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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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ヒラリー国務長官とのタウン・ミーティング

物々しい警備で大変でしたが、2月17日、本郷弥生ホールで開かれたヒラリー国務長官とのタウン・ミーティングに参加してきました。情報提供、推薦していただいたY先生に感謝しています。

話の内容は総花的でアメリカ民主党の綱領を優等生的にまとめたものだったけど、それでもやはり日本の政治家には話せない格調と抽象性を備えていまいた。また英語も非常にわかりやすくきれいなものでした。学生による質問は金融危機やエネルギー、女性の地位などなど。

テレビで放送されたという、「どうしたらあなたのように強い女性になれますか」という質問が小学生のような印象を残したが、それに対するヒラリーの答えはなかなかよかった。女性といっても、環境、配偶者、教育などで実に異なった環境にそれぞれが置かれている。だから社会進出を目指す女性のための一般的なアドヴァイスはいえない。しかし一番重要なことは、自分に忠実になることbe true to yourself、そして自分に合っていると思うことを一生懸命やること、と言っていた。凡庸な答えのようだけど、しかし妥当な答えだと思えた。

他方、批判精神を骨抜きにされた現在の学生が、一様にヒラリーに過度に丁重な敬語を使って、無批判的に憧憬しているかのような様子が気がかりだった。いくらヒラリーといえどもその辺のおばさん、オバマといえどもその辺のあんちゃん、という姿勢がむしろ必要と思えた。

そのなかで唯一、パレスティナに連帯する学生たちが、「stand on the side of eggs」というビラを周辺に数枚貼っていて、警官にはがされていた。先日イスラレルの文学賞をもらった村上春樹が、イスラエルの空爆とパレスティナ人を、壁に壊される卵と表現し、私はいつでも卵の側に立つ、と表明したのを踏まえたものです。ヒラリーには期待するけど、他方でこういう反応が一つでもあったことで、何とか東京大学の学生の健全な批判精神も示されたのではないかと感じられた。
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by akai1127ohi | 2009-02-18 20:06 | Comments(2)

徐大粛、『金日成と金正日―革命神話と主体思想』、岩波書店、1996年

1月に広島に帰省した際、韓国料理「オンドルパン」の店主Pさんから飲みながら「主体思想」についてのレクチャーを受けた。興味が湧いて、本書を散読した。

               ***

まさに西洋近代を象徴するような「主体」という言葉が、マルクスの共産主義理論を媒介としながら、いかにして北朝鮮において土着のナショナリズム思想となっていったか?
その変容の過程は、極めて興味深い。

日本に福沢諭吉がいた時代、朝鮮半島の思想はどうだった?
日本に丸山真男がいた時代は、どうだった?(丸山の時代の韓国現代思想について、われわれはかなり無知だ)。「主体」なるものへの対応は、個人のレベルにおいても国家のレベルにおいても、19世紀のwestern impact以降、東アジアの国々がいずれも直面しなければならなかった思想課題であろう。

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朝鮮においては、近代以前は仏教や儒教、近代以降はキリスト教やアメリカの民族自決主義など「外来思想」が支配的であり続けた。「主体思想」は、金日成による建国神話の理論的補強であると同時に、外来思想の受け売りや形式的な受容を排して、自分たち自身の思想を構築したいという契機があったという。

しかしながら、社会主義と朝鮮「国家」との結合は、結果として、主体思想を「社会主義的愛国主義」にしていく。朝鮮に生まれたものは朝鮮で革命をしなければならず、朝鮮に打ち立てられた社会主義国家を愛さなければならない。かかる主体思想の政策的な方向性は、政治的自主性、自給自足的経済、自衛による国防へとつながっていく。後に「首領論」がつけくわえられ、現在の北朝鮮につながるあの著しい独裁国家のイデオロギーとして機能していくようになる。

「主体思想」は最終的に、朝鮮民族の「主体性」獲得の理論から、金日成・金正日の世襲的独裁国家のイデオロギーへと変容していったことに間違いはない。しかし、その原初のところで、それとは異なる思想的契機を孕んでいた可能性はないか?その契機を掬いだすことは、日本の戦後思想による「主体」なるものとの向きあい方を再認識する上でも、何かしらの重要性を持っているのではないだろうか。

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学部時代、佐藤慎一、『近代中国の知識人と文明』という本を読んで非常に面白かった。
日本近代化のサクセスストーリーからは「頑迷固陋」のレッテルを貼られる20世紀の清朝を、清朝の内部から描き出したもので、その結果、近代主権国家体制以前の清朝がいかに文化的な中心国であったかが浮き彫りにされる。

北朝鮮の歴史的、思想的な位置に寄り添った形で、同じような仕事が「主体思想」に対しても、なされていいのではないかと感じる。
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by akai1127ohi | 2009-02-14 02:33 | 日本政治思想史 | Comments(0)

<民主>と<愛国>と<暴力>――『光州 5・18』(韓国・2005年)

『光州 5・18』(韓国・2005年)を見ました。

この映画は良かったです。
光州事件をretrospectiveな対象とする政治的条件が整ってきたせいか、光州事件をあつかう映画も複数出てきて、その描き方もより一層の洗練さが要求されているのではないかと思う。市井の、どちらかと言えばapoliticalで小市民的な主人公が、市庁舎に立てこもり全斗煥への武装抵抗するまでを描いている。

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武装抵抗に参加した市民兵士たちは、「大韓民国万歳」を叫んで打たれる。反政府デモではいつも大極旗がなびいている。オバマとマケインの選挙戦でアメリカにおける<愛国>のヴォキャブラリーの多様性に、正直うらやましい気持ちがしたけど、同じような気持ちを、この映画は感じさせた。堂々たる「自虐史観」派として、あえて古い議論をすれば、<民主>と<愛国>が持続的に結びつかなかった日本の「跛行性」を感じる。

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光州にある光州事件メモリアル・パークでも、また釜山の「民主公園」でも、モニュメントはいずれも武器をもった筋骨隆々の市民たちだった。

小熊英二は1955年までの、戦後日本の「革新ナショナリズム」を<民主>と<愛国>の共存関係として描き出したけど、韓国ではそのような政治参加と愛国意識との共同歩調はむしろより持続的に続いていて、そこに、軍事独裁に対する抵抗という必要性から市民の武装抵抗、すなわち<暴力>のモメントがつけ加わる。韓国の民主化は、<民主>と<愛国>と<暴力>の共存関係によってなされたともいえて、その意味ではフランス革命に代表されるヨーロッパ・モデルに近いともいえるだろうかと考えた。

ちなみに以下は光州事件を伝える同時の日本のニュース。

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by akai1127ohi | 2009-02-05 01:57 | 散文 | Comments(0)

チェ・ゲバラ、甲斐美都里訳、『ゲリラ戦争』、中公文庫、2008年

「チェ 28歳の革命」を見て以来、今まで完全にノータッチだった南米に少し興味が出てきた。本書は、ゲバラがキューバ革命の経験を一般化、法則化した手引書。実に興味深く読んだ。

大前提として確認したのは、キューバ革命が基本的には農地改革を主眼とした農村からの革命であったこと、したがってゲバラは毛沢東の革命戦術に強い親近感を抱いていたこと。

またゲバラは、政府が何らかの表面上の合憲性を維持している場合は、非暴力闘争の可能性がまだ存在するため、ゲリラ活動には多大な困難が伴うという認識を持っている。しかしそのコロラリーは、平和革命が不可能であるという確信を一般大衆に納得させるためのプロパガンダ活動の必要性でもある。

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ゲリラ活動にはタオルや下着よりも靴が重要で、靴がなければ行軍が非常な苦行になること。兵士の本当の品行は、地域の農民に物資援助を要請する時の態度を見ればわかるということ。革命運動内での女性の役割、医師の役割、ゲリラの条件の範囲内での結婚の容認。これらキューバの経験は、それぞれの地域で修正・改善されるべきであり、聖書のような権威を提示するものではないこと……。実にリアルな教訓が並べられている。

感じられるのは、ゲバラが持つ類まれな「共感の力」だ。
おそらく背後には自身の多様な経験があって、そのいずれをも、他者に共感する素地として必ず心に留めておこうとする日常的な姿勢があるものと推測される。

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「チェ 28歳の革命」でゲバラが本を読んでいるシーンがあったが、何を読んでいるかは明らかではなかった。本書によると、ゲリラ部隊で読まれる本は、「昔の英雄の伝記、できればその国の歴史や地理の本、兵士の教養水準を高め、賭博やその他の好ましくない遊興に向かう気をそぐような一般書など」(p86)だそうである。

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読み終えた後、何か世界に対する新鮮な感覚が残る。
東京での生活で、小麦や野菜といった食材がこれほど魅力的に語られていたことがあっただろうか。経験を通じてその判断に信用のおける友人を見出すことのささやかな感動があるか。政府でさえも自分たちの力で転覆できるという素朴な実感があるか。

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ちなみに中公文庫では本書のほかに、『ゲバラ日記』、『革命戦争回顧録』、『ゲバラ 世界を語る』と、ゲバラの著作が多く入っている。passtimeの読書としてこれらは相応しいと思う。
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by akai1127ohi | 2009-02-04 02:16 | Comments(0)

ドビルパンのインタヴュー記事

今日(2月3日)の朝日新聞に、「この危機 文明の転換期」と題してドビルパン前仏首相へのインタヴューがあった。イラク戦争開戦を回顧し、アメリカによる武力行使の正当性に対してフランスの反対がつきつけた意義を述べている。

アメリカが国連決議の無いままのイラク戦争に踏み切ったことで、国連への失望や国連無力論が主張された時期があったが、ドピルパンは、国連が戦争に同意していたら、国連の信用は失墜していたと述べている。私も全くそう思う。

アメリカがイラク攻撃の直前まで国連決議採択を模索したということは、一面で、覇権国家でさえ国連の正当性付与権限を無視しえなかったことを示している。「国連がアメリカによってないがしろにされた」という前例を作らないためだけに、安保理がアメリカ主体のイラク攻撃を容認していたら、それこそ国連の存在意義への取り返しのつかない信用失墜を招いていただろう。

(憲法の最高法規としての形式的「規範性」を守るために、憲法が示す「規範それ自体」を「守られやすいように」低めましょう、という「護憲的改憲論」が、憲法の規範それ自体への最も根本的なシニシズムを招きかねないのと似ている)

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欧州はアメリカのイラク攻撃を支持したわけでもないし、物事が力で解決する発想に傾いていたわけでもない。ドビルパンは、「そのような欧州の実像を、私たちは守ることができた」ともいう。

ヨーロッパの肯定的自己イメージとしての「文明civilization」は、優雅さ、人間の高貴な側面、博愛、暴力の抑制など非暴力的要素を含んでいた。フランスの自意識に示された、ヨーロッパの「文明」の非暴力的な意味あいをかいま見るような気もする。
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by akai1127ohi | 2009-02-04 01:50 | 散文 | Comments(0)

老人と青年の連帯の形式

自分に固有の関心事ではるが、読み物としても面白いので感想を書きたい。

『ホームズ―ラスキ往復書簡集』(M・D・ハウ編、鵜飼信成訳、岩波現代選書、1981年)

両者の往復書簡は、ラスキ23歳、ホームズ75歳のときに始まり、ホームズが94歳で死ぬまで続く。「老人と青年」の心の連帯を想起させる。

ただ、90歳に近づくホームズは当然しばしば体の不調を書き、「進歩を求める努力の方はほとんどあきらめてしまいました」(p319)などとも告白する。他方ラスキは、脂の乗り切った壮年に達し、脅迫的な読書力と精力的な政治活動を書き連ねる。ホームズは穏やかに忘却し、ラスキは蓄積と表現の一途である。両者の関係は、晩年においては決して知的に対等ではない。その知的活発さの非対等性は、両者を包む深い敬意の関係によって覆い隠されているのではある……。老人と青年とのあいだには、幸いな場合に「敬意による協調」は生じるし、それは尊いのだが、対等で互恵的な「連帯」は、同世代のなかでしか生じえないような感想も残る。

随所に興味深い一節があるので、一箇所だけの引用は本来不当だが、例えば以下。

               ***

ラスキからホームズへの手紙(1931年9月17日)

「親愛なる判事様……先週の日曜日、お茶の時間にやって来て、こういう形の質問書一頁を私に見せた日本の教授のことをお話しなければなりません――1、「アルトジウスのルソーに対する影響について、あなたのような著名な教授はどう考えますか、テキストにそって説明して下さい。」2、「モンテスキューのフランス革命に対する影響について討議したいと思います。」3、「政治理論に関する最良の書物100冊をあげるとすれば、それはどれとどれですか。」私はこれを、タイプした文書から、一字一句修正しないで再現しています。残念ながら私はこれらの全部に対して、できるだけ愛想のいい顔を見せましたが、答えはしませんでした。イギリスの学者の対話は、日本のそれと比べると、はるかに軽妙で、的はずれのものですね、というのが彼の批評でした!」

               ***

この「日本の教授」とは誰……。
それに、まるで本郷の「政治学史」の試験問題のような項目。
南原繁も短期間だが留学中にLSEに籍を置いて、ラスキの講義に参加している。
まさかと思って見返したら、南原がLSEにいたのは10年前の1921年だった。
これはこれでちょっと調べてみよう。
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by akai1127ohi | 2009-02-02 01:16 | 政治学史 | Comments(0)
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