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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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蝋山政道について

蝋山政道、『政治学の任務と対象』、1925年、(中公文庫、1979年)
同、『日本における近代政治学の発達』、新泉社、1949年

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戦後の日本政治学はやはり丸山を契機として一つのパラダイムが存続してきたことは明らかだろうと思う。丸山以前の政治学は、丸山によって、復活すべき伝統があるのかと問われたように、そういう意味ではなかなか振り返ることが少ない。蝋山政道が、政治学者としてよりも政治史や行政学史の対象としてのほうがポピュラーだという事実も、それを表しているだろう。

『政治学の任務と対象』(1925年)は、政治概念と方法論をめぐる抽象的な議論が前半を占め、大変抽象的で難解な本だ。第6章では国家概念が扱われ、ドイツ国家学の系譜とイギリスの多元的国家論が検討される。第11章は国際行政、第12章は国際政治で、いずれも日本における両分野の学問としての確立の定礎とされている。

『日本における近代政治学の発達』(新泉社、1949年)は、丸山による戦前日本政治学の「後進性」批判、日本政治学は復活すべきほどの伝統を持っていない、という挑発的批判に対しての蝋山の学問的応答といえる。本書に収録された座談「日本における政治学の過去と未来」は実に興味深く読めた。当時丸山は31歳、才気と問題提起に溢れた新進気鋭の政治学者という姿が実に浮かび上がってくる。社交辞令を重んじつつもその思考の鋭敏さと問題提起の活発さゆえにやはりどこか生意気に感じられずにはいられなかったであろう若き日の丸山を前にして、すでに還暦の蝋山は、柔和で老獪な好々爺という印象で、押し引きの妙を心得ている。慇懃なeuphemismの影からそれぞれの学者の生き様と政治学のあり様をめぐる真摯な対立が浮かび上がってくる。

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1930年代以降の蝋山の時局的発言を見ると、多元主義や機能主義から東亜共同体論への転換を果たしながらも、決してそれが粗野な拡張主義にならないところに蝋山の博学さと器用さがあるのではある。博識に裏打ちされた時局的発言も多いのだが、蝋山においては、政治学の原理や知見は、現実にたいする批判標準として用いられるのではなく、むしろ政治的現実の弁証や正当化のために活用されている感がある。

その結果、時局の変化に応じる形で、自身の政治学の原理的な部分も変容を遂げている。機能主義から東亜共同体論へ、多元主義から「地域的共同体の運命」、「日本の世界史的位置の自覚」といったようなディスコースへの変身は、それらを示しているように思う。(もちろんそこには、多くの政治学の言論を吸引した「帝国再編」という磁場の力があったことを想起する必要があるのだが、総じて、蝋山は戦中期をヤヌス的に乗り越えた、というのが一つの表現方法だろう)。

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座談会「日本における政治学の過去と未来」(1950年)において、蝋山は日本政治学には活性の時期と停滞の時期が交互に訪れるある種のサイクルが示されている、述べている。政治学が活性化した時期としては、明治10年代から憲法発布に至るまでの時期と、大正デモクラシーの時期の二つがエポックとして挙げられ、他方、政治学が停滞した時期としては一つの体系が支配的な考え方として影響をもった時期、具体的にはドイツ国法学が政治学の思考を規定した時期を挙げている。そして蝋山は、政治学が発展、活性化する時期に共通の条件として、その社会の大きな政治的変動を指摘する。

「従って政治学の発達には前提としていろいろの政治的変化がなくてはならない。そのいろいろの変化の比較研究というようなことから政治学は発達する、あるいはイデオロギーの対立闘争といったようなものが政治学を生む母胎だと思います。」(『任務と対象』、p319)

ちなみに蝋山の発言を受けて岡義武は、帝国憲法制定を控えた明治10年代と大正デモクラシー期の共通性を指摘しつつ、それぞれの時代の政治学的思惟の活発さが強い実践的な意図によるものであったと指摘している。

その上で蝋山は、現在(1950年)の日本の状況を捉えて、終戦とそれによって引き起こされた巨大な政治的変動が、日本政治学の新たな活性化の好機をもたらしていると述べる。
「終戦後の今日は、しからばそういう点から見ていかなる時期にあたっておるかと申しますと、まさに終戦後は日本の政治学会における第三の――これを激動期というならば――激動期じゃないか、従って政治学は飛躍的発展を遂げる機会に恵まれておるのではないかと思います。」(『任務と対象』、p319)

丸山による戦前政治学への批判は必然的なものだったと思うと当時に、復活すべき伝統がないという言葉を真に受けてそれらをノータッチではまずいだろう、とも思わされる。戦前から戦後への日本政治学の変容は、政治学とは何か、その発展の条件、対象たる現実政治との関係、などなど様々に示唆に富んでいるように思われた。
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by akai1127ohi | 2008-06-25 12:02 | 日本政治思想史 | Comments(5)

姜尚中、『姜尚中の青春読書ノート』、朝日新書、2008

いくつかの岩波文庫を購入するついでに、出版社の商魂は丸見えなんだけども、つい、ついでに買ってしまう。これはまあ満員電車のなかで読む本として、、、。などなど、つい弁解じみてしまうが、やはり好きなのかもしれない。

漱石、T・K生、丸山、ウェーバーなど五冊との出会い。
姜先生の個人史のなかでは、1970年代に叔父を訪ねて初めてソウルに行った経験と、それから東京に戻ってきてからのTokyoの姿が、自身のアイデンティティ形成の上で一つの契機となっているのではないかと忖度する。

スラムのような路地裏で「血と汗と涙」を排出しながら身悶えしつつも、自分以外の何かに賭けてみようとする生々しい息づかいと温もり、激しいエネルギーがぶつかりあうソウルと、煌びやかな消費社会の輝きのなかで、革命だの愛国心だのはかったるい、右も左も「過激派」はごめんだ、という、四方数メートルの自由を謳歌するTokyo。1970年代の二つの都市の様子が、個人史のなかに位置づけられて、独特のリアリティを醸し出していると思う。
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by akai1127ohi | 2008-06-13 00:45 | Comments(0)

小林多喜二、『蟹工船』、2008、新潮文庫

ブームに掉さすため、というのもあるのだけど、ストライキ、暴力、主体をめぐるソレル『暴力論』の読解の参考のために、ということもあり、購入。電車内でカバーをせずに読む。「蟹工船」が党派から解放されて広く読まれる、ということは良いことだろうけど、逆にいえば、「蟹工船」が広くリアリティを持つという、何とも殺伐とした時代ということだろう。

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沈没していく他船からのSOSを無視して、労務監督の浅田はいう。

「人情味なんか柄でもなく持ち出して、国と国との大相撲がとれるか!」

「日本帝国のため」という大義で飾られた資本家の横暴、最終的にストライキを鎮圧するのは、人民の友と思われていた日本海軍。資本と国家の結びつき、資本を守る国家という、マルスクス主義の国家観の前提が前面に出てくる。

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またストライキを境に、玩弄物であった未組織労働者たちが自律的な主体として、意志と能動性をもった存在として顕在化してくるのはわかるのだが、ストライキがもたらす肯定的な契機が、労働者の「主体の立ち上げ」以外にもあるのだろうか、という印象も残る。再度のストライキを思案するある労働者が、最後につぶやく。

「本当のこと云えば、そんな先の成算なんて、どうでもいいんだ。--死ぬか、生きるか、だからな。」

ストライキによる主体の覚醒と立ち上げが、単なる英雄主義に終わるのではなく、持続的な何かに結びつかなければ意義は薄れるだろう、という気がする。ソレル『暴力論』も、実のところ、思想史の文献としてはわかるが、自分にとってはアクチュアリティーのある本としては読めなかった。「蟹工船」はどうだろうか。

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ちなみに、新潮文庫の解説は蔵原惟人が書いている(昭和28年のもの)。
透谷、啄木、多喜二を、20代で自殺、窮死、虐殺された日本の「民主主義文学」の「3つT」と位置づけ、共通性とともに、それぞれの時代の変化をうけた三者の個性を論じる。

ここで蔵原は、「蟹工船」にたいして次のような指摘もしている。
「しかし同時に作者が個人を集団のうちに解消してしまったところにこの作の欠陥もあるといわなければならない。ここでは個々の労働者の独自の階層的・個人的な容貌が十分にはっきりと示されていない。そのために全体として集団の力はかなりダイナミックに示されているが、個々の形象がはっきりと印象づけられない結果をともなった。」(p277)

このようなこともしっかり指摘するあたり、蔵原惟人の厚みのようなものを感じる。
西欧の「ブルジョア文化」の最良の部分への造詣も一定持っていた宮本百合子と蔵原惟人が、モラルや文化の領域において、留学経験のない宮本顕治を側面から巧みに教導していたという。蔵原など当時の共産党の幹部が持っていたこのような「厚み」を、思い返すべき人たちも少なくないはずだ。
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by akai1127ohi | 2008-06-10 03:38 | Comments(1)
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