Modest Comments on What I Have Read


Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
by akai1127ohi
プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ:日本政治思想史( 12 )

〈自著の紹介〉『戦後思想の再審判』(法律文化社・2015年)

昨年(2015年)10月に刊行した私どもの論文集『戦後思想の再審判』ですが、1月25日の毎日新聞が書評欄で取り上げてくれました。

私自身も、ピープルズプラン研究所のニュースレター「自著の紹介」というコーナーに、『戦後思想の再審判』についての短文を書きました。もしお暇があればご笑覧ください。
          
               ***

〈自著の紹介〉『戦後思想の再審判』(法律文化社)
大井赤亥・大園誠・神子島健・和田悠編 2015年10月5日刊行 3000円+税・266頁 法律文化社

本書は、丸山眞男から柄谷行人まで戦後日本の12名の思想家を対象とし、1970年代以降代生まれの中堅若手執筆者がその思想を「再審判」したものである。本書企画の際、編者に共有されていたのは、「戦後啓蒙」を同時代的に肯定した1950年代の「戦後民主主義」言論とも、またその克服を目的化した1980年代以降のポストモダンとも異なり、「戦後啓蒙」に対する賛否を踏まえた上で、その肯定的遺産を掬い出そうとする複眼的視点であった。

もとより、丸山らに代表される「戦後啓蒙」への批判と評価について、そのどちらにバランスを置くかは執筆者間でも差異がある。私は比較的、「戦後啓蒙」の肯定的遺産の継承を重視しており、その背後には、「戦後啓蒙」が格闘してきた問題圏から現在の私たちはすでに抜け出てしまったのかという私自身の疑問が横たわってきた。「古臭い説教」とされてきた「戦後民主主義」を新たに継承する必要は、立憲主義擁護など極めて「クラシカルな課題」が問われた2015年安保をへて、一層強まったと感じる。

本書については、毎日新聞(1月25日)が、「ロスジェネ世代による読みやすい戦後思想論」という書評を載せてくれた。しかし、いくつかの批判的指摘も寄せられている。たとえば、①戦後思想におけるマルクス主義の基底力が捨象されている(武藤一羊氏)、②本書執筆者に3・11の衝撃が薄い(清原悠氏)、③本書の射程が「戦後日本」という時空に閉じられており世界秩序への意識が希薄(関正則氏)といった指摘をいただいた。これらはいずれも、形式的には「〇〇がない」という「外在的批判」ながら、その実、戦後思想のアクチュアリティを抽出する上で極めて重要な「内在的批判」であり、今後に向けて拳々服膺したい。

政治社会の変革は、世界的に共通な「普遍的傾向」を踏襲する側面と、その政治社会に固有の運動や思想の蓄積、いわばその「経路依存性」に即して展開される側面とがあろう。「戦後」という状況の上に経路依存的になされてきた日本の思想的営為の、何を批判克服し、何を継承発展させるか。重要なのはそれらを見分ける複眼的審美眼であり、本書がその一助になれば幸甚である。
[PR]
by akai1127ohi | 2016-02-02 00:15 | 日本政治思想史 | Comments(0)

坂本義和『人間と国家』(岩波新書、2011年)

坂本義和『人間と国家(上・下)』(岩波、2011)を読んだ。それなりに坂本著作を読んできた私にとっては既知もあり、また既知から推測できる未知もあったが、日高六郎『私の憲法体験』(ちくま、2010)同様、今という時点で残される、戦後「岩波知識人」の自伝としての側面と意義を感じた。とりわけ、総長補佐として関わった東大闘争の記述は、人物の描写と評価の双方で、特異な記録的価値を感じる(下巻10・11章)。

戦争体験の継承、日本国憲法の政治学的正当化、アジアとの和解など、戦後の「岩波知識人」が直面した問いは依然として「われわれ」の問いでもある。同時に、ロスジェネ世代といわれる今の30代にとって、先進国の貧困、格差、社会保障の再構築など、独自の課題があることも印象づけられたという気もする。

                    ***

かつて図書館の書庫で古い総合雑誌を紐解く過程で、日韓国交正常化(1965年)に関する坂本義和と宮沢喜一の論争的対談を読んだことがある。朴政権を相手とした国交回復に反対する坂本と、朴政権以外に韓国の正統な代表政府があるのかと反論する宮沢の議論は平行線だったが、理念に忠実な「学者」と、現実に直面する「政治家」との原理的対決は、南原と吉田の「曲学阿世」論争を想起させるものだった。

今、現実の不可避性を合理的に説明できる政治家はいるか。いやそれより、そのような政治家から「曲学阿世」と呼ばれるに値する学者が、どれだけいるか。

                    ***
     
坂本氏は朝日(7/20)で、「批判力と構想力」を挙げていた。「中立日本の防衛構想」などにつとに坂本氏の「構想力」へのこだわりを感じる。戦後社会党は、安全保障に関する現実的代案の提示に消極的だったため、90年代に権力につくとすぐ、一気に既成事実に押し込まれてしまった。

鳩山が沖縄基地に取組んだ時も、日米安保に代わる防衛構想を真摯に展開しようという左派は、少なかった。安保に関する提案をすぐ「非現実的/ユートピア」とする日本「現実主義」(リアリズムではない)と、軍事に関する話を一切拒否する心情的左派の間で、「構想力」の継承は意味があるだろう。
[PR]
by akai1127ohi | 2011-07-29 01:42 | 日本政治思想史 | Comments(0)

ジョン・ダワー、『吉田茂とその時代(上・下)』、中公文庫、1991年

外務省の「親英派」、1940年代の「吉田反戦グループ」と近衛上奏文への関与、また牧野伸顕との親族関係などにより、「反軍主義者」というイメージを帯びて戦後政治の中心を担った吉田茂。本書は、ジョン・ダワーのいささか浩瀚にすぎる博士論文の文庫版ですが、むしろ戦前の吉田の外交官活動に関する記述が意義深く、感想を羅列的に書いておきます。

               ***

1920年代の吉田は寺内や田中義一といった長州閥の陸軍軍人と親しく、中国での排日問題に関しては繰り返し「断然たる決意」を求めている。1920年代後半の、いわゆる協調主義の幣原外交(民政党)、積極政策の田中外交(政友会)にはいずれも親しく参画しながらも、どちらかといえば田中外交に望みをかけていた(p132)。戦前の吉田の主張は、中江兆民『三酔人経綸問答』の3類型でいえば、典型的な豪傑君タイプといえるだろう。

吉田自身は、自身は「親英米派」ではなく「英米利用派」だという。吉田は、日本の中国政策に欧米とくに英米の支持との強調が不可欠なこと、そしてどれほど無茶をすれば英米に叱られるかをよく知っている。

しかし、第一に、英米の事情に通じる吉田も、中国の民族主義、抵抗ナショナリズムについてはついぞ見誤っている。それがいかに根強く、また無視しえないものであるかについての認識は薄い。

第二に、時代が下り1930年代から40年代にかけて軍部が台頭してくると、そのような軍部の暴走を止めるために、結局軍部の穏健派を頼みにせざるを得ない発想がある。これは、西園寺や吉田のような、「穏健派」に通底している。

西園寺は、犬養が暗殺された後の斉藤、岡田といった穏健派軍人を指名して、「これ以上悪い方向に行かない小康」を選択している。後知恵で見れば、政党政治はここで終焉している。東条を下ろして終戦工作をしようとした際の「吉田反戦グループ」も、首班として想定するのは宇垣です。「軍部を抑えるには軍部内部の穏健派しかない」という「保守の側の反軍派」の前提が、結果的に彼らが既成事実に追い込まれていった背景にありそうです。
[PR]
by akai1127ohi | 2010-08-23 07:18 | 日本政治思想史 | Comments(0)

「雲の下の人」

自分は生前の丸山真男に会ったことはない。
自分が物心ついたころに亡くなったので、私にとって丸山はと言えば、プロ・コンに分かれて論じられる戦後日本思想史の「問題」であった。他方、小田実は、テレビでも見たし、講演会で実物を見たことも何度かある。だから、すでに亡くなってはいるが、思想史の対象として捉えるという意識がなかった。ゼミでの契機に、『難死の思想』を散読し返した。

               ***

本郷総合図書館の5階、いつも窓のブラインドが閉じられている、小さくて暗い視聴覚教室がある。そこで、「正義の戦争はあるのかー小田実 対論の旅」(2000年)というNHK番組の記録を見たことがある。小田が、快晴の大阪城公園から話をはじめ、米、英、独に旅をして政治家や市民運動家と語りあうもの。米軍将校や、湾岸戦争支持にまわったドイツ社会民主党の国会議員への小田の視線は厳しい。他方で、アーミテージとは丁々発止の議論をするものの、最後の握手は腕相撲のような様子になって、小田は、he is much taller than I!と笑っていた。

               ***

ハーバード留学中、1945年8月14日の大阪大空襲を伝えるニューヨーク・タイムズを図書館で見つけた時の事を話していた。自分がそこで、悲惨に、無意味に、一方的に殺された「虫ケラのごとく黒焦げの死」を目撃した、その現場を、アメリカの新聞は雲の上から論じる。その新聞を手にとりながら話す小田の姿は、、私に「雲の下の人」という印象を残した。くりかえしくりかえし、あくまで同じ問題を思考し続けるこの人の、ときに挫かれることはあっても、持続的な方向性としては、絶対に止まらない衝動のようなものを感じた。

               ***

あくまで雲の下にいることを譲らない。
そしてその姿勢は、大阪空襲の雲の下から、広島のキノコ雲、北爆の雲、皇軍機による中国の都市を覆った雲の下へと拡げられていく。小田が、行動しながら考え続けるその独特のスタイルを通して、また自分自身の「ナショナリズム」の意識のなかで、被害から加害の問題への思考の広がりをどのようにして切り開いていったのか、興味深く感じた。「被害と加害」など、平和教育の陳腐なテーマかもしれない。しかしやはり、被害者であり、同時に加害者である「日本」という位置は、それに固有の経験を通しながら、被害と加害を結びつけ、より普遍的な経験や見地を獲得しうる回路にも開かれているのではないかとも感じた。
[PR]
by akai1127ohi | 2009-05-27 02:07 | 日本政治思想史 | Comments(0)

徐大粛、『金日成と金正日―革命神話と主体思想』、岩波書店、1996年

1月に広島に帰省した際、韓国料理「オンドルパン」の店主Pさんから飲みながら「主体思想」についてのレクチャーを受けた。興味が湧いて、本書を散読した。

               ***

まさに西洋近代を象徴するような「主体」という言葉が、マルクスの共産主義理論を媒介としながら、いかにして北朝鮮において土着のナショナリズム思想となっていったか?
その変容の過程は、極めて興味深い。

日本に福沢諭吉がいた時代、朝鮮半島の思想はどうだった?
日本に丸山真男がいた時代は、どうだった?(丸山の時代の韓国現代思想について、われわれはかなり無知だ)。「主体」なるものへの対応は、個人のレベルにおいても国家のレベルにおいても、19世紀のwestern impact以降、東アジアの国々がいずれも直面しなければならなかった思想課題であろう。

               ***

朝鮮においては、近代以前は仏教や儒教、近代以降はキリスト教やアメリカの民族自決主義など「外来思想」が支配的であり続けた。「主体思想」は、金日成による建国神話の理論的補強であると同時に、外来思想の受け売りや形式的な受容を排して、自分たち自身の思想を構築したいという契機があったという。

しかしながら、社会主義と朝鮮「国家」との結合は、結果として、主体思想を「社会主義的愛国主義」にしていく。朝鮮に生まれたものは朝鮮で革命をしなければならず、朝鮮に打ち立てられた社会主義国家を愛さなければならない。かかる主体思想の政策的な方向性は、政治的自主性、自給自足的経済、自衛による国防へとつながっていく。後に「首領論」がつけくわえられ、現在の北朝鮮につながるあの著しい独裁国家のイデオロギーとして機能していくようになる。

「主体思想」は最終的に、朝鮮民族の「主体性」獲得の理論から、金日成・金正日の世襲的独裁国家のイデオロギーへと変容していったことに間違いはない。しかし、その原初のところで、それとは異なる思想的契機を孕んでいた可能性はないか?その契機を掬いだすことは、日本の戦後思想による「主体」なるものとの向きあい方を再認識する上でも、何かしらの重要性を持っているのではないだろうか。

               ***

学部時代、佐藤慎一、『近代中国の知識人と文明』という本を読んで非常に面白かった。
日本近代化のサクセスストーリーからは「頑迷固陋」のレッテルを貼られる20世紀の清朝を、清朝の内部から描き出したもので、その結果、近代主権国家体制以前の清朝がいかに文化的な中心国であったかが浮き彫りにされる。

北朝鮮の歴史的、思想的な位置に寄り添った形で、同じような仕事が「主体思想」に対しても、なされていいのではないかと感じる。
[PR]
by akai1127ohi | 2009-02-14 02:33 | 日本政治思想史 | Comments(0)

加藤周一のこと

新聞の訃報に接して、何ともなしに、初冬の一日、当座の勉強を一区切りして、加藤周一の岩波ブックレット、『学ぶこと 思うこと』を再読した。

この本はもともと、駒場で新入学生のために講演をしてほしいという当時の私たちの依頼に対し、加藤さんが応えてくれて実現したものだ。講演のタイトルは論語の「学びて思わざれば暗し、思いて学ばざれば危し」から来ている。講演の後に、岩波書店に企画を持ち込んでブックレット化された。

この講演を聞いた学部二年のときの自分は、「学ぶこと」と「思うこと」の相互依存、相加相乗的な関係を、ウェーバー的な学問と判断の峻別を克服する契機として受け止めた。

今回、再読して感じたことは、「今頃の若者は…」というメンタリティーとは完全に無縁な加藤氏のmental attitudeだ。学生を鼓舞し、若者に希望をかけ、改革や革命は「あなた方がやること」という未来観がある。

               ***

「ほんとうに怖い問題が出てきたときこそ、全会一致ではないことが必要なのだと私は考えます。それは人権を内面化することでもあるのです。個人の独立であり、個人の自由です。日本社会は、ヨーロッパなどと比べると、こうした部分が弱いのだと思います。平等主義はある程度普及しましたが、これからは、個人の独立、少数意見の尊重、「コンセンサスだけが能じゃない」という考え方を徹底する必要があります。さきほど述べたように、日本の民主主義は平等主義的民主主義だけれど、少数意見尊重の個人主義的な自由主義ではない。それがいま、いちばん大きな問題です。」(加藤周一、『学ぶこと・思うこと』、p52)

               ***

またそんな話か。
また「リベラル」か。そんな話はもういい。
もういい加減に啓蒙に憧れるのは終えろ、手あかのついた……。
「ブルジョア的」自由だろ?現実を直視しろ。

……実に様々な反応が思い起こされる。
自分としても「またそんな話」のようにも聞こえる。
しかし率直に、「またそんな話」を日本人が本当に克服できているのか、ずっと疑問でもあるのだ。精神の奥底を巣食っている封建的な精神の片鱗が、新しい思想や運動の意匠を着飾ってであれ、ひょっこりと顔をのぞかせていることは本当にないのだろうか。

格差、不平等、貧困……それらの問題に「リベラル」が直面することが重要だ。現実に直面することが重要だと思う。しかし、格差の問題は、人間が自律的な生を送ることができるための条件であるべきだという思いもする。とにかく、現実に直面しつつ、なおかつ「リベラル」であることの意味を問うていきたいと思う。
[PR]
by akai1127ohi | 2008-12-07 04:23 | 日本政治思想史 | Comments(2)

「自決死」と難死

小田実、『「難死」の思想』、岩波現代文庫、2008年

小熊英二の解説によって復刊されたので、これを機に再読。
病床から死去までの小田を記録したNHKの番組、「小田実・遺す言葉」もよかった。病床の小田が、アメリカのイラク政策を論じて、「やらないかんことが多すぎで死生観なんて考えてられんよ!」と喝破する言葉など、印象に残っている。

『蟹工船』は労働者が集団として瞬間的に立ち上がるまでを描いている。小田の思想は、個人が個人として持続的に立ち上がり続けることを主張している。『蟹工船』だけでは手落ちで、これと合わせて読まれるべきだろうと思う。

               ***

小熊英二の『<民主>と<愛国>』によると、大江健三郎、小田実、三島由紀夫、石原慎太郎、江藤淳らの世代は、直接の戦争体験や従軍体験を持たない、いわば「遅れてきた青年」であり、戦場での友人たちの死を経験していない。したがって戦死者の意味づけにおいて個人の解釈の余地が生まれる。その解釈次第によって、民主と愛国の共存関係が崩れ、両者へ分岐していくのもこの世代だ。

大江健三郎の「沖縄ノート裁判」で論点となった、曽野綾子『ある神話の背景』における沖縄集団「自決」の位置づけは、「愛国」の方向への分岐をある意味で極端に表しているように思う。

曽野は、沖縄の「集団自決死」を「国に殉じるという美しい心で死んだ人たち」とし、「何故、戦後になって、あれは命令で強制されたものだ、というような言い方をして、その死の清らかさを自らおとしめてしまうのか。私にはそのことが理解できません」として、大江を批判する。

曽野の解釈は、死者の沈黙を良いことに、その死の意味づけに自らのイデオロギーを持ち込んだ、最も独善的な例の一つだろう。むしろ、死者の沈黙の前に、その死の「無意味さ」を、しっかり受け止めるべきなのではないか。「無意味さ」の意味を、執拗に考えるべきではないのか。すくなくとも、死の意味づけにあたって、逡巡すべきぐらいの「恥じらい」を持つべきではないのか。こうも都合よく自らのイデオロギーを混入させる仕業に、義憤を感じる。

              ***

「私が見たのは無意味な死だった。その「公状況」のためには何の役にも立っていない、ただもう死にたくない死にたくないと逃げまわっているうちに黒焦げになってしまった、いわば、虫ケラどもの死であった。」(小田、『「難死」の思想』、p4)

「戦後二十年のあいだ、私はその意味を問いつづけ、その問いかけの上に自分の世界をかたちづくって来たといえる。「難死」に視点を定めたとき、私はようやくさまざまなことが見え、逆に「散華」をも理解できる道を見出せたように思えた。」(同、p6)

「戦後、私はしだいにこの無意味な死のほんとうの意味を発見していった。国家と人びとのあいだに、大義名分と個人の生き方のあいだに、そして、もちろん、天皇とわれわれ一般日本人とのあいだに、あきらかな裂け目を見ることで。」(同、pp194-5)

              ***

死人に口なし、である以上、小田の「難死の思想」も、小田による解釈であるという限界は免れ得ない。ただ、曽野以上に死の「無意味さ」に直面して思索したということは、明らかに言えるだろうと思う。
[PR]
by akai1127ohi | 2008-07-18 01:00 | 日本政治思想史 | Comments(0)

夏の暑い日、書庫の中で

夏の暑さのなか、図書館の地下二階で終戦後から1960年までの総合雑誌をしらみつぶしに見返した。これはとても興味深い作業だった。目的探究の過程で、実におもしろい発見もある。しかし書庫の埃もすごくて、マスクを持って行くべきだったと学習する。

日本の「社会科学」において、ウェーバーとマルクスがfashionになる前に、「ラスキ・ブーム」というのがあった。「ラスキ・ブーム」は、終戦直後から始まり、ラスキの死去する1950年ごろまで続く。結局、「ラスキ・ブーム」一過は、小熊英二氏のいう「第一の戦後」とぴったりと符号している。

日本の知識人のラスキ熱は確かにすごいのだけど、同時に、「ラスキ・ブーム」の渦中にあっても、ブームを快しとしない保守的な心性の者たちから、「ラスキ熱は過剰評価だ」という(ある意味でまっとうな)指摘もあったりする。また、1950年にラスキが死去すると、一様に追悼特集や追悼記事が出るのだが、追悼記事をapexとして、ラスキは一気に忘れ去られていく。1951年以後は、手のひらを返したように、ラスキは論壇から、日本の「読書人」から、消え去っていく。

               ***

「世界」創刊号の巻頭論文が安倍能成であるのが象徴的なように、「世界」は元来、戦前の軍部には反対だが同時に反共的で貴族文化を愛好する「オールドリベラリスト」を中心とする雑誌だった。しかし、丸山の「超国家主義の論理と心理」(1946年)を契機に、「世界」は若手中心の論者にシフトして行き、出て行った形の「オールドリベラリスト」たちは、戦後の論壇事情によって微妙に保守化しながら、「中央公論」に足場を移していく。南原繁はむしろ「中央公論」で活躍した人なのだ。

小熊氏の指摘するように、やはり戦争体験の記憶の根強いこの時代は、「世代間」というのは大きな裂け目であると実感する。世代の違いが、新生日本のあるべき方向性への提言の差異へと結びついている。

               ***

同時に、たとえば「世界」と「中央公論」で論客に一定の傾向性はあるのだけど、今の論壇誌のような「棲み分け」はない。「中央公論」に宮本賢治が書くこともあれば、「世界」もオールドリベラリストからマルクス主義者まで幅広い論客が並んでいる。

してみると、今の論壇誌の「棲み分け」はいいことなのだろうか。
「世界」は目次でだいたい予想がつくようなリベラル優等生の公式見解になっているし、「正論」もまた、本当の敵を招き入れないで、対岸の安全な場所から仲間内の気炎を挙げているにすぎない。「前衛」はそもそも党機関誌でscepticismのなかで自分を鍛えようという前提自体が欠如している。(「論座」の休刊は惜しまれる。)かかる論壇誌の「棲み分け」は、意見の組織化という意味では便利なのだけど、ある意味での教条主義に近いものになりはしないか、という危惧が感じられる。しかし何より、かかる「棲み分け」こそ、日本の思想業界におけるダイナミズムの停滞を招いているのではないかと思う。

そこには、意見と意見が競合して、より高次の真理へ到達するメカニズムもないし、より高次の意見がさらにscepticismの渦のなかでさらに鍛えられる道も閉ざされている。意見と意見がぶつかることで思いもよらない有機反応や、新たな応用が生じることが妨げられ、結局、それぞれの雑誌がそれぞれの立場で煮詰まってきているのではないかと思う。このような環境では、「論争」というのは起こらないだろう。

むしろ、理論的な批判を人格的な批判にすげかえて、すぐに感情的対立になってしまう議論風土、まっとうなdebater-shipが未熟な状況では、「論争」は成立しないのかもしれない。持続的な論争が可能になるためには、真理にのみ忠実な真摯な姿勢が必要だし、自説に間違いや説得性の乏しさを感じたらそれを認める心性が必要だ。そして批判者は、相手が自説を修正すれば、その勇気に感服し、それ以上たたみ掛けないことも必要だと思う。
[PR]
by akai1127ohi | 2008-07-18 00:23 | 日本政治思想史 | Comments(1)

蝋山政道について

蝋山政道、『政治学の任務と対象』、1925年、(中公文庫、1979年)
同、『日本における近代政治学の発達』、新泉社、1949年

                     ***

戦後の日本政治学はやはり丸山を契機として一つのパラダイムが存続してきたことは明らかだろうと思う。丸山以前の政治学は、丸山によって、復活すべき伝統があるのかと問われたように、そういう意味ではなかなか振り返ることが少ない。蝋山政道が、政治学者としてよりも政治史や行政学史の対象としてのほうがポピュラーだという事実も、それを表しているだろう。

『政治学の任務と対象』(1925年)は、政治概念と方法論をめぐる抽象的な議論が前半を占め、大変抽象的で難解な本だ。第6章では国家概念が扱われ、ドイツ国家学の系譜とイギリスの多元的国家論が検討される。第11章は国際行政、第12章は国際政治で、いずれも日本における両分野の学問としての確立の定礎とされている。

『日本における近代政治学の発達』(新泉社、1949年)は、丸山による戦前日本政治学の「後進性」批判、日本政治学は復活すべきほどの伝統を持っていない、という挑発的批判に対しての蝋山の学問的応答といえる。本書に収録された座談「日本における政治学の過去と未来」は実に興味深く読めた。当時丸山は31歳、才気と問題提起に溢れた新進気鋭の政治学者という姿が実に浮かび上がってくる。社交辞令を重んじつつもその思考の鋭敏さと問題提起の活発さゆえにやはりどこか生意気に感じられずにはいられなかったであろう若き日の丸山を前にして、すでに還暦の蝋山は、柔和で老獪な好々爺という印象で、押し引きの妙を心得ている。慇懃なeuphemismの影からそれぞれの学者の生き様と政治学のあり様をめぐる真摯な対立が浮かび上がってくる。

                      ***

1930年代以降の蝋山の時局的発言を見ると、多元主義や機能主義から東亜共同体論への転換を果たしながらも、決してそれが粗野な拡張主義にならないところに蝋山の博学さと器用さがあるのではある。博識に裏打ちされた時局的発言も多いのだが、蝋山においては、政治学の原理や知見は、現実にたいする批判標準として用いられるのではなく、むしろ政治的現実の弁証や正当化のために活用されている感がある。

その結果、時局の変化に応じる形で、自身の政治学の原理的な部分も変容を遂げている。機能主義から東亜共同体論へ、多元主義から「地域的共同体の運命」、「日本の世界史的位置の自覚」といったようなディスコースへの変身は、それらを示しているように思う。(もちろんそこには、多くの政治学の言論を吸引した「帝国再編」という磁場の力があったことを想起する必要があるのだが、総じて、蝋山は戦中期をヤヌス的に乗り越えた、というのが一つの表現方法だろう)。

                     ***

座談会「日本における政治学の過去と未来」(1950年)において、蝋山は日本政治学には活性の時期と停滞の時期が交互に訪れるある種のサイクルが示されている、述べている。政治学が活性化した時期としては、明治10年代から憲法発布に至るまでの時期と、大正デモクラシーの時期の二つがエポックとして挙げられ、他方、政治学が停滞した時期としては一つの体系が支配的な考え方として影響をもった時期、具体的にはドイツ国法学が政治学の思考を規定した時期を挙げている。そして蝋山は、政治学が発展、活性化する時期に共通の条件として、その社会の大きな政治的変動を指摘する。

「従って政治学の発達には前提としていろいろの政治的変化がなくてはならない。そのいろいろの変化の比較研究というようなことから政治学は発達する、あるいはイデオロギーの対立闘争といったようなものが政治学を生む母胎だと思います。」(『任務と対象』、p319)

ちなみに蝋山の発言を受けて岡義武は、帝国憲法制定を控えた明治10年代と大正デモクラシー期の共通性を指摘しつつ、それぞれの時代の政治学的思惟の活発さが強い実践的な意図によるものであったと指摘している。

その上で蝋山は、現在(1950年)の日本の状況を捉えて、終戦とそれによって引き起こされた巨大な政治的変動が、日本政治学の新たな活性化の好機をもたらしていると述べる。
「終戦後の今日は、しからばそういう点から見ていかなる時期にあたっておるかと申しますと、まさに終戦後は日本の政治学会における第三の――これを激動期というならば――激動期じゃないか、従って政治学は飛躍的発展を遂げる機会に恵まれておるのではないかと思います。」(『任務と対象』、p319)

丸山による戦前政治学への批判は必然的なものだったと思うと当時に、復活すべき伝統がないという言葉を真に受けてそれらをノータッチではまずいだろう、とも思わされる。戦前から戦後への日本政治学の変容は、政治学とは何か、その発展の条件、対象たる現実政治との関係、などなど様々に示唆に富んでいるように思われた。
[PR]
by akai1127ohi | 2008-06-25 12:02 | 日本政治思想史 | Comments(5)

朝鮮史研究会・旗田魏編、『入門 朝鮮の歴史』、三省堂、1986年

本書による朝鮮近代史の描き方には二つの柱が明らかであり、一つは「朝鮮の民族的主体性」の強調、もう一つは日本人の差別意識の歴史的解明、といえよう。

朝鮮の「民族的主体性」は、抗日抵抗運動と内政改革・近代化の二つの領域で叙述される。前者に限れば、その重要なフェイズは、第一に甲午農民戦争(1894)、第二に三・一独立運動(1919)、第三に六・一〇万歳運動(1926)から光州抗日学生運動(1929-30)にかけての朝鮮国内での抵抗運動、そして第四に1930年代以降の満州を中心とした、共産主義者による抗日パルチザン闘争である。

三・一独立運動以後の抗日運動の状況は、基本的に共産主義者と民族主義者による民族統一戦線として構成されていたようだ。六・一〇万歳運動(1926)はその契機であったとみえる。

「六・一〇万歳運動は、全国的運動とはならなかったが、運動の大きな転機となった。このあと、共産主義者たちは、経済闘争を政治闘争へと発展させ、民族主義者と積極的に提携する民族統一戦線の結成をよびかけた。」(p184)。かかる民族統一戦線の運動が様々な独立運動団体の設立をうながし、光州抗日学生運動(1929-30)へとつながって行く。

1920年代後半以降は、満州の間島地方を中心として、共産主義者による抗日パルチザン闘争が進められ、1930年代以降は、これが「日本帝国主義と対峙する朝鮮民族の最大の武装勢力に成長」していく。とくに金日成の率いるゲリラ闘争は、当時の朝鮮国内の支持を多く集めたらしい。

本書においては、1945年の日本の敗戦、朝鮮の光復もまた、このような抗日独立運動の主体的な獲得の成果として位置付けられている。そして、1948年の分断以後も、抗日戦線の記憶が、両国家の体制の歴史的正当性の一部となっていることを示唆している。

「南北両国家の建国理念に共通性があることは、全民族的な姿勢のあり方を物語ることとして注目しなければならない。それぞれのイデオロギーの差異とも関連して、重視するポイントが少しちがってはいるけれども、いずれも抗日民族解放闘争のなかに思想的よりどころを求めている点にかわりはないのである。」pp209-11

                ***

1863 李是応政権―中央集権政策、鎖国政策
1860s後半 開化派の形成―朴珪寿、(のちに金玉均、朴泳考、金充植)
1873 明治六年の政変(日本)
1875 江華島事件(雲揚号事件)
    高宗の親政、ミン妃一族の興隆(ミン妃政権)
1876 開国
    日朝修好条規ー朝鮮の「主権」国家化
1882 アメリカとの通商条約
    壬午軍乱―日本行使花房義質ら逃走、日本に軍備拡張論
    李是応による事態収拾も、ミン妃政権
    急進開化派(金玉均、朴泳考)と穏健開化派(金充植、魚充中)の分裂
1884 清仏戦争
    甲申事変―急進開化派によるクーデター。
    事大主義の解消、政府機構改編、財政軍事改革(金玉均、『甲申目録』)
    清国による攻撃と日本の撤兵によって挫折
1885 福沢、『脱亜論』
1894 甲午農民戦争 反日・反政府運動の性格
    清軍と日本軍の出兵―日本、日清両国による「内政改革」の提案
    日清戦争
    金弘集政権―甲午改革、開化派の流れによる近代化改革
1895 三国干渉―日本の相対的弱体化と、反日運動の激化
    三浦梧楼指揮による、ミン妃暗殺
1904 日露戦争―朝鮮政府は局外中立
1900s後半 反日義兵闘争―朱子学の立場から「衛正斥邪」  
1910 日韓併合、「武断政治」 
1919 三・一独立運動
1926六・一〇万歳運動
1929 光州抗日学生運動
1930s~ 共産主義者による抗日パルチザン闘争(金日成、満州間島地方にて)
1945 光復、日本敗戦
1946 北朝鮮臨時人民委員会(委員長金日成)
    米ソ合同委員会―南北一体の独立政府の構成手続き
1948 アメリカが米ソ合同委員会を決裂
    5月、南のみの単独選挙
    8月、大韓民国成立(李承晩大統領)
    9月、朝鮮民主主義人民共和国成立
[PR]
by akai1127ohi | 2008-03-21 17:20 | 日本政治思想史 | Comments(0)
ブログパーツ
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
venusgood.com
from venusgood.com
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
愛国心を育てる名言
from 愛国心を育てる名言
愛国心を育てる名言
from 愛国心を育てる名言
愛国心を育てる名言
from 愛国心を育てる名言
イカー!イーカチュー!!
from イカチュウ
総員第一種戦闘配置!!
from 司令
しょーすしょすしょすw
from びえぶ
ちょちょちょ(^^;
from さい8
ライフログ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧