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「持続的な瞬間―オクスフォード経験記」(その13)

夏目漱石と丸山真男については、彼らについて「語りたくてうずうずしている人」、「彼らについて2時間3時間語り続けられる人」がたくさんいるらしい。自分もそんなmentalityの一人なのかもしれない。まあ、とりあえず語ってみて恥をかこうと思う。

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「持続的な瞬間」 その13 (マートン・カレッジの木)

 風に聞けいずれか先に散る木の葉   漱石

秋口だっただろうか、日の出ている時間が短くなるにつれて、失語症、とまではいかないのだけど、とにかく言葉がどもりがちになって、人とうまく話せなくなる時期があった。それによって、心も塞いだ気分になった。

カレッジのすぐ近くのコーヒーショップで、Could I get a cup of small coffee?と言うのに3分くらいかかったりした。それも、理不尽に叱られた子どもが、子どもなりに精一杯の精神力で言葉を捻出するような感じでいうのだ。この意味不明さが、ただでさえ機嫌の悪いポーランド人の売り子をさらに不機嫌にするのだった。

それはおそらく軽度の神経症的な症状の発露であったのだろうと思う。
このどもり癖は、自分自身にたいする自信の喪失に由来していることは、少し考えれば明らかであった。デイビッドにそのことを話すと―幸いにもデイヴィッドの前ではどもりはそれほど出なかった――さして大問題とも思わず、それは意識的に直そうとしても無理だろう、フロイト的な精神療法しかないんじゃないか、と、例によってインテリ風の分析をもらった。(彼は実際そうなのだが)。

漱石の妻、夏目鏡子は、神経症に陥ったロンドンの漱石について、後年、こう述べている。
「(漱石が言うに)英国人全体が自分を莫迦にしている。そうして何かと自分一人をいじめる。これほど自分はおとなしくしているのに、これでもまだ足りないでいじめるのか、と強迫観念にかられていたかのよう」だと。(『漱石の思い出』、夏目鏡子、p109)

私の場合、幸いにも数人のまことに紳士的なイギリス人の友人のおかげで、イギリス人が自分をいじめにかかってくるという妄想にとり憑かれることはなかった。しかし同時に、日常生活のなかで、イギリス人にいじめられてはいけない、という強い自負や自尊、緊張や警戒があり、それが自分の内面と行動を過剰に律していたということはあると思う。

その場所に初めていったのはいつだったか忘れたが、どもりが激しくて人と話をする気力がなくなったとき、自分が散歩のついでに立ち寄る場所があった。

マートン・カレッジの、とても大きな一本の木の前にある、とあるベンチだ。
マートンは、クライスト・チャーチと並んでオクスフォードを代表するカレッジで、クライスト・チャーチと真偽の定かではない「最古のカレッジ」の称号を競っている。しかし規模はクライスト・チャーチとは比較にならないほど小さくて、落ち着いた印象だ。現皇太子が留学して、中世の水運史を学んだところでもある。

そのベンチは、目の前の巨木と対座するような位置にあり、一旦座ると、思いもよらないほど長い時間そこにいてしまう、不思議な場所だった。巨木は低い柵の並びに立っていて、その柵の後ろは、運動場マートン・フィールド、そしてさらにその背後には広大なクライスト・チャーチ・メドウが広がっている。

秋も終わりに近づいた時期、マートンのこのベンチに座って、ただ風が木の葉を揺らす音だけを聞きながら、二時間も三時間も座っていたことがあった。秋とはいえ、まだ豊かに蓄えた葉々が、左右にゆるやかに寛大に広がっていて、それはこの木の度量の広さを示しているようだ。しかし同時に、全体を一身に支える幹は不動の中心をなしていて、左右へと向かう葉々の広がりは、この確固とした幹によって可能になるものだとわかる。葉々のなかには、ときどき鳥が出入りする。おそらくこの巨木がそのなかに抱え、そのなかに宿っている鳥や虫、さまざまな微生物は、何万とも何億ともいうような数だろう。

自信過剰と自信喪失、卑屈と尊大のあいだを振り子のように揺れている自分、自分の内なる尊厳を静かに把持した人間像と、単に人から傷つけられないように心を堅くしている人間像との区別ができないで、心が少し疲れている自分の前で、この木は、内なる尊厳を把持した存在のしかたを、静かに実践しているように思えた。一言でいって、立派な木なのである。

オクスフォードに持参した数少ない日本語の本のなかで、このような言葉にも出会った。
「自信を持った人間は、それを意識する、しないは別にして、一本の木のように直立しています。それが自然に周囲からの敬意をまねくのです。この人間の内面と生き方をおかすのは恥ずかしい、その思いを他人に引き起こすのです。そのような内にむかう充実を自信としてかちえている人を、誇りのある人間というのです。・・・・・・それは・・・・・・『鎖国』するようにして、閉じた内側で根拠のない自己の特権化をもくろむ態度とは対極にあります。私たちは世界に開かれた心性をつねに新しく作り出さねばなりません。」(大江健三郎、『鎖国してはならない』、p322)

私はオクスフォード滞在を通して、時々そのベンチに行った。
日本から知人が来たときも、その木を案内して、木の下で話しふけったこともある。
(後にyumyumの部屋に暮らし始めてからも、時々一人になりたいとき、このベンチに来ることもあった)。

季節の変わるのにつれて、秋の葉が散り、冬は完全に幹だけの裸の姿になった。春の訪れとともにまた芽吹き始め、オクスフォードを去る直前は、思い出の場所として、再度、見事な夏の新緑を全身にたくわえたこの木の前で、写真をとった。
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by akai1127ohi | 2007-09-13 02:50 | 「持続的な瞬間」 | Comments(0)
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