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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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イギリス・オランダ(6) The power of music is arbitrary

アムステルダムで初めてTram(市電)に乗ったとき、ぶっきらぼうな中年運転手によって切符を2枚買わされた。二回目に同じ区間を乗ったとき、紳士な運転手が切符を1枚売った。三回目に乗ったとき、柔和なおばさんの運転手が、急いでいるから切符はいらないといった。さすらい人にとっての街の印象はそれぞれ多種多様。だから「私の印象」にすぎないと強調するけど、悪意と通常勤務と怠惰による結果的な善意により、最終的に出費も印象も相殺された街、それがアムステルダムとなった。

               ***

以下はアムステルダムの街角、本屋、便所の壁などで見つけたアフォリズム。

IPP(International Prohibitionists Party)
禁酒法の再成立に向けてとりあえず飲みながら相談しよう、という手合いか。

When I give food to the poor, they call me a saint.
When I ask why the poor have no food, they call me a communist.
反米、反グローバリズムの書籍を集めたような本屋でみかけたアフォリズム。
ことの本質をついているように思う。

The Power of Music is arbitrary.
パブの壁面に刻み込まれていた詩のタイトル。

               ***

アムステルダムでは経費節減のために、アルトゥス動物園の近くのYHに泊った。
国際社会史研究所にも近く、一泊€15なのに朝食までついてきてよかった。受付で宿泊の手続きをしているとき、大きなトランクを抱えた、愛嬌のある女性が階段を上って来た。部屋に入って荷物の整理をしていると、先ほどの女性が同じ部屋に入ってきた。ルーシーというフランス人の女子学生だった。

               ***

YHの6人ベッドの部屋で、本当に6つのベッド全てがうまっているというのは珍しいことだと思う。部屋にはシャワーとトイレが隣接しており、誰か一人が使うと後の人は使えない。ルーシーと私の他、残りの4人はフィンランドからのバックパッカーで、たいてい夜遅くに部屋に戻ってきた。

ルーシーは数学とマネジメントを専攻する学生で、何でもマネジメントの実習でアムステルダムに来ているとのことだが、午後はフリーなので観光できるとのことだった。ルーシーは朝が早く、日本では夜型の私も、資料館の開館時間が早いため自然に早寝になった。

4日間、たいてい夜は二段ベッドで囲まれた静かなで暗い部屋で、二人とも黙々と明日の準備をしたり資料を整理しつつ、時折言葉を交わすという感じだった。私はひそかに朝一番のシャワーをめぐって心理的に競い合っていた。

               ***

資料収集を終えた最終日の夜、ルーシーを誘って、近くのパブに出かけた。
市の中心部に向かう道中、大きな運河に面した小道に、ちょうどMulligansというアイリッシュ・パブがあったので、そこに入った。

フランス人の社交はこういう時どうなんだろう、などなど考えつつ、その時の状況のあやもあって、Dutchであるにもかかわらず、ルーシーの分まで私がおごってしまった。パブの奥ぞまったところに小さな席を見つけると、とりあえずice breakingのために、自分の明日の予定は船でロンドンに戻るだけなので、朝のシャワーの一番手は君に譲るよ、と伝えた。

ルーシーはとてもしっかりしていて賢い人だが、何と19歳だという。
メガネをかけていると愛嬌があって、外すとにわかに美人になって周りを静かに驚かせる人がいるけど、そういうタイプの人といえるだろう。話に夢中になると鼻にかかるメガネも少しずつ下がってきて、ふと気づいたようにそれをかけ直す様子がとても若々しかった。

フランス人の英語は発音が特徴的なのに早口なため、最初はついて行くのが大変だったが、フランスの学科試験の「哲学」のこと、managementと数学の関連性、レンブラントとゴッホの偉大さ……、そんなことを話したと思う。ふとパブの壁面を見渡すと、The power of music is arbitraryと書いてあった。

アムステルダムに来たのにレンブラント美術館にもゴッホ美術館にも行かなかった私は、街中をくまなくまわったルーシーの話を聞いて、行ったような気になることができた。レンブラントとゴッホのどちらがより偉大か、という問いなどは、美術史家にとっては滑稽な問いだろうけど、ルーシーはレンブラント、私はゴッホと結論づいた。

11時近くにパブを出ると、大きな運河をいくつか渡りながら、canalとriverの違いについてまた討論しつつ、自分らのホステルに戻った。

               ***

翌朝、一番のシャワーを浴びたルーシーは、まだ寝静まっている残りの四人に聞こえないように小声で私に別れの挨拶をして、部屋を出て行った。
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by akai1127ohi | 2009-03-31 22:01 | Comments(0)

イギリス・オランダ(5) アンネ・フランク博物館

アムステルダムに到着したのが日曜で研究所がcloseだったため、一つだけ博物館に行った――アンネ・フランク博物館。

アンネ・フランクとその家族たちが2年間にわたり隠れていた住居で、現在は『アンネの日記』からの引用と展示品が示されている。アンネはとても賢い女性で、その才気が文章表現からつとに感じられる。また連合軍のヨーロッパ上陸作戦を伝えるラジオに一喜一憂する屋根裏部屋の人たちの息づかいも感じられる。

アンネ・フランクは戦争終結後に「隠れ家」というタイトルの小説を書くつもりだったという。『日記』も、いつか自分たちが解放されるという、強靭な確信のもとに書き込まれている。14歳の女の子が書いた日記が、あのネルソン・マンデラの獄中時代の心の支えだったという経緯も、よく理解できる。『アンネの日記』も読書人の必読文献であると痛感した。

のどに刺さったトゲは、アンネ博物館しかり、Manchester Jewish Museumしかり、パレスチナでの時局を受けて、のきなみ入り口で荷物検査のあること。

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ピューリタニズムでも共産主義でもシオニズムでも、時代状況を無視して一つのイデオロギーを固定的に信奉することは、無意識的な「転向」を生む。特定の名前をもったイデオロギーや信条を自らの行動基準とするのではなく、常に何かより本質的だと思えるものを自分の判断基準とすることだろう。nominalな物差しからすればopportunismに見える立場が、本質的なところではもっとも一貫している立場だということだってあるだろうと思う。

               ***

誰もがほっとした気分で過ごしたいと思っているクリスマスから正月にかけて、イスラエルによるパレスチナ攻撃のニュースは実に暗澹たる気持ちにさせられた。他方で、ロンドンでのパレスチナの人たちによる抗議デモに、ネオナチが参入して過激化する恐れがあるというようなニュースも聞いた。

簡単にどちらがどうとはいえない背景を何より理解しなければならないが、最終的にアンネ・フランク博物館が自分に残した印象は、この隠れ家に閉じこめられたアンネ・フランクと同じように、イスラエルからの空爆を恐れて部屋から出られないパレスチナの子どもたちもいるだろうことだ。
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by akai1127ohi | 2009-03-30 00:22 | Comments(0)

イギリス・オランダ(4) Drive on the Right in Europe

マンチェスターからロンドンにもどって、その足でオランダのアムステルダムに向かった。
アムステルダムの国際社会史研究所International Institute of Social Historyが所蔵するラスキの資料を調査するためだ。

事前予約なしでのユーロスターが法外な値段で驚いたため、アムステルダムまでは船と電車で行くことにした。夜にロンドン北東の港町Harwichを出航し、翌朝にオランダのHoek von Holland(オランダの頭)という港につくというもの。

フェリーの乗客はほぼイギリス人とオランダ人のようだった。
昨年、関釜フェリーに乗ったとき、日本人と韓国人の乗客にまじって、一人の背の高いバックパッカーのドイツ人青年がいてささやかな異彩をはなっていたが、今度は立場逆転という様相だ。しかし、往復(2泊分)で£98、船中泊なので移動時間が節減できて大変よかった。また今度の滞在でシャワーがなみなみ出るのは実にこの船中だけだった。

               ***

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船は早朝にオランダに着いた。
写真は朝、船を出るとき出口に表示されていたもの。
車で乗船したドライヴァーの人々への注意書きです。
それにしても、今までいたのはヨーロッパではなかったということだろうか。

フェリーから放りだされると、港のすぐ前に、朝焼けの小さな駅があった。
フェリーの乗客の多くは車で移動する人たちなので、プラットホームには数人しかいなかった。分針は60進法なのに秒針は100進法という奇妙な時計で時間をオランダ時間に合わせ、アムステルダム行きの電車を待った。

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写真は朝焼けのHoek von Hollandの駅

               ***

国際社会史研究所International Institute of Social Historyの近くのYHに落ち着いて、資料館に三日間お世話になった。

大きな運河ぞいにある、効率的で清潔な資料館という印象。イ〇トマもいいけど、12時半の軽い昼食と15時半のコーヒーと果物がとれる、もう少し静かで簡素なカフェテリアが、自分の大学にも会ったらいいなあ、などと思った。

ラスキの書簡の相手は、F・ルーズヴェルト、スターリン、同じユダヤ系の物理学者アインシュタイン、政治学者のI・バーリンなど、実に多岐にわたる。

バーリンとの手紙は興味深いが、他方、バーリンがラスキについてどう述べているかというと、バーリンの書簡集にこんな個所があった。

Everyone asks about Harold Laski, whom they think of as a very important & dangerous man, I find it difficult to convince them that he is a harmless megalomaniac.  (Berlin Letters1928-1946, p383)

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写真はInternational Institute of Social History

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写真はInternational Institute of Social HistoryのReading Room
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by akai1127ohi | 2009-03-25 22:31 | Comments(0)

光と言葉、そして春

春。私が住んでいる寮でも卒業していく大学院生の人たちのお別れの言葉があった。

どこにでもある別れの挨拶に聞こえることも、ありふれた言葉のうしろに秘められた思いを察すると、何か自分が安易に踏み込めないその人の思い出が浮かび上がるようで、どこか謙虚な気持ちにさせられる。

               ***

ある文系の大学院生の卒業生の方が、知人の理系の大学院生から聞いた話を紹介されており、私にはとても印象的で考えさせるものだった。

宇宙の広さとは何か?
宇宙を専門とする院生の話によると、宇宙の広さとは光が届く範囲だそうだ。
光が届くから、人間が認識できる。宇宙の広さとは、光が届く範囲で、そしてそれが同時に人間の認識の条件の下にある範囲でもある。

それを文系の学問にうつして考えれば、光が言葉に例えられる。
言葉が届いたから、新しい概念や考えが明らかになる。言葉が届く範囲、言葉によって表現された範囲が、人間の認識の主たる範囲であるといえる。

そういえば、言葉を使って考えや概念を表現していく作業は、糊をぬった透明人間に、一枚一枚と紙片をはってその形を表していく作業といえるかもしれない。あたかも、光が何光年先の宇宙を照らして、それを人間の認識の下にさらしていくように。

どこまで話を正確に解釈できたかはおぼつかないが、私は、この光と言葉の比喩に、大きなinspirationをもらった。そして、時に苦しくて集中力と疲労をもたらす、言葉を紡ぎだす作業への、勇気をもらったような気がした。

               ***

春は別れの季節。
自分もそのように生まれついたならばよかったと思うほど、謙虚な人。同郷で、さりげない明るさで場を居心地の良いものにする天性のmood makerな人。新天地での生活をはじめる人たちに、同時代に生きる同年代の一人として、連帯と応援の気持ちを告げたくなった。
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by akai1127ohi | 2009-03-23 01:25 | 散文 | Comments(0)

イギリス・オランダ(3) Manchester born, Manchester bred

イングランドはローマ帝国が西漸した境界であり、マンチェスターも紀元前にローマ人が築いた要塞がその端緒だそうだ。地中海の向こうからはるばる、ローマ人がこの薄曇の地まで来て砦を築いた風景を想像するとロマンを感じた。

ラスキは1893年にマンチェスターで生まれており、後年、マンチェスター大学で講演する際、自らをManchester born, Manchester bredと形容している。とあるラスキの自伝によると、マンチェスター学派の名前になったこの街で、ラスキのような生粋の平等主義者が生まれたことは、歴史の復讐だとしている。

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写真は雨の降るマンチェスターの街路

               ***

People’s History Museum(旧National Museum of Labour History)は19世紀以降の労働者や労働運動の様子を伝える博物館で、そこのarchiveが労働運動や労働党、共産党関係の書類を多く揃えている。

現在は新館建設のために閉鎖中だが、archiveのみが開館しているという状況だ。archivesの利用には事前登録が必要ということでメイルを書いたのだが、先方は私を他の誰かと取り違えているようで、メイルではらちがあかないと思いそのまま訪問したので少し心配だったが、事情を話すと非常に丁寧にアクセスさせてくれた。

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写真はPeople’s History Museumの概観

               ***

二日間だったが、ここに通って必要な資料をコピーした。

ただ問題なのは、ラスキの直筆が読めないこと!
ラスキ自身、タイピストへの手紙で、自分の字が他人の嫌悪感abominationをひき起こすことを自覚していると述べている。それでも直筆の手紙と格闘していると、学芸員の男性が、「そのカバーに入った手紙がラスキがアトリーに辞職を迫った手紙だよ」と教えてくれた。
うー……、学芸員に指摘されないとわからないとは……と苦悶を感じたが、手紙や草稿を基にした自伝風の作品を書く上では、やはりnaitiveに一段も二段も優位性があると感じた。でもその結果、自伝とは違うこれまでの自分のアプローチを追求する覚悟が強まった。

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写真はPeople’s History Museumのarchive

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マンチェスターで自分が泊まった街はずれのB&Bは、ラスキが生まれたCheetham Hillの近くだ。

Cheetham HillにはJewish Museumもあって、ユダヤ系の移民が多い街だが、その他にもポーランド系、ウクライナ系の移民の互助会館のようなものもあり、総じて移民の人たちが多い街だということがわかった。

ラスキの父ネイサンは、ユダヤ人コミュニティのなかでの実力者だったそうで、Jewish Museumでも顔写真いりで紹介されているし、マンチェスターのユダヤ人社会の歴史を書いた地域史の本にも頻出している。コミュニティの困窮者への並はずれたgenerosityと、事業運営における並はずれたtyrannicalさを併存させた人物だったようだ。

ラスキが生まれたSmedley Laneという所にも行ってみた。
小さな通りで、まさか万一と思って、すれ違った数人の地元の人に、この近くにあったネイサン・ラスキという人の住居をご存じですか、と聞いてみたが、知っている人はいなかった。

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写真はマンチェスター北部、Cheetham Hillの街並

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最終日の夕暮れ、Cheetham Hillのコイン・ランドリーで服を洗濯機に放り込んで、終わるまでの間、すぐ近くのパブに入った。このパブは地元の人たちのパブと見えて、ロンドンの上品なパブとは完全に異なる雰囲気でとても印象に残った。

ハーフ・パイントのラガーを頼んだのに1パイントで出てきたのは、私の発音が悪いからではなく、パブリカンの親父さんが携帯電話で話しながら私の注文を受けたからだと今でも信じている。しかし、パブリカンの親父さんの底抜けの笑顔と、そもそもハーフ・パインドで飲むなど無粋であったという自覚から、むしろ感謝したいくらいだった。

カウンターで親父さんがビールを注ぐのを眺めていると、樽から出る初めの数滴は泡っぽいので捨てるとか、グラスをななめにするとか、私が新宿のアイリッシュ・パブでバイトをしていた時にマニュアル化されていたことがことごとく無視されていた。客がお代わりを求めてカウンターまでやってくると、泡だらけのそのグラスに再度乱暴にビールを注ぐ様子に、実に気風を感じた。注ぎ終わると、親父さんは再び携帯電話で話に没頭していた。

誰もいないビリヤード台のまわりを子どもが「うろちょろ」していた。奥の方では若い男女がいちゃついたりしていた。

はじめは部外者として緊張していたが、1パイントのビールが体に落ちていくにつれて、自分の足もパブの床になじんできたような気がした。

私の背後に古びたjukuboxが一つあって、一人の酔っぱらいのおじさんがおもむろにコインを一つ入れると、突然Dirty Old Townが流れ出した。自分はManchester bornでもManchester bredでもないが、少しだけManchester drunkenになった。


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by akai1127ohi | 2009-03-21 02:13 | Comments(0)

「世界史の中のイギリス帝国」

3月18日、「世界史の中のイギリス帝国」と題された木畑洋一教授の最終講義に参加した。
興味深かった点を二つ挙げておきたい。

第一に、駒場におけるイギリス研究、帝国研究が矢内原忠雄、江口朴郎の仕事の連続上に位置づけられ、矢内原による英愛植民政策史の研究が言及される。

矢内原によるイギリスの植民地政策研究が、日本の満州、台湾政策への批判へとつながっていくように、「日本人」によるヨーロッパ研究の背後には、おしなべて、ヨーロッパを引証枠組みとしながら自国の現状を――たいてい批判的に――捉えようという動機があるといえるだろう。日本においてヨーロッパのことを研究するという意味の、歴史的な共通性のようなものを感じた。

そのことは、政治学でいえば1950年前後における「ラスキ・ブーム」でも一層明らかでああり、その担い手たちはイギリスの政治学者であるラスキを通して、実のところ戦前日本を批判し、戦後日本の針路のモデルを語っていたという側面がある。

第二に、ホブズボームの「短い20世紀」論に対して、木畑先生が指摘する「長い20世紀」論というのも、私には初見で興味深かった。

ホブズボームは1789年のフランス革命から1914年のロシア革命までを「長い19世紀」とし、1914年から1989年までを「短い20世紀」としている。周知のようにこの歴史区分の影響力は大きく、ファシズム、共産主義、リベラル・デモクラシーといったイデオロギーの三つ巴としての20世紀を整理する上で、非常に便利である。

他方、1880年代における列強帝国主義の成立から、1990年における脱植民地化の趨勢を一つの時代区分として、帝国主義的世界体制の構築と衰退という視点から長く20世紀を捉えるというのが「長い20世紀」論の試みだとう。1990年代にはアボリジニの権利回復、アパルトヘイトの廃止など、帝国主義の衰退と清算が進む。帝国主義というテーマで定点観測した場合、20世紀は冷戦中心の見方とは異なる側面と長さを持つことになる。

最終講義の後に行われた送辞でアメリカ史の古矢先生が指摘していたが、アメリカの歴史の教科書では1945年から1989年までは完全に「冷戦」で語られており、その結果、1990年代の反植民地化decolonizationの運動や抵抗は捨象されているという。

               ***

ここからは私の感想で、では、イギリスを引証枠組みとして日本を見た場合、そして帝国主義の成立と衰退・清算という「長い20世紀」に日本を位置づけてみた場合、どうなるだろうかと考えざるをえなかった。ウェールズやスコットランドの自治と地方分権が進み、Britainの一体性が緩和されつつあるイギリスに比べて、過去10年間における日本の右傾化傾向は対照的であると指摘する他のイギリス研究者もいる。日本がどのような形で「疑似」帝国主義の遺産と歴史を克服・清算しえているのか、問われてしかるべきだろう。

               ***

矢内原忠雄(1893-1961)の生年とラスキのそれとが同じであることに気づいた。
矢内原の「最終講義」(1937年12月2日)の引用を読むと、the most articulate man who ever livedというラスキへの形容を想起させるほど、時局におけるある種のarticulateさが感じられる。3月28日から始まる「矢内原忠雄と教養学部」展を楽しみにしたい。
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by akai1127ohi | 2009-03-18 22:40 | Comments(0)

イギリス・オランダ(3) 「イギリス再発見」


「かつて英国に居た頃、精一杯英国を憎んだ事がある。それはハイネが英国を憎んだ如く因業に英国を憎んだのである。けれども立つ間際になつて、知らぬ人間の渦を巻いて流れてゐる倫敦の海を見渡したら、彼等を包む鳶色の空気の奥に、余の呼吸に適する一種の瓦斯(ガス)が含まれてゐる様な気がし出した。余は空を仰いで町の真中に佇ずんだ。」
                       夏目漱石、「想い出す事など」(全集17巻、p78)
               ***

以前は、ロンドンというとさびしい印象しかなかった。
雑踏の向こうに夕日が沈んでいく様子が、自分にとってとても寂寥感をもよおす街だった。

               ***

今回のロンドンでは、様々に「イギリス再発見」をしたように思い、ロンドンがとても過ごしやすい街という印象を感じた。無料の博物館や美術館、専門知識を開放的に使用する学芸員たち。保守的で落ち着いた気質の商店主たち。Londonersの、お互いに無関心である反面、外国人にとってもそれが居心地のよさとして感じられた。

ロンドンの地下鉄は狭いので、東京のそれのように車内を動くことはできない。
座ってさりげなく向こう側の座席の人々を観察していると、いかにもestablishmentな中年の男性が、子どもが乗車してくるとさりげなく横の席に放置してあった新聞を窓際にどかして、子どもが座りやすいように場所を作っていた。そして子どもがその席に座ると、ずっと天井を眺めていた。

以前、バスケットの3ポイント・シュートを競うテレビ番組で、女性の敵失によって転がり込んだ勝利に、子どものようなガッツポーズをする木村拓哉を見て、私の世代の日本人に紳士がいないことを痛感させられた。自分なりの「イギリス再発見」の結果、ますます自虐史観の度合いを深めて私は帰ってきた。

               ***

「彼らは人に席を譲る。本邦人の如く我儘ならず。彼らは己の権利を主張す。本邦人の如く面倒くさがらず。彼らは英国を自慢す。本邦人の日本を自慢するが如し。いずれが自慢する価値ありや試みに思え。」               夏目漱石、『漱石日記』(1901年1月3日)
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by akai1127ohi | 2009-03-18 01:17 | Comments(3)

イギリス・オランダ(2) Enduring Conscience of British Left

As a lecturer his most outstanding characteristic was that within a very short time he could establish an intimate contact with all students. To go to one of his lectures was to feel that one knew him and that here was someone from whom sympathy and advice could be expected. He was ready to see students at any time and it was therefore an easy step to make further contact. This quality of generosity and friendliness towards all students was very obvious, and made him the most lovable character in the School.
                     (ラスキ死去に際しての学生からのobituary)

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写真はLSEの建物

               ***

元来、オックスブリッジが国教徒の師弟の教育機関だったのに対し、LSE(London School of Economics)は労働者階級の師弟にも十分な教育を提供するためにウェッブ夫妻によって創設された。早稲田や慶應がすでに金持の子息の大学になっているように、LSEもシティ(金融街)のビジネスマン輩出のための大学になっているという噂も聞くが、少なくともオックスブリッジが面構えで人々を威嚇するのに対し、LSEはそういうことはしません。

創立当初からやはりオックスブリッジに対する対抗意識は強く、ラスキもLSE政治学講座の就任演説で、LSEは「伝統を持ちうるだけ古く、教条主義を避けえるだけ若いold enough to have tradition and young enough to have avoided dogmas」と表現している。

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写真はLSEの正面玄関

               ***

いわゆる資料調査は初めての経験で、そもそも思想史における資料調査とは何かという問題を問いつつ、事前入手可能な情報を下にLSEのArchiveであたりをつけながら、試行錯誤のなかでスタートしました。

しかし結果的にロンドンでの4日間はとてもproductiveなものになりました。
LSE図書館のArchivesにずっとお世話になりました。LSE図書館はとてもvisiter-friendlyで、Archivesにも特殊な制限なくアクセスさせてくれました。図書館職員も非常に親切で活き活きとしており、総じてLSEは私にとても良い印象を残しました。また、この二月から図書館の24時間オープンが実現したそうです。

               ***

小さな字でびっしりと書き込まれた勉強ノートから、まさにThe Learned Man、文字通りよく学んだ人間としてのしてのラスキのスタイルが感じられる。また手紙やラスキ死去に際しての様々なobituariesから、社交的gregarious、人間好き、青年好きな、Enduring conscience of British Leftとしてのラスキが浮かび上がってくる。

教師としてのラスキの一面も欠かすことのできないもので、ラスキは学生に希望を寄せ、青年によって自分も未来に連なれることに希望を感じていたという。学生の間でのラスキ人気も高く、一高における河合栄治郎を彷彿とさせる。

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写真はLSEからトラファルガー広場への道中にある古本屋街の一角
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by akai1127ohi | 2009-03-14 14:48 | 散文 | Comments(0)

イギリス・オランダ(1) 布頼頓

2月末より3月9日まで、イギリス・オランダへ資料収集に向う機会に恵まれました結果、しばらくブログをご無沙汰にしてしまいました。当地での2週間ほどの経験(のこぼれ話)をつらねておきたいと思います。

               ***

行きの飛行機のなかで私の横に座ったイギリス人の中年夫婦は、Brightonの人だった。
eight hoursは「アイト・アーズ」、excellentは「アクサラン」と発音し、さっそくセンター試験リスニングとは異なる現地英語の七変化に身が引き締まる。Brightonはイングランド南海岸の保養地として知っていたが、場所はワイト島のもっと西の辺鄙なところかと思っていた。しかし中年夫婦の話だと、ロンドンのすぐ南だということで、地理感覚が修正された。

機内スクリーンのBBCニュースで酩酊会見を行う財務大臣の姿が映り、私はこの人物と同国人であるという宿命を心の底から呪った。飛行機の着陸が迫り、同じスクリーン上に、ブリテン島の地図上を飛行機がロンドンに近づく様子が映し出されると、ロンドンのほぼ真南の海岸に「布頼頓」の文字が見えた。
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by akai1127ohi | 2009-03-12 22:35 | 散文 | Comments(4)
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