先日の新聞のコラムで、ソウル、鐘路の大通りに並行して走る細い路地、「馬避通り(ピマッコル)」の話を読んだ。日本の大名行列と同様、昔からソウルの大通りは馬に乗った宮中の高官たちが通り、そのたびに庶民は平伏しなければならなかった。そのわずらわしさを避けるために、大通りから一歩入ったところに、「馬避通り」という裏路地が自然に発生し、庶民はそこを通り、いつしか食堂や飲み屋が点在し、ソウルの庶民の生活が息づく路地となったそうだ。今、再開発の波にのまれているとのこと。

私はそれを読んだ時に、北朝鮮にも必ず「馬避通り」があると思った。
同じような、権力を避ける人間の知恵、権力の届かないところでの人間の文化があるはずだ。マス・ゲームの練習をずる休みする高校生の定番の言い訳や、朝鮮労働党の集会や何やらに出なくて済むような婦人の知恵やらの一つや二つ、必ずあるだろう。国営通信が伝える、いつも号泣か万歳をしている「人民」とは異なった、本当の人間がそこにいるだろう。

               ***

蓮池薫、『半島へ、ふたたび』、新潮社、2009年

帰省中に読んだ本ですが、大変感銘を受けましたので、今年のベスト3に入れたいと思います。拉致被害者として24年間北朝鮮にあり、帰国して7年、翻訳者としてデビューした著者による、ソウル旅行記である。行動の自由を回復した著者が、全身を好奇心の塊にしてソウルを縦横に駆けめぐる様子がヴィヴィッドに描かれている。

               ***

本書の文章から確実に伝わってくるのは、どこにいっても、人間に関心を向け、人間の暮らしを想像する著者の「まなざし」です。

北朝鮮という「国家」に人生を大きく左右された経験からでしょうか、ヴェトナム戦争による韓国青年の死者への言及や、ソウルの低所得者層が集住する地域「タントネル」を訪ね、そこの生活者に思いをはせる個所など、著者の「まなざし」を強く感じた。そしてそのような「人間のまなざし」から、国家や政治に対して向きあっていっているように感じられる。

たとえば著者は、詩人、金素月の詩「チンダルレ」に触れ、「政治的な体制も考え方もまったく違う韓国と北朝鮮が、このように同じひとつの花やひとりの詩人に対して、同じ感情を抱きあいしてきたのだ」(p22)という。そして日本から拉致された蓮池さん本人は、北朝鮮で聞いた「イムジン河」に、自身の望郷の思いを重ねる(pp97-99)。こういってしまえば陳腐だが、しかし、体制やイデオロギーを超えた、人間としての共通したものを強く感じる。

               ***

蓮池透、『拉致―左右の垣根を越えた闘いへ』、かもがわ出版、2009年

この本も大変勇気があり、率直な本だと強く感じるものがありました。
蓮池透さんはこれまでどちらかとえば北朝鮮に対する強硬路線をとってきた人ですが、外交交渉の行き詰まりと、弟である上述の蓮池薫さんとの会話から、この本での主張へといたったということです。「救う会」には恩義を感じつつも、「家族会」は「北朝鮮打倒のイデオロギーに利用されてはならない」という。また、日朝交渉の手詰まりを前に、日本も「植民地支配の謝罪と補償を具体化すべきだ」とまで述べます。

               ***

「右より」の「救う会」からは「変節した」と批判される蓮池透さんの同書での主張を、「ようやくまともな主張になった」などという「左より」がいたら、それは、おかしな話です。むしろ、家族を北朝鮮に拉致されたにもかかわらず、このような立場をとるにいたった人の、精神と理性の強さを感じます。

運動の論理から、横田夫妻によるお孫さんに会うための訪朝に反対したことを「申し訳ないです」と率直にふりかえり、「いま私は、横田さんご夫妻の気持ちをくみ取って、お孫さんに会えるようにしてあげなければならないと思うのです」(p45)と述べるなど、「人間の論理」も感じます。

「家族会」「救う会」の運動に右翼運動に乗っ取られたかになって以来、率直にいって、私の共鳴の気持ちは薄れていました。が、この二冊を読んで、やはり共鳴すべきものを選り勝れたように思います。
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by akai1127ohi | 2009-08-14 01:08 | 散文 | Comments(0)

「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」(日本・2008)

賛否両論、いずれもよく評判を聞きましたので(私の周辺の人は否が9割でしたが…)、ようやく見ました。若松考二監督、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(2008)。



               ***

浅間山荘の女性「人質」に「中立」を説得する連合赤軍の論理は支離滅裂です。
他人の家に上がり込んで、食事を盗んで、資本主義の打倒や革命だとか、真に自分勝手な論理である。「カルト」に変質していく過程の連合赤軍に対して理屈で接するのはもはや筋違いかもしれないが、しかし私は、「真理よりもキリスト教を愛する人間は、キリスト教よりも自身のセクトや教会を愛するようになり、そして何よりも自分自身を愛することに帰着する」というコールリッジの言葉を思い出した。

               ***

この映画に対する批判も多いが、連合赤軍の暴力やリンチにも焦点をあてたこの映画を、私は全否定する気にはなれないのが正直なところです。綿密な歴史考証は小熊英二にまかせるとして、山岳ベース事件の心理的メカニズムを描くシーンは、それなりの価値があったように思います。自分自身の見聞や経験を通して考えても、われわれ自身もこのような狂気から本当に解放されているとは思えないからです。永田洋子役の女優は熱演でしたが、同じようなタイプで、 degree だけが少し軽度な人間を、私は政党にも宗教団体にもそれなり見てきたように思うからです。

               ***

映画は3時間の長丁場。若松監督が自身の別荘の解体を覚悟して撮影したという山荘銃撃戦では、不覚にも眠気が襲ってきた。しかし、山荘にたてこもった最年少の加藤元久の発した、

「勇気がなかったんだよ。俺も、あんたも、勇気がなかったんだよ!……」

というセリフには、救われた思いがしました。
ここでいう勇気とは、心の一番柔らかい、vulnerableな部分が発する声に向きあい、自分自身の胸で感じ、自分の頭で考え、そのことを一人でもはっきり発言する勇気に他ならないだろう。
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by akai1127ohi | 2009-08-04 00:41 | 散文 | Comments(0)

新刊探訪(7月)

歴史論文に没頭しているときに、新書を読むことはいいことなのだろうか?
新聞は?ブックレットは?答えの出ないまま、とりあえず7月の務めを果たした今、今月の新刊探訪若干。

               ***

塩川伸明、『民族とネイション』、岩波新書、2008年
「やはりあの本は無視できないよ」ということで、半分までなのだが、目を通して見た。個々のナショナリズム現象の研究だけでは比較の視点や関連性が捨象される。理論的一般化だけだと観念的で現実を説明できない。本書は個別研究と「中範囲の理論化」との往復関係を意識したものであり、整理されていて読みやすい。関廣野『民族とは何か』(講談社現代文庫)も良書だと思ったが、これと併せて、概念整理と議論鳥瞰に役に立つと思う。

堤未果、『ルポ 貧困大国アメリカ』、岩波新書、2008年
ようやく読んだ、昨年のベストセラー。一方において、教育、福祉、そして戦争などの国家の業務を民営化しながら、他方で個人情報などにおいては国民を政治的に管理していく、アメリカの新保守主義が作り出した奇妙な社会のメカニズム。それを考える上で材料を提示している。しかし、このような労作は最近のNHKのドキュメンタリーなどもよくやっているので、そちらも同様の評価を受けてしかるべきも感じた。

臼杵陽、『イスラエル』、岩波新書、2009年
ラスキのユダヤ性の考察のついでに。1920-30年代のイギリスの中東政策に関する経緯確認として参考になる。一方、イスラエルの政治史を手堅くまとめたもので、こういうものはこの著者でなくても、という思いもした。

松原隆一郎、『経済学の名著30』、ちくま新書、2009年
良書ということで購入。まだ読んでません。

姜尚中、『希望と絆-いま、日本を問う』、岩波ブックレット、2009年
姜尚中がもはや在日の代弁機能を果たしていないという批判も、先日飲み会で聞いた。期待も多い人だから、その分、失望による批判も多いのだろうと思う。しかしこの小さなブックレットにも、私としては、同意する点が多い。

最近の「国家」や「国益」の議論がまるで「地域や人々を見下ろすような視線」でなされていること、3万人の自殺者に目を向けない政治が、国益や国家を後生大事なものとして吹聴していること、まさに「国民なきナショナリズム」(p20)である。福田『国民国家とデモクラシー』でも感じたが、今の日本は、「デモスなきデモクラシー」であり、「国民なきナショナリズム」である。これでは、デモクラシーとナショナリズムの結合とは正反対である。

「北朝鮮にも文学があります。国家統制の下であっても庶民の哀歌というものは、そのなかにそこはかとなく流れています。この文学を翻訳して、行間から北朝鮮の人々の思いを読もうとする試みがあってもよいと思うのです。」(p39)

私も全くその通りだと思う。何も金正日を崇拝しろとか、ミサイルを我慢しろとかいっているのではない。向こうにも人間が住んでいることを想像してみたらどうかと思うのである。


三浦綾子、『母』、角川文庫、1992年
これまで、多喜二を対象にして、共産党員やプロレタリア作家がそれを解釈する多喜二評はいくつか知っていた。本書は、多喜二自身ではなくその母セキを対象に、プロレタリア作家ではなくキリスト教徒である三浦綾子が描き出した点に特徴があるといえるだろう。

実のところ、タミちゃんを「堕落」救い出し、その「成長」を援助し、「参った参った。タミちゃんはノラだ。あれは見事なノラだよ。」と満足げな多喜二の「健全」でパターナスティックな恋愛観には、私はかなりの違和感を感じたのだが、全体として広く読まれるべき作品だと思う。

多喜二の母セキは、晩年、両手両足に五寸釘を打たれた十字架上のイエスから、築地拘置所で千枚通しで両足を刺しとおされた多喜二を重ねる。この本を読むと、イエスを「キリスト教の始祖」と読んだり小林多喜二を「共産主義者」と定義したりすることが、どこか虚ろに感じる。いずれも教義やイデオロギーが先にあってその行動をしたわけではないだろう。あるのは、それぞれの時代とそれぞれの文脈における二つの実践だけであり、それが近似しているだけである。眼前の現実に素朴に格闘するなかで、無意識に、しかし必然的に理論や教義に辿りつく道程が何より重要に思える。
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by akai1127ohi | 2009-08-02 23:18 | 散文 | Comments(0)

猫の信頼

最近夜型、論文作業を終えて黎明の宿舎一階のポストに降りると、玄関カーペットの上にたいてい2匹の猫が寝そべっている。宿舎の周辺に、かなりの猫が住みついているのだ。最近子どもも生まれた。

人間社会の網の目からするりと抜け落ちたところに生き、生存のためには恩知らずで、自力で生きて人知れず往生していく猫。人間に依存しないから、人間に対して独立している。野良猫の信頼を勝ちえることは、人間にとって最も困難なことの一つだ。

               ***

猫の信頼を勝ちえている同じ宿舎のN氏にならって、自分も気まぐれに猫にえさをやるようになった。おそらく生物淘汰の原則から、猫は暴力的な人間とそうでない人間を本能的に感知するのだろう。その意味で、猫の信頼を勝ちえる人間は、稀有な人間である。根っからの平和主義者なのである。逆をいえば、そういう意味で猫は、「看板だけの平和主義者」の仮面をあぶり出す、ある意味で恐るべき動物である。

               ***

「つっこみ」と称した上方芸人の明らかな暴力を好かない私は、明石屋さんまとダウンタウンの浜田には絶対に近寄りたくないし、かりに浜田が私や私の知人をピコピコハンマーで叩いたら、ハリセンで全力で叩き返すと決めている。そういう意固地さが災いしてか、宿舎周辺の猫は、私がえさをやる気配のときは寄り添ってくるが、こちらの都合でただじゃれたいときには、かなりつれない。
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by akai1127ohi | 2009-08-01 04:01 | 散文 | Comments(0)
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