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あなたらしくない!

『宮廷女官チャングムの誓い』 (대장금) MBC・全54話

やっと見終えた……、全54話。
はじめて見たのが昨年末だから、あしかけ一年にわたる『チャングム』とのつき合いだった。

走っている時は最後まで走り抜けることを、立ち止まっている時は再び走り出すことを、『チャングム』は教えてくれた。この一年間、走りつづけることができたのは、『チャングム』のおかげだ。そして、それぞれの登場人物にそれぞれ印象的なセリフがあった。
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「あなたらしくない!」
「らしさ」は、教養ある人たちには評判の悪い言葉だろう。男らしさ、女らしさ、教師らしさ、日本人らしさ・・・・・・。しかし、「らしさ」がこれほどpositiveな響きで発せられる仕方もあるのだと、再認識させられた。

いく人もの人たちが、チャングムに思いを託して倒れていく。
チャングムがそのプレッシャーに耐えられなくて弱気になるときに、ハン尚宮をはじめとする、チャングムのサポーターたちが叱咤する言葉がこれだ――「あなたらしくない!」

自分はできなかったけども、あなたならできるはずだ。
自分にはない才能を、あなたは持っている。だからこそ、自分と一緒に倒れていくことは決して許さない。あなたは走りつづけなければならない。そんな弱気な姿勢は、「あなたらしくない!」

一番好きな場面は、ハン尚宮とともに済州島に流され、その道中でハン尚宮を失ったチャングムが、済州島の海を背にして、ただただ宮中での「復讐」を誓うシーンだ。このままでは、志なかばに倒れていった人たちの人生が、そして何より自分自身の人生が、意味のないものになってしまう。多くの人の怨念と希望を背にして、もう、話すことさえしなくなったときの、あの強いチャングムの眼差し・・・・・・。本当に本気の人は、もうあれこれと、語ることさえしなくなる。ただただ、その眼差しにすべてが託されるんだろうと思う。

ちなみにハン尚宮を演じたヤン・ミギョンのファン・クラブのHPには、「私のハン尚宮」というコーナーがある。ハン尚宮のように、厳しくそして優しく接してくれる恩師の紹介だ。誰もがそんな、自分のハン尚宮を持っているのだ。

「みずから大きな山となれ!」
チョン尚宮は、何とも気骨のある婆さんだ。決して筋を曲げない人の強さと、そんな竹を割ったような真直ぐな人が、人生で一回だけ筋を曲げるときのタイミングの心得方が、なんとも素晴らしい人だ。チョン尚宮が、最高尚宮になったものの四面楚歌になるハン尚宮を、強く励ました言葉がこれ。なんか、文字にしてしまえば単純だが、そのタイミングといい、熱意といい、すごいインパクトをもって聞こえた。

「気弱なときは小さな風も向かい風に思える。小さな山も大きく見える。ハン尚宮!みずから突風となれ。みずから大きな山となれ!」

「これが私の愛し方なのです!」
女性の才能にほれこんで、自分の分相応をわきまえながら、その人を影ながらサポートしていく、そんな「愛し方」ができる男。ミン・ジョンホはそういう男だ。私が思うところのGentleman-shipというのは、こういうpersonalityをいうのだと思う。きむたくを思い返してみても、日本人の俳優でミン・ジョンホを演じられる男優はいないだろう。

愛し方は多元的だ。
相手を思う気持ちは普遍的でも、その表現の仕方は多元的だ。それはその人自身が、その状況や信念にしたがって選ぶべきことだ。

国の愛し方も同じだ。日中に街宣車で愛国をふれまわるのも愛国心なら、忍ぶ恋と決めて、軽々しく祖国愛を公言しないのも愛国心だ。愛しているならそれを口にしなければならないとするのは、己の「愛し方」に陶酔した自己満足だ。

その他にも実に多くのfavorite scenesがあったけど、枚挙に暇がない。
『冬ソナ』もだけど、『チャングム』にも本当にはまった。努力することと、自分の運命を自分で主体的に切り開こうとすること、走り続けること、その大切さを本当に再認識するドラマだ。また、ドラマとはいえ、女性のこのような生き方を主題化する作品を作れるという点で、韓国社会の先進性も感じる。

将来、ハングルの勉強をもう一度本気になる時があるかもしれない。
その時は、『チャングム』をもう一回見直そうと思う。
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by akai1127ohi | 2007-11-30 17:18 | Comments(0)

「持続的な瞬間ーオクスフォード経験記」 (その21)

「持続的な瞬間」 その21 (Janus Japanーヤヌスとしての日本)

大学助教授時代のライス国務長官と話したという青木昌彦、ポール・ボルガーとは「心の通う友人」だという野村証券会長の何某さん・・・・・・。日経「私の履歴書」は、面白いのだけど、そこはかとない自慢話のオンパレードだ。自慢やのろけをセイブする自制心がなくなってしまった人たちの姿が見える気がする。

なるべくそうなりたくないので、あらかじめ言っておく。
Timothy Garton-Ashと私の関係は、師弟でも「心の通う友人」でも何でもない。Timothy Garton-Ashにとって、私は一介の質問者にすぎず、氏は私を決して覚えていないと思う。
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三学期制をとるオクスフォードでの最初の学期、ミケルマス・タームの最終日に、他のカレッジの学者著名人を招いて行なわれるリンカン・カレッジのPPE eveningがあった。PPE Eveningとは、その日のために特別に招かれた講演者のまえで、教官と学生が同じ立場で質疑応答を共有し、しかるのちにディナーを食べて歓談するというものだ。教官と生徒がこのような学問的イベントで同じフロアから議論を共有するのは、東大にはないオクスフォードの慣習だと思う。

講演者は近代史の歴史学者・外交評論家でセント・アントソニーズカレッジの教授、Timothy Garton-Ash。この人はガーディアン紙のfrequent contributorでもある。デイビッドにいわせるとepitome of liberal conservativeという御仁で、日本でいえばさしずめ寺島実郎か藤原帰一あたりのスタンスといえようか。タイトルは”Janus Britain”というもので、その内容はヨーロッパとアメリカとの間でのヤヌスとしてのイギリスの地位を取りあげたものだった。

講演の冒頭、Timothy Garton-Ashが会場の聴衆に質問して言った。

今私たちはどこにいるのか?
もちろん、リンカン・カレッジという具体的場所をこえて、より大きな視野で問うた場合に。すなわち、今われわれは、ブリテンにいるのか、それともヨーロッパにいるのか?

この質問に、ほぼ9割の学生および教官が、瞬時に「イエース」の声とともにヨーロッパに手を挙げたのが印象的だった。これがイギリス人の一般的反応でしょう、とGorton-Ashが納得したように言うと、最前列にいたローゼン教授が「注意深く選ばれたイギリス人だがね(Carefully selected)」と一言つけくわえた。

講演の内容は、分析するどくとも方向指図的ではなく、かかるブリテンのヤヌス的位置をどうするかは将来の政治を担う君達次第、というような結論であった。

しかし、自分としては、ヨーロッパとアメリカのあいだのJanus Britainとあれば、アジアとアメリカのあいだでのJanus Japanが連鎖的に想起せざるを得ない。自分がリンカン・カレッジにいるのは、自らがイギリスの学問と気風を吸収するのみならず、当地の教育に文化的多様性を付加するためにもまた派遣されていることに鑑み、勇気を出して質問してみた。

東京の繁華街で通行人に、今私たちがどこにいるのか、日本にいるのかアジアにいるのか?と質問したら、アジアにいると答える日本人は、ヨーロッパにいると答えたイギリス人よりも、おそらくはるかに少ないのではないか。日本の一部の人たちは、日本がアジアに属しているというより、アメリカに近いことを望んでいる感さえあるが、大陸アジア諸国とアメリカとの間における日本と、大陸欧州とアメリカにおけるイギリスとの類似性や相違について、どう考えるか、というようなことを、自分は話した。

もとより、Timothy Garton-Ashはヨーロッパ政治が専門なので、自分はアジアのことは期待通りの答えが出来ないといって、Janusといえば、オーストラリアもアジアへの軸足とイギリスへの軸足で二面的だが、というようなことを述べていた。その間、前列のほうに陣取った、同学のイギリス人学生たちは、通常は無口なことが多いAkaiがやおら質問し出したと、最後列にいたこちらを振り向くように笑いながら見ていた。

幸いにも、講演終了後のディナーと懇談の際に、彼らの数人から良い質問good questionだったと感想をもらった。こうしてとにかく、オクスフォードでの最初の学期は、多くの困難と失敗がありつつも、この「良い質問good question」とともに終わった。
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by akai1127ohi | 2007-11-30 17:01 | 「持続的な瞬間」 | Comments(0)

「持続的な瞬間ーオクスフォード経験記」 (その20)

「持続的な瞬間」 その20 (春のパンティング・ボート)

「いいかい、きみ。すべての理論は灰色で、緑に茂るのは生命の黄金の樹だ。」 ゲーテ
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5月をすぎると、春はオクスフォードの街を素晴らしくきれいにした。
冬のオクスフォードもきれいだったのかも知れないが、それを感じる内面の余裕がなかったのかもしれない。モードレン・カレッジの前からクライスト・チャーチ・メドウにつづくその名もバラの道Rose Streetは、ついついそこを通り抜けたくなるような、緑や花にあふれた場所だった。

春の陽気に誘われて、日中を屋内での読書に費やすことが惜しく、ついつい外へ出てしまう。むしろロンドンのスモッグと煩雑のなかに身を置いたほうが、漱石のような「下宿篭城主義」はとりやすいのかもしれない。

ケンブリッジとオクスフォードの双方にそれぞれケム川、チャーウェル川という小川があって、そこを優雅に流れるパント・ボート(ゴンドラのような小ボート)がそれぞれの大学街の風物詩となっている。

5月ごろだったろうか、Yum-yumと一緒に、初めてこのパント・ボートに乗った。

オクスフォードの政治思想家アイザイア・バーリンが、パント・ボートの上で背広姿で本を読んでいる写真があり、私もこれをまねてスーツでパントに読書で写真をとろうとさえ目論んでいたところ、ちょうど数週間に一度訪れるcloth crisis-怠惰による洗濯回避による服の不足!-により黒い靴下がなく、スーツでのパント乗船は次回にすることにした。

しかしこれは正解だった。
実際、パントをこいで見ると極めて操縦が難しい。3メートル程度の鉄の棒で川底を押しながら進むのだが、この棒が極めて重い。奥ぞまった小さな入り江にボートの停留場があるのだが、そこでボートの前進やら方向転換やらに四苦八苦して、小川の流れに出るまで15分くらいもかかってしまった。

川底を強く押した契機に、棒が川底に突き刺さってしまい、ボートがそこからはなれて操縦不能となり、通りかかった別のパント・ボートに助けてもらったりもした。Yum-yumは、小さいながらも器用にボートの進路を操縦できたが、僕がやると、何度も川岸に茂みに突進してしまい、yum-yumを木の葉まみれにした。最終的には、スーツで優雅な川下りどころか、どこかヴォルガの船引きを連想させるパント初体験となったが、うまく操縦できるようになれば、実に愉快なrecreationだろうと思う。
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by akai1127ohi | 2007-11-30 16:56 | 「持続的な瞬間」 | Comments(0)

山脇直司、『公共哲学とは何か』、ちくま新書、2004年

同書は、加藤先生の『統治二論』(岩波書店)と並んで、今年の三大収穫の一つになるだろうと思う。サントリー学芸賞をあげたいと思う。

本書は、conceptuallyに豊かで、消化するのに時間がかかる(なので、以下、私のコメントも、conceptuallyに分散的になってしまう)。また、「公共性」を概念軸とした、大きな枠組なので、内省をへないと、頭のなかで整理がつかない。「グローカルな公共哲学」、「活私開公」など、微妙な新語、造語もある。しかし、「専門化」という言い訳のもとで、それぞれの学問的ディスプリンが、totalな現実世界の把握から逃避している現状にたいして、きわめて規範的な問題意識とともに立ち向かっている、良書だと思う。

以下、いくつか本書と「公共哲学」のキーワードに沿ってコメントしたい。

1 公と私
本書は、戦前の教育勅語に見られた「滅私奉公」の考えで現代の公共性を再構築することを、何よりも否定・批判する。これは揺るぎない前提として一貫している。他方で本書は、ミーイズムや「原子化」、「私化」に向かう個人主義など、「滅公奉私」的思考も批判する。ひきこもり、低投票率、政治的無関心など、残念ながら、かかる意味での「滅公奉私」的思考が見られるのも現代日本の現実といえよう。

しかし慧眼なのは、現代日本において、復古的な滅私奉公と若年層のあけすけなエゴイズムが、実のところ結びついているという本書の分析だろう。

「この滅私奉公と滅公奉私という考え方・ライフスタイルが、対極にあるようにみえながら、どちらも個人の尊厳や他者感覚と切り離せない「公共性」の次元を欠いている点で、共通していることです。・・・・・・滅公奉私的な風潮が瀰漫する現代日本で、戦前の滅私奉公を美化するマンガ本が何十万部も売れている現状は、その端的な証しだといってよいでしょう。」(pp30-31)

およそ公共的責任とはかけ離れた「2ちゃんねる」の若者たちが、その無意味さを悟ると、急に国家や日本の国柄に自己投影しだして、小林よりのりや麻生太郎に連結する現状を想起する。

共通して公共性や他者感覚を欠いた「滅私奉公」、「滅公奉私」に対して、筆者は、個人の自発性や創造性を発揮させて、新しい公共空間を構築する「活私開公」という理念を対峙させる。「活私開公」という思想の内実については、これから実体化される作業であろうと思うが、基本的な方向性としては、意義のあるものだと思う。

公と私、全体と個人という関係性について著者のとる立場には、ほぼ全幅の信頼を置くことができるように思う。筆者は、南原の「民族共同体」の思想に立ち返って、南原の関わった「旧教育基本法」につき、それが利己的な個人主義を放任するものだとする保守派の思想に、間接的に反駁している。思い返してみれば、そのなかに「個人の尊厳」が二回も出てくる「旧教育基本法」は、フィヒテ哲学を援用して、戦後日本社会を「民族共同体」として再建しようとした南原によって起草されたのだ。「旧教育基本法」は、そのような、個人と共同体の関係をめぐる真摯な営為の産物であったという思いを強くする。そしていまさらながら、その「教育基本法」を改定して国家の「共同性」を回復したかのごとく手柄にしている安倍の、途方もない浅はかさと愚かさに、もう、「げんなり」とせざるをえない。

2 日本における「革新的公共哲学」の伝統
本書は、「公共性」という視点からプラトン以来の思想史を簡潔に再叙述するのだが、日本においては、「革新的公共哲学」の担い手として、丸山と南原が言及されている。そして丸山以後、その「革新的公共哲学」の伝統が、継承されていないと述べる。

具体的には、政治的現実のレベルでは、全共闘運動が、その甘えと不毛さによって、日本の市民運動の持続的で公共的な発展へとつながらなかったこと、学問的レベルでは、政治学でも経済学でも実証主義が席巻し、古典的な哲学の営為を現下の社会状況に活かそうとする学者を異端視さえするという事態が、今日に至るまで再生産されていること、を指摘する。

「かくして、70年代以降、社会科学界や哲学界は著しく創造性を失いました。それを本書は、「学問の業界化」と呼びたいと思います。そもそも学問の世界は、「それまでの蓄積をもとに批判と想像によって不断に更新されていくべき公共知」が主に追及されなければなりません。しかし、そのようなダイナミックな公共知が展開されず、同業者仲間のピアレヴュー(仲間うちの評価)やネポティズム(縁者びいき)によって、学問がなかば「私化」されていくような状態は、学問の業界化にほかならないでしょう。」(p121)

3 「学問の構造改革」
本書の区切りによれば、19世紀末葉から、社会科学の専門科学化が始まる。
学問や学科体制が細分化され、知的営みは極度に専門化された同業者内部での競争や評価によって再生産され続けている。ここにおいて「公共哲学」がめざすのは、専門分化した個別科学の成果を踏まえつつ、再度、社会研究の統合、社会の全体像の追及の志向である。
学問の構造改革、専門化された諸学の再統合と、それによって再び学問が、現代社会との緊張関係と、現代社会の全的認識への目標を回復すること、これが「公共哲学」の学問的狙いであるように読める。そしてそれは、以下のような現状認識に基づいている。

「冷戦体制下の戦後日本はマルクス主義や社会主義という理想が熱っぽく語られましたが、それは多くの場合、リアルな現実との対応関係をもたないという意味で、どうやら理想主義的理想主義、つまりは観念論、単なるユートピア主義に終わったようです。そして今度は、そうした観念論やユートピア主義への反動として、実証主義が学問界を、シニシズムが現在の日本社会全体をそれぞれ覆っているような印象を、筆者は抱いています。しかしそうした閉塞状況を打破するために、一部の論者によって、公共哲学ならぬ「国家主義的公共哲学」が喧伝されている現状は、時代錯誤以外の何ものでもありません。」(pp225-6)

ちなみに、著者によれば、丸山が批判した学問の「タコツボ化」は、皮肉なことに、「東京大学本郷キャンパスの学部学科体制の現状をみてもよくわか」るという。

以下は私の印象だが、政治思想史は、日本の学問のdisciplineのなかでは相対的に、「専門化」が進んでいる領域だろう。とくに本郷の政治思想史は、その「専門性」の代償として、文献研究の精緻さや、「定説を裏返すことの興味」のみに尽きている職業的な作業になっている。政治をtotalに把握しようとするスケールでの「認識への欲求」ではなく、単に職業的な論文を書くという卑小な目的のみが、なすべき仕事になっているように思える。そして、そのような職業上のメソッドに順応することが、職業的研究者の領分であるという認識さえあるように思う。(倒錯だと、今は思うけれども)。そこではもはや、政治や世界についてのtotalな認識など、二の次つぎ三のつぎなのだ。ましてや、現実の政治や、政治的運命と自己の研究との緊張関係など、研究の評価とは無関係となってしまう。だから、選挙に行かない政治学者のような、途方もない愚か者さえ容認されてしまう。選挙に行かないルソーイアンのような、噴飯ものの倒錯さえ、問題視されなくなってしまう。何とも情けない本末転倒のように思える。

4 公共哲学と戦争
本書で著者は、イラク戦争にたいする言論をめぐって、政治学者の反応を「御用学者」として厳しく批判している。他所では、本郷の、国際政治のT教授と日本政治外交史のK教授を、「御用学者」として痛切に批判しておられる。

5 価値的前提
アリストテレスの女性差別はプラトンよりも「後退」していた、それはアリストテレスの「限界」であった、というような記述において見られるように、本書は、歴史における進歩や、ある種の目的論的前提を公言している。それに固有の問題もあるだろうけれども、むしろ、歴史における進歩や普遍的な共通認識の構築を放棄した、「寛容な」相対主義こそ、現在の日本の社会科学の不毛さ、これから先の方向性についての展望のなさの原因であろうと思う。

6 公共哲学とカント
公共哲学という営為をなす上で、本書において最も示唆的な思想として言及されているのは、やはりカントだ。学問の専門分化・職業学問化を乗り越え、現実と切り結んで、totalな社会認識、世界認識に達しようとするならば、やはりカントにおける「理性の公共的使用」というideaが、頼るべき支柱とならざるをえない。また、当然ながら、公共哲学は、国民国家を超える枠組での認識を要求する以上、カントのコスモポリタニズム、世界市民的公共性という方向をめざすものにならざるを得ないだろうと思う。

7 私の感想
本書は、言うなれば、「公共哲学」のmanifestoだ。
manifestoは、問題提起としての大きな意義があるが、同時に、総花的すぎたり、達成可能性についての疑問符がつきやすい。しかし、問題提起が大きすぎるからといって実現不可能だと決め込むのではなく、その問題提起を真摯に受け止め、実体化するような姿勢で、「公共哲学」と接していきたいと思う。
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by akai1127ohi | 2007-11-18 03:45 | 政治理論 | Comments(5)

『徒然草』―人間の分析と共感

「人、恒の産なきときは、恒の心なし。人、きはまりて盗みす。世治まらずして、凍たいの苦しみあらば、咎の者絶ゆべからず。人を苦しめ、法を犯さしめて、それを罪なはん事、不便のわざなり。」(吉田兼好、『徒然草』、第142段)

以前、大阪の公園で生活しているホームレスと、それを排除しようとする市当局とがもみ合いになっているニュースを、テレビのワイド・ショーで見た。そしてそれについて数人のコメンテイターが意見を述べていた。

ある高年の女性コメンテイターが、以下のように言っていたのを覚えている。
なぜ「かれら」は―――ホームレスのことだが――、おしなべてたばこを吸っているのか?それから、きちんと生活態度を改める契機として、毎日ちゃんとひげを剃ったらどうなのだ?

「徒然草」が、古典のわりにはaccessibleで、今でも比較的よく読まれているのは、吉田兼好の人間分析が、対象への共感と、自分を振り返ってみての内省に満ちているからだろう。罪人であれ市井の人であれ、おそらくホームレスであれ、ただ対象を観察するのではなく、対象のなかに、自我の人間性を見ている。つまり、「自分を棚に上げ」ていないのだ。

「人、恒の産なきときは、恒の心なし。」
安定した生活を失ったり、目標を喪失したりした人には、生活をきちんとしようという気持ちが失せることがある。幸運にもたばこを吸わない生活ができている人が、そうでない境遇の人にたばこを吸うのは贅沢だとか、髭をそれとか言うのは、完全に「自分を棚に上げている」。(そもそもホームレスのタバコは、その辺で拾ったしけもくだろう)。また、そのような人は、自分と異なる境遇の人間の心のあり方についての、想像力の乏しい人だろうと思う。
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by akai1127ohi | 2007-11-18 03:43 | Comments(0)

「持続的な瞬間ーオクスフォード経験記」 (その19)

「持続的な瞬間」 その19 (中国人「問題」-When in Oxford, do as Oxonians do)

「四月六日〔土〕 今日Camberwellを歩行いていたら二人の女が余を目にしてleast poor Chineseといった。」 (『漱石日記』、岩波文庫、p52)

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以前、ダブリンの街角の売店で新聞を見ていると、店の主人に、No Chinese news paper here!と、強い口調で言われたことがあった。自分は日本人だというと、店の親父は、すまない、日本人か、それなら同志comradeだ、といい直した。

オクスフォードのFarewell Luncheonで、国防省から出向して国際政治を教えている実務家の教授と話したとき、とにかくその人は反共的で、日本は中国からアジアの覇権headmenをとり返せ!と、変な激賞を受けた。

ヨーロッパ社会における日本人にとって、やはり避けて通れないのは、アジア人であることから来る問題、そして中国人との関係にまつわる問題だと思う。中国人を蔑視するアングロ・サクソンの風潮や、日本人をそれと比較して信頼できる国民と位置づけ歓心を買おうとする英米人のmentalityは、私が一番に嫌うべきものだ。

だが同時に、かかる中国人蔑視を招きかねない行動を、一向に改めようとしない一部の中国人の言動や、自らが蔑視されていることにまるで無頓着であるかのように見える中国人のmentalityは、私が二番目に批判したいことだ。

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駒場のとき、一ヶ月間、アイルランドの首都ダブリンに語学留学したことがあった。
ホームステイ先では、私のほかに二人の中国人がいた。一人はウェイという真面目な学生で、朝早く起きてたいてい私と同じ電車に乗って語学学校に向かった。ウェイは日本の政治制度にも興味があって、天皇と総理大臣と二人の実力者がいるのに、どうしてお互いにけんかしないのかと真剣に訪ねてきた。また彼には肺に持病があって、医者に症状を伝えるために必死で医学用語を覚えていた。

たがもう一人の中国人は、まるでアイルランドというヨーロッパ社会の生活に順応しようとする意志に欠けていた。ユニット・バスでいつもタバコを吸ったり、夜中に音楽をかけたりしていた。一緒に街を歩けば、「これで渡るの?」というタイミングで信号無視をして、いつも車のクラクションがあとに続いた。何より困ったのは、食事のときに彼が、日本での生活では考えられないような音をたてて食べることだ。完全に口をあけたまま咀嚼し、クチョクチョチャッチャという音がいつも食卓に響いていた。ホーム・ステイ先の老夫婦は、なれているのか、苦笑するだけで注意しなかったが、実際、私にとっては耐えかねるものだった。とにかく、その咀嚼音を聞くと、こちらの食欲がなくなるのだ。

二人と一緒にパブに行くと、その中国人はあたり構わず煙をあげて中国タバコを吸った。
若い女性のウェイターがビールを運んでくるとき、ぱっと彼のタバコを取って、そこに書いてある、おそらく彼女にとっておどろおどろしい漢字を怪訝そうに眺めては、また机の上に戻した。こんな些細な光景も、私は敏感に観察せずにはいられなかった。彼は結果的に、その後のアイルランドでのパブの全面禁煙に一役買ったのかもしれない。

しかし私には妙なこだわりがあって、ホーム・ステイ先の老夫婦の前で彼の食事のマナーを注意することはしたくなかった。おそらく、ヨーロッパでの食事の作法について、ヨーロッパの人間をさしおいて日本人の自分が説明するのは本当ではないし、何より、今となってはいささか大げさな意地とも見えるが、基本的にはアジア人である自分が、ナイフとフォークと無音咀嚼で世界を席巻するヨーロッパ文化帝国主義の走狗になるかのようで嫌だったのである。

だからいつも、私はその中国人に、滑稽なほど婉曲的な言い回しでヨーロッパのcivil mannerへの自覚を促していた。「なあ君よ、When in Rome, do as Romans do(郷に入りては郷に従え)という諺しってるかい?同じように、When in Dublin, do as Dubliners doだとは思わないかい?」など。だが当然、相手はまったく婉曲の背後の意味を合点することはなかった。

一回、朝食のときにダイニングでたまたま彼と二人きりになったので、はっきりと言った。
私は、君がちゃんと口を閉めて食べるべきだと思う。それがヨーロッパのやり方だし、その慣習のなかでは、クチャクチャという音はとてもimpoliteに捉えられるだろう、と。彼は、わかったようなわからないような言葉で、アー、といってとりあえずはうなずいていた。

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オクスフォードの中国人留学生は、在英期間も長く、英語もみな流暢だったので、生活上のmannerの点では西洋化されている人が多かった。しかし基本的には全寮制のオクスフォードで、共同の日常生活を通じて、問題もあった。

yum-yumの部屋に転がりこんでから、熊の小道Bear Laneと呼ばれるその寮で、東欧からの二人の女性留学生とyum-yumが、いわば井戸端会議のように、中国人の留学生のキッチンの使い方について不満を述べているのを知った。寮内が、中国人の学生達とそれ以外に二分されている雰囲気があったので、私は一度、それはかっこいいことではないとと思うと、yum-yumに直接話したことがある。

ある日、熊の小道Bear Laneの二階のキッチンで料理していたとき、窓を見ると、三階のほうから白い煙が漂い振ってきている。何だろうと思い、万一のために、料理を中断して三階の上がってキッチンの扉を開けると、三階のキッチンは一面白い煙で何も見えない!火事の一歩手前だ。いそいで廊下に出て、Anyone who is cooking!!と叫ぶが、誰も出てこない。消火のための救援を求めるつもりで最寄の部屋のドアを開けると、中国人の学生が眠けまなこで出てきた。そして、彼が料理をしていた本人だった。火をつけておきながら居眠りしていたのだ。急いで一緒にキッチンに入ると、彼はおもむろに火を止めて、あーあ、という感じだった。

驚いたのは、火事の一歩手前なのに、彼にまったく危機感がないことだ。
私は換気のために窓とドアを目一杯開放した。中国人の彼は、廊下側のドアは開けないでいいと私にいった。煙で廊下の火災警報機がなるのが嫌なのだ。しかし私は、このことを寮内に広く知らせる必要があると感じたし、そのことによって事の問題性を彼に自覚させるべきだと思い、あえてドアを全開にした。とりあえずコンロの周辺は一段落したころ、案の定、火災警報機がなり始めた。その警報音を後にして、yum-yumの部屋に戻った。

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Shizukaと知りあったのはいつだっただろうか。
Shizukaは、「ドラえもん」の静香ちゃんのような優等生で、北京大学を卒業後、中国外務省の職員として働いた後に弁護士となり、オクスフォードの一年間の修士コースで学んでいた。Shizukaとは、それぞれの勉強分野の近接性もさることながら、社会問題への関心が似ていたため、よく話をした。夏休みには、いろいろ問題もあったが、共通の友人であるNingningをまじえて一緒にイタリアとギリシアに旅行に行った(後述)。

オクスフォードの中国人留学生は、共産党の師弟も多かったが、それでもおしなべて、政治体制については自由で批判的な考え方を持つ学生が多かった。中国共産党の一党支配について、唯一公式見解を述べていたのは、私が知りあったかぎり、現役外交官のための養成プログラムでオクスフォードに来ていた中国外務省の若手官僚だけで、ある時、彼に、自分はShizukaとカレッジが同じだと話すと、「彼女はgood-lookingだよな、グヘヘ」といっていた。(もしかしたら、「グヘヘ」は聞き間違いだったかもしれない)

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法哲学のセミナーで知り合ったバオという中国人留学生は、見るからに生気にあふれた活発な男だった。バオと一緒に、道幅の狭いHigh Streetの歩道を歩くと、バオの肩はがつんがつんと前方から来る通行人と接触しているのだが、彼は一向に気にしなかった。どのくらいの強度で体がぶつかれば何かしら反応が必要だという、その強度についての常識がイギリス人のそれと違うのだ。バオと体がぶつかったイギリス人が怪訝そうにふり返っても、バオは私に話しつづける。しかし私の目は振り返るイギリス人をも、しっかりと捉えざるをえなかった。

ベイは疑いもなく心根のいい男で、何かしらのイヴェントの際には私を誘ってくれた。
一回、Oxford Unionで開かれた、昼休みのキリスト教の説教に連れて行かれたことがあった。その説教では、昼食が提供される。自分もベイも半分昼食めあてで足を運んだわけだ。
そうなのではあるが、ベイは、神妙な説教が続いているのに、大テーブルに置かれたサンドイッチや果物などを採集して来て、親切にも私の分までてんこ盛りにして運んできてくれる。私も熱心に説教を聴いているわけではないけど、とにかくPreacherが神妙に話しているのだから、せめてそのあいだは聞くふり位はしてあげようよ・・・・・・と内心で思っていたが、その場であれこれ声をあげて諭すわけにもいかない。神妙に訴えるPreacherと、それに一向に顧慮せずサンドイッチを取るのにあわただしいベイの狭間で、なんとも居心地の悪い時間であった。

マートン・ストリートに、哲学部の図書館があった。
小さな図書館だが、私はよく日参していた。その図書館の一階のラウンジには、図書館職員librarianの人の好意によって、50pくらいで飲めるコーヒーとクッキーのサービスがあって、利用者は小銭が置かれたクッキー缶の蓋なかに、自主的に50pをおいてコーヒーを飲むのだった。私もよく愛飲していた。

しかしある日、お金を入れるクッキー缶の蓋が取り払われていて、その横にlibrarianによる注意書きが張られていた。いわく、最近、小窃盗petit theftがクッキー缶蓋の小銭を盗んでいくことがあるので、哲学部図書館としては、当面、お金を入れるクッキー缶蓋を撤去して、無償でコーヒーとクッキーを提供することにした、とのことだった。お金が盗まれるからコーヒーサービス自体をやめてしまいましょう、というのではなしに、お金が盗まれるなら当面はフリー・サービスにしましょう、という発想は、日本と異なりふところの深さを示しているように思えた。

ある日、その哲学部図書館のラウンジに、ベイと一緒に行った。
一通り話を終えた後、ベイは、ここのコーヒーはフリーなのかといって四杯くらい飲んだと思う。クッキーもさかんに食べた。しかも、食べきれないクッキーを丁寧にカバンに入れて、Akai、お前も持って帰れよと、私にもすすめて来た。

Librarianによる説明書きでは、たしかにすべてフリーなのだから、ベイは何一つ「規則違反」はしていない。だが同時に、コーヒー・サービス自体は、librarianの厚意によって成り立っているものだ。イギリス人は、それを知っているからこそ、必要なものしかとらない。一人で三杯も四杯もコーヒーを飲んだり、ただだからといってクッキーをカバンに詰め持ち帰れば、そうする人が後続するだろうし、そうなれば最終的に、librarianの厚意という脆弱な基盤の上に立つこのコーヒー・サービスの仕組み自体が、立ち行かなくなるだろう。つまり、誰かがそうし始めると、結局フリー・コーヒー・サービスは、なくなってしまうだろう。

個人の自由と常識に任されているからこそ、その自由を濫用しない。
自由を濫用すれば、今まで個人の自由に任されていたことがそうでなくなり、最終的に自由自体の土台を浸食する。ちょっと大げさかもしれないが、個人の自由と公共性の問題、自由とは何か、自由に値し、それを持続しうる人間とは何か、自由を耐用しうる社会とは何か、ということを、考えさせられた。
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by akai1127ohi | 2007-11-18 03:41 | 「持続的な瞬間」 | Comments(0)

「持続的な瞬間ーオクスフォード経験記」 (その18)

「持続的な瞬間」 その18 (吹雪のベルリン―旅の終わり)

ミュンヘンからベルリンまで、デイビッドがやたらと薦める夜行の高速電車に乗った。たしかに静かな走り出しで、快適な車内だった。だが、新幹線とどちらが優れているかは、微妙なところだ。

ベルリンは大雪。終日、吹雪いていて、凍えるほど寒い。
雪が、私が自由に街を動き回ることを、物理的にも心理的にも妨げた。

ロンドンとベルリンは、まさに両国の歴史の相違を表して、対照的だ。
ロンドンには多数の戦勝碑やCenotaph(軍人碑)が並び、社会意識を伴う外国人にはときに不快であるのにたいし、ベルリンは、ユダヤ人贖罪碑、いわば戦負碑とでもいうべき記念碑、ベルリンの壁を越えようとして死んだベルリン市民の慰霊碑など、ほとんどが戦争の負の歴史を想起させるためのイメージに満ちている。同時に、街全体は、すべてが雪に覆われていたせいだろうか、漠然とした行政都市という印象も残した。

いく度か道に迷ったあと、自分の手持ちのベルリン地図の縮尺は、街の散策にはとても不向きな巨大な鳥瞰図であると悟った。だが、ノイエ・ヴァッヘNeue Wacheをたまたま通りかかったのは幸運だった。ノイエ・ヴァッヘは、正式には国立中央戦争犠牲者追悼所(Central Memorial of the Federal Republic of Germany to the Victims of War and Tyranny)という。ドイツ人・非ドイツ人を問わず、ナチス支配下で死んだすべての人を「英雄」としてではなく「犠牲者」として追悼している。大きな石造りの建物のなかは、いかなる虚飾も排して、ただケーテ・コルヴィッツの「死んだ息子を抱く母親」像が鎮座している。その真上の天井に、ローマのパンテノンのように丸い穴が開いており、私が訪れたときはそこから外の雪がちらちらと入り込んで、厳粛さを増していた。入り口には数ケ国語で碑文がかかれてあり、英語ではWe honour all who preferred to die rather than act against their conscienceとあった。戦争の追悼記念碑としては、評価の高いものだ。

(ただ、ノイエ・ヴァッハは、プロイセン王宮の近衛兵の詰め所であり、ワイマール共和国時代にはプロイセン州立戦没者追悼所、ナチス時代には「戦争のための戦没兵士顕彰碑」、東ドイツ時代には「ファシズムと軍国主義の犠牲者のための警告追悼所」であったという。ここから高橋哲哉教授は、国家の政治が追悼施設の性格を左右してきた事実を指摘している。『靖国問題』、pp219-220)

国会議事堂(ブンデスタッグ)の前には、出来たばかりの新たな追悼施設、「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」(通称ホロコースト記念碑)に遭遇した。ベルリンのこの一等地に、棺桶を思わせる石の造形が、広さ300メートル四方に広がっているのだ。実際、ここまでよくやるなあと関心しながら、その棺桶の森のなかを歩いた。ドイツが憲法改正して軍隊を持ち、海外派兵を行っていることから、日本もそうすべきだと主張する人たちがいるが、牽強付会も甚だしい。まず国会議事堂正面から桜田門あたりにかけて、アジアにたいする巨大な贖罪施設を建ててからいうべきだろう。

「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」(通称ホロコースト記念碑)については以下参照 http://www.stiftung-denkmal.de/en

ブランデンブルグ門から南東へ伸びる大通りに、高さ3メートル程あろうか、大きなマルクス・エンゲルス像があった。絵葉書にもなっているから、有名な像なのだろう。折からの吹雪で、マルクスの頭にもエンゲルスの肩にも雪が積もっている。まるで現在のマルクス主義の思想的状況を象徴しているかのようだった。(ちなみに、ロンドンのハイゲート墓地にあるマルクスの墓にも行ったが、墓石の上にマルクスの巨大な頭像だけが乗っかっており、敬意から作られたのだろうが、もはやグロテスクなさらし首といった面持ちだ。)

年の瀬が近づくにつれ、ベルリンの吹雪はいよいよ激しくなってきた。
デイビッドに訪れるよう薦められたCheck Point Charleyは行けなかった。ベルリンは、またいつか再訪すべき街として残った。

一ヵ月近くにわたった、真冬の東欧の旅も終わりに近づいた。
予想していたとおり、体力的にも困難な旅だったが、静かなオクスフォードを飛び出して、東欧の多くの歴史的場所を踏んだことは、今後の自分の大きな財産になると感じた。

オクスフォードの自分の部屋は年が明けないと入れない。ロンドンへの帰りのEasy Jetを年内に前倒ししてオクスフォードにもどると、yum-yumの部屋へ転がり込んだ。
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by akai1127ohi | 2007-11-18 03:38 | 「持続的な瞬間」 | Comments(0)
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