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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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カテゴリ:政治学史( 9 )

「国民nation」という言葉について (1)

Abbé Sieyès による 『第三身分とは何か (Qu'est-ce que le tiers-état?)』 の日本語訳は、1950年に大石誠訳(岩波文庫)があったが、旧字体で大変読み難く、タイトルは『第三「階級」とは何か』となっていて、また底本もテキストの決定版 (増補版) ではなかったようです。この度、岩波文庫で『第三身分とは何か』 (稲本洋之助他訳、2011年) で新訳が出た。大変読みやすく、「国民nation」 という概念・言葉の「意義と限界」の双方をあらためて感じた。

いわゆる civic nationalism についてはもっぱらルナン 『国民とは何か』 が挙げられることが多いが、これほど nation について論じているにもかかわらず、シィエスの本書が、1980年代以降の欧米における国民国家批判や、それを受けた日本でのナショナリズム「批判」の文脈で、ほとんど触れられていないのは意外の感がします。そのことは、1980 年代以降のナショナリズム「批判」の言説が、どのような「ナショナリズム」を関心化してきた/してこなかったか、を示しているようにも思える。

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「国民nation」概念の「革命的」な定義からはじまるシィエスの所論が、具体的な制度論に至っていささか現実化/保守化する感もあるが、思想史的関心よりも現代的関心で見た場合、「国民nation」という概念・言葉の原初的な形成は興味深いです。

シェイエスにおける「国民nation」概念は極めて法的政治的であり、それは一方で「特権の不在」、同一の法律の下での国民相互の平等性に特徴づけられ、他方で、それは「憲法制定権力」の所存として位置づけられる。

そしてそのような「国民nation」の性格は、何より貴族の「特権」との対比によって抽出され、特徴化されるものといえる。特権者を「国民nation」に対する寄生的病巣と位置づけ、それを切除して「外部化」するところに、相互に平等な政治的主権者としての「国民」が定立する。貴族など特権者を「異常」とし、それを国民から「排除」する観念操作は、一つの政治社会の正常な主権者として「国民」を特徴づける上で、不可欠な作業だったといえよう。

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他方で、1980年代以降、欧米における国民国家批判の興隆や、それを受けた日本でのポスト・コロニアルの言説において、「国民nation」が孕んでいる恣意的な「排除と包摂」の暴力が繰り返し指摘されてきた。

とりわけ、19世紀末以降、ヨーロッパ諸国が「帝国化/帝国主義化」していき、人種や文化の異なる新たな国や地域を併呑するにつれ、国民国家におけるマイノリティとなった人々を恣意的に「国民化/脱国民化」してきたことが問題となった。相対的マイノリティは、恣意的に「国民化=包摂」され、また恣意的に「脱国民化=排除」されてきた。その結果、「国民」の内外区分の都合よさが暴露され、「国民」は著しく評判の悪い言葉となったといえよう。

これらの一連のナショナリズム「批判」が指摘するように、「国民nation」という範疇は「恣意的な排除と包摂」の暴力を孕んできた。しかし、シィエスによる「国民nation」概念に立ち戻れば、そのような「国民nation」による「排除の暴力」が最初に行使された対象は、貴族など特権階級であったこと、むしろ、特権階級の「排除」そのものが、政治的主権者としての「国民nation」それ自体と密接不可分であったことの意味は、思い返されてよいように思う。そこには、「国民nation」概念がその資格をめぐって相対的マイノリティに行使する暴力とはまた別の、「国民nation」の特徴が持つ普遍的な政治的意味あいもあったように思います。

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したがって、「国民nation」という言葉には、いささか粗野にいれば、歴史的には(1)一つの政治社会の「憲法制定権力」、相互に対等で平等な政治社会担い手としての意味と、(2)その資格をめぐって恣意的な「包摂と排除」の暴力が行使されてきた潜在的可能性という、二つの側面があろう。

前者の意味あいでの「国民」は、デモクラティックな政治社会を運営する上で、それなりに普遍的な価値を持つ存在だろう。(フランスの歴史や教養に依拠しつつ、そのような意味で「国民nation」を肯定的に使う例が、一時期の桑原武夫や加藤周一にはあったと思います)。他方で、後者の問題性は、今「国民nation」という言葉を使う異常、留意せざるをえない点です。「国民」という言葉をめぐるこの二面性を留意しつつ、いかにその普遍的意味あいを継承しえるか、いかにその潜在的差別性を減少できるか、を考える必要があるかと思います。
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by akai1127ohi | 2011-02-25 20:01 | 政治学史 | Comments(0)

神聖ローマ帝国

ラスキの初期主権論の関係で、フィッギスの The Divine Right of Kings (1914) に取り組む。その後、時間的制約のなかで「神聖ローマ帝国」についていくつか散読。1/3は趣味の領域で、純粋に興味深かった。

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教皇ボニファティウス8世を「憤死」させたフィリップ4世も、離婚問題でローマ教会から断絶したヘンリー8世も、中世の叙任権闘争の重要人物ではあるが、それぞれ仏王、イングランド王であり皇帝ではない。言われてみれば当然だが、教皇権と並立される皇帝権は神聖ローマ皇帝であり、中世帝権の「国際法的」普遍性は、原理上、神聖ローマ皇帝にのみ認められていた――はずである。

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「神聖ローマ帝国」は、「神聖」「ローマ」「帝国」のそれぞれについて実に興味深い論点がある。古代国家の名残なのか近代国家の萌芽なのか。普遍的帝国なのか特殊ドイツ国家なのか。そもそもカール大帝の帝国の正統的継承と近代ドイツ国民国家の成立までのおよそ1000年の過渡期であった「神聖ローマ帝国」は、その名前で同定できる実在が存在するのか。

一般的な説明では、神聖ローマ帝国の「死亡宣告書」といわれるウェストファリア条約(1648)以降、ヴォルテールによって「神聖でもなくローマ的でもなく、帝国でもない」と揶揄され、「名前負け」していくといわれる(最近の研究はそれを反駁しているらしい)。フランス革命後にナポレオンが「皇帝」を名乗ると、ビザンツ皇帝の継承者たるロシアの「皇帝(ツァー)」を含めて、神聖ローマ皇帝と鼎立し、1806年に終焉する。それ以降、「帝国主義」の時代になると、皇帝のインフレ状態の様相です。

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ヒトラーが「第三帝国」という場合、当然「第一帝国」は神聖ローマであり、その意味で近代ドイツの民族主義に対しても大きな象徴性をもたらしている。他方で、現在のEUでは、カール大帝の帝国とならんで神聖ローマ帝国もヨーロッパ統合の理念的象徴とされているようだ。いつか専門家の話を聞いてみたいと思う。
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by akai1127ohi | 2009-09-11 00:50 | 政治学史 | Comments(0)

「福田歓一著作集」

ここ数日、地味で概念的な眼前の歴史研究からの逃避傾向が甚だしい。

現実逃避にしては、逃避先もまた難渋なのであるが、『福田歓一集』をA to Z で読みたいという欲求に強くかられている。激しい欲求と関心にかられている今なら、何の苦痛 pain もなく読めるような気がするのである。

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金大中が死去したことも大きい。
戦後史について、若い世代がやってもいいと思うのである。
今年いっぱいの目の前の課題が終わったら、ぜひしばらくこれをやってみよう。
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by akai1127ohi | 2009-08-28 18:53 | 政治学史 | Comments(0)

老人と青年の連帯の形式

自分に固有の関心事ではるが、読み物としても面白いので感想を書きたい。

『ホームズ―ラスキ往復書簡集』(M・D・ハウ編、鵜飼信成訳、岩波現代選書、1981年)

両者の往復書簡は、ラスキ23歳、ホームズ75歳のときに始まり、ホームズが94歳で死ぬまで続く。「老人と青年」の心の連帯を想起させる。

ただ、90歳に近づくホームズは当然しばしば体の不調を書き、「進歩を求める努力の方はほとんどあきらめてしまいました」(p319)などとも告白する。他方ラスキは、脂の乗り切った壮年に達し、脅迫的な読書力と精力的な政治活動を書き連ねる。ホームズは穏やかに忘却し、ラスキは蓄積と表現の一途である。両者の関係は、晩年においては決して知的に対等ではない。その知的活発さの非対等性は、両者を包む深い敬意の関係によって覆い隠されているのではある……。老人と青年とのあいだには、幸いな場合に「敬意による協調」は生じるし、それは尊いのだが、対等で互恵的な「連帯」は、同世代のなかでしか生じえないような感想も残る。

随所に興味深い一節があるので、一箇所だけの引用は本来不当だが、例えば以下。

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ラスキからホームズへの手紙(1931年9月17日)

「親愛なる判事様……先週の日曜日、お茶の時間にやって来て、こういう形の質問書一頁を私に見せた日本の教授のことをお話しなければなりません――1、「アルトジウスのルソーに対する影響について、あなたのような著名な教授はどう考えますか、テキストにそって説明して下さい。」2、「モンテスキューのフランス革命に対する影響について討議したいと思います。」3、「政治理論に関する最良の書物100冊をあげるとすれば、それはどれとどれですか。」私はこれを、タイプした文書から、一字一句修正しないで再現しています。残念ながら私はこれらの全部に対して、できるだけ愛想のいい顔を見せましたが、答えはしませんでした。イギリスの学者の対話は、日本のそれと比べると、はるかに軽妙で、的はずれのものですね、というのが彼の批評でした!」

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この「日本の教授」とは誰……。
それに、まるで本郷の「政治学史」の試験問題のような項目。
南原繁も短期間だが留学中にLSEに籍を置いて、ラスキの講義に参加している。
まさかと思って見返したら、南原がLSEにいたのは10年前の1921年だった。
これはこれでちょっと調べてみよう。
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by akai1127ohi | 2009-02-02 01:16 | 政治学史 | Comments(0)

H・カメン、成瀬治訳、『寛容思想の系譜』、平凡社、1970年

これも「夏休みの宿題」で読んだもの。
本書はその価値からすれば歴史家の話題に占める割合がいささか謙虚なのではないかと思う。

               ***

やはり近代初期のヒューマニズム、寛容思想においてエラスムスの権威は絶大だ。
エラスムスは、ラスキと並んで学部時代の自分が最も関心を持っていた思想家でもある。

エラスムスとラスキは、ある意味でよく似ていると思う。
宗教革命もロシア革命も文明史において巨大な変革期であり、事実、1930年代には、共産主義における理想的意義と苛酷な独裁という正負両方の特徴を含めて、それを宗教内乱期のプロテスタンティズムの改革的意義と独善的不寛容とに類比する言論が多かった。

そのなかでエラスムスもラスキも、基本的に古い立場に身をおいて人格形成し、古い立場の最良の部分を受け継ぎながら、新しい文明の建設的な価値を真摯に理解しようと努め、両者の平和的な統合を試みた存在だといえる。

その結果、古い立場からは理想主義だアカだと批判され、新しい立場からは日和見や「修正主義」だと罵られる。しかし、苦悶も逡巡もなく新旧いずれかの立場を「採用」できる人に比べて、二つの文明のあいだで真摯に苦悶し逡巡する対象のほうに、個人的は関心を引かれるのはなぜだろうか。

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本書は、①エラスムスなどヒューマニズムの伝統に起源をもち、知識人たちがラテン語で展開した、良心の自由と平和を旨とする寛容思想の系譜と、②ロピタルやボダンなどポリティークに代表される、国家権力と国民統合による秩序回復をめざす寛容思想の系譜が、容易に要約しえない歴史的展開を豊富に織り込んで描かれている。対象とする時代は16,17世紀なので、絶対主義がいかに寛容の「友人」であったかが示されるところで終わる。

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価値の多元性、可謬性の自覚や寛容という意味でのリベラリズムにとって、宗教戦争はその歴史的端緒にあたる。ポーコック『マキャベリアン・モメント』以来、civic humanismは政治思想史の主要な「パラダイム」となって思想的トンネルが通じているわけだが、エラスムスやカステリヨンなどに端を発する、旧来の(本当の?)意味でのhumanismを、政治思想史のConventionのなかでしっかりと位置づけてトンネルを探りあてる仕事も必要なのではないだろうか。その意味で、自分なりにも、いわゆる思想史においての「エラスミアン・モメント」を意識していきたい。
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by akai1127ohi | 2008-09-14 23:16 | 政治学史 | Comments(0)

ちょっと興味深かったこと(再)

「ラスキの立場を日本でほんとうに生かそうと思えば中共というものを十分に――日本というものに立つて、意識的に反対しているように見える中国をギリギリに理解して、中国における新しいものは何であるかということを、国民に知らすことが、ラスキを日本で生かすことである。ラスキをもつて左派の社会党とか何とかということはラスキの形骸にとらわれることじゃないかと思いますが、どうですか。ラスキがロシア革命に対したように、中国革命に対して親身に理解し、世界史的なものが何であるかということを、アジアの伝統に立つて明らかにすることこそ、日本においてラスキの思想を実践することなのでしょう。」
(久野治の発言、『世界』、1947年2月号、p168)

                    ***

1950年前後における日本の「ラスキ・ブーム」には、ラスキ解釈をめぐっていくつかの流れがあり、丸山真男はその一つの筆頭格だが、その丸山に一番近いラスキ理解を示していたのが久野収だったといえると思う。研究者としてのラスキ解釈である丸山に対して、在野の久野の発言は、丸山が諧謔で包んでいる真意を、さらに明瞭に断言しているものとなっている。

上記の久野の発言は、中野好之、辻清明との対談でのもの。
ロシア革命を真摯に理解しようとしたラスキの立場は、われわれの文脈に持って来てみれば、同時代的に起こっている中国革命を真摯に理解すべきではないか、というもの。

ラスキは英国自由主義の嫡流だ、自由主義は西側だ、日本は西側だ、だから日本政府を支持すべきだ、という「流出論的」な思考をした人々とは対照的に、久野の立場は、ある立場がある文脈で何を意味していたかということと、それが自分たちの文脈では何を意味するかということを認識するある種の「政治性」に富んでいると思う。
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by akai1127ohi | 2008-09-11 04:26 | 政治学史 | Comments(0)

福田歓一、「日本における「国民的なもの」の形成」(1961)

福田歓一、「日本における「国民的なもの」の形成」(1961年)
同、「国民国家の諸問題」(1976年)
いずれも『福田歓一著作集』第4巻(1998)所収。

「日本における「国民的なもの」の形成」では、日本におけるnationalなものの形成の特異性が指摘され、それがinternationalなものとの連関の上で再形成されるために、「所与における国民性の不在の確認」と、とくにアジア諸国に対する国民的個性への尊重を自らの内的規制原理とする、確固とした国民的主体の形成が主張される。

思想史的にとくに慧眼なのは、やはり日本におけるナショナリズムの特異性の指摘である。かかる指摘は、やはりヨーロッパの政治史・政治思想史に通暁する福田であって初めて可能な視野であろうかと思う。

「ヨーロッパ近代国家の成立は、われわれの国にも見られたように、多元的な閉鎖集団、ないし諸共同体の統一によって得られたものであるが、同時に、それは普遍的なクリスト教共同体corpus christianumの解体として現われたのであった。換言すれば、近代国家はヨーロッパにおける政治生活の単位の転換の所産であり、端的にはローマ以来の帝国的政治制度の否定の上に、はじめて近代文化の特質としての地方性、国民的個性を定着しえたのであった。したがって、ここでnationalなものは、いわばア・プリオリに、普遍=帝国秩序に対する国際international秩序を内蔵し、両者は相補的な関連に立っている。」(p74)

ヨーロッパでは、internationalなものの概念が初めにあって、それが地方的に分化、割拠したものとしてのnationalな概念がある。この場合のinternationalなものとは、キリスト教普遍世界がそうであろうし、それ以前では、シャルルマーニによる西ローマ帝国の理念だとか、ゲルマン社会の風習、ローマ法の伝統などが想起される。

しかし日本のナショナリズムの生成は、西洋列強との衝突により、帝国主義世界の角逐場において成されなければならなかった。したがって、ここではinternationalなものとの対比のなかでnationalなものが切り取られたのではなく、所与のnationalなものへを過度に差異化し、自明化することによってしかなされなかった。「そこには、外に自らの内包する秩序規範によって代位すべき、普遍=帝国秩序の制約はなく、内に限られた島国の領域の中に種族、宗教、言語において鋭い分裂のない「同胞」がすでに与えられえていたのである」。したがって、日本においてはnationalという一般名詞が、日本的という固有名詞として通用するかのような現象が生じることになる。

「このように、国民的という言語象徴がついに所与の即自的な確認を意味する限り、それは単なる所与の原理的超越を志向しえず、逆に所与としての日本的なものの別名となる。ところで、この国民的なものと日本的なものとの未分化は、断るまでもなく両者の剥離によってのみ成立し得る国民的主体の不在を意味するから、そこには、超越を予定してはじめて内在化する規制原理と、それによってのみ可能な冷徹な国民的利益national interestの認識とが、ともに成立しえない。文化概念としての個性的国民の主張が、原理的に他の国民的個性の承認を内臓するヨーロッパとの対照において、力以外に規制原理をもたないエスノセントリズムが、他国のナショナリズムの理解を欠いて、自国体制の拡大(八紘一宇)として国際秩序を表象するには十分の理由がある」。(p76-7)

戦後の日本は、英仏独に比するまともな社会民主主義勢力も生み出せなかったのだが、他方で、実は、まともなナショナリストもまた生み出せていないのだ。あげくに、福田のような立場の学者から、いわば「ナショナリズムかくあれ」と指摘を受けるにおよんで、日本のナショナリズムの、今にいたる未成熟さと、自己向上、世界認識の薄さを感じざるをえない。
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by akai1127ohi | 2008-02-26 04:48 | 政治学史 | Comments(0)

ダンテまで行けば、楽になる・・・。

先月、政治思想史の通史をいくつか読んでいた。
どの通史を読んでも、トマスまではややしんどい・・・。ダンテまで行けば少し楽なる…。

通史特有の意義とは何だろうか。
おそらく、個々の思想家に関する専門論文をchronologicalに並べれば、膨大であるがしかし包括的な「通史」となるだろう。しかし、半沢考麿氏のいうとおり、「詳細図をつなぎ合わせても俯瞰図はできない」。一人(あるいは共通了解の下での少数者)によって叙述される通史には、特有の意義があるのだろう。福田は、通史を書き下す決意に、南原の『政治理論史』と内田義彦の『経済学史講義』の影響をあげているが、経済学史のあり方と、叙述方法にも興味がわくところだ。

通史の利点の一つは、ある設定された基準に基づいて、一つの概念や言葉の変遷を歴史的に捉えられるということだろうと思う。たとえば、現在における最も支配的な政治原理がリベラル・デモクラシーであるとすれば、ありうる政治学史の通史叙述は、古典古代からの政治思想がいかにリベラル・デモクラシーの構築に変容、接近、貢献してきたか、という「基準」であろう。他方、南原の『政治理論史』は、「民族共同体」という南原政治哲学の主旋律とは対照的に――あるいはそれであるからこそ一層――むしろその前提としての個人の自律、思想における自我の位置づけ、個人主義的視点の生成という基準が重視されているように思われた。

他方、福田の『政治学史』叙述の主旋律は、政治生活の枠組、政治社会の単位の変遷である。大雑把にまとめれば、polis、civitasからキリスト教的普遍世界へ、マキャベリのstatoから領域国家・地域国家・主権国家へ、絶対主義国家から国民国家nation-stateへ、という政治単位の変遷と、思想との関係である。福田のかかる問題意識は、現在、私たちの政治社会の「自明の前提」として観念されている国民国家を、歴史的に相対化しようとする実践的意図から来るものといえるだろう。

「そもそも国民国家の母胎であったヨーロッパにおいて、地域統合の歩みが最も着実に進む一方、個人のidentityへの問いが、国家の枠組を内側からゆさぶる状況があり、他方、いうまでもなく、核時代において主権の観念が根本から問われ、人類が直接政治的思考の単位、政治社会の枠組の変遷を問題にし、近代国家の歴史的相対性に注目して来たのは、単にそれが日本人の実感を反省する上に必要と考えたからばかりではなく、まさに現代における政治認識を、19世紀的前提から解放するためにほかならなかった。」(p507)

かかる問題意識から、政治的権力のultima ratioである暴力的契機が、近代の国民国家においては著しい排他性をもって国家に独占されている事実と、その正当化の原理が着目される。福田の社会契約説に関する仕事も、このような文脈のなかにあるものと思われる。

①福田歓一、『政治学史』、東京大学出版、1985

「政治学史」講座ではこの本にお世話になった。だけど実は、この通史は、私にとってはやや読みずらい印象がある。元来、講義録を基にしたものだから、なんというか、やや口語調で、わかりにくいところもあるのだ。

福田の『政治学史』において存在する基準は、全編を通しての国家という枠組の変遷変とともに、近代における「人間の哲学」という流れだ。カントの扱いにそれが現われている。
第9章「ドイツ哲学と国民国家」において、フィヒテ、ロマン主義、ヘーゲルがあつかわれている。他方、カントは、第8章「近代政治原理の転化過程」において、ルソー、英国急進主義とバーク、功利主義と並んで叙述されている。通読していて、ベンサムのあとにいきなりカントが来るというのは若干不自然かと思われた。しかし第9章のはじめに、福田はこう断っている。

「ここで敢えてカントを前章に組み入れてフィヒテから説き起こすのは・・・・・・、フィヒテ以後の哲学に『人間の哲学』としての伝統を離れるものがあり、とりわけその政治理論において、大きくカントと異なるからにほかならない。」(p474)

②南原繁、『政治理論史』、1962、東京大学出版会

自分にとっては南原は、自分との連続性が観念できない「過去の人」だ。その意味で、歴史的かつ相対的なものとして読めた。

例えばロックについての評価が厳しい。南原はロックの「外面的悟性国家」の限界を批判する。

「国家権力は各個人が自然状態に持っていた自然的執行のための権力の総和以上のものでないかぎり、依然、原子論的機械論的国家以のものではなかった.この点において、ロックの自由国家はホッブスの絶対主義国家と構成をまったく異にするけれども、同じくなお人工的な一個の制作と称することが出来るであろう。それは個人の道徳的価値の基礎付けではありえても、一般に人間の政治社会的関係それ自体の究明ではなかった。自由主義が一つの政治原理としての根本の限界は、ここに存するといわなければならぬ。そのことは、自由主義その後の発展の歴史において、その理論的根拠をロックのごとき自然法から功利主義、さらに理想主義哲学に置き換えるにいたっても、変わりはなく、一般に個人主義原理の限界である。」(南原、『政治理論史』、pp224-5)

南原は、「政治原理としての自由主義」につき、「人間人格の尊厳と自由の価値」、「自己完結的ないし自己決定的な個人の観念」の樹立へむけたその意義を評価しつつも、その「歴史的使命」は終わったものとする。そしてその止揚を、ルソーからドイツ理想主義哲学にかけた「国家哲学」に求めるようになる。この点が、やはり一抹の「違和感」が感じられる。

南原の『政治理論史』を読んで、思い出したのが丸山の学部生時代の論文「政治学における国家の概念」の最後の個所だ。

「我々の求めるものは個人か国家かのEntweder-Oderの上に立つ個人主義的国家観でもなければ、個人が等族のなかに埋没してしまふ中世的団体主義でもなく、況や両者の奇怪な折衷たるファシズム国家観ではありえない。個人は国家を媒介としてのみ具体的定立をえつつ、しかも絶えず国家に対して否定的独立を保持するごとき関係に立たねばならぬ。しかもさうした関係は市民社会の制約を受けてゐる国家構造からは到底生じえないのである。そこに弁証法的な全体主義を今日の全体主義から区別する必要が生じてくる。」
丸山、「政治学における国家の概念」『戦中と戦後の間』、p32

丸山のこの論文の最後の、「弁証法的な全体主義」の内実について、いろいろと丸山シューレのなかで議論がされており、これをもって丸山におけるリベラリストというよりヘーゲリアンの側面を強調する人もいるが、早稲田の笹倉秀夫教授が、これをルソー的共同国家であると解釈し、田口富治氏もそれもそれを肯定的に論じており、また私もそう思う。だが、丸山が、この論文が自分と南原の「機縁」を作った、というように、南原の国家観と多分に通底する思考があることは疑いないだろう。

③佐々木毅、鷲見誠一、杉田敦、『西洋政治思想史』、北樹出版、1995

私が一番初めに政治思想史のテキストとして使ったもの。
初学者向けではあるが、それはそれで良く出来ていると思う。

古代、中世、近代、現代の4部立てという構成。(しかしこの区切りこそ、政治思想の通史における、破壊されるべき「神話」ではないか、とも思うけど。)本書は、第4部の「現代政治思想」(杉田敦執筆部分)において、ウォーラス以降、アレント、ハバーマスまでが扱われている部分が、特色といえると思う。

④足立幸男、中谷猛編著、『概説 西洋政治思想史』、ミネルヴァ書房、1994

主として関西を中心とする20人の研究者によって書かれた通史。
特色としては、思想史概説であるといいながら、第13章以降、実証政治理論や政治の科学化の問題に言及していることだ。また、ロールズ以降の正義論も取り入れている。包括的でしっかりした本だと思う。
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by akai1127ohi | 2007-10-09 02:58 | 政治学史 | Comments(0)

加藤節、『南原繁』、岩波新書、1997

加藤先生の本を連続的に読んでいる。

南原、丸山、福田と続く日本の政治哲学・思想史の系譜は、批判主義といった共通項を抱えた一つの系譜であり、それらは継承されるべきものだと思う。しかしそのなかで相対的に自分のコミットメントが少ないのが、南原である。私は丸山も福田も実際に会ったことはないが、本からは直接に影響を受け、それは今の私に続いている。それに対して、南原は、私にとって、完全に歴史上の人物にすぎない。

いくつか、私をして南原を遠ざける理由がある。
一つには、アジア太平洋戦争という極めて極限的な政治状況において、「洞窟の哲人」として実践的言論を回避したこと。二つんは、家族、地域、大学、民族や国民共同体など共同体的価値を自明のものとし、個人をそれに連なるものとして位置づける共同体主義である。
三つには、キリスト教の信仰の問題が入ってくることである。

一つめの、南原が世界戦争下にあってジャーナリズムを回避し、学者として存在しつづけたという点については、加藤先生はそれを、学問の上では生と形式の統一がなされていたと擁護しているが、私としてはそれはやはりむしろ南原の限界を示すものでこそあれ、その評価を高めるものではないと思われる。

また、おそらく二つめは、フィヒテなど私が余りなじみのないドイツ思想から由来するところもあると思う。この点に関しては、加藤先生も、「違和感p178」という個所で、南原政治哲学の根幹をなす民族共同体実在論への違和感を表明している。そして、民族実在論の上にではなく、新しい形の個人主義のうえに、政治哲学を抗争すべきであると述べている。これは私の違和感でもある。

南原を、等身大の政治哲学者として読んでいきたい。
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by akai1127ohi | 2007-05-04 22:04 | 政治学史 | Comments(0)
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