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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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スピノザの「自然権」

先週からある研究会で修士院生のイニシアティブの下にスピノザを読み始めたのだが、これが面白い。古典の言葉が、自分の今の問題意識にぴったりとはまる。17世紀オランダの文脈が、明確に2016年日本の眼前の状況にフィットする。今、自分にとって「スピノザと出会う時」だったのだろうと思う。

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スピノザは「自然権」という言葉を「自然法則」のような意味で使っていると解釈され、たとえば魚の自然権は「水の中を泳ぐこと」だとしている。ゆえに、魚に陸をあがれと言うことは、自然権に反する。その要求は、正しいとか間違いである以前に、魚にとって不可能であり、「魚の自然権に反する」。

人間にもできることとできないことがあるが、人間の「自然権」は、魚よりも幅が広く、揺らぎがあり、可変性がある。したがって、人間の自然権を探求するとは、人間の力の及ぶ範囲、変わることのできる範囲を認識すること。だから、スピノザの自然権は、「人間がこう生きるべき」という規範ではななく、水中が魚の生きる条件であるように、人間が生きる条件を認識する行為であろう。

しかし、だからといってスピノザの自然権が「規範」と無関係なのではない。人間とそのまとまりである民衆の「自然権」を探求することは、人間の「できるないこと/できること」を見つけることであり、どういう条件が揃えば人々は「できること」を発揮するかを内在的に理解することでもある。そこから、「認識」が規範に繋がりうる。

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「魚に陸にあがれ」と要求することが「魚の自然権」に反するように、ただ知識人が上から「民衆に政治的であれ」と要求することは、おそらく「人間の自然権」に反するだろう。だから、そのような要求はおそらく実現することはないだろう。

しかし、今、確かに民衆は政治的であり、それが野党共闘をもたらしている。それは、魚が水中に生きながらなお自らを変化させるように、人間も、人間の自然権に規定されながら、その制約のなかで、内側から自らを変えていく光景のようにも映る。「人間の自然権」に内在した民衆の動きが、人間の「できること」の幅の広がりを実証し、その幅が一体どこまで広がりうるのかを、確認しようとしているように見える。

スピノザを読みながら、そんなことを想起している。


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by akai1127ohi | 2016-06-20 03:44 | 政治時評 | Comments(0)
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