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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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「持続的な瞬間ーオクスフォード経験記」(その7)

「持続的な瞬間ーオクスフォード経験記」 その7 (ローゼン教授)

2学期以降の私のチュートリアルの指導教官は、政治理論と倫理学を担当するローゼン教授であった。教授と生徒の間を題材にした文学作品としては、漱石の「クレイグ先生」と、魯迅の「藤野先生」が思い浮かぶが、ここでも、チュートリアルにおける私とローゼン教授の関係は漱石タイプなのだ。

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ローゼン教授の部屋は、毎時ごとに荘厳な鐘の音がするカレッジ・チャペルのすぐ近くにあり、窓からチャペルに面したカレッジの中庭、チャペル・クァッドがよく見おろせた。
ローゼン教授は、人と話している最中に腕時計をまじまじと見ることにいささかの躊躇を感じない人であった。ローゼン教授は、シャツのカフス・ボタンと手首のあいだのわずかなすき間にいつもハンカチを丸めて忍ばせており、私がはじめに自分のエッセイを読み上げているあいだ、時おり手品のようにそれを引っ張り出してひろげると、ビーッン!という直線的な音を出して見事に鼻をかむのであった。

教授とのはじめてのチュートリアルのとき、『リヴァイアサン』の「solitary, poor, nasty, brutish, and short」の個所を引用して読み上げると、ローゼン教授は突然笑い出した。
「この個所はclicheだ。どうも誰もかもこの個所を引用する誘惑に勝てないようだ。君も例外ではない!」といわれた。

いつだったか、同じく『リヴァイアサン』について話している時、ローゼン教授は書棚に向うと、自身の『リヴァイアサン』を取りだして、ページをめくった。
ローゼン教授は、ホッブスによる自然法の説明を淡々と読み上げた、そして一息おいて、さっと顔をおこして私を見上げると、最後の一語を一段高い声で、嬉々として読み上げた。

「しかし不適切にも!but improperly!」

その瞬間、ローゼン教授は、コメディアンが長く単調な前置きのあとに、最後のおちを述べて観客の笑いを博する瞬間のように、期待を込めたような笑顔でもってじっと私の顔を眺めた。だが私は、ホッブズが「improperly」の一言によって何か少なからぬことをひっくり返していることはわかったものの、その他の内容を全く理解できず、コメディアンの期待に添えない困惑の表情をさし出すしかなかった。ローゼン教授は、笑わない観客の代わりに自分で笑い、全くホッブズはtrickyだ、しかしホッブズの自然法の理解にはここの箇所が重要であるのだ、との主旨のことを述べた。

チュートリアルのはじめに、些細なよた話をすることがあった。
ある時、カントの生地ケーニヒスベルグの話になった。クリスマス休暇にドイツに行ったばかりだった私は、バックパッカー用のドイツ旅行ガイドに書いてあったケーニヒスベルグ紹介を思い出し、古くは大学の街として知られたケーニヒスベルグも今では麻薬の密貿易と急上昇するエイズ感染率で知られるのみだそうです、と話した。ローゼン教授は突然「ハッ」と息を呑んで、Oh my goodness!と言われた。その様子があまりに深刻なので、急いでおそらく誇張だと思いますが、とつけ加えたが、教授の落胆は本気で、ケーニスベルグが現在ロシアの飛び地領土となってしまったことをしきりに悔やんでいた。

「君はある意味旅人だ。行き通りの人として私を最大限に利用することができる。」
カレッジのクァッドでの通りすがりに、ローゼン教授は私にそう話し掛るのだった。しかし、ローゼン教授は、自著『自主的な隷属』に次ぐ新たな著作を書いているということで、話が深刻な質問じみてくると、たいていいつも「自分は極めて忙しい」と、予防線を張っておくことを忘れないのだった。

ルソーの社会契約論に話がおよんだとき、ローゼン教授は立ち上がって書棚に向かった。
教授は、「私の英語のルソーはどこいった…」と歌うようにつぶやきながら社会契約論を探した。しかしフランス語の原本を見つけたものの、英語のルソーが見つからなかった。ローゼン教授は急にいぶかりながら「おかしい……。誰かが盗んだかもしれない」とつぶやいた。

一回、チュートリアルの時間に10分程度遅れたことがあった。
部屋に入ってすぐに「遅れてしまいました、すいません」というと、ローゼン教授は不機嫌な様子で、「そのとおり君は正しい。君は遅れた。」といった。私が「こちらが時間を間違えたと思ってローゼン教授が帰ってしまわないかと心配でした」というと、「たしかに君は正しい。私は帰ろうかと思っていたところだ」といわれた。

ローゼン教授は細かいことを気に留めない人であった。
ある時、私が自由主義者スミスと保守主義者バークの共通性について自分の意見を述べると、それはその通りだと感心された。その後のある時、君の思想史の認識は言葉上の同一性に惑わされている、例えばスミスとバークを見たまえ、自由主義と保守主義でもホイッグという共通点があるではないか、と私に言われた。

デイヴィッドによると、チュートリアルという制度は、基本的だが重要な論点をくり返し行うという点で、教授のためにもなるとのことだった。かつ、それがオクスフォードがあえてチュートリアル制度を残している理由でもあるとのことだった。しかし20年近くオクスフォードのドンを務めるローゼン教授にとって、チュートリアルはもっぱら教育上の義務として捉えられているようであった。

デイヴィッドとともに昼下がりのクライスト・チャーチ・メドウを歩いているとき、彼はローゼン教授についてこういった。「Dr.Rosenは30年間もPolitical Thoeryをやっているから、当然ポケットのなかに色々な話のネタを持っていて、それを適宜ひょいと出しては論じてくる。それはそれで面白いこともある。だけど会話は全体として非常に表面的さ、僕の方もあまり深く入れ込んで話そうとは思わない。エッセイは60分間Dr.Rosenと話をあわせるために書いているようなものさ。」

チュートリアルの最中、ローゼン教授が時計を見るたびに、稚拙な質問を繰り返す自分につきあわせて申し訳ないという思いとともに、教育に伴う財政的負担のことを考えれば、忸怩たる思いがよぎることもあった。

ローゼン教授はわかりやすい人で、何気なくイギリスの制度や物事に尊敬を示すと、すぐに、そして微妙な短時間のあいだ、上機嫌となるのだった。ヘーゲルの歴史哲学を論じている時、イギリスはまだ世界史の上に留まっているか、と聞くと、教授はうれしそうに「大英帝国の覇権は過去のもの、――」といわれた。エッセイのテーマがウェーバーの官僚制であったとき、ローゼン教授は官僚制の非効率性を強調する文脈で、イギリスのNHSは中国の人民解放軍に次ぐ巨大な官僚組織で、国民はその非効率性に苦しめられているんだ、と、そこはかとなくうれしそうに話した。日本やドイツのように頭のいい官僚制度の発達している国では、国民はもっと官僚を信頼しているのではないかな、褒めるともけなすともつかないmannerでいわれた。

極めて職業化された感のある英米の政治理論と、自分の人生の意味との間の距離について、実存的な悩みを抱えていた留学の中盤の時期に、考えた末、ローゼン教授に悩みを話してみようと思い立った。教授は、私が自分の政治的立場を説明するために使った「sort of radical political commitment」という言葉を受けて、一瞬、何か厄介な話にならないだろうかというような様子だった。「それで、君のpolitical convictionはどのくらいradicalなのかね……?」と聞いた。私は、おそらく個人の実存的悩みとはおしなべてそうだと思うが、その極めて個人的で特殊な精神の内奥を英語で簡潔に表現できない苦渋から、「いわば、social democracyの一つです」といった。それを聞いたローゼン教授はひとまず安心した様子で、饒舌となった。「それなら君、Oxford Unionの政治討論会に参加するといい。それにLabourやToryの学生組織もあるだろう。オクスフォードでは学生はなぜかLabourよりLiberal Democractの方を支持しがちだがね。とにかく君、いろいろ参加してみたまえよ・・・・・・」
私は、私の実存的疑問とどこかが、あきらかに噛み合わないのを悟って、早々にその日のエッセイを読み上げる段におよんだ。

後日、デイビットと午後のChrist Church Meadowを散歩しているときにこの話をすると、彼は笑いながら、ローゼン教授のようなPolitical Theoristは現実政治の話をするには最も不適な人の一人に決まっているではないか!といった。

第三学期の後半に、交換留学生である私も、卒業する3年生と一緒にFarewell Dinnerに招かれ、出席した。このFarewell Dinnerは、カレッジの一番荘厳な部屋で行なわれるものだが、イギリスで私が参加した多くのDinnerのなかで、参加者が最もアルコールをよく飲んだものだった。またこのFarewell Dinnerには、一通りの食事が終わると、教授や生徒がそれぞれにアカペラで歌をうたうという「慣習」があるそうだった。

ローゼン教授はかなり酔っておられて、一番多くの曲数を歌った。
そのうちの一つで、ローゼン教授の指揮でみんなの合唱が求められた歌があった。なんでも、イギリス共産党の某という昔の委員長が暗殺された時、彼を偲んでイギリス共産党が作成した歌ということだった。その歌のさびの部分は、「彼は暗殺された、反動的な猫によって(by reactionary cat)、アー反動的な猫に、反動的な猫に。アー反動的な猫に、反動的な猫に。」というもので、ローゼン教授の指揮で、皆で「反動的な猫に」の部分を10回近くくり返して歌った。しかし途中までそれを本当にイギリス共産党委員長の追悼歌だと信じていた私がナイーブだった。歌の最後は、「反動的な猫に」と同じメロディで、「スターリン主義者は地獄行き、スターリン主義者は地獄行き」を繰り返して合唱になった。それはいわば、おそらくBritish Humorの一つで、実のところスターリン主義者を小馬鹿にする風刺歌だったのだ。

私はカレッジ内のゴシップや噂についていくのが遅かった。
ローゼン教授が今学期かぎりでオクスフォードを去り、ハーバードの教授としてアメリカに渡るということを友人から聞いたのは、最後の学期が終わろうとする時期であった。
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by akai1127ohi | 2007-06-15 20:52 | 「持続的な瞬間」 | Comments(0)

「持続的な瞬間ーオクスフォード経験記」(その6)

「持続的な瞬間ーオクスフォード経験記」 その6 「岩波新書批判・岩波文庫批判」

チュートリアルの相棒であるデイビッドの誘いで、ロンドン大学で行われたスラヴォイ・ジジェクの特別講義に参加すべく、ロンドンに行った。ロンドン大学という言い方は東京六大学のようなもので、それはLSEやSOASなどロンドンに点在する19のカレッジの総称であり、これらのカレッジはオクスフォードのカレッジよりも相互に独立的だ。スラヴォイ・ジジェクの特別講義は、そのうちの一つであるバークベック・カレッジで行われた。このバーベックというカレッジは、おそらくロンドン大学の中でも最も進歩的な気風と見えて、学長は歴史家のエリック・ホブズボウムが務めている。社会人向けの硬派な公開講座を頻繁に開いており、ジジェクのレクチャーもその一つである。

ジジェクの英語はたどたどしく、またアクセントの強いものであり、それに私のリスニング能力も低いものだから、ジジェクの講義は理解できない点も多かった。しかし基本的には、マルクス主義の枠組における現代世界の分析、暴力としての構造的・社会的ハラスメントと第三世界、そして最後になぜか――おそらく徳川時代のことだと理解したのだけど――日本における300年にわたる集団的意思決定の制度を賞賛し、かかる決定の集団性を回復しなければならない、というような結論であった。

ロンドン大学のカレッジは主に大英博物館の背後に広がり、閉鎖的な修道院の趣であるオクスフォードとは全く異なり、都市の大学の開放的な雰囲気で、日本でいえば早稲田大学のような雰囲気だった。都会に特有の自由な雰囲気のなかで、オクスフォードに閉じ込められている時よりもTalkativeになっている自分に気づいた。バーベリック・カレッジからヴィトリア駅まで歩いて帰る途中、春の陽気のテムズ川やトラファルガー広場のにぎわいは、オクスフォードに懲罰的に閉じ込められたような日ごろの自分を解放するように心地よいものであった。

ピカデリーサーカスのすぐ近くにロンドン三越があり、以前、その地下に日本語の本屋があると聞いていたので、このロンドン上京の際にはじめて行ってみた。留学の途中から、やはり日本語の翻訳を欲しくなる気持ちが強くなった。それは、裏でこそこそ虎の巻のごとく日本語訳を確かめるというような逃避的な気持ちからではなく、むしろ、たとえば自分が将来、政治思想について何事かを語る際に、講壇上必要となるのはやはり日本語の翻訳の方であろうと思い至ったからである。

ロンドン三越の内部は完全に日本のデパートのようなもので、日本語が話されている。地下の本屋のレベルはBOOK OFF程度のようなもので、岩波文庫も若干だがある。品揃えは日本の本屋とほぼ同等であり、新しい新書や雑誌もたくさんある。しかし支払いは当然ボンド払いで、ほぼ正確に日本円の二倍する。なので、仮に留学の当初にここの存在を知っていたとしても多用することはなかったであろうと思われた。

久しぶりに日本の新書や文庫の背表紙を閲覧して楽しんだ。
ところで、大学において、ちょっと知的なだけの学生と最終的に研究者になる学生との相違とは何であろうか。古典語を含む語学力、研究に向くかむかないかという素質、読書習慣、ジャーナリスティックなものと学究的なものの峻別、などが挙げられると思うが、最近は、そこに新書教養主義からの卒業ということも加えるべきではないかと感じるようになった。

日本の出版界は、新書という形態を中心として古典の副読本が極めて豊富で、かつそれがどれも興味深く見える。しかし同じコインの反面として、大学のちょっと知的な学生は、新書を中心としたsecond readingsや入門書ばかりを読んで、いっこうに古典それ自体を読まない例が多いと思う。友人で、ホッブズについて書かれた、膨大でどれも興味深い解説書を読破して、学者風のことを語るが、それでも決して『リヴァイサン』にはとりかからない人がいた。岩波文庫は吉野源三郎がイギリスのペンギン行書から発想を取ったものといわれているが、新書というのはイギリスにはない。古典を読むにあたって下準備がいることは間違いないが、実のところは、文庫に付随している訳者解説で足りる場合が多いと思う。余りにたくさんの、そしてどれも面白そうに見える解説書があふれていることは、実際のところ古典そのものへの距離を遠くしているのではないか。今の自分にとっては、この新書教養主義からの卒業が肝要であろうと感じている。

ロンドン三越で、文庫本を一冊だけ買った。それは岩波文庫『漱石日記』である。しかし岩波新書批判のついでに、今度は岩波文庫の方を批判する。

オクスフォードのリーディング・リスト(必読文献集)や、そこから教官が実際読むように指定されたもの、またオクスフォードで伝統的に広く読まれて来ているもの、などから判断すると、当地で読まれている古典と、日本で「読むべき古典」として一般的に認知されているものとの間に、微妙なずれがある。そして、日本で「読むべき古典」とされるものを決定する影響力については、外国古典の岩波文庫への収録をめぐる選別が、日本の読書人界に結果的に与える大きな影響力の大きさを感じざるをえない。

ただ岩波文庫に収録されたということが機縁となって、日本で比較的よく読まれている、という欧米の古典がある。同時に、ただ岩波文庫に収録されていないがために、日本の読書人の意識から不当にも遠ざかってしまっている古典がある。岩波文庫のへの外国古典の収録が、日本の本を読む人の視野の裾野を、ある程度規定しているといっても過言ではないのではないだろうか。(岩波文庫に過度に依存するような種類の「知識人」などが、そもそも時代錯誤であろうか。)

たとえば、ロックのTwo Treatises of Civil Governmentは、鵜飼野信成訳『市民政府論』として岩波文庫に収録されているが、それがTwo Treatisesのうちの第二論文だけであるということはあまり知られていない。捨象されているものは、あたかも存在しないかのように思われてしまうのだ。(Two Treatisesについては、07年10月に加藤節訳『統治ニ論』として岩波より全訳が刊行されるという)

いかにアマゾン.comやグローバルだといえども、一般に本を読む人にとっては、基本的に本は本屋で、背表紙の閲覧のもとに選択されるのが一般的であろう。しかし日本の出版市場そのものを基底する言語と翻訳の事情によって、そこの市場に流れないものの存在に無意識的になり、結果的に知識の形成において、実像との無視しがたい歪みが生じることがあるのではないか。そしてその場合に、語学のあるなしが、その人の情報や視野の裾野を土台から規定するのは、かかる要因であると思われる。
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by akai1127ohi | 2007-06-15 20:18 | 「持続的な瞬間」 | Comments(0)

「持続的な瞬間ーオクスフォード経験期」(その5)

「持続的な瞬間ーオクスフォード経験期」 その5「プラハ・共産主義博物館にて」  

同大学留学中(05年)の冬、クリスマス休暇を利用して真冬の東欧、ポーランド、チェコ、ドイツをめぐった。雪に覆われた東欧の地を、砂糖と薬草からなるマルド・ワインmulled wineで体を温めつつの旅であった。ポーランドのクラコウから電車で早朝のプラハ中央駅に降り立ったのはすでに年の瀬で、ボヘミアの宗教改革者ヤン・フス像がそびえる旧市街広場は、冬の透明な空気とクリスマス・マーケットの静かな熱気に包まれていた。

プラハ訪問の目的の一つは、当地の「共産主義博物館Museum of Communism」を見ることであった。同館は2001年に、アメリカ人ビジネスマンらによって開館され、現在はマクドナルドの入るビルの二階にある。館内展示は、古典的なマルクス主義理論とチェコの共産主義運動の歴史的説明から始まり、共産党政権下における集団農場や労働運動、国境警備や対米プロパガンダの様子を伝えるパネル、社会主義リアリズムによるポスターや絵画などからなる。共産主義時代の家屋や仕事場そして党機関の尋問部屋なども再現されている。ハヴェルや「憲章77」など、共産党独裁下における反体制運動にも触れられており、展示の最後は1989年のビロード革命とその後の民主化の推移にあてられている。
社会主義の「夢、現実、悪夢」という博物館のコンセプトが示すように、共産党体制への評価は極めて一方的であり、かつ展示の学術的謙抑性に乏しい反面、人びとの政治的好奇心を引きつける内容となっている。

チェコ・スロヴァキアの戦後史は、大国ソ連の衛星国としての浮沈を如実に示している。同国は第二次大戦後に独立を回復すると、1948年に大統領に就任したクレメント・ゴットワルドが、スターリンとの蜜月のもとで共産党の一党支配を確立し、警察の組織化、農業の集団化、政治裁判による党内引締めを行なう。ゴットワルドの死後、1957年にノヴォトニーが党指導者に選ばれると、粛清や恐怖政治は緩まるものの、経済の停滞と国民生活の低下が進み、1968年、ノヴォトニーに代わってドプチェクが党第一書記に選ばれる。ドプチェクは権力集中の是正や社会の自由化、すなわち「プラハの春」を進めるが、ソ連軍の介入により鎮圧。その後は官僚政治家グスターフ・フサークが、ブレジネフの指示と信頼のもと「正常化体制」と呼ばれる官僚政治体制を敷き、1989年にいたるまでおよそ20年間の「希望なしの時代era of Hopelessness」をむかえる。しかしかかる共産党の一党体制は、1989年、警官の暴行をきっかけに始まったビロード革命によって二週間で劇的に崩壊、ドプチェクの復権と連邦議会議長就任、そして反体制詩人であったハヴェルの大統領選出がなされるのであった。

博物館の最後半は1989年のビロード革命に焦点をあてたもので、これが私の関心を最も強くひくものだった。当時のドキュメンタリー・フィルムには、武装警官による組織的かつ恣意的な暴力が映し出されており、それによって動乱するプラハの市民とビロード革命への展開が伝えられている。顔面を殴られ完全に戦意を喪失した青年、紅潮した表情で報道の自由を主張するドイツ人カメラマン、怒りを抑えきれず一人の男が警官に掴みかかると、即座に10人程度の警官が走りよって激しい報復を加える。露骨な警官の蛮行から政府と国民との乖離は決定的に広がり、プラハの街路から湧き出るように出現した群衆が、レンセスラス広場の15万人デモへと集結して「私たちはもはやこの政府を必要としない!」とスローガンを叫ぶにいたる。

かかるビロード革命の光景は、いわば国民の利益から逸脱した政府が信託違反によって廃棄され、国民があるべき政府創出のための新たな社会契約を結ぼうとする政治理論的過程を想起させた。それは同時に、強制によって正統性を維持してきた一党独裁政権が一瞬にして「政府とおぼしき暴力集団」へ転落し、通りを埋め尽くした有象無象の群衆が、より高次の正統性を備えた「新たな政府権力」として立ち現われた瞬間でもあった。東欧革命において政府崩壊をもたらした政治原理と実践は、私にとって、暴力の独占にのみ基づいた政治権力の脆弱性を示すとともに、政府の正統性を国民の合意に見る社会契約説の説得力を強く印象づけるものとなった。

東欧の社会主義衛星国の政治体制とその歴史から、建設的な教訓を見出すことは難しい。偽善と欺瞞をともなった既存社会主義の実践が歴然としてある一方で、無反省的な「リベラル・デモクラシーの勝利」や、曲解された自由の原理が現在イラクで引き起こしている驕慢が、単純な二元論的判断を不可能にしている。何か確実に自分たちの指針となるものを見出そうとすれば、それは極めて当たり前のことになるだろう。

「私たちは、抽象的観念よりも自分たち自身の良心の声を信用しなければならないし、
それらの声が呼びかけるもの以外に自らの責任を見つけ出すべきではない。」(Vaclav Havel, “Politics and Conscience”, Living in Truth, p153)ハヴェルの抵抗的著作にあるのは、自己の良心への率直さ、自律的存在たるべきための叱咤であり、その限りで批判の射程は東側・西側を問わず、「嘘のなかに生きる人々」とその社会すべてに向けられている。
自らの尊厳と権威に基づき自律的に生きることをしない人間の姿は惨めであり、嘘をつく人と嘘をつかれる人との馴れ合いによって虚構の統一を誇示する政治社会に発展の余地はない。東欧の社会主義体制を考えること、個人が、それぞれの歴史的・地理的な「持ち場」において、自律的に生きることを要求してくるように思われる。

(原文は、同人誌『緑林』、06年春に掲載されたものである。)
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by akai1127ohi | 2007-06-15 20:10 | 「持続的な瞬間」 | Comments(0)

「持続的な瞬間ーオクスフォード経験記」(その4)

「持続的な瞬間ーオクスフォード経験記」ーその4「初めてのチュートリアル」

チュートリアルという制度は、教授一人にたいして学生一人あるいは二人で、毎週教官が短い設問とそのためのリーディングリストを提供し、学生はそれを読んで毎回エッセイ(A4・五枚程度)を書いてくるというものである。そして次回の冒頭、学生は自分のエッセイを読み上げて、それから教官のコメント、議論に入るという流れである。

一学期のチュートリアルは、ブルーノという若手教授が担当するPhilosophy from Descartes to Kantという題目で、生徒は私とデイヴィッドというドイツ人学生の二人となった。1年間の派遣留学生としての私は、基本的にPPEの学部二年生に交じってカリキュラムをこなす予定となっていたが、リンカン・カレッジのPPEの二年生で哲学をとっているのは――つまり一年次終了時に哲学を切らなかったのは――このデイビッドだけということだった。PPEは多くの政治家を輩出しているコースだけあって、全体として、Political ScienceやEconomicsなどより実証的かつ実践的な科目を選択している学生の方が多いような印象であった。

チュートリアルに先立って、デイビッドが部屋を訪ねて来てくれた。
ブルーノ教官は第一週目のエッセイの課題としてデカルトの心身二元論を取り扱う予定だが、自分は順番上Cartesian Circularityから扱うべきだと強く思う、ブルーノ教官にはそのように一週目の課題を差し替えるよう承諾を取ったから、アカイもその変更を承諾してくれるようお願いに来た、と彼は言った。

デイビッドの様相について述べると、身長は175cm程度で私と同じくらい、まさにデカルトのような逆三角形の顔立ちに、天然パーマの金髪はやや伸びて左右に広がっている。聞くとドイツ人の母親とスペイン人の父親の間のハーフだそうで、ややアクセントがあるものの十分流暢な英語で、こちらに分かりやすく話してくれる。チュートリアルの前日にも、デカルトの神の存在証明が全く分からない私に、ボードリアン図書館の前のベンチで親切に熱弁をふるってくれた。彼は――私自身のタイポロジーによれば――いわば古い京都大学風の学生で、支弁的な議論と、独自の政治的センスと、授業を馬鹿にして図書館にいるようなタイプの学生と見えて、それは自分自身のスタイルとはことなるとはいえ、好感が持てた。

そんなわけで、私の初のチュートリアルの課題は、以下のものであった。

‘I cannot but admit that it would be easy for [God], if he so desired, to bring it down that I go wrong even in those matters which I think see clearly with my mind’s eye’ (DESCARTES)
Is Descartes’ attempt to allay this doubt circular?

初めてのチュートリアルは、夕暮れに行われた。
まずデイヴィッドが自分のエッセイを読むことになった。「では」と、ひとたび自分のエッセイを読み始めたデイヴィッドの調子は、まさに朗々としたもので、抑揚のついた、自信のある朗読であった。

彼がエッセイを読み上げた後、議論は、デカルトの「コギト・エルゴ・スム」の意味、「I think」によって明らかになった確実性とその限界、objective validityの意味、デカルトの神の証明と、それに伴うCartesian Circularity、などを逡巡したと記憶している。私には、目の前に知的な言葉の花火が、一瞬に打ちあがり弾け散って、一つの花火を吟味することはおろか、傍観者的に鑑賞することもできないまま、あたふたと時がすぎていく様子であった。

デイヴィッドとブルーノとの議論は熾烈であり、デイヴィッドが一方的に言葉を続けて教授を押し続けながら、一息つくとしばしば”Do you know what I mean?”あるいは”Can you understand what I mean?”と確認するという始末。おそらく日本では身分上の礼を失すると思われる言葉も、その一直線な姿勢からか、不快な印象は全くない。ブルーノ教官の方も「ちょっと待ってくれ、少し理解に戸惑っている。(デカルトが挙げる)幾何学の例はトリッキーだから、2+3=5の例で話そう・・」などと率直。同時にそれでいて、ブルーノ教官のほうも、教育者が維持すべき威厳を損なっている印象は全くない。

それでいて私は、この息つく間のない攻防において、それを集中して聞き入ることに最大限の努力を払うことによって、とにかく会話の構成員の一員たる資格を失わないことのみに必死であった。私は最後に、デイヴィッドに二、三のきわめて基本的な質問をして、そして一時間が終わった。

初めてのチュートリアルが私に残した印象は、壮絶の一語であった。
形式的な言葉の問題と、実質的な知識・知性の問題との双方で、自己の不足を認識した。部屋に戻ってベッドに座ると、しばし自らの均衡を失い、今までの自分がいかなる人間であったのかを失念していた。窓の外に夕陽が落ちていくにつれ、自分の知性は本当に学究の道に堪えられるものだろうか、という不安が急増してくる。それまでの自分を「井の中の蛙」だったと言ってぴったりくるという気持ちではないが、そうではないにせよ、やはり東大での図書館生活には「安穏」としていたところがあったのかもしれないとも感じた。
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by akai1127ohi | 2007-06-15 19:58 | 「持続的な瞬間」 | Comments(0)
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