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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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「雲の下の人」

自分は生前の丸山真男に会ったことはない。
自分が物心ついたころに亡くなったので、私にとって丸山はと言えば、プロ・コンに分かれて論じられる戦後日本思想史の「問題」であった。他方、小田実は、テレビでも見たし、講演会で実物を見たことも何度かある。だから、すでに亡くなってはいるが、思想史の対象として捉えるという意識がなかった。ゼミでの契機に、『難死の思想』を散読し返した。

               ***

本郷総合図書館の5階、いつも窓のブラインドが閉じられている、小さくて暗い視聴覚教室がある。そこで、「正義の戦争はあるのかー小田実 対論の旅」(2000年)というNHK番組の記録を見たことがある。小田が、快晴の大阪城公園から話をはじめ、米、英、独に旅をして政治家や市民運動家と語りあうもの。米軍将校や、湾岸戦争支持にまわったドイツ社会民主党の国会議員への小田の視線は厳しい。他方で、アーミテージとは丁々発止の議論をするものの、最後の握手は腕相撲のような様子になって、小田は、he is much taller than I!と笑っていた。

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ハーバード留学中、1945年8月14日の大阪大空襲を伝えるニューヨーク・タイムズを図書館で見つけた時の事を話していた。自分がそこで、悲惨に、無意味に、一方的に殺された「虫ケラのごとく黒焦げの死」を目撃した、その現場を、アメリカの新聞は雲の上から論じる。その新聞を手にとりながら話す小田の姿は、、私に「雲の下の人」という印象を残した。くりかえしくりかえし、あくまで同じ問題を思考し続けるこの人の、ときに挫かれることはあっても、持続的な方向性としては、絶対に止まらない衝動のようなものを感じた。

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あくまで雲の下にいることを譲らない。
そしてその姿勢は、大阪空襲の雲の下から、広島のキノコ雲、北爆の雲、皇軍機による中国の都市を覆った雲の下へと拡げられていく。小田が、行動しながら考え続けるその独特のスタイルを通して、また自分自身の「ナショナリズム」の意識のなかで、被害から加害の問題への思考の広がりをどのようにして切り開いていったのか、興味深く感じた。「被害と加害」など、平和教育の陳腐なテーマかもしれない。しかしやはり、被害者であり、同時に加害者である「日本」という位置は、それに固有の経験を通しながら、被害と加害を結びつけ、より普遍的な経験や見地を獲得しうる回路にも開かれているのではないかとも感じた。
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by akai1127ohi | 2009-05-27 02:07 | 日本政治思想史 | Comments(0)

「この自由な世界で」(英・独・伊・西、2007年)

この映画は良かった。
ポーランド人やウクライナ人など、イギリスへ労働移民する人たちに職業斡旋をすることになる若い女性アンジーを主人公とした話。仕事を遂行するなかで、きれいごとだけではなくなってくる。「自由社会」とは何か。「自由社会」において、まっとうに生きていくとはどのようなことか、考えさせる作品だと思う。

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ウィルソンかカラハンの時代か、イギリス福祉国家と労働党の黄金時代にしっかり職場に根をおろして頑張ってきたような父親が、この新自由主義の時代を生きる娘のアンジーと話し合う公園でのシーンは、とても切ないものがある。この父子はいずれも、お互い、それぞれの時代を背負ってまじめに生きている。しかし、時代は変わった。「自分だけ良ければいいのか?」という問いを受けとめる生き方は同じでも、答えが微妙に違う時代に生きる二人のすれ違いが切ないし、見る者も悩み深いところだ。

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山田洋二『学校』のなかで、勤労意欲もなくすぐに給料の話ばかりする中国人労働者の学生が、善意からそれを諭す教師(竹下景子)に逆ギレする放つシーンがあったが、それを想起もした。自分たちの文脈での問題でもあるかと思った。
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by akai1127ohi | 2009-05-24 23:57 | 散文 | Comments(0)

盧武鉉大統領の日韓関係に関する談話(2005年3月23日)

2005年3月、竹島・独島で日韓双方でメディアが過熱するなかソウルを訪れた。右翼活動家による過激でおどろおどろしい示威行動にも遭遇したが、それよりも、一旅行者として、私はソウルの人たちの情や優しさを実に感じた。

帰国してすぐに盧武鉉大統領が発した談話は、かつて主権を奪われた国家の元首として日本にいうべきことは言い、同時に、自国民に対しても感情的にならず大義を把持した対応を訴える内容がとても印象的だった。オバマ大統領のラテン・アメリカに向けた演説は素晴らしいものだったが、盧武鉉前大統領の演説のいくつかも、それに劣らない格調と理念を持っていたと私は思う。汚職は解明されるべきだし、一手に権力が集中する現行の大統領制の問題もあるだろう。しかし盧武鉉の演説には、理念を失い混迷する日本政治が、模範とするべき姿勢も多く含まれていたはずだ。

今日のニュースは大変ショックであるとともに、残念でやるせない思いがする。
日本の政治家はこれまで盧武鉉の呼びかけに応えてきたとはいえない。それは日本に投げかけられた課題として残っている。

自分自身で実践できているかといえば拙いが、隣の国の政治や言葉を知らないで何を学ぶのか、という思いがかねてから私にはある。相次ぐ韓国の政治的変動を強調する日本のメディアもある。しかし、隣の国にあるわれわれのすべきことは、分断と民主化闘争という激変を通して国家形成をしてきたお隣の国の現代史を、向こう側の視点に立って、真摯に理解し、可能な限りその苦悩に共感し、またそこから自分たちのあり方を顧みようと務めることではないだろうか。

以下は盧武鉉が自国民に対して向けた談話だが、韓国のネチズンのみならず、盧武鉉大統領を嘲笑の的にしてきた一部の日本人も、再度、冷静に耳を傾け、理解する努力をするべきものだと思う。合掌。

               ***

盧武鉉大統領、「最近の韓日関係に関連し、国民に申し上げる談話」(抄)
(2005年3月23日)

第一に、(日本の)一部国粋主義者らの侵略的意図を決して容認してはなりません。だからといって日本の国民全体を疑ったり敵対してはならないということです。日本と韓国は宿命的に避けることのできない隣国です。両国国民の間に不信と憎しみの感情が芽生えれば、再び途方もない不幸を避けることができないでしょう。
 第二に、冷静に落ち着いて対応していかなければなりません。断固たる対応の中にあっても、理性的な説得と品位を失ってはいけません。ある程度の感情表現は当然ですが、節度を失ってはいけません。力による戦いではありません。名分を失えば、それは自分にはねかえってくることにもなります。過度に感情を刺激したり、侮辱する行為は特に自制しなければなりません。
 第三に、根気と忍耐を持って対応しなければなりません。この争いは一日二日で終わる争いではありません。持久戦です。どんな困難でも甘受するという悲壮な覚悟で臨み、体力消耗を最大限に減らす知恵と余裕を持って粘り強く対応しなければなりません。
 第四に、将来を見て戦略的に対応していかなければなりません。慎重に判断し、遅いと思われるくらいゆっくりと語り、行動しなければなりません。一喜一憂してもいけませんし、衆口難防(民衆の口をふさぐのは難しい)でもいけないのです。無理をしてもいけません。これまで、あまりに多くの言葉と行動が出てしまったのではないかという不安もあります。

尊敬する国民の皆様
 我が国民の要求は歴史の大義に基づいています。私たちは無理なことを要求してきたのではありません。更なる謝罪を要求してもいません。不十分な謝罪でさえ、白紙に戻してしまうような行為を正すよう要求しているだけです。そしていまだに処理されず残された問題に関しては、事実を認め適切な措置をとることを促しているだけです。

 私は事必帰正(万事必ず正しい道理に帰する)という言葉を信じます。私にはこれらを正しく処理する所信と戦略があります。決して国民の皆様を失望させはしません。

 信頼を持って協力してくださるようお願いします。そして勇気と自信感を持ってくださることをお願いいたします。私たちの要求は必ず歴史が応えてくれるでしょう。
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by akai1127ohi | 2009-05-24 02:52 | 散文 | Comments(0)

諦念とそれによる努力

苦しい時は、困難を克服するスポーツ選手の営為になぜかするっと気持ちが共鳴してしまう。大相撲ダイジェストを見ながら、魁皇の「勝負への執念」、日馬富士の「厳しい攻め」といった解説者の言葉に、自己鼓舞のために思わずそれを復唱してしまう。

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金権補強体質のジャイアンツは打倒の対象だが、松井の次の態度は心に残っている。
数年前だったか、ペナントレースの終盤、巨人の松井と中日の福留が首位打者を競っているシーズンがあった。巨人対中日の直接対決で、わずかに打率で勝っていた福留は、監督の温情もあって、打席に立たないで打率を現状維持する策略に出た。しかし連続試合出場の記録もかかっていたため、9回裏の守備だけ言い訳程度に試合に出て、その記録の更新だけはした。対する松井は、福留くんの打率を僕が上げたり下げたりすることはできない、自分のできることは自分の打率を上げるだけだ、という信念のもと、打席に立って、4打席連続三振を喫した。

その年の首位打者は結局福留がとったけど、私は松井の不動真の態度に、潔いものを感じた。掛布の野球解説ではないが、「記録よりも記憶に残る」選手としての印象を持った。

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実に罪作りな制度だと実感させられた、GKSNの申請書の作成に今日でほぼおさらばした。なるべく、松井のような諦念と努力を目指したしたつもり、という自己認識がせめての救いだ。

多くの人が競合する多元的な世の中、自分の力で変更できる領域は限られている。
したがって重要なことは、第一に、自分の力で何とかなるという範囲は限られているという諦念をもつこと、そして第二に、その範囲内では自分の力で全力を尽くす、ということだろう。
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by akai1127ohi | 2009-05-20 02:09 | 散文 | Comments(0)

「ときには昔の話を」

夕暮れ、とても素晴らしい風、どうも勉強する気にもなれず、駒場小劇場、「一人芝居『天の魚』」、加藤登紀子と最首悟のアフタートーク「『苦界浄土』 二つの1968年」に足を運んだ。

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「膏肓漠漠とした世界」、「生命(いのち)論」、レトリックや直観主義のむきもあるけれども、加藤登紀子がギターをとると、やはりそこは、the power of music is arbitrary。芸術家だからこその、圧倒するものを感じた。加藤登紀子が、「1968年」「時には昔の話を」「レヴォリューション」の三曲を歌った。

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宮崎駿は「ときには昔の話を」の、「あの日のすべてが虚しいものだと、それは誰にも言えない」という歌詞が好きで、それゆえ「紅の豚」のエンディングに使ったということだった。


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by akai1127ohi | 2009-05-14 00:37 | 散文 | Comments(0)

Aspiration, not to get more, but to be more.

受験生の気持で疾走しなければならない今年度、一つ目の山を越えた。
ひと山越えると、次のひと山は、金を申請する書類の完成。しかし、実に筆が進まない。
金にまつわる援助制度は、非常に助かるし拡充をさえ求めたいが、同時に、罪つくりでもあろうかと思う。

               ***

1万円より10万円を、10万円より100万円を欲しいのは当然だ。
そこを隠す必要はないし、そこはあーだこーだ「恥じらい」を見せるより、手っ取り早くベンサム的に表明したいと思う。

ただ、何のために金が必要か、求める常で考える必要があるだろう。
そもそも研究者というのは――企業の監査役をあれこれ引き受けるようなstatusになる意外は――金とは縁遠い職業だろう。実業界の人たちの金銭感覚とは、ケタ一つ違うのではないかと思う。だからこそ、目の前の金銭に執着する思考がちらりと頭をよぎる自分が嫌いだ。何のための金か、を考える必要があろう。「金は天下のまわりもの」というポリシーを、行動原則として血肉化したいものだ。

               ***

他人の財布の中をのぞき込み、それで自分を判断するようになるのが、最も怖い。
金という尺度で自分を図り、もっと本質的な尺度を見失いそうな瞬間が怖い。
金が無いのはつらい。金があるにこしたことはない。がしかし、to be moreという原則を見失い、to get moreだけしか見えなくなるようでは、人生も終わりだ。

だから基本的態度として、常に、aspiration, not to get more, but to be moreを言い聞かせよう。
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by akai1127ohi | 2009-05-13 00:44 | Comments(0)

自分にとっての、自己規律としての「日本人」

19歳の時、スイスのホテルをチェックアウトする際に、「日本人として時間を守ろう」という趣旨のことを口走った際、近親者の一人から、「日本人として」というような意識は不要だという趣旨の叱責を受けた。気分的には納得したが、なぜか、論理的には必ずしも説得されたわけではなかった。

それ以後も外国にいる時は「日本人として」という意識が自分の行動を意識的、無意識的に律していたと思う。人に道を譲る、時間を守る、体が触れあったらsorryという……。来世の実在に関わらず現世の行動を律する上で宗教に価値があるように、歴史的な実在に関わらず現在の行動を律する上で「日本人として」という意識にも価値があるとも考えてきた。

               ***

それゆえに、一民間人の立場から「日本人」という自己規律を実践して来た自分にとって、日本国行政のナンバー2で、他人にまで「日本人」としての誇りを強調してきた中川昭一のローマでの失態は、激しい怒りを感じた。時に神経症まで発しながら行ってきた自分のこれまでの行動が、この人物の象徴的行動によってすべて台無しにされたような気がした。私も酒飲みの一人として、それなりに人様に迷惑をかけたことはある。しかし、断言するけど、財務大臣として国際会議の場にいたら、絶対に飲まない。「イタリアですので」というのは言い訳にならない。私は実体験として、酒を全く飲まないヨーロッパの外交官を知っているからだ。

保守政治の金銭的腐敗を糾弾する共産党員が自ら公金横領した場合は、より厳しい処罰が求められなければならないだろう。同時に、日本主義者でありながら日本人の顔にグローバルに泥を塗る失態を演じた「日本主義者」は、より一層重い社会的制裁を受けなければならないはずだ。私は、日本国憲法の下で「日本人」としての権利義務関係を引き受ける一人として、中川昭一氏は次回の衆議院選挙に出ないで欲しいと強く考えている。

               ***

上記のような意見をインターネット上で書いたら、同様の意見を書いている他者を「朝鮮人工作員」だと名指す意見に出会った。

一体、中川の泥酔会見と、「朝鮮人工作員」とのあいだに何の関係があるというのか?
中川は日本の財務大臣なのだから、これは日本人が批判をしてけじめをつけさせるべき問題ではないのか?

国際会議で泥酔した中川に続き、その責任を「朝鮮人工作員」に追わせようという日本人が、自分の同胞であるという事実に、私は言いようのない虚しさを感じた。このような人間が自らの同胞にいるという事実に直面し、何の関係もないのに呼び出された「朝鮮人工作員」なる人に、心の底から申し訳ありませんと詫びたくなった。
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by akai1127ohi | 2009-05-06 01:34 | Comments(7)
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