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Modest Comments on contenporary politics by Akai OHI (Twitter:@AkaiOHI)。
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「国民nation」という言葉について (1)

Abbé Sieyès による 『第三身分とは何か (Qu'est-ce que le tiers-état?)』 の日本語訳は、1950年に大石誠訳(岩波文庫)があったが、旧字体で大変読み難く、タイトルは『第三「階級」とは何か』となっていて、また底本もテキストの決定版 (増補版) ではなかったようです。この度、岩波文庫で『第三身分とは何か』 (稲本洋之助他訳、2011年) で新訳が出た。大変読みやすく、「国民nation」 という概念・言葉の「意義と限界」の双方をあらためて感じた。

いわゆる civic nationalism についてはもっぱらルナン 『国民とは何か』 が挙げられることが多いが、これほど nation について論じているにもかかわらず、シィエスの本書が、1980年代以降の欧米における国民国家批判や、それを受けた日本でのナショナリズム「批判」の文脈で、ほとんど触れられていないのは意外の感がします。そのことは、1980 年代以降のナショナリズム「批判」の言説が、どのような「ナショナリズム」を関心化してきた/してこなかったか、を示しているようにも思える。

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「国民nation」概念の「革命的」な定義からはじまるシィエスの所論が、具体的な制度論に至っていささか現実化/保守化する感もあるが、思想史的関心よりも現代的関心で見た場合、「国民nation」という概念・言葉の原初的な形成は興味深いです。

シェイエスにおける「国民nation」概念は極めて法的政治的であり、それは一方で「特権の不在」、同一の法律の下での国民相互の平等性に特徴づけられ、他方で、それは「憲法制定権力」の所存として位置づけられる。

そしてそのような「国民nation」の性格は、何より貴族の「特権」との対比によって抽出され、特徴化されるものといえる。特権者を「国民nation」に対する寄生的病巣と位置づけ、それを切除して「外部化」するところに、相互に平等な政治的主権者としての「国民」が定立する。貴族など特権者を「異常」とし、それを国民から「排除」する観念操作は、一つの政治社会の正常な主権者として「国民」を特徴づける上で、不可欠な作業だったといえよう。

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他方で、1980年代以降、欧米における国民国家批判の興隆や、それを受けた日本でのポスト・コロニアルの言説において、「国民nation」が孕んでいる恣意的な「排除と包摂」の暴力が繰り返し指摘されてきた。

とりわけ、19世紀末以降、ヨーロッパ諸国が「帝国化/帝国主義化」していき、人種や文化の異なる新たな国や地域を併呑するにつれ、国民国家におけるマイノリティとなった人々を恣意的に「国民化/脱国民化」してきたことが問題となった。相対的マイノリティは、恣意的に「国民化=包摂」され、また恣意的に「脱国民化=排除」されてきた。その結果、「国民」の内外区分の都合よさが暴露され、「国民」は著しく評判の悪い言葉となったといえよう。

これらの一連のナショナリズム「批判」が指摘するように、「国民nation」という範疇は「恣意的な排除と包摂」の暴力を孕んできた。しかし、シィエスによる「国民nation」概念に立ち戻れば、そのような「国民nation」による「排除の暴力」が最初に行使された対象は、貴族など特権階級であったこと、むしろ、特権階級の「排除」そのものが、政治的主権者としての「国民nation」それ自体と密接不可分であったことの意味は、思い返されてよいように思う。そこには、「国民nation」概念がその資格をめぐって相対的マイノリティに行使する暴力とはまた別の、「国民nation」の特徴が持つ普遍的な政治的意味あいもあったように思います。

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したがって、「国民nation」という言葉には、いささか粗野にいれば、歴史的には(1)一つの政治社会の「憲法制定権力」、相互に対等で平等な政治社会担い手としての意味と、(2)その資格をめぐって恣意的な「包摂と排除」の暴力が行使されてきた潜在的可能性という、二つの側面があろう。

前者の意味あいでの「国民」は、デモクラティックな政治社会を運営する上で、それなりに普遍的な価値を持つ存在だろう。(フランスの歴史や教養に依拠しつつ、そのような意味で「国民nation」を肯定的に使う例が、一時期の桑原武夫や加藤周一にはあったと思います)。他方で、後者の問題性は、今「国民nation」という言葉を使う異常、留意せざるをえない点です。「国民」という言葉をめぐるこの二面性を留意しつつ、いかにその普遍的意味あいを継承しえるか、いかにその潜在的差別性を減少できるか、を考える必要があるかと思います。
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by akai1127ohi | 2011-02-25 20:01 | 政治学史 | Comments(0)
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