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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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思い出す文章-加藤節『国民・群集・暴徒』(『思想』2003年)

オバマ政権によるIS「限定」空爆、マリキ首相退陣をへて、国民統合を喫緊の課題として苦慮するイラク情勢を垣間見ながら、なぜか今更、思い出す文章がある。

加藤節「国民・群衆・暴徒」(初出『思想』2003年、その後『政治学を問い直す』ちくま新書2004年に所収)。久しぶりに再読したが、11年前の文章にもかかわらず、実に現在のイラクの状況を照らしだした、先駆的な問題意識と思う。

イラク戦争開戦時(2003年)、ブッシュ政権の「単独行動主義」や、その背後にあるネオコン思想などに焦点があたったが、フセイン政権が崩壊した後のイラクの自治、それを担う有権者の形成、デモクラシーの安定化といった論点は、ほとんど着目されなかった。加藤節「国民・群衆・暴徒」(『思想』2003年6月号)は、スピノザの民衆観に依拠しながら、戦後イラクのデモクラシーを担う主体の形成作業を論じ、その試みが待ち受ける困難(とその崇高さ)を指摘したものである。

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スピノザは民衆を形容する場合、その集合的性格に応じて、「国民cives」、「臣民subditos」、「群衆multitudo」、「民衆vulgus」、「俗衆plebs」、「暴徒turba」といった言葉を使いわけているという。

これはスピノザにおける価値序列を示しており、後者から前者にかけて、たとえば「暴徒turba」が刹那的充足を求める動物的生を営む集団であるとすれば、「国民cives」は自己立法に自ら従いうる自己統治の主体として位置づけられ、中間にある「群衆multitudo」とはそのどちらにもなりうる不定形な民衆の姿であった。

ホッブスが民衆を「無知な民衆(ignorant people)」として固定的に捉えていたのに対し、スピノザは、ホッブズの愚民観を部分的に共有しつつも、同時にそれが「国民cives」へと変容しうる可変的な要素をあわせ持つことを留保していた。

「人間精神は協議し、傾聴し、討論することによって鋭くされる」(スピノザ)

「その視点は、スピノザが『群衆』のうちに、『民衆』や『暴徒』になる危険性だけでなく、『相互の援助と協力と』による『精神の陶冶』を通して、公共性を担うに足る『道義心』と『寛容』の精神とをもった『国民』へと自己形成を遂げうる可能性をも発見したことを意味する」(加藤節『政治学を問い直す』、p38)

スピノザにおける民衆は、短期的な自己利害に固執する存在であると同時に、「知性改善」を通して、公共的存在へと変化しうる存在であった。そのことによってスピノザは、自らのうちに巣喰う「愚民観」を一定克服すると同時に、「暴徒」が「国民」へと転化しえる「条件」に考察を向けることになった。

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加藤論文はここから、フセイン政権崩壊後に略奪行為が生じたイラクの民衆が、自己立法と自己支配の主体としての「国民cives」へと変容する困難さと崇高さを指摘している。

「以上のようなスピノザの展望が、イラクの戦後デモクラシーの構想に与える示唆はすでにして明らかであろう。それは、『群衆』が、精神の相互陶冶を果たしつつ、私的欲望に駆られて略奪に走る『暴徒』から、『道義心』と『寛容』の精神とをもち、法を順守する『国民』へと自己転化を遂げられるか否かにイラクのデモクラシーの未来が賭けられていることである」(加藤節『政治学を問い直す』、p39)

「しかし、その場合にも一つだけ疑いえないことがあると言ってよい。それは、イラクの戦後デモクラシーの構築が、『独裁』からの『解放軍』を僭称しつつ、現実には『侵略』と『占領』とを続ける外部勢力の他律的な力にではなく、相互に『国民』へと変容しようとするイラクの『群衆』自身の自律的な努力にこそ委ねられなければならないことである。他律によるデモクラシーとは名辞矛盾であって、デモクラシーの名に値しないというのがその理由にほかならない」(同、p40)

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一つの政治社会を民衆が内発的民主的に「創設」することは、容易なプロジェクトではない。自治やデモクラシーが可能になるのは、一定の「条件」が必要であろう。

すなわち、各人が自らの生存や利益の最大化をめぐり、相互に裏切りあうことが「個人にとって合理的」である条件から、相互に協力しあうことが「個人にとって(も)合理的」であるような条件をいかにして作りだしえるか、ということ。それは具体的には、公教育の充実、識字率の向上、刹那的な盗みや略奪に訴えなくても生活できる一定の生活水準、反復的な相互依存が確認できる商業や交易の発達、などなど。

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また、意見の異なる者どうしで自治を可能にし、それを「デモクラシー」として持続的に運営してくためには、それを担う人々のあいだで、いくつかの「能力」が必須化されるだろう。

たとえば「自分の意見を合理的に述べる能力」、「相手の意見をそれなりに忍耐強く聞く能力」、「一瞬いらっと来ても暴力に訴えない能力」、「とりあえず合意できなくても次回の話しあいの日取りを決める能力」など。

意見の異なる者同士で持続的に協議し、明確な自己主張とともに、必要な妥協を行うこれらの「能力」こそ、「内戦」や「無秩序」といった近代政治学のトラウマを回避し、一つの政治共同体を持続させしめる、民衆の「資質」であろう。それはすなわち、「徳論」とか、今風にいえば「シティズンシップ教育」などと言ってもいいかもしれない。

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ヨーロッパにおける「国民形成」と代議的デモクラシーの制度化は、19世紀の百年間を通じて漸進的に制度化されてきた。

考えてみると、J・S・ミルやトクヴィルなど、政治思想史において「リベラリスト」と括られる19世紀の思想家は、自治の成功によって逆説的にも自治が死産しないように心掛けた人々、生れたばかりのデモクラシーが過大な要求によって早逝してしまわないよう、心がけた人々といえよう。

すなわち、自治的デモクラシーを「不可抗力的な運命」と認めながら、とはいえ「溢れ出る民意の放出としてのデモクラシー」には懐疑や危惧を抱きながら、とはいえデモクラシーという「歴史の運命」をなるべく平和裏に軟着陸させるように、民衆の「準備の出来具体」を見ながら、少しずつ漸進的に制度化して行こうとした人々といえよう。

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イラクの置かれた状況は、このような欧米での「国民」形成や代議制デモクラシーの「軟着陸」の経緯とはかなり異なる。

端的にいって、たとえば人口の3割が illiterate だった社会、たとえば宗派対立や民族対立が根強くあり、ただでさえ均一で等質な「国民」の形成が困難な地域に、そのような制度的デモクラシーを「輸出」したところで、たった10年でそれが「安定化」するというのが、およそ困難なプロジェクトだと思える。

そう述べることは、欧米のデモクラシーのあり方が「普遍的」で、その「普遍的基準」に照らしてイラクが遅れてるとか逸脱してるとかを言いたいのではない。普遍的かどうかわからないが、とにかく西欧のような自治やデモクラシーを念頭においてそれをイラクで実現「させねばならない」という発想では必ず無理困難が生じるだろう、ということです。

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だからこそイラクにおける「統治の弁証法」の困難さがあり、だからこそオバマ政権が直面する「解なき関与」の苦境があり、そして何より、だからこそ、フセイン政権という「否定的安定」だけを崩壊させ、その後に来たるべき「肯定的安定」を度外視した、ブッシュ政権の無責任さがあるのだと思える。
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by akai1127ohi | 2014-08-22 00:52 | 政治時評 | Comments(0)
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