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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
by akai1127ohi
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ちょっと、本当にヤバいと思うけど……。

日本の政治家の質は、いよいよベルルスコーニにも抜かれ、G8では完全に最下位になってしまったと思う。また、それを恥だとか危機だとか感じてない意識が、本当にやばい。

                    ***

向こう側の利益に立ったとしても、こういう人は迷惑だろうと思う。
選挙の直前で党としては一致団結が求められ、役人にとっては巨大省庁のトップとして所管行政に専念してほしいところ、そのような事情よりも自分自身の「思想信条」を優先し、それを「確信犯」的に主張しつづける人……。

発言の内容は、まあ、もういい。
とにかく、属する組織や自らが所管する役所への責任感さえ全くみられない。
言論の自由という「権利」に甘え妄言を繰り返し、組織人・公共人としての自覚を欠いた自己中心的な人物こそ、おそらくこのような人の言うところの「日教組教育」のまたとない代表例ではなかろうか。

当人は辞任会見で、「辞めるなという山のようなメール、電話をいただいた」。
あれ、私のメールとか、読まなかったかな?
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by akai1127ohi | 2008-09-29 00:56 | Comments(2)

釜山旅行記(1):People are strange when you are……

夏の終わりの季節を、釜山で過ごした。

短い滞在だったけど、実に様々な釜山の顔をのぞいた。
海や坂道の多い地形から言って、日本でいえば神戸や横浜のような場所だろうか。
パリのようなショッピング・ストリートがあったり、坂道の途中に形成された、密集して原色の住宅街は、リスボンやナポリのような南欧風のイメージを湧かせる。
首都ソウルが行政や政治の中心であるadministrativeな街であるのと対照的に、釜山は風光明媚な街という印象だ。

外国の経験は、東京に縛り付けられて集中を要する作業に没入せざるを得ないとき、観念のなかで自分が固定されている場所を飛び越える喜びを与えてくれる。これから論文に取り組む過程で、夏の終わりの釜山の景色を思い出すことも多いだろうと確信している。

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               写真は釜山西部の高台から影島方面の景色

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               写真は民主公園から釜山港方面

               ***

四方田犬彦の韓国紹介の是非は一応脇において、個別的に共感しえるところがあるとすれば、四方田がPeople are strange when you are a strangerという英語の歌詞を紹介している個所だろう。

「この一行は、後にわたしがモロッコ旅行記を執筆したり、差別問題について発言したりするさいに、大いに心の拠りどころとなることになった」(『ハイスクール1968』、p60)

異文化に突入する際に、この言葉が四方田を鼓舞したというのは、よくわかる気がする。
違う言葉や違う文化の人々がstrangeに見えるのは、自分がstrangerにすぎないからだ。相手の言葉を学び、相手の慣習を学んで、相手のなかに入っていけば、自分はもはやstrangerではなく、相手ももはやstrangeではない。その自覚がなければ、異なる他者との接触によって自己を鍛える道を逃避した、「井の中の蛙」への道が待っている。ナマコや納豆を食べる自分たちが他者からどれほどstrangeに見えるかという自覚なしに、自分と異なる他者の慣習を冷笑するだけの夜郎自大への道が待ちかまえている。

               ***

釜山の海辺に広がるチャガルチ市場は釜山を代表する市場であり、とても刺激的な場所だ。
この一帯はかつては泥質の海辺で、チャガルチとは元来は泥を意味したそうだ。下関の唐戸市場にも行ったが、そんなものは小奇麗に管理された子供だましに見えるほど、大きなインパクトがある。この市場で一日で売られる食物の総量は、私が一生で食べる食物の量よりも多いだろうと断言できる。

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               これは赤エイの干物

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               これは赤魚(尼鯛だろうか?)

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               これは鯛

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               これはサバ

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               これはコノシロの生簀

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               これはコノシロをさばいているところ。

コノシロは、日本で言えば鯖やイワシのような大衆魚で、臭みと小骨が多いために日本人の食卓に昇ることは少ないが、韓国だとコノシロの刺身を刺激の強い赤みそにつけてボリボリと食べる。日本だと青物や光り物はやたらに生臭いといって敬遠する人がいるけど、私はどうも過剰意識のような気がする。魚の臭みは海の匂いで、それこそわれわれが生魚に求めるものではないだろうか。洗練された日本の刺身もいいけど、赤みそにまぶして骨まで噛み砕く韓国の刺身も個人的には大変好きになった。

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               これは「コウジ」

これの正式名称はわからないのだけど、広島の釣り具屋では「コウジ」と呼ばれていた。
コウジは日本だと釣りの餌に使われる水生昆虫(?)で、スズキや黒鯛などを狙うときに使われる餌である。おそらくゴカイの仲間といえるだろう。自分も広島でスズキ釣りに凝っていた時に、ルアー釣りの片手間にコウジで餌釣りをしたことがある。ナマコのような軟体であるが外皮は意外に頑丈で、針に通すのに一苦労した覚えがある。その時の手の触感から、なるほど口に入れてもナマコのようなコリコリとした感覚だろうと推測がついた。食べてみたかったが、注文の仕方がよく分からずに結局今回は食べずじまいになったが、次回行った時にぜひ食べてみたい。

               ***

魚市場をはいずりまわって、魚と汗のにおいを漂わせながらサンダルで旅をする、そういう旅のスタイルができるのも、あと5年だろう。若い勢いで可能になる旅だ。年をとれば体力も衰えるし、恥もかきにくくなる。だからあと5年は、そういう旅のスタイルで、行ける所を行きつくしておかねば、と思う。
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by akai1127ohi | 2008-09-28 02:48 | 釜山旅行記 | Comments(0)

H・カメン、成瀬治訳、『寛容思想の系譜』、平凡社、1970年

これも「夏休みの宿題」で読んだもの。
本書はその価値からすれば歴史家の話題に占める割合がいささか謙虚なのではないかと思う。

               ***

やはり近代初期のヒューマニズム、寛容思想においてエラスムスの権威は絶大だ。
エラスムスは、ラスキと並んで学部時代の自分が最も関心を持っていた思想家でもある。

エラスムスとラスキは、ある意味でよく似ていると思う。
宗教革命もロシア革命も文明史において巨大な変革期であり、事実、1930年代には、共産主義における理想的意義と苛酷な独裁という正負両方の特徴を含めて、それを宗教内乱期のプロテスタンティズムの改革的意義と独善的不寛容とに類比する言論が多かった。

そのなかでエラスムスもラスキも、基本的に古い立場に身をおいて人格形成し、古い立場の最良の部分を受け継ぎながら、新しい文明の建設的な価値を真摯に理解しようと努め、両者の平和的な統合を試みた存在だといえる。

その結果、古い立場からは理想主義だアカだと批判され、新しい立場からは日和見や「修正主義」だと罵られる。しかし、苦悶も逡巡もなく新旧いずれかの立場を「採用」できる人に比べて、二つの文明のあいだで真摯に苦悶し逡巡する対象のほうに、個人的は関心を引かれるのはなぜだろうか。

               ***

本書は、①エラスムスなどヒューマニズムの伝統に起源をもち、知識人たちがラテン語で展開した、良心の自由と平和を旨とする寛容思想の系譜と、②ロピタルやボダンなどポリティークに代表される、国家権力と国民統合による秩序回復をめざす寛容思想の系譜が、容易に要約しえない歴史的展開を豊富に織り込んで描かれている。対象とする時代は16,17世紀なので、絶対主義がいかに寛容の「友人」であったかが示されるところで終わる。

               ***

価値の多元性、可謬性の自覚や寛容という意味でのリベラリズムにとって、宗教戦争はその歴史的端緒にあたる。ポーコック『マキャベリアン・モメント』以来、civic humanismは政治思想史の主要な「パラダイム」となって思想的トンネルが通じているわけだが、エラスムスやカステリヨンなどに端を発する、旧来の(本当の?)意味でのhumanismを、政治思想史のConventionのなかでしっかりと位置づけてトンネルを探りあてる仕事も必要なのではないだろうか。その意味で、自分なりにも、いわゆる思想史においての「エラスミアン・モメント」を意識していきたい。
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by akai1127ohi | 2008-09-14 23:16 | 政治学史 | Comments(0)

ホブズボームあれこれ

8月後半は数本の「書評論文」に苦しみ、意外に時間を取られてしまった。
そのなかの一つ、イギリスの歴史家ホブズボームのものあれこれ。

E・J・ホブズボウム、『帝国の時代』(上・下)、野口建彦・昭子訳、みすず書房、1992
E・J・ホブズボーム、『ナショナリズムの歴史と現在』、浜林正夫他訳、大月書店、2001

                    ***

研究者が自らもある「ネイション」に帰属していながら、ナショナリズムを研究することは可能なのだろうか?自らも「ネイション」に所属している事実は、その研究者のナショナリズム分析にいかなる影響を与えるだろうか。

「私は、ネイションやナショナリズムを真摯に研究する歴史家は、明確な政治的意志を持ったナショナリストではありえない、ということを付け加えないわけにはいかない。・・・・・・ナショナリズムは、明らかに間違っていることを信じるように要求することがあまりにも多い。ルナンが述べたように、「自己の歴史を誤解することは、ネイションたることの一部である」。歴史家は職業上誤って解釈しないこと、あるいは少なくとも誤って解釈しないよう努力することを義務づけられている」。(『ナショナリズムの歴史と現在』、p15)

ホブズボームは、フェニアン派あるいはオレンジ党員であることは、アイルランドの真面目な歴史研究とは両立しないという。「それは、シオニストであることが、ユダヤ人の本当にまじめな歴史を書くことと両立しがたいのと同様である。歴史家は、書庫や書斎に入るときには、彼あるいは彼女の信念を置き去りにしなければならない」。

しかしながらこのことは、ホブズボームが「ナショナリティ」に関わるすべての同時代的状況からdetachしていることを意味しないだろう。

ホブズボームは本書の最後で述べる。
「結局のところ、歴史家が少なくともネイションとナショナリズムの研究と分析においていくらか前進を見せ始めているというまさにその事実が、よくあることだが、当の現象が頂点を越えたということを示唆しているのである。ヘーゲルは、叡智を運ぶミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛び立つ、と言った。今やネイションとナショナリズムの周りをミネルヴァのフクロウが旋回しつつあるが、これは願ってもない前触れである」。(同、p247)

ホブズボームの言うようにネイションという現象に夕暮れが来たからフクロウが飛ぶのか、それとも、フクロウが飛ぶことそれ自体がネイションという現象の夕暮れを招来しているのか、議論のあってしかるべきところではないだろうか。そしてそこに、自己に特殊な「ナショナリティ」からはdetachしつつも、「ナショナリティ」それ自体が問題となっている同時代的な状況設定それ自体からはdetachしえない歴史家の存在があるようにも思える。
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by akai1127ohi | 2008-09-12 21:45 | 政治理論 | Comments(0)

ちょっと興味深かったこと(再々)

「民主主義の伝統の欠如し、極度に専制的な悪性の支配した日本、敗戦後においても依然としてその二つの重大な欠陥を克服しえないままの日本において、日本共産党の個々の成員が、ひとしくこの悪伝統にわざわいされて、いく多の欠陥を有していることも不可避である。一般に人間的良識を欠いた種々のやり方、大衆にたいしても他の政党、思想体系にたいしても謙虚な態度の不足なこと、傲慢不遜とうけとられる教養不足など、これらは永い野蛮な軍国主義日本、専制日本ののこした習慣の発言にほかならない。

だがこれを批判する第三者は如何。のみならず共産党は、かかる欠陥にたいして無反省であろうか。官僚、諸政党、ジャーナリストのいずれをとつてみるも、はたして共産党に比していかなるきびしい自己批判を行いつつあるであろうか。……これらの点についても、われわれはもっと冷静でなければならぬ。」

鈴木安蔵、「中央公論」、1949年4月号、p12

                   ***

鈴木安蔵は憲法学者。日本国憲法の起草にも関与し、映画「日本の青空」で有名だ。
久野収も鈴木安蔵も、異なる立場をできる限り誠実に理解し、自分に足りないものをそこから吸収しようという知的に謙虚な姿勢が見られ、自分も模範にしたい。(と同時に、久野の弟子だという佐高信の、自己主張としての「反代々木」、逆に、鈴木の弟子である憲法学者の明白な党派性、というのはどうなのだろうと思ったりもする。)
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by akai1127ohi | 2008-09-12 01:06 | Comments(0)

ちょっと興味深かったこと(再)

「ラスキの立場を日本でほんとうに生かそうと思えば中共というものを十分に――日本というものに立つて、意識的に反対しているように見える中国をギリギリに理解して、中国における新しいものは何であるかということを、国民に知らすことが、ラスキを日本で生かすことである。ラスキをもつて左派の社会党とか何とかということはラスキの形骸にとらわれることじゃないかと思いますが、どうですか。ラスキがロシア革命に対したように、中国革命に対して親身に理解し、世界史的なものが何であるかということを、アジアの伝統に立つて明らかにすることこそ、日本においてラスキの思想を実践することなのでしょう。」
(久野治の発言、『世界』、1947年2月号、p168)

                    ***

1950年前後における日本の「ラスキ・ブーム」には、ラスキ解釈をめぐっていくつかの流れがあり、丸山真男はその一つの筆頭格だが、その丸山に一番近いラスキ理解を示していたのが久野収だったといえると思う。研究者としてのラスキ解釈である丸山に対して、在野の久野の発言は、丸山が諧謔で包んでいる真意を、さらに明瞭に断言しているものとなっている。

上記の久野の発言は、中野好之、辻清明との対談でのもの。
ロシア革命を真摯に理解しようとしたラスキの立場は、われわれの文脈に持って来てみれば、同時代的に起こっている中国革命を真摯に理解すべきではないか、というもの。

ラスキは英国自由主義の嫡流だ、自由主義は西側だ、日本は西側だ、だから日本政府を支持すべきだ、という「流出論的」な思考をした人々とは対照的に、久野の立場は、ある立場がある文脈で何を意味していたかということと、それが自分たちの文脈では何を意味するかということを認識するある種の「政治性」に富んでいると思う。
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by akai1127ohi | 2008-09-11 04:26 | 政治学史 | Comments(0)

ちょっと興味深かったこと

ラスキの著作を読んでいると、各国政府を表す慣用句として、Washington, Paris, などと並んで、Tokioがよく言及される。たいてい、ソ連と同じくマナーを知らない強国で、国際会議ではいささかの妥協の意志を示さない高圧的で稚拙な後進帝国主義として。ラスキの日本への関心は当時のイギリスの知識人の標準以上のものではなく、反ファシズムに彩られている後期ラスキの著作のなかで、日本は否定的に言及されるばかりだ。

意外だったのは、須磨弥吉郎の回想。
(須磨弥吉郎、「ラスキーの死に憶ふ」、中央公論、1950年9月号)
外交官で、「須磨コレクション」でも有名な須磨弥吉郎は、LSEに留学中、ラスキのゼミに参加している。授業の前半は、その時々の時事問題についてラスキで「彼一流の辛辣な批評」で賑わっていたという。その際、ゼミのなかにいる日本人学生に気を使ったのか、ラスキはマッケンジーの『朝鮮の悲劇』という本から当時の朝鮮の腐敗と頑迷さを引いて、日本ばかり悪く言うのは当たらない、と示したという。(しかし、ラスキが当時の極東情勢に専門的な知識があったとしたら、朝鮮の抗日運動によりシンパシーを感じていただろうとは思う)。

              ***

1939年、当時ワシントンにいた須磨は、時局講演会でアメリカを訪れたラスキと再会している。須磨によれば、ラスキはこのとき須磨に、LSEの講義と同じように流れれるような口調で、
「ヒトラーは景気はよいが、あんなに大地に背を向けては究極は破滅だから、あの真似は禁物だよ」と忠告したという。

須磨がどれだけこの忠告を真摯に受け止めたかわからないが、ラスキの国際状況認識と、それと交錯する個人的な人間関係との折り合いを知る上で興味深かった。
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by akai1127ohi | 2008-09-09 15:19 | Comments(0)

夏休みの日記(最終回)

8月×日

似島は、外周訳16キロの小さな島で、自転車なら一時間で島を一周できる。
広島の宇品港からフェリーで20分ほどで、島民の多くは広島市内に職を持って通勤している。

島民はおしなべて褐色に日焼けしていて、男たちは、漁師に特有の性質から、自分の出来ることと出来ないことを良くわきまえている。彼らの心性は保守的で、共産党の議席が伸びたら恐怖政治になると思っている。港から少し入ったところにある忠魂碑には、「大東亜戦争」で死んだ58柱が祀られている。

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              写真はこの日の釣果。キス4匹、ベラ7匹、コチ7匹。

            ***

玄関先で遊んでいる幼い孫に、老漁師が二階の窓から声をかける。

「おい、一人で海行くなよ。海は危ないけえの」
「わかっとる」

港の前の商店の軒先で煙草をすっていると、買い物をすませたおばさんが出てくる。
出たかと思うとひょっこら振り返って何やら再び店内へ。

「お金払うの忘れとった」
「あーほんまじゃった」

            ***

似島学園は、戦後の混乱期に広島駅前にたむろする浮浪孤児を集めた施設だ。
原爆直後、県職員だった森芳麿という人が、「見るに見かねて戦災児教育に一生を捧げる決心」で創設した学園ということだ。昭和40年頃から孤児は減り、離婚や家庭崩壊などの事情の子供たちが増えてきたという。いつだったか忘れたが昭和天皇が来園し、「あー、うー」、ではなく、「明るく元気に」と話しかけ、それ以来それが学園訓となっているという。

小学生のとき家族で似島を訪れた際、似島学園の端っこに、大きなブロンズ像が野ざらしにされていたのを覚えている。大きな全身像で、子どもながらにグロテスクというか、異様な迫力があったのを覚えている。今回の似島行きで、それが、後藤新平の像だったということを知った。

            ***

港から海辺の道にそって自転車を20分ほど走らせ、似島学園を訪ねた。
似島学園の子供たちは気さくで、突然の訪問者である私にも気軽に話し掛けてくる。
そのうち、大きな虫取り網を持ったSくんが、私のあとについて来た。

「何しに来たん?どこ行くん?」
「向こうに像があるじゃろ。あの写真とりに行くんよ」
「象?ここには象はおらんよ」
「象じゃなくて、人の形をした像よ。向こうにあるじゃろ」
(少し考えて)「あー・・・・・・、あれか」

後藤像の前まで来ると、少年は長い虫取り網の柄で、像の各所を指し、何やら説明してくれる。
「ここが顔で、ここが手。これが手袋。」
その間に私は、後藤新平像の手と外套のあいだに張ったクモの巣を振り払ってやったり。
「これ誰なん?これ、この人が死んで固まってこうなったん?」
と、少年。
「うーん、そうではないよ……。これは昔の偉い人の像よ。S君もよく勉強して偉い人になりんさい」
などと、つい文科省的な受け答え・・・・・・。

静かな瀬戸内海から吹いてくる夕暮れの風が、この忘れ去られた後藤像に吹いてくる。
S・Uくんと後藤新平のツーショットをとり、その次に、S・Uくんにデジカメの使い方を教えて、自分と後藤新平の写真を撮ってもらった。

10枚近く後藤像の写真をとり終え、さあ、そろそろ行かねば……。
少年が問いかける。
「僕の名前、覚えた?」
「覚えたよ、Sくんじゃろ」
「S・Uよ」
「そうか、S・Uか」

もう少しここにいたいのだが……。
名前を覚えて、すぐにお別れか。
さよなら、S・Uくん。さようなら、今年の夏の広島。

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              写真は、後藤新平の像@似島学園

                  ***

フェリーがゆっくりと桟橋を離れていく
今までいた島が本当の自分の場所なのか
それとも、これから行く街が自分の帰る場所なのかわからなくなる
時計の針は旅の終わりを告げている
                       「似島汽船」船内パンフレットより
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by akai1127ohi | 2008-09-07 02:59 | Comments(0)

夏休みの日記(5)

8月×日

似島に出かける。
似島は、広島港から4キロほどのところにある小島で、宇品からフェリーで20分くらいで着く。小学生の頃から釣りが好きだった自分にとって、似島は行きなれた島だ。
お昼すぎまで釣りをして、釣果もほどほど。午後は島を自転車で一周して、様々に考えることがあった。
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            (写真は似島港)


8月6日の原爆の後、似島は原爆で死んだ人たちの死体を収容所するところになった。
その後、原爆孤児たちを収容する似島学園が作られ、ヒロシマの被害の記憶を構成する場所の一つになっている。

しかし他方で似島は、広島の、というより日本の近代化そのものが抱える「加害」を物語る遺跡が、海風と雑草のなかに埋もれている。それが「陸軍検疫所」跡だ。

                   ***

日清戦争の際、大本営は広島に置かれ、広島港(宇品港)から大陸へ多くの兵士が送られた。その際、広島の沖合い4キロに位置する似島は、その地の利から、帰還兵士の「検疫所」に指定される。

日本における「検疫」の歴史は、戦争と規を一にしている。
西南戦争(1877年)では、凱旋軍が警察の制止を聞かず検疫せずに帰郷したため、コレラが蔓延し500人以上の死者を出したという。当時、野戦衛生長官だった石黒忠直は、この苦い経験から、日清戦争においては大規模な検疫所の必要性を強く主張。陸軍次官児玉源太郎に、その任務の最適者として、当時、内務省衛生局の官僚であった後藤新平を推薦する。

「日清戦争も終わりに近づき、帰還軍人のための検疫事業が懸案として浮上していた。・・・・・・この検疫は巨大な事業であった。検疫所は宇品付近の似島など合計三ヶ所に作られ、似島では1日5000ないし6000人……を検疫することとなった。後藤はこの工事を二ヶ月で完成するように命じ、これを実現した。そして(1895年)6月1日から検疫を開始し、船舶数687隻、人員23万2000人の検疫を事実上二ヶ月で完成したのである。これは世界に誇りうる成果であったと言われている。」(北岡伸一、『後藤新平』、p30)

当時の政府内でも帰還兵への検疫が必要という認識は共有されていたが、問題はその実行方法であった。日清戦争時には、ヨーロッパ諸国にも検疫についての頼れる前例はなく、日本国内においては検疫の意義や必要性への理解はましてやなかった。そこにいて、戦勝の気に驕った、帰心矢のごとき将兵を孤島に抑留して、彼らに窮屈な消毒をほどこすことは、一大事であった。後藤ら事業の担当者には、「非凡な独創力と、卓抜せる統率力、組織力に加え、異常なる精神力と胆力が必要であった。」(『ふるさと似島』、ふるさと似島編集委員会、p44)

検疫所の建設には、石川島造船所、神戸川崎造船所など民間企業の力を最大限に利用し、また、教育程度の低い兵士にも読めるようにひらがなを付した「陸軍検疫所案内」という啓蒙パンフレットは25万部を必要としたため、大阪朝日新聞社の印刷機を拝借したということだ。

「こういう大事業を成し遂げるために最も大切なことは、設備よりも人間の扱いであった。・・・・・・かくして検疫兵の訓練は、事務官庁たる後藤自ら陣頭に立って教養の方法を講ずることになった。伝染病の性質、検疫消毒の順序方法、及び自衛の要領などを講義し、そのあと各軍医正以下の事務官が実地に取り組んで、丁寧に訓練したのである。」(同、p46)

「こうして検疫所の設備・準備の方は出来上がったが、次は如何にして凱旋兵に実地するかであった。そこで後藤は、軍部の統制については児玉〔源太郎〕に一任することにし、その旨を伝えると、児玉は名案があるとして、5月20日、凱旋する征清大総督小松宮殿下を下関に迎え、殿下が検疫を受ける旨を示唆し、その承諾を得たのであった。こうした児玉の機知によって、殿下が真っ先に検疫を受けたため、殿下に続く師団長等は意義のありようがなく、検疫実地については、少々のトラブルを除いて支障なく進行することになった。」(同、pp46-7)

検疫・衛生という言葉は、日本の「近代化」に極めて象徴的かもしれない。
近代化をなしとげると、衛生はむしろ空気のように意識されなくなるし、戦争がなくなれば、兵士を検疫することもなくなる。

検疫所は日清戦争の後、捕虜収容所として改修され、第一次世界大戦の時期には中国で捕虜にしたドイツ軍人を収容した。その際、ドイツ人捕虜ユーハイムが日本で初のバームクーヘンを作り、産業奨励館(現原爆ドーム)に出品したり、島民や広島大学の学生がドイツ人からサッカーを学んだりしている。

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            写真は似島の海岸線

衛生、鉄道、植民地・・・・・・後藤新平が尽力した日本の近代化は、そのまま、「帝国主義」、「植民地国家」という言葉を想起させる。その後藤新平の像が、現在、似島学園の敷地に置かれている。歴史学者というものが、国境を越えた学問的共同体を構成しているとするならば、この人物の評価基準はどこに置かれるのだろうか。

                   ***

今回の似島行きは、朽ち果てるままになっている日本近代化の痕跡を前にして、様々に考えさせられることが多かった。たとえば、平和教育でよく耳にしてきた、「廣島とヒロシマ」、「加害と被害」という問題を、日本の近代化という広いスパンで、かつ主権国家による思考の制約を越えようとする視点で、捉えなおす必要など、、。その意味で、広島といえば、「パールハーバー、南京虐殺、女やこどもを壕の中に閉じこめ、ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑」という声に、広島はまだ十分に応えられてはいない。
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by akai1127ohi | 2008-09-07 02:58 | Comments(0)

LDP、お疲れさま、さようなら

西のかの国では、同じようにまじめな常識人で、同じように経験があって、同じようにどこか憎めなくて、同じように低支持率にあえいでいる総理大臣が、野党党首のこれだけの追求や論難に耐えて頑張っているのだから、どこかの国の総理にも、もう少し頑張ってほしかったものだが。



ちなみに、時々スコットランド訛りで「order, order」という議長は、先日下院議長サミットで広島にきたMichael Martinである。

                    ***

自由民主党には、ありがとう、お疲れさま、さようなら、と言うべきだろう。
この党は戦後それなりに頑張ってきたのだろうが、もはや体が成長し、この服が完全に合わなくなって窮屈極まりない状況だ。

いずれにせよ解散総選挙が急務だ。
自民党が下野するかもしれないし、それが望ましいが、その後に民主党政権が出来るか、政界再編による新たな政権の枠組ができるかわからない。日本政治は、「未知の領域」に入っていく。未知の領域であるからこそ、新しい政治構造を作るための、主権者の知性と洞察力、精神的道徳的改善が求められている。
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by akai1127ohi | 2008-09-05 06:47 | Comments(0)
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