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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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福田歓一、「日本における「国民的なもの」の形成」(1961)

福田歓一、「日本における「国民的なもの」の形成」(1961年)
同、「国民国家の諸問題」(1976年)
いずれも『福田歓一著作集』第4巻(1998)所収。

「日本における「国民的なもの」の形成」では、日本におけるnationalなものの形成の特異性が指摘され、それがinternationalなものとの連関の上で再形成されるために、「所与における国民性の不在の確認」と、とくにアジア諸国に対する国民的個性への尊重を自らの内的規制原理とする、確固とした国民的主体の形成が主張される。

思想史的にとくに慧眼なのは、やはり日本におけるナショナリズムの特異性の指摘である。かかる指摘は、やはりヨーロッパの政治史・政治思想史に通暁する福田であって初めて可能な視野であろうかと思う。

「ヨーロッパ近代国家の成立は、われわれの国にも見られたように、多元的な閉鎖集団、ないし諸共同体の統一によって得られたものであるが、同時に、それは普遍的なクリスト教共同体corpus christianumの解体として現われたのであった。換言すれば、近代国家はヨーロッパにおける政治生活の単位の転換の所産であり、端的にはローマ以来の帝国的政治制度の否定の上に、はじめて近代文化の特質としての地方性、国民的個性を定着しえたのであった。したがって、ここでnationalなものは、いわばア・プリオリに、普遍=帝国秩序に対する国際international秩序を内蔵し、両者は相補的な関連に立っている。」(p74)

ヨーロッパでは、internationalなものの概念が初めにあって、それが地方的に分化、割拠したものとしてのnationalな概念がある。この場合のinternationalなものとは、キリスト教普遍世界がそうであろうし、それ以前では、シャルルマーニによる西ローマ帝国の理念だとか、ゲルマン社会の風習、ローマ法の伝統などが想起される。

しかし日本のナショナリズムの生成は、西洋列強との衝突により、帝国主義世界の角逐場において成されなければならなかった。したがって、ここではinternationalなものとの対比のなかでnationalなものが切り取られたのではなく、所与のnationalなものへを過度に差異化し、自明化することによってしかなされなかった。「そこには、外に自らの内包する秩序規範によって代位すべき、普遍=帝国秩序の制約はなく、内に限られた島国の領域の中に種族、宗教、言語において鋭い分裂のない「同胞」がすでに与えられえていたのである」。したがって、日本においてはnationalという一般名詞が、日本的という固有名詞として通用するかのような現象が生じることになる。

「このように、国民的という言語象徴がついに所与の即自的な確認を意味する限り、それは単なる所与の原理的超越を志向しえず、逆に所与としての日本的なものの別名となる。ところで、この国民的なものと日本的なものとの未分化は、断るまでもなく両者の剥離によってのみ成立し得る国民的主体の不在を意味するから、そこには、超越を予定してはじめて内在化する規制原理と、それによってのみ可能な冷徹な国民的利益national interestの認識とが、ともに成立しえない。文化概念としての個性的国民の主張が、原理的に他の国民的個性の承認を内臓するヨーロッパとの対照において、力以外に規制原理をもたないエスノセントリズムが、他国のナショナリズムの理解を欠いて、自国体制の拡大(八紘一宇)として国際秩序を表象するには十分の理由がある」。(p76-7)

戦後の日本は、英仏独に比するまともな社会民主主義勢力も生み出せなかったのだが、他方で、実は、まともなナショナリストもまた生み出せていないのだ。あげくに、福田のような立場の学者から、いわば「ナショナリズムかくあれ」と指摘を受けるにおよんで、日本のナショナリズムの、今にいたる未成熟さと、自己向上、世界認識の薄さを感じざるをえない。
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by akai1127ohi | 2008-02-26 04:48 | 政治学史 | Comments(0)

「持続的な瞬間ーオクスフォード経験記」 (その30)

「持続的な瞬間」 その30 (ブルーベリー・ジャムとSudokuの日々)

最後の学期Trinity Termが終わって、6月の中旬に、カレッジに自室を出た。苦闘も達成も、何もかもをそこで経験したroom 5を出るときは、感慨深いものだった。

                ***

yum-yumの部屋に転がり込んで以来、自分はいくつか新しい自分に気づいた。
ブルーベリー・ジャムは食べず嫌いだったとわかった。

自分でも一番驚いたのは、Sudokuだ。Sudokuは、日本生れの数字のパズルだが、ニュージーランド人が改良して、今イギリスで流行っている。それまで自分は、クロスワード・パズルの類は何の価値もない非生産的な遊戯だと思っていた。だから、yum-yumにもそれとなしに促したりしていた。

Sudokuは生産的じゃないと思うよ。
Recreationなら他のことしたら?映画見るとかさ、小説読むとかさ・・・・・・。

ある日、yum-yumの出て行った後、1人になった部屋のなかで、ふいに小さなSudokuの本を手にとって眺めていた。仕組みは以前、簡単に教えてもらった。簡単なレベルから、難しいレベルまである。簡単なやつだと、何ともなしに考えていると2、3個のマス目は埋まる。そして、2、3個埋めると、もう全てを埋めないともったいなく思えてきてしまう。こうして、自分も浮気がちなSudokuプレイヤーへと変貌した。そして自分が解いた問題の下に、それとなしに書き込んでおいた―――I made it!

政治的信条までは変わらなかったけど、自分が今まで、なかば常識のごとく持っていたいくつかの固定観念のいくつかが、こうも簡単に相手によって変えられていくのか、と思おうと、面白いやら滑稽やら、といった心持ちだ。強制されたわけではなく、自然な流れでのなかで、自らの思慮の下で自分が変わっていくのだから、それは自分の視野と経験の裾野の広がりというものだろう。自分が相手を変えていくこと、そして相手によって自分が変えられていくこと……。自分はそれを楽しんでいたと思う。

                ***

最後の学期が終わった直後、カレッジの図書館で、図書の整理と確認のアルバイトの募集があったので、それに応募した。yum-yumの部屋に転がり込んだとき、食事は自分が作ることを申し出ていたので、日中は図書館で本の整理の仕事をして、夕方に「熊の小道Bear Lane」に帰って食事を作り、その後また図書館に行って勉強して、夜に部屋に戻るという日課が続いた。

こういうふうになってこそ、見えてくるものもある。一定の時間に夕食を作らなければならないことによってだけでも、結構他の時間も支配される。また、忙しいのはわかるけど、せっかく作った料理を鞄を背負ったまま食べられるとあまりいい気はしない、など。

                ***

yum-yumとオクスフォードの街はずれをいろいろ散歩した。
オクスフォードは小さな街で、かつ街全体が大学なので、これは実は予想していたことなのだが、「大学」を離れて娑婆で自由になる、という状況を持つことが難しい。しかし、夕方、街の東を流れるよどんだ運河のほとりを散歩するのが非常に気持ちいいと発見した。小さな運河に、多くの長いカヌーが並んでいて、カヌーのなかで生活している人々の場所だ。

カヌーには運河税反対やら平和やら色々なメッセージが書かれていたりして、少しヒッピーの雰囲気がする。開け放たれた扉や窓から、船内の生活の様子が見えたりもする。小さな電気に灯された、水の上での生活だ。そして、ここに夕暮れが落ちてくると、何ともいえない寂寥感となつかしさが漂う。運河を通り抜けると、こじんまりした家々が立ち並ぶ静かな住宅地になり、そこにぽつんと光る小さなパブを見つけて、二人でゆっくりビールを飲んだりした。

「金持けんかせず」は一片の真理だろうが、かといって、金がないから誰かとけんかするというわけでもない。ジェントルマン・シップとは、お金の余裕より心の余裕で可能になるものだ。

                  ***

8月、yum-yumの引越し。
オクスフォードの学寮生活では、ほぼ毎年、学寮の移動がある。だから、いつも手持ちの荷物はmovableにしておかねばならない。

「熊の小道」の荷物を全部かたづけて、がらんとした部屋。
新しい住居は、ウェリントン・スクエアという、オクスフォードの北部にある大学寮だ。yum-yumは家具の古さなどを不満にしていたが、以前、三鷹の井の頭寮にいた私にとっては、港区の高級マンションのようなところだ。壁一杯に広がった窓から、ウェリントン・スクエアの緑の木々がよく見える。

新居に移った初日は、誰でも少し心細いもの。
新しい窓の景色、あたらしい自転車置き場、新しい隣人たち。キッチンの使い方であれだけ文句をいっていた「熊の小道」の中国人留学生たちさえ、なつかしく思える。まだ勝手のわからないウェリントン・スクエアの共同キッチンで、とりあえずスパゲッティとアプリコットのサイダーで乾杯した。
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by akai1127ohi | 2008-02-20 13:26 | 「持続的な瞬間」 | Comments(0)

I was born.

今日は本当に嫌な一日だった。
明日は自分に採って重要な面接の日だというのに、今日は本当に嫌な気持ちの一日だった。

馬鹿な女と、それにふさわしい馬鹿な男が、女の娘に理不尽な罵倒を浴びせている。
挙げ句、小さな事務室の囲いのなかから、子供を叩く音と泣き声がつんざく。

その場の関係者と、ドアに体当りしてなかに入ると、中学生の娘がただただ泣いている。
女は、見るも恐ろしい鬼の形相でこちらを見返し、怒号と罵声をあげつづける。

中学生の娘は、精一杯の強がりで背伸びして、家を出ていくとも駆け落ちするとも啖呵を切ったものの、外は寒風で、中学生だ、お金だってない。大人の世界の理不尽さに打ちのめされると、ただただ泣いてごめんなさいと言うばかり。それにたいして罵倒を浴びせつづける、馬鹿な女と馬鹿な男。
本当に修羅場だ。

経済力も世帯を持つ力も、経験も知恵もあるはずなのに、本当に身勝手な親の姿。
不幸というしかない。
現実を表現することが、それを克服するためにも、大切だ。
これは、本当に不幸なのだ。
ただただ、この不幸が、中学生の娘の人生において再生産されないことを、望むばかりだ。

基本的に部外者ではあるけれども、このいさかいでは子供が正しい。
弱いもののほうが、罪がない。
強いものの方が、正義に訴える義務と労力を回避しやすい。

I was born.
大人の都合でこの憂き世に生まれさせられて、挙げ句の果てにこの仕打か。
それじゃあ生むなよ。生んでおいてそれはないだろう。
それが率直な気持ちだ。

この気持ちを、明日に持ち越さないようにしよう。
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by akai1127ohi | 2008-02-17 22:59 | Comments(2)

ベン・シャーンについてのメモ

『迷宮美術館・アートは時代の目撃者』(NHK、2月14日1時50分、再放送)

深夜、勉強を終えて何気なくテレビをつけると、『迷宮美術館』という番組で、ベン・シャーンの「ラッキー・ドラゴン(第五福竜丸)』シリーズに関する教養番組に遭遇。感じたことをメモしておく。

ベン・シャーンがパリに出たのが27歳の時。そのときは、マチスなどを手本して結構スタンダードな絵を書いている。それは模倣であり、ある種、方法を学ぶために自分を先行する型にはめこんでいるようでもある。あの独特の、切り刻んだような線で書きはじめたのは、33歳の時、サッコとヴァンゼッティ事件を対象としてからだ。

表現者が、対象を選ぶことの重要性を感じる。
本当に自分の実存的な動機に則した対象を選ぶことの重要さ。対象の選択如何によって、表現者のエネルギーや持ち味は、活かされもすれば、殺されもする。

そしてベン・シャーンにおいては、自分の対象を選ぶことによってはじめて、自分の方法と底力が如実に発揮された例であるように思った。サッコとヴァンゼッティを描くベン・シャーンの独自さ、インパクト、持ち味のいかんなさは、それまでのパリの貴婦人などを対象としていた時の凡庸さとはまるで違って、見る者に強い印象を残す。本当に自分の表現したい対象を見つけ、それに忠実に向き合うことの重要性を感じる。

また、対象を選ぶことは方法を選ぶことに通じる。
自分の対象を選んでこそ、自分の方法が見つかる。方法は、方法として独自に存在するのではない。方法は対象にしたがって異なり、その対象を最も効果的に描き出す方法が選択されなければならない。対象を離れた方法は存在しないのであって、方法のみを論じることの弊害はそこにある。対象を選び、それと格闘するなかで、方法は見つかる。対象を理解すればするほど、その対象に適した方法が見えてくる。

ベン・シャーンは、自分の対象選択を自覚化し、その延長上に、地球の裏側にいるような久保山愛吉を選び出す。そこに普遍性を見出している。対象によって、表現の価値が自覚される。対象によって表現が呼び起こされる。対象によって方法が必然的に着いてくる。
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by akai1127ohi | 2008-02-14 06:21 | Comments(0)

「持続的な瞬間ーオクスフォード経験記」 (その29)

「持続的な瞬間」 その29 (オクスフォードのはきだめパブ)

オクスフォードの中心部にあるスーパーマーケット・セインズベリーを越えてすぐの小さな裏路地を横に入ると、急に静かになった薄暗いその路地の奥に、小さなパブがある。上流階級の子弟が集まり、上品なパブやトレンディなクラブがにぎやかなオクスフォードで、ここはちょっと変わった場所だ。

このパブは浮浪者、ロッカー、性的放埓者(服装を見ればわかる)、変種の老人などが集まるところで、オクスフォードでは異質だ。オクスフォードでパイントを1ポンドで出す店は、ここと学生自治会Unionのパブくらいだ。さっきまでそこのセインズベリーの前でchange please!といいながらビッグ・イッシュを売っていたおじさんが、さっそくその稼ぎで一杯やっていたりする。

切り詰めた生活とはいえ、エッセイを終えた夜に一息ついて、おもむろに2,3ポンドをポケットに入れてくり出す店がここだった。名前さえどこに書いてあるのかわからないこのパブを、自分はオクスフォードのはきだめパブと名づけていた。

店内はいつも馬鹿みたいに巨大なボッリュームでロック音楽がかかっていた。
そのなかに、浮浪者風の男が傷を癒すように座っていたり、驚くべきほどに太ったおばさんが、音楽にあわせて体を揺らしていたりしていた。ビールを頼むと、メタルのピアスやら指輪やらをそぞろにつけた、これまた驚くべきほどに太った男が、親指と小指を広げた「チアーズ」のサインとともに、ぶっきらぼうに注いだビールを出すのだった。

すべてが行き詰まりのような状況になった、イースターの前日の夜、yum-yumを部屋まで送ったあと、一人で夜のコーンマーケット・ストリートを歩いて、裏路地を横に入ってはきだめパブに行った。

ビールを飲んでも酔えないと思えたので、ウォッカのショットを一息に飲んだ。
店の出際に、老人がパイントグラスを掲げ、「楽しんだが?」と声をかけた。
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by akai1127ohi | 2008-02-07 19:42 | 「持続的な瞬間」 | Comments(0)

鬼はぁー外、福はぁー内、豆はぁー口

連日ギョーザの報道があるので、その分、ギョーザが食べたくなった。
「チャングムの誓い」でハン尚宮の言っていた、「味を思い描く能力」を使って、豚肉の細切れをギョーザに包んで揚げてみた。思い描いたとおりの味で、好物になった。

                ***

法学部で、おそらく最後の私のテスト――「行政学」
テストのときの25番教室の独得の雰囲気も、これで最後だなあ。

席について驚いたことに、試験監督の一人は、同じ入学年度で、駒場でフランス語のクラスが一緒だったO嬢だった。そういえば先日、生協の前の銀行ATMの列で会ったとき、助手か何かになったって言ってたっけ。

あちらは、25番教室の講壇を背にして、こちらを見ている。
そうか、彼女はすでに黒板を背にして180度回転したのか……。

彼女が、問題用紙を配りに、私の横を通り抜けた。
なんとも複雑なシチュエーションだが、こういう時こそ、作り笑顔が大事。

試験中は、こちらとしても涼しい顔でエレガントにやりたいけど、そんなことなど忘れて解答用紙と格闘する。

そうして、時おり思った。
こういう諦念みたいな、でも腹の据わった気持ちは、どこから湧いてくるのだろう。
いろんな気持ちは差し置いて、とにかく黙ってやるしかない、という覚悟。やるべきこと以外のいかなることも、余計で、ただその人を冗長なものに映してしまう。

試験が終わって解答用紙を前の箱に出しに行くとき、O嬢は教室の脇のほうに退いていてくれた。私のためかどうか知らないけど、表情を作らなくていい分、とりあえず助かる。

とにかく、卒業に関する試験はこれで終わった。
さあ、3月まで、残った課題は一つとなった。

              ***

西尾勝、『行政学』、有斐閣、2001年
真淵勝、『現代行政分析』、放送大学教育振興会、2004年

もちろん、参考になる点は多い。しかし試験勉強を終えてみて、現在の行政学が、行政の現状のあり方をそのまま追認する機能を果たしていないか、とも思われる。

東大法学部では、行政学も民法も政治学も、辻清明や川島武宜や丸山真男など、おしなべて日本社会の現状に反省的な立場からの先行研究にたいして、それらを「実証主義」の観点から批判的に再検討することが主流になっている。憲法はそのなかでもまだ頑張っているほうだと思う。

戦後啓蒙や「近代主義者」と呼ばれる人たちが、それぞれの専門分野において担った研究はたしかにその分野での権威なのだから、後続の研究がそれら批判的に対峙するのは理由のあることだろうと思う。けども、後続の「実証主義」のトレンドが、逆に、日本社会の現状を追認するためのイデオロギーになってはいないか、とも感じられる。
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by akai1127ohi | 2008-02-07 19:29 | 政治理論 | Comments(0)
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