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鈴木道彦、『越境の時―1960年代と在日』、集英社新書

鈴木道彦、『越境の時―1960年代と在日』、集英社新書、2007年

日本におけるPolitical Theoryや政治哲学の、生きたテキストたるべき問題提起の良書であると思う。

1954年のフランス留学とアルジェリア戦争への関わりから、帰国後の小松川事件とその李珍宇の言葉の分析、金嬉老事件とその後の裁判闘争への関わり―――――これらが著者の連続した内面精神の自叙伝として綴られている。小松川事件など、知らないことも多々あった。

本書が問いかける問題も多いし、読者が感じとる問題も、その人の経験に応じて、各々多いだろう。

李珍宇は、自発的な悪を犯すことで自らの自由を確認しようとした青年、日本社会によって与えられた悪という自我から、自ら主体的に絶望的な巨悪を選びなおそうとした人間といえるだろう。著者の言う「否定性の自由」とはその意味だろう。しかし李珍宇は、それを日本社会という環境の責任を追及するのではなく、徹底的に自らの責任として望む。犯罪が自らの自由の確認のためであれば、当然、それは自らの責任を欲するだろう。そうすることによって、李珍宇の最大の敵である日本人と日本社会は、「無視という侮辱」を与えられる。ここに筆者は、一人の在日朝鮮人の青年をこのような境遇においた「日本社会」の責任と、「日本人」自らによる責任の解明の必要を見る。

だが筆者は、金嬉老とは、最終的に離れていった。
それは、裁判闘争における筆者の助言が、金嬉老から「権力者の言葉」といわれたことも関係している。筆者は率直に、日本人の「『民族責任』の意識が皮肉なことに「その責任をいささかも追及しない李珍宇の刺激で形成され、その責任をひたすら追及する金嬉老によって、かえっておびやかされた」」とさえ述べてもいる。

それぞれがその立場で正対せざるえない局面があるとして、「日本人」と「在日朝鮮人」との関係はいかにあるべきなのか。問われるべき問題は、双方に多く、答えもなければ、共通理解も得られていない。しかし、これが日本の文脈において、「日本人」が問うべき問題であるということだけははっきりしている。
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by akai1127ohi | 2007-12-22 13:46 | 政治理論 | Comments(1)

「持続的な瞬間ーオクスフォード経験記」 (その26)

「持続的な瞬間」 その26 (リスボンーここに地おわり、海はじまる)

「果たしてここに止まることは、安らかさのなかへの休息なのであろうか。歴史もなく、歴史に鞭うたれることもなく・・・・・・。」 (辻邦生、『旅の終り』)

                 ***

リスボンのオリエント駅に着いたのも、毎度のごとく黎明、深夜の3時ごろだったと思う。
吹き抜けの、とても広大な駅の構内で、震えながら朝をむかえた。なんとか街の中心部まで来て、小さな広場に面した、小さなホテルに一部屋を見つけた。

現在のリスボンの街並みは、1755年のリスボン大地震後に定礎されたものだ。
サン・ジョルジョ城から市内へ戻る高台の斜面は、リスボン大地震の被害をまぬがれたアルファマ地区で、袋小路のような石造りの家々や路地がきわめて複雑に入り組んでいる。私がここを通ったのはすでに夕暮れの時間で、哀愁の漂う生活の香りと、少し治安の悪い危険な香りが混在している細路地の街だ。ややもすると、香港の裏路地のような雰囲気さえして、ここの景観だけみれば、これがヨーロッパの街だと思う人はいないだろう。

リスボンの中心部からバスで20分ほど行くと、海辺に面したベレンという駅があり、ここの海岸が大航海時代のリスボンの繁栄と富を最も象徴している。幾多の船の出発と帰還を見てきた要塞、胡椒貿易によって建てられたジェロニモス修道院、そしてエンリケ航海王を先頭に、バスコ・ダ・ガマなどの航海者をかたどった巨大な「発見者たちの記念碑」が、海(実際はテージョ川の河口だが)に向って突き出している。そこで陽に当たったり、風に吹かれていると、どこか無性に懐かしい気分になった。

ジェロニモス修道院は1502年に着手された巨大かつ開放的な修道院で、そのなかはヴァスコ・ダ・ガマの棺がある。内装はむしろアラビア風で、はじめて「本物の」回廊を見た思いがした。ポルトガルが海洋世界の覇権を握った15世紀の大航海時代におけるリスボンの地位は、おそらく現在のニューヨークのようなものだったのだろう。

「世界精神の理念のさきの必然的契機が自然的原理として帰属している民族には、この契機を、世界精神の発展していく自己意識の前進のなかで完全に実現する任務がゆだねられている。この民族は世界史のなかで、この時代にとっての支配的民族である、-そしてこの民族は世界史のなかでただ一度だけ時代を画することができるだけである。」(ヘーゲル、『法哲学』、s347)

一時代を築いた覇権的帝国は、繁栄のあと、静かに世界史の後景に退いていく……。
西洋文明の基礎として栄えたギリシアは、中世から現代を通じて一貫して辺境困窮地域にとどまっている。ギリシアを征服して世界帝国を作ったマセドニアは、現在はギリシアの北にある小国家の名前として残るにすぎない。ローマ帝国を築いたイタリアの現代世界における政治経済的な影響力も同様に小さい。大航海の覇権を握ったポルトガルも、現在は過去の栄華への哀愁のみが漂う街である。そして七つの海を支配した大英帝国もまた、その分身であるアメリカに寄生して何とか新しい帝国のおこぼれに与っている。

「世界精神の現在の発展段階の担い手であるという、この民族のこの絶対的権利を向こうにまわしては、他の諸民族の精神は無権利であり、すでに自分の時代の過ぎ去っている民族精神と同様、もはや世界史においては物の数に入らない。」(ヘーゲル、『法哲学』s347)

自分はヘーゲルの説明を真に受けることはできないが、リスボンの細くて静かな路地を歩いていると、不思議なほどその言葉が妥当なものだという気持ちになってくる。ポルトガルは、いわば、まぎれもなく「すでに自分の時代の過ぎ去っている民族精神」だろう。今はすでに歴史の外に退出し、罪のない日の出と黄昏をくり返しながら、しずかに時を消化している。

春のイベリア半島の日の入りは遅く、夜8時頃が夕暮れで最も美しい時間だ。
路地と店内との境界があいまいなバルBarの入り口あたりに座って、外を眺めていた。通りから入りこむ風のにおいが、どこか痛切になつかしいと思うと、それは、一連の騒々しい新入生歓迎の行事がすぎさった後、静かになった駒場にただよう春の風のにおいだった。

移ろいゆく時の一瞬の美しさが、人生の時の有限さを悟らせ、静かな諦観を運んでくる。

大航海時代が立ち去った後のリスボンは、すでに歴史の外にのがれ出た街だ。
歴史の外にのがれ出て、静かにすごしていたいという気持ちになってしまう。自分はまだそうすることはできない。ここで勉強は出来ない。オクスフォードにもどってからの更なる研鑚を誓った。
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by akai1127ohi | 2007-12-17 20:46 | 「持続的な瞬間」 | Comments(0)

南原繁の学問と思想に学ぶ(第4回南原繁シンポジウム)

南原繁の学問と思想に学ぶ(第4回南原繁シンポジウム)
2007年12月1日・学士会館

前半は坂本義和、宮田光雄両教授の講演。後半は「南原繁をめぐる人々」と題されたパネル・ディスカッションで、加藤節先生をはじめとする五人の論者による、小野塚喜平次、河合栄治郎、高木八尺、丸山真男、新渡戸稲造についての報告。

坂本義和氏の話を聞くのは二回目。
一回目は福田歓一氏を「送る会」で、その時はとにかく号泣されていた印象しかない。
二回目が今回。やはりそのスタンスに自分が鼓舞される点が多い。南原への批判や、「真理立国」ではなく「真理超国」という結論。こういう「気恥ずかしいこと」をしっかり言える人は少ない。信頼できる方向だと思う。

加藤先生の発言、「南原繁と丸山真男―交錯と分岐」も、とても示唆的に映る。
まず何より、南原と丸山との関係を表する言葉として、「交錯と分岐」というのがいい得て妙だ。両者の関係は、合一でなくて「交錯」、対立ではなく「分岐」だろう。

二人はたしかにファシズムへの態度など、批判すべきものについては「交錯」している。だが日本社会の現実のなかで積極的に構築されるべきものについて、二人は「分岐」している。加藤先生によれば、丸山は、南原の「民族共同体」が「近代の超克」(の再来)に引き継がれる可能性を見て取る。戦後の日本の状況において、あくまで「民族共同体」の思想家として留まった南原にたいして、「自由で自立的な個人」を対峙した丸山のスタンスは「分岐」といえよう。

だがこの「分岐」はまた、決して対立ではない。
「個人の尊厳」が二回も出てくる旧教育基本法は、南原によって起草されたのだ。他方で丸山も、「自由で自立的な個人」の前に、一切の共同的価値を否定したわけではない。ここにこそ、その状況において思想家が対面した日本の問題、日本の精神的運命の問題がたのだろうと思われる。加藤先生の発言を聞いて、南原と丸山との関係と、その思想史的地位の複雑さ――それこそ交錯と分岐としか呼べえないもの――は、たしかに近代日本の思想的な状況を見るための「思想史的素材」となると思われた。

「著者(南原繁)が自由と個人から社会と民族へと意味づけの力点を移動させて来たとすれば、むしろその逆に、私は政治的=集団的価値の独自性をいわば自明の出発点として発足しながら、自由な人格への途を歩一歩とさかのぼって来たようです。思想のバトン継受のノーマルな順序からいえば何という倒錯か!そう気がつくと、私はいまさらのように、『近代』日本の数奇な精神史的運命を思わずにはいられません。」(『丸山真男集』第八巻)

しかし加藤先生は、結論として、真・善・美・正義が個人のなかにもたらす精神革命、これが再び南原と丸山の「交錯」ではないか、として、もう一つの「交錯」を挙げている。この再度の「交錯」を理解するために、やはり南原と丸山の全集、買わなきゃなあ、と思う。

その他、この会で興味深かったこと。

第一に、9条のこと。
愛国という価値は右翼に独占されていて、その語り方は画一化している。でも実のところ、9条という価値も社共を中心とする政党左翼に独占されていて、その語り方も画一化している(「9条は世界の宝!」といったように)。今回、財界人や学者による、9条についての別の語り方を見た。9条について、多元的な擁護があってしかるべきだ。

第二に、南原繁の意義。
昨年8月15日の安田講堂での「南原繁を考える会」では、率直にいって、なぜ今、丸山でも福田でもなく南原なのか、理由がわからなかった。ようやく、南原の現代的意義がわかったと思う。南原においては、その可能性と限界の双方が現在において意義を持っているからだろう。

個人を基礎にした、民主的な、質のいい国民国家を作ること、そのような南原の課題は引き継がれている。しかし他方で、私たちはもはや南原のいう「民族共同体」を、そのままでは新たな公共性のための集合価値にできないことを知っている。同じ方向性を向かいながらも、異なる集合価値を構築しなければならないこと、を知っている。それが、私たちの課題だろう。
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by akai1127ohi | 2007-12-11 21:03 | 日本政治思想史 | Comments(0)

27歳の地図

人波のなかをかきわけ 壁づたいに歩けば
しがらみのこの街だから 強く生きなきゃと思うんだ――
今 心の地図の上で 起こる全ての出来事を照らすよ Seventeen's Map
                        尾崎豊、『17歳の地図』

                 ***

11月27日、27歳になった。

27歳は今、おしなべて行き悩んでいる。
多様な生き方が認められた、といえば聞こえのいいものの、実際は、画一化された生き方の模範が崩れさってみんな右往左往しているのが現状だ。

社会の流動性がとどこおり、人材の登用についても柔軟性が失われ、階層の固定化が進んでいる。それにつれて、頑張れば(天皇を除いて)何にでもなれる、という確信が、27歳のあいだで薄らいでいる。

なりたい自分と実際の仕事との乖離に悩む27歳は、転職をくり返しニートになったりしている。モラトリアムの延長で大学院に行った人たちは、「高学歴ワーキングプア」になっている。結婚して、子どもの養育と自己実現のあいだで悩む27歳は、幼児虐待したりしている。

現在の27歳をとりまく日本社会の現実は、その親の世代が27歳だった時よりも、厳しいのではないかと思う。

自分がそうでないからではないか、といわれるかもしれないが、でもやはり、たんに「勝ち組」になれば良いという話ではないだろう。人や否応なくその時代とともに生きなければならないのならば、その時代に希望をもたらすような仕事をしたいと思う。

勝ち組だろうが、組織に埋もれて自分の生き様を刻めないのではだめだ。
負け組みという言葉に開き直って、自分の可能性を実現する努力を放棄してはだめだ。

同じ時代を、ある程度同じ境遇とともに生きる同時代のために、希望と展望を示せるような仕事をしたい。どのような仕事につくのであれ、どのような局面で生きるのであれ、その自分の「持ち場」を通して、同時代を勇気づけるような働きをしたい。
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by akai1127ohi | 2007-12-11 21:01 | Comments(0)

「持続的な瞬間ーオクスフォード経験記」 (その25)

「持続的な瞬間」 その25 (フィレンツェー都市と自由)

小学生のはじめの頃だっただろうか、郊外の画一的な集合住宅に住んでいた時、家のトイレにフィレンツェの絵葉書が掛けられていたのを覚えている。母親が掛けたものだ。私は子どもながらに、それを目にしていた。いつしか、フィレンツェはいつか訪れてみたい街の一つになっていた。

                         ***

フィレンツェは私にとって、ミケランジェロやドナテロよりも、むしろマキャベリやサヴォナローラの方が関心をひく街だ。

フィレンツェの黄金時代は、15世紀後半に尽きる。
マキャベリが生きた16世紀のはじめのフィレンツェは、フランスやスペインの興隆に埋もれて、すでに衰退の道だ。そのフィレンツェ黄金時代の最後のanomalyが、予言者的な雄弁家サヴォナローラだ。フランス軍の侵略を予言したということで宗教的権威を増したサヴォナローラは、堕落した教会と生活様式を厳しく批判し、二度にわたる「虚栄の焼却」によって、祝祭用の衣装や装身具、化粧品や楽器、俗悪な書物や官能的絵画を焼却した。しかし行きすぎた厳格主義に反発を感じた市民により、サヴォナローラは1498年、シニョリーア広場で火刑にふされる。

サヴォナローラが火刑に処された広場、Piazza della Signoriaを見た。
Uffiziの荘厳な柱と回廊をぬけると、空間だけで個人を圧倒する「広場Piazza」の政治的威力を認識させられる。はりぼての「民主の女神像」が、にわかにシンボライズされる天安門広場での出来事を思い出さないわけでもない。煽動的雄弁家のサヴォナローラが、極めて容易に煽動されながらもその方向性において予測不可能な群衆によって、救世主から涜神者として一気に火刑にふされる様子が想起される。

ウフィツィ美術館の前はすごい列だ。
美術が好きな人にとっては、一週間通い詰める場所なのだろうが、私にとっては、キケロを見つけて、キケロとtwo shotを撮ったら満足してしまった。何しろミケランジェロに恋に落ちているShizukaは、隅からすみまで見ている。そして、何気なく買った絵葉書に書かれた、ダンテの逸話や聖書のシーンについて、よく説明してくれた。Uffiziの一番上の展示室の端にカフェがあって、そこから市庁舎の時計塔がまじかに見えた。イタリアの旅に携行する書として、Q.Skinner、Foundations of Modern Political Thoughtは適切な書だったと思う。僕はShizukaが見入っているあいだ、Uffiziのカフェでそれをめくったりしていた。

ヴェネツィアに行ったとき、その教会建築を支える基礎として東方貿易による富があることを認識した。今回の旅では、富と並んで、かかる教会建築の創造性のもう一つの基礎は、自由でもあることがわかった。イタリアの都市共和国は、教皇権の介入にたいしては自治都市としての自由を、自治都市における政治の独裁化にたいしては政治参加による個人の自由を維持した。

個人の奇矯や独創性、非常識さが放任される社会的風潮がないところでは、芸術は育たない。ある種の毒がないと、だめなのだ。共和政ローマの最盛期においては、市民はモニュメントや彫刻、偉大な公共建築物を競い建てることによって都市への貢献と、自己の名声を高めた。芸術的創造性の基礎として、政治的な自由も不可欠だろうし、それによって、政治と芸術の幸福な結婚が可能になるのだろう。そして、北朝鮮とシンガポールにノーベル文学賞作家が出るには、まだかなり時間がかかるだろう、とも思った。

夕暮れのアルノ川の河岸を歩くと、高校時代によく自転車で通った、広島は牛田のあたりから眺める太田川の様子にも似ている。夕陽のせいかだろうか歴史のせいか、街全体が染まっているように見える。人生のなかで、いつかもう少し先に見るために、取っておいていても良かったような、そんな光景のような気もする。夕食は、学生の旅行にしては奮発して、フィレンツェのドゥオモのすぐ側面に位置し、カフェテラスからまさにドゥオモが見える位置にあるそのテラスで食べた。

僕らがフィレンツェで泊まった場所は、その名もMichelangeloというキャンピング式のホステルだった。市の中心部からバスで10分程度走った小高い山の上にあるのだが、山道がらせん状なため、直線距離では街からさほど遠くなく、丘の上からは、ドゥオモが手を伸ばせば届きそうな位置にたたずんでいる。一泊7ユーロで、二人ベッドのキャンプ小屋が東京ドーム大の大きさの敷地に広がり、衛生と若干の娯楽設備が保障された難民キャンプといった様相さえ呈している。

丘の頂上にはミケランジェロ広場という公園があり、夜でも若い人たちで大変にぎわっていた。展望台があり、そこから見える景色が素晴らしく、眼下にアルノ川が横切り、ライトアップされたUffiziの建物が浮かび上がり、その向こうにドゥオモが泰然として座っている様子が見渡せる。

そこに座って、ShizukaとNingningはアイスクリームを、僕は昼間に買った安いビールのボトルを飲んだ。三人で、フィレンツェにふさわしい形容詞を3つずつ挙げよう、と僕が言った。誰がどれを言ったかは忘れたが、それらは、若返らせるrejuvenating、気晴らしのrecreational、酔っぱらったintoxicatedだった。
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by akai1127ohi | 2007-12-07 21:36 | 「持続的な瞬間」 | Comments(0)

「持続的な瞬間ーオクスフォード経験記」 (その24)

「持続的な瞬間」 その24 (ローマ―Keep the first impression for the greatest.)

Long vacation――8月。
オクスフォードでの一年間の過程が終わった。
数ヶ月前からの計画にしたがって、中国人留学生のShizuka、NingNingと一緒に、イタリアとギリシアの旅へ出かけた。ロンドン・ガトウィック空港からヴェネティアへ、そこから電車でローマに着いて、テルミネ駅の近くの安いホステルにたどり着いた。

私はローマは二度目だ。
翌日の朝一番に、観光のとっかかりとして、ShizukaとNingningを、ヴェネティア広場の、通称ウェディング・ケーキと呼ばれる、V・エマヌエーレ2世記念堂へと連れて行った。すぐそばにある二千年前のフォロ・ロマーノ、祈念堂のすぐ後ろの、ミケランジェロの手になる中世のアラチェリ教会に比べれば、V・エマヌエーレ2世記念堂の建設は1911年と新しく、また建設にムッソリーニが関わっているため、ローマのなかでは不評の記念碑だ。内部には若干の博物館のような展示があり、イタリア統一戦争の歴史やイタリア軍の制服・備品などが飾られている。一言でいって、国民国家としての近代イタリアのイメージを鋳造するイデオロギー建築なのだ。

実のところ、前回、はじめて私がここを訪れたとき、フォロ・ロマーノの残骸よりも、この近代ロマン主義的建築物のimpactに、完全に圧倒され、いわば陶酔してしまった。そのときは折りしも何かのイヴェントで、小さな山のごとく泰然としたV・エマヌエーレ2世祈念堂の上で、軍隊のオーケストラによるコンサートがあり、それがイタリア国歌を演奏しだすと、やをら私のまわりのイタリア人たちが「イタリア、イタリア!」という歌詞を唱和し出した。記念堂の崇高さと、音楽の雄々しさに陶酔し、即席で、ダヌンツィオ顔負けのイタリア民族主義者になってしまったわけだ。

今回、あらためてこの場所を訪れると、SizukaもNingningも、まあ大きいわね、という程度の感想で、とりわけその「崇高さ」に圧倒されたというわけでもない。そう、女性の賢さに感嘆するのはこのようなときだ。やはり巨大建築物にイカれてしった私のmentalityは、ある種の弱さなのかもしれない。

夏のスペイン広場とトレヴィの泉は、もはやひっちゃかめっちゃかだ。
観光客の渦で、すべての人種と言語と慣習が入り乱れているような光景だ。10分もいると、そのなかのone of themである自分がどう立ち振る舞っていいかわからず、精神的にも肉体的にも参ってしまう。トレヴィの泉では、どこの農協からの団体旅行だろうか、日本人の中年の団体旅行客もいて、一見してあきらかに忙しい様子のカフェの店員にたいし、5ユーロ紙幣をぶっきらぼうに差し出し「アイス!アイス!」と連呼しているおじさんを見るにつけ、何ともいえない気分になる。

二度目の訪問となるヴァティカンには、どうしても批判的な姿勢を崩せなかった。
Shizukaはここでも優等生で、セント・ポール寺院やシステナ礼拝堂など、一般的に感動が予定されている場所では、その通りに感動していた。しかし私がそのとき強く考えたことは、観光スポットと化したヴァティカンは、もはや祈りの場所ではないということ。ここで祈ることはもうできない。自己を内省することはできない。ヴァティカンはもはや、形式的な場所だ。

大聖堂への列が混雑しているからといって、キューポラへ行くのを先にしなくて正解だったと思う。芸術作品を見るときは、段階的にインパクトのあるものを見て慣れていって、最後に一番素晴らしいものを見る、というよりも、まずはじめに一番強く巨大なインパクトのあるものを見て、それからインパクトの小さいもの、弱いものを見たほうがいいと思う。
まず一番素晴らしいもの、大きなもの、強いものを見て、そこで自らの目と心をガツーンとやられなければならないと思う。そのために、keep the first impression for the greatestしておかなければならない。

ローマについて初日の夜、ワールド・カップでイタリアの優勝が決まった。
外はクラクションを鳴らして走る車の列で大騒ぎだ。喧騒覚めやらぬなか、夜、Ningningがシャワーを浴びにいくと、部屋でShizukaと二人きりになった。

Shizukaはリモコンでテレビのチャンネルをしきりに変えた。
チャンネルが一周するごとに、ニュースやサッカーにまじって、成人映画に行き当たった。Shizukaは、どれか一つのチャンネルを見るでもなく、せわしなくチャンネルを変えながら、そこに行きあたる度に、「これがあなたの言うリベラルな社会ね」などと二言三言、悪態をついた。かといって、チャンネルを回し続けるのを決して止めないのだった。
とにかく、優等生は大変なのだ・・・・・・。
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by akai1127ohi | 2007-12-07 21:25 | 「持続的な瞬間」 | Comments(0)

「持続的な瞬間ーオクスフォード経験記」 (その23)

「持続的な瞬間」 その23 (マドリッド-夜の赤と朝の蒼)

マドリッドのアトーチャ駅は、ある意味で思い出深いところとなった。
できれば向こう20年間くらいは、二度と行きたくない。

私はマドリッドを発ってリスボンに行くことにしたが、駅の切符売り場のカウンターではとても長い時間待たされたし、やっと自分の番になると、こちらも切符販売員もイライラ。切符販売員の英語はおぼつかなく、情報把握もいい加減だ。いくつかの不正確な情報によって、私は、リスボン行きの夜行列車に、すんでのところで、乗り込めなかった。

夜行列車に乗り損ねたときほど、展望もなく、不機嫌なときはないだろう。
深夜に、リスボン行きの電車を逃した私は、どうせ何も変わらないとは知りつつ、とにかくチケット・カウンターの男にむかって怒りに任せてまくし立てた。その後、注意されると知りつつ、構内のベンチで横になり、案の定注意しに来た警備員に、こうなったのは駅員の責任だろう!と毒づいた。

駅は12時半くらいで閉められた。
これからどうしよう・・・・・・、何のつてもない。いまさらホステルを探したりお金を払うことが釈然としなかった。元来が学生旅行だし、どうせ明日の朝早くの電車に乗らねばならないのだ。しかし、はじめての野宿だ・・・・・・。何とも無謀とは分かってるが、自分なりに、心のなかで一つの壁をこえざるをえなかった。

さんざん歩き回って、最終的に、駅の近くの、三方にプラスチックの壁があってとりあえず風を遮断するバス停のベンチで寝た。狭いベンチのうえで、身動き一つせずにじっと横になった。どうせ熟睡はできないが、とにかく身体を休ませねば・・・・・・。

どれくらい時がたっただろうか、深夜、虚ろなまどろみのなかで、ジッ、ジジーッと、かすかにジッパーの開く音と、微細な振動が静かに胸に伝わってきた・・・・・・。ふと目を開けると、ぼんやりと二人の男が自分を囲んでいるのが見えてくる。まどろみのなかで、一瞬これは夢か現実かわからない。次の瞬間、現実だ!二人の男が胸元のポケットを物色しているのだ!

僕はガバッと跳ねおきて、とにかく叫んだ―――「何してるんだ!!!」
二人組みは走り去っていった。さいわいそのポケットには何も入っていなかったが、見知らぬ悪漢二人が自分のジャンバーのポケットを探っていたとは気味悪くてしかたない。

もうここで寝ることはできない!
明け方のマドリッドの街をさまよいながら、朝を待った。
やはり夜は寒い。少し歩いては座りこみ、またあてもなく歩き出す。本当に体も心も疲労困ぱいだ。そうこうしていると、空がようやく白んでくる。やっと、街が始動しはじめる。

朝の5時くらいになると、アトーチャの大通りには、一晩中クラブで踊っていた若い男女らの群れがどこからともなく湧き出て、最後の空騒ぎに興じる。タクシーがそのなかを縫うようにして走り出す。店が、バルが開いてくる。夜の赤いネオンの享楽の余韻と、朝の真新しい青が、マドリッドの街で交差する。疲れ果てて立ち尽くす私を無愛想にほおっておきながら、その何ともいえなく美しい街の光景が浮かび上がってきた。

ようやくアトーチャ駅が開き、僕は寝不足、憮然とした表情でパンショップのコーヒーを飲んで、リスボン行きの電車を待った。

朝9時ごろだっただろうか、スペイン国境の街バダホまでの電車に乗れた。マッチ箱のような電車で、よく揺れた。スペインの太陽に照らされた草原の風景を眺めるのも束の間、僕は車窓にもたれかかって寝た。
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by akai1127ohi | 2007-12-07 20:57 | 「持続的な瞬間」 | Comments(0)

「持続的な瞬間ーオクスフォード経験記」 (その22)

「持続的な瞬間」 その22 (マドリッド-Hirokiさんとの交錯)

スペインと呼ばれる場所では、人は、無軌道に放出される本能や自然を、巧妙な理性でしぶとく抑制していない感じがする。それは男のひげ、女の胸を見ればわかる。人間交際においても――文字どおり物理的に、比喩的に心理的に――人と人とのあいだにproperな距離を保つという意識が薄いため、私にとっては過ごしにくいところだった。特段の事情がなければ、二度と訪れない国だろうと思う。

                       ***

イースター休暇は、スペインとポルトガルに出かけた。
最初に降り立ったのはマドリッドで、プラド美術館、ソフィア王妃芸術センターで「ゲルニカ」を見た。プラド美術館の「ゲルニカ」にもあまり心動かされなかった私としては、街をよく歩いた。イタリアに似た南欧風の街並みだが、それがもう少し粗雑化されている様子だ。享楽的に遊ぶという、そういう覚悟と予算と蛮勇の上で来るなら、たしかに愉しい街だろう。

その人の名前は、Hirokiさんといった。
地下鉄オペラ駅のすぐ近くのユース・ホステルで知り合った日本人だが、なぜかローマ字で書きたくなる。会ったときが、Hirokiさんだったからだ。年が自分より3つほど上であること以外、ほとんど知らない。Hirokiさんはスペイン語が若干出来て、マドリッドにいた2,3日のあいだの夜、一緒にマドリッドの街を歩いた。

ホステルのラウンジに、ホステルが主催する、若者たちのためのサルサ・ダンス・クラブ・ツアーの企画のお知らせが貼ってあった。格安だったので、夜、Hirokiさんと一緒にそれに出かけた。

参加者は夜7時ごろ、プエルタ・デル・ソルに集合した。プエルタ・デル・ソルはマドリッドの中心となる広場で、東京でいえば日本橋のように、地方へ伸びる道路の起点となっている。
一軒目のクラブは僕もHirokiさんも何とかしのいだが、やはり雰囲気がすごい。スペインと、high teensと、カクテルと、ダンスとの相加相乗効果で、modestな人には着いていくのだけで大変な雰囲気だ。

二軒目はいよいよ広いダンス・クラブになった。
僕とHirokiさんは、年齢上も精神上も、とてもついていけない。
唯一、Emaという名前の、見るからに若々しい生気にみなぎっているAmerican-Chineseの女の子が、何度か僕らを輪に入れるきっかけを作ってくれて、僕はそれに積極的に乗ろうとしたが、やはりEmaがいなくなると、脇で待つHirokiさんのところへ戻ってしまうのだった。しかし率直なところ、マドリッドでhigh teensのスペイン人やアメリカ人とディスコで踊れる日本人なんて、たぐい稀な鈍感と蛮勇とナルシズムの持ち主でなければ無理だ。

ダンス・バーの脇のほうには、僕らと同じようにディスコの輪のなかに入れない30歳くらいのドイツ人の男と、場違いにもこの企画に参加してしまったアメリカ人の壮年男性がいて、結局、僕は彼らと、端のほうで蛇踊りのような変なダンスに興じていた。Hirokiさんはというと、その蛇踊りに加わることもなく、やたらと騒がしいこのディスコの壁際で、何やら紳士的な様子でカウンターに手をついていた。

そのツアーは6軒のダンス・クラブをはしごするものだったが、何とか僕らは、3軒目のダンス・クラブまではついて行った。結局、Hirokiさんと僕はそこで抜けた。あの調子では、最後のサルサ・クラブに着くのはもう朝方だろう・・・・・・。

その後、二人でマドリッドの街を歩いた。
はじめて覚えたスペイン語は、「vonita!(かわいいね)」だった。プエルタ・デル・ソルから北側に伸びる通りは、いわゆる夜の街で、そこを通り抜けたとき、どう見てもその言葉にふさわしいとは思えない、百戦錬磨といった迫力のある女性たちに声をかけられて、Hirokiさんが臆せず答え返していた言葉だ。

マヨール広場の近くの路地に、朝まで開いている小さなBarがあって、結局Hirokiさんとそこで安ビールを飲んだ。Hirokiさんは、南米やヨーロッパをめぐるこれまでの旅行行程、世界旅行に出るきっかけやそのときの両親の反応、水道橋にある以前勤めていた会社のこと、などを話してくれた。水道橋のあたりの様子が、にわかに思い出されて、何とも懐かしい気分になった。

僕らがホステルに戻ったのも、深夜になっていた。
酔った体に、春先の風が気持ちよかった。ホステルは、夜でも赤明るい通りに面しており、窓を全開にしたホステルのラウンジで、階下からまだマドリッドの夜の喧騒を聞きながら、いく人かにメイルを書いた。

マドリッドを発ったのは、Hirokiさんが先だった。
昼の日差しが強いなか、地下鉄オペラ駅の上の広場で、Hirokiさんを見送った。別れ際、Hirokiさんは言った。
「Akaiチャンも、明日には過去の人ですね」
幾重にも折り曲がったそれぞれの人生が、一瞬、マドリッドで交錯した。
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by akai1127ohi | 2007-12-07 20:48 | 「持続的な瞬間」 | Comments(0)
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