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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
by akai1127ohi
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「幻想を持つ権利」

日本の「運動」、市民派や左派の中で最も欠けているものの一つは、「政治における小さなポジティブな変化をポジティブに語る話法の恐るべき不在」だろう。今夏、広島でいくつかの集会に参加し、そのことを痛感した。

政治を批判することは大事で、その重要性を認める点で私も人後に落ちない。しかし、「政治の小さなポジティブな変化をそのままポジティブに語る話法」も必要であり、それが今の日本の運動圏においてあまりに欠落している。

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政治を批判することは大事だが、それは一面で、責任を問われない。政治は常に「悪さ加減の選択」であり、政治が「成功」することなどないのだから、批判は常にいつも一定正しい、ということになる。

他方、政治をポジティブに語ること、「○○は良い」「支持する」「応援する」と語ることは、それが万一失敗した時、責任を問われやすいので、リスクがある。それゆえ、それは勇気のある行為である。

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日本の市民運動や左派の論客のなかで、流動的で曖昧な対象(民主党であれオバマであれ明仁氏であれ)に対する批判はきわめて分厚いのに対し、それらを「ポジティブに語り、こちらに引き寄せようとする話法」が全然根付いていない。

この話法の不在は、結局のところ、個々人の勇気のなさに由来するだろう。
何かポジティブな変化に期待を表明する発言をすると、それを封じ込めて押し殺さんとする潔癖かつ知的武装した「論客」みたいなのが出てきて、「スーツの青木の七点セット」みたいなパターン化された批判が一気呵成に寄せられ、それがゆえに多くの人が萎縮して言えないのである。

何か、政治のポジティブな変化について肯定的に言及する発言をすると、「それは甘い」「幻想だ」「騙されてるなよ」という意見が矢継ぎ早に発せられ、「小さなポジティブな変化をポジティブに語る話法」を未発のまま摘み取っていく、そういう磁場がある。

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しかし、政治の変化の中では、白黒つけかねる様々な変化が生じ、ある対象をめぐる評価も常に流動的である。それは、現在のように既存の「イデオロギー配線」が大きく溶解変動している状況ではとりわけそうである。

そこにおいて、ある対象の性格や機能も、常に流動的である。権力内部の力関係やフォーメーションの形成の具合、あるいは運動や外圧など様々な圧力を持けて、ある対象の政治的な性格や機能は変化する。

したがって、その状況では、政治的性格が流動的な多くの対象が浮き上がる。たとえばオバマ、民主党、天皇、良心的創価学会員、小林節etc・・・・・・。これらの政治的性格を、100%「幻想」だと断言することも、100%支持すべき肯定的要素だということもできない。それは現在進行中の流動性のなかにあるので、端的に言ってわからない。認識としてはこれ以上言いようがないだろう。

しかし、現在進行中ということは、その先が未定ということである。換言すれば、その性格が流動的な勢力について、それを「われわれ有利に」受け止め、解釈し、方向づけ、それによって対象それ自体の「行動範囲」を「われわれ有利な方向に」限定させていく余地が存在する、ということでもある。だから、現在流動的でその帰趨が未来に向けて開かれている対象を論じる時は、それを論じる言葉自体がその対象の「これからの姿」を方向づけることになりだろう。

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端的に言って、オバマはダメだ幻想だと断言していれば、実際のオバマ政治もそうなりがちだろう。少なくとも、そこからは、現在流動的な変化のなかで「オバマをこちらに引き寄せよう」とする試みが放棄される。結果として、実際のオバマもダメな反動政治家になりがちになるだろう。

日本の民主党もそうで、その性格は流動的ながら、ダメだ幻想だと断言していれば、「民主党をこちらに引き寄せよう」という流動的ダイナミズムは生まれない。結果として、民主党の性格や機能も、ある種それ自体が「予言実現的に」、すなわち民主党はダメだ幻想だと言うまさにそれゆえに、本当にダメで幻想の政党になるだろう。

8月15日の予定されているらしい明仁氏の「談話」についても、その「談話」が政局のなかでどういう機能を果たし、安倍政権との関係性のなかでどういう性格を帯びるか、それは端的に言ってわかりません。わからないからこそ、それを可能な限り「こちら側に有利に=あちら側に不利に」解釈する言葉こそ必要になる。幻想だと断言することは、その可能性を自ら摘むことになる。

私は、これらを全面的に肯定しているわけではありません。オバマであれ民主党であれ明仁氏であれ、それらの政治的機能や性格に関する私の認識は、端的に言って、現在進行形で流動している以上、「わからない」。

しかし、現在進行型で流動してるということは、その性格や機能に私たちが直接間接に影響を与えられる余地がある、ということでもある。

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それだからこそ、私は、「幻想を持つ権利」を行使したい。「政治のポジティブな変化に期待する権利」、「率直に幻想を公言する権利」を行使したい。さらにいえば、「率直に幻想を表明しても、『幻想』だと批判されない自由」をさえ、獲得陶冶していきたいと思う。

政治の現実には、その帰趨がわからない多くの流動的要素があるからこそ、その流動的要素に期待を寄せ、「幻想」を寄せることに意味がある。「幻想を持つ権利」など、およそそれを宣言すること自体可笑しな権利をあえて自分から「宣言」することの意味は、そこにこそある。
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by akai1127ohi | 2015-08-09 00:22 | 政治時評 | Comments(1)
Commented by ???? at 2016-03-17 21:30 x
「幻想」と希望は区別すべきでしょう。
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