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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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カテゴリ:台湾旅行記( 5 )

天佑台湾・台湾旅行記-(5)2016年総統選挙

1970年代以降の民主化の達成として、台湾は独自の民選総統を選び出すことになった。民主化は、必ずナショナリズムと一進一退で進む。民主化はナショナリズムを導き出す。ナショナリズムといって気に食わなければ、民主化は、「その民主化によって自治される政治社会の枠組への愛着的自覚」を必然的に招来させる。

本省人でありながら(蒋経国死去によって)国民党総統となり、むしろ民進党と結託して国民党改革を行った李登輝。1996年、初めて民選総統として当選した時、李登輝は当選演説で、「三民主義万歳」、「中華民国万歳」と叫んだあと、最後に「台湾人民万歳」を加えている。

それはすなわち、民主化された総統選挙への参加者に広がる、台湾という政治社会の自律性と正統性への意識を掬い取る言葉であり、中華人民共和国とは異なる「もう一つの政治単位」の民主的確立、すなわち「台湾アイデンティティ」の意識化といえるものと思える。

その後、民進党への政権交代も実現し、中台関係は国共という「外来政権」のトップ会談で決められる事柄ではなく、政治参加の権利を共有した「台湾人」によってその帰趨が決められるべきものとなった。

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現在、各種の世論調査が示すように、中台関係について、台湾の有権者の過半数は「現状維持status quo」を求めている。中国とは着かず離れず、政治体制は別個のまま、共産党の威圧的な干渉には当然反対するが、とはいって政情不安や武力衝突につながる独立も望まない、通商だけは行って、現在の関係を維持していこう。世論調査の結果からは、そのような最大公約数が見て取れます。

そして、民進党が偉いのは、台湾独立を綱領に掲げながらも、そのような民衆の「変化への期待と慄き」に寄り添い、不安を払しょくし、声を聴きながら一つひとつ駒を進めようとする姿勢です。蔡英文は、十分に政権を託するに値する人物として映っている。
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写真は台北市内の民進党のポスター。「国会を改革しよう、台北から開始しよう」の意味か。

国民党は民進党の「経験不足」と「政情不安」を喧伝するばかりで、落ち目の政権与党の典型的な論法に依存するしかありません。

しかし、国民党もそれなり偉いのは、政権交代の慣例こそ「中華民国」の「中華人民共和国」に対する優位性であることを、それなりに理解していること。それゆえ「下野慣れ」していることだろう。
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写真は国民党支持者のデモと朱立論の宣伝バス。

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国民党は、大陸反攻という見果てぬ夢を追いかけた独裁者蒋介石の時代から、蒋経国時代(1978-1988)に大きく変容している。

蒋経国は日本では最も馴染の薄い総統だが、台湾では評価の高い人物だそうです(本田義彦『台湾総統列伝』)。1970年代は、アメリカと日本による北京政府承認、国連での中国代表権の共産党政府への移行など、台湾にとっては「国際的孤立」が進む時期ですが、蒋経国のスローガンは「荘敬自強、処変不驚(落ち着き払って自らを強くし、変に処して驚かない)」。これは最近の流行語「Keep Calm and Carry on」(ナチスのロンドン空爆時のイギリス王室の言葉)を先取りするものです。
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写真は士林市場で見かけたステッカー。右が蒋介石、左が蒋経国。

蒋経国の政治を例えれば、大陸反攻がもはや実現不可能だと悟り、中華民国の「台湾化」にゆっくり舵を切る。蒋家の世襲権力化ができないと悟り、中華民国の「民主化」をそろり足で準備する。総じて、国民党は蒋経国時代に、「外省人出自ながら台湾化していく穏健保守路線」に転じ、それは現在まで国民党の基調となっているように思える。
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写真は中台両岸の政治家のマスコット人形。

そのような路線は、蒋経国の英語通訳として政界入りした馬英九にも引き継がれている。1986年、蒋経国はアメリカ人記者とのインタビューで戒厳令解除を表明するが、それを通訳した馬は、「この歴史的な言葉を通訳したとき、体に電流が流れるようなショックが走ったことを今でも覚えている」という。馬によると、蒋経国は、「他の権威主義体制の指導者に比べ、先見の明と民主主義の素養があったと思う」とのこと。

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政権交代、すなわち政治権力の移行とは、その政治社会にとって最も困難な一大作業だろう。政権交代とは、有権者の常識に根を張った野党の安心供与能力と、自らの支持喪失を悟り泰然と野に下る旧与党の度量との、双方のコラボによって可能になるものだろう。

台湾では、二つの「過去」をめぐるナラティブと、多かれ少なかれそれらに自らの正統性を依拠させる国民党と民進党という二つの「体制」が、相互に角逐しながら、今再び、投票箱を通じた、平和的な権力の移譲を行なおうとしてる。
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写真は夕暮れに映える総統府。

この建物の主は、今日、再び入れ替わろうとしています。

政権交代という偉業を、もはやどこか日常の一部として淡々と行わんとする台湾の人々の姿を見る時、私はそれを表現する語彙を欠いたまま、ただただ「天佑台湾(神よ、台湾を守りたまえ)」と呟かざるをえませんでした。

【天佑台湾/台湾旅行記-終わり】
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by akai1127ohi | 2016-01-16 21:06 | 台湾旅行記 | Comments(0)

天佑台湾・台湾旅行記-(4)戦後台湾をめぐる二つのナラティブ

首都の行政府の中心は、ソウル光化門しかり、北京天安門しかり、ロンドンのダウニング10しかり、ワシントンのリンカン・メモリアルしかり、いずれの国でも象徴的な政治的建造物が多く、その政治社会の「現在の権力」が、どのような歴史のナラティブの上に成り立っているかを、垣間見ることができる。

台北の総統府周辺を歩いて驚くべきは、第二次大戦後の中華民国/台湾を語る、明らかに緊張関係を孕む二つのナラティブが、実に並存していることです。

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中正記念堂。
良かれ悪しかれ台北の中心地であるこの馬鹿でかい瑠璃色の城を、どのように位置づけてよいのか、今だに私に答えがありません。
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写真は中正記念堂。

蒋介石の評価については、台湾を「基地」にしながら大陸反攻を夢見た老独裁者という見方から、「蒋介石が台湾に撤退したおかげで台湾は共産化を免れた」という結果論に基づく評価まで、多様です。私としては、台湾を本当には愛することのなかったこの人物が、台湾の建国者として顕彰されている光景に、ただただ歴史の「経路依存性」を感じ、言葉を失うだけだった。

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しかし驚くべきは、そのすぐ近く、総統府の前方のこれまた象徴的な場所に、蒋介石を「最大の責任者」と公言する228事件記念館があり、228和平公園があること、またその隣には、蒋介石時代の白色テロによって殺害された人々を祈念する「白色政治受難者犠牲碑」が、まるで総統府を睨むように佇んでいることです。

中正記念堂が「中華民国」を代表する象徴物であるとすれば、228事件はむしろ「台湾」の自治運動の一環として位置づけられるものであろう。そしてそれは、台湾の民主化の過程で、資料が公開され、研究することが可能になり、記念碑を建てたり芸術活動の対象となったりすることが可能になった、戦後の台湾の「もう一つ」の側面の起点です。
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写真は228和平公園内にある228記念碑。

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中正記念堂と228和平公園は、決定的に「矛盾」している。

そして、矛盾しながら「並存」している。それらはいわば、戦後の台湾/中華民国をめぐる、二つの視点、二つの歴史のナラティブであり、その途方もない「矛盾」と、「矛盾」が曝け出されたまま現在を紡いでいる台湾政治のあり方に、私は心をひどく攪乱され、最後まで整合的な形で胸に落とすことができませんでした。
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by akai1127ohi | 2016-01-16 20:56 | 台湾旅行記 | Comments(0)

天佑台湾・台湾旅行記-(3)Unexpected encounter with Ma Ying-Jeou

台北滞在、三日目午前。台湾大学近くの喫茶ズータンルーと唐山書店を訪れる。

行きすがら、台湾大学周辺で、来たる1月16日の総統選に向けた国民党支持者の大行進と遭遇。党支持者が街頭で中華民国旗(青天白日満地紅旗)の小旗や刺青シールを配り、大変な盛り上がりでした。
 
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来たる総統選では、民進党の蔡英文、国民党の朱立倫、親民党の宋楚瑜の三つ巴ですが、実際は蔡英文の独走状態で、むしろ立法院選挙で民進党が過半数をとれるかに焦点があるようです。

唐山書店を見終えてしばし一人行動となり、台湾大でこの様子なら、中正記念堂に寄ればさらにすごいことになっているだろうと勘を働かせ、228記念堂に向かう途中、中正記念堂による。

15時ごろに中正記念堂に着くと、案の定、正面には集会用のステージが設けられ、居並ぶ国民党支持者に聞くと、16時から総統候補の朱立倫の演説会とのこと。一時間ほど228記念館を拝観し、16時過ぎに再び中正記念堂に戻ることにしました。
    
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16時半ごろ、中正記念堂の正面に戻ってくると、すでに誰かが演説をしている。

よく見ると、なんと馬永九総統でした。

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写真は演説する馬永九総統。

中華民国旗の小旗を振る支持者の間を縫うように、ステージ最前列の方まで移動して、これまでの施政について語る馬氏を眺める。

夕暮れの中正記念堂は、実に シアトリカル な政治演出のステージであり、「自由広場」と書かれた正門から、はるか後方にそびえる中正記念堂の瑠璃色の尖塔を背景に、去りゆく総統の演説はどこか寂寥感を感じさせる光景でしたが、時折、馬氏が力を込めると、観衆が一斉に「対!対!対(トゥイトゥイトゥイ!)、「好!好!好!(ハオハオハオ!)」と連呼しているのが印象的だった。

話の内容はまったく理解できませんでしたが、翌日の台北英字紙Taipei Timesによると、中台関係の「現状維持status quo」は「たゆまぬ努力の産物であり、天から降ってくるものではない」という趣旨の民進党批判だったようです。

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写真は国民党の支持者。
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馬総統の演説が終わると、真打、今日の主役である朱立倫(国民党総統候補)が登場。

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写真は演説する朱立論。

馬永九の演説が演壇を使った古典的スタイルだったのに対し、朱立倫は、アントレプレナー風の耳かけマイクで、演壇を自由に動き回るTEDスタイルの演説でした。役者として馬英九より数段劣るという印象は否めないものの、朱立倫の演説の最終版では、「立倫!立倫!立倫!(リロリロリーロ!)」の声に「当選当選当選(トソトソトーソ!)」と答えるコール(掛け声)で、支持者は大変熱心に応えていた。

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写真は国民党総統候補の朱立論と副総統候補の王如玄。

朱立倫の演説が終わると、馬総統が再び登壇、それに続いて朱立倫に総統候補の座を譲った洪秀柱、名誉主席の連戦など国民党の有力者がステージ上に勢揃いとなり、観衆と一体となって「リパブリック賛歌」を大合唱。花火やら紙吹雪やらが飛び、なるほどこれがいわゆる「Political Rally」だと痛感する体験となりました。
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写真は檀上に勢揃いする国民党の有力者たち。

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この日の主要政党の政治集会は現地メディアでも大きく取り上げられており、翌日の英字紙で確認した所によれば、国民党はこの日、台北で大規模なデモ行進を実施。台湾大学など市内の三か所からデモをスタートさせ、中正記念堂で合流し、そこで演説会。参加動員人数は、警察発表6万7千、国民党発表20万とのことでした。


余談ですが、この日の中正記念堂前での国民党の集会はネットテレビ(?)でも放映され、驚くべきことに私も一瞬映り込んでいました(29:15あたり)。

ちなみに同日、蔡英文は高雄で集会を開き、民進党の強い南部から北上して台北に乗り込む算段だそうです。
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by akai1127ohi | 2016-01-16 20:50 | 台湾旅行記 | Comments(0)

天佑台湾・台湾旅行記-(2)二二八記念館

228事件は、1947年、日本に代わって台湾統治を行った国民党が、台湾人を抑圧するなかで生じた虐殺事件です。

1947時点で国民党はまだ本土で共産党と内戦中であり、台湾統治を任せられた陳儀が、本土の蒋介石の威光と軍事力の背景に、台湾人(本省人)の不満を激しく弾圧し、「最短期間、徹底粛清」によって1万8千から2万8千人程度の台湾の社会的なエリート層が殺害される。

第二次大戦後に台湾に来島した国民党人士など外省人と、17世紀頃に福建省などから台湾島に来て住み着いた人々(本省人)とは、いずれも漢民族であり、違いは来島した「時期の違い」に過ぎない。しかし、228事件を契機に、両者の対立は「エスニックな性格」(若林正丈)を帯びることになる。

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現在、台北には「228記念館(台北市立)」と「228国家記念館(国立)」の二つがあり、前者は総統府のすぐ前、後者もまた市中心部の南海路にあります。

南海路の「228国家記念館」の方は、2011年に開館。私の印象では、228事件の「責任追及」に結びついており、制度的な民主化をなし終えた後の台湾政治における、より先鋭的な問題意識を感じた。

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写真は228国家記念館の前景。

228事件は、実際のところ、蒋介石や陳儀など国民党の政治家が事件の責任者であり、したがって、228事件の責任追及を論じることは、そのまま戦後の国民党の台湾統治の正統性に対する疑義に直結する。したがって、228は長らく台湾社会のタブーだった。

228について語り、責任追及の機運が生じるのは、1980年代の民主化と軌を一にしている。同館で購入したパンフ『228事件責任帰属研究報告』では、総統時代の陳水扁が挨拶を寄せ、「蒋介石が事件の元凶であり最大の責任があり、陳儀など軍政人員が副次的責任を負うべきである」とする結論を要約している。

228、白色テロル、美麗島事件など、戦後の台湾の事件や社会運動の「顕彰のされ方」は、現在の政権の力関係によって大きく変化する。「歴史の語り」それ自体が、現在の政治権力の力関係の、激しいアジェンダの一つであることを痛感させられます。

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写真は228国家記念館の展示の様子。
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「228記念館(台北市立)」は、中正記念堂と並び、総統府のすぐ近くに位置している。228事件を、日本統治下の台湾自治運動から1980年代の民主化運動までの長いスパンに位置づけ、それを自治運動の一つと位置づけるもので、感動的な記念館でした。

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228記念館の様子。
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228記念館の開館記念手印。右端が陳水扁、真ん中がノーベル賞受賞者の李遠哲。

日本統治下と戦後の国民党統治を連続的に見ることによって、台湾アイデンティティの変化も理解しえる。とりわけ、1945年の日本統治の終焉と国民党来島により、台湾人は、「皇民化政策」から「漢奸狩り」への大転換を迫られる。

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日本の敗北と国民党の中国への復帰に伴い、「全省漢奸総検挙」がなされた記事が見える。

長年に渡り押しつけられたアイデンティティAを、更なる別のアイデンティティBを急激に押しつけることによって否定された時、そこに生じるのは、アイデンティティBへの反発、アイデンティティAへの愛着的違和感、そして、おそらく長い煩悶と試行錯誤を経た上で、それら他律的アイデンティティの双方を否定して生じる、内発的なアイデンティティCの自己形成への希求、ではなかろうか。

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写真は228和平公園内にある、228事件記念碑。
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ちなみに、228事件の賠償や資料公開、228の休日化といった遺族の要求が政府の「譲歩」によってすべて実現するのは1990年代で、李登輝(本省人)時代の国民党政権。しかし実はその李登輝もまた、228事件当時は、共産主義かぶれの左翼青年として「弾圧される側」にいた。その李登輝が中華民国総統として228事件について謝罪することになる局面には、どこか、金大中拉致事件の最大の被害者である金大中が、後年、大統領として国家犯罪の過ちを謝罪する不条理と同様のものを感じさせ、変化の速い政治社会に特有のドラマを感じます。
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by akai1127ohi | 2016-01-16 20:31 | 台湾旅行記 | Comments(0)

天佑台湾・台湾旅行記-(1)国立故宮博物院

今年(2016年)1月、『戦後思想の再審判』執筆者間の親睦をかね、いわゆる「中華民国」、すなわち台湾を訪れました。

現地では、なんと馬永九総統との偶然の遭遇もあり、政治(学)的には実に触発された旅でしたが、当地で考えたことを、旅の感動のままに筆を滑らせてみたいと思います。

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国立故宮博物館。
初日はガイドさんの案内の下、故宮へ。故宮博物院といえば清朝時代の彫刻、白菜と角煮ですが、ちょうど昨年末に台湾南部の嘉義県に故宮博物院南院が開館し、白菜は残念ながら現在そちらに貸出中でした。しかし、角煮を見ることができ、また白菜はこの旅の途中でレプリカを頻繁に目にしました。(ちなみに、白菜は、2014年、上野博物館が台北国立故宮博物院の特別展を行った際、日本にも来ている)。

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古代王朝以来の「過去」の文物への関心もさることながら、根っから政治的関心の強い自分としては、過去の文物が「現在」の政治権力によってどのように利用されているか/利用されえないのか、にむしろ関心が向かう。台北故宮博物院は1965年にオープンしますが、これは、蒋介石が「反攻大陸」を実質上諦めたことと共振しているようです。

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また、2014年に上野の国立博物館が故宮の物品を貸し出して特別展を行いましたが、この際、上野博物館側が当初に契約に反して「故宮博物院」と表記したために故宮側が猛反発。一時は開催が危ぶまれたものの、たった一週間で東京中の宣伝看板の文字がすべて「国立」故宮博物院に変更されていた。それほど、「国立」故宮博物院は、中華民国の政治的アイデンティティを深く結びついているといえよう。
               
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台北の故宮に存在する物品は、もちろん国共内戦にともなって第二次大戦後に国民党が台湾に運び込んだものですが、物量でいうと北京の故宮の二割程度。しかし、中華文明の遺産を選りすぐった「精鋭の二割」だそうです。また、国共内戦の過程で、文物の輸送は上海、南京、重慶そして台湾へと長距離に及んだにもかかわらず、財宝が何一つ壊れなかった、というのが、学芸員の自負だそうです。

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忠烈祠。
辛亥革命から現在まで、「中華民国」のために死んだ英霊を祭る場所で、国民党色が強く、一人で行動していたらおそらく訪れなかった場所でしょう。衛兵の交代式が観光名所になっており、それに遭遇しました。

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忠烈祠の後ろは、辛亥革命(1911)から日中戦争(1930~)、国共内戦(1930~40)にいたるまでの戦闘模様を描いた銅版と英雄の銅像が並ぶ。総じて清朝、日本、そして共産党に抵抗した中華民国という歴史ナラティブに彩られていますが、「中華民国」なるものの変質と変容も強く感じるものでした。辛亥革命時代の英雄として秋瑾も目にして興味深い反面、時代が下るにつれて、反共色と「くすんだナショナリズム」が相対的に浮かび上がってきます。

               ***

中山記念堂。
孫文を敬愛する気持ちで私も人後に落ちませんが、すでに南京の中山陵を訪れている私としては、生前に台湾にゆかり少なき孫文を偶像化する巨大は箱もの、という印象も拭えませんでした。

記念堂自体は1972年、蒋経国の時代に作られており、徐々に「台湾化」している中華民国が、それでも一応、孫文生誕100周年をむかえ、体制の起源と正統性を確認しておこうという、そんな様子の記念堂と感じました。

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by akai1127ohi | 2016-01-16 20:16 | 台湾旅行記 | Comments(0)
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