菅直人前内閣は、近年で最もリベラルな内閣であった。
私が菅前内閣を評価するのは以下の点だ。(1)内閣府参与へ湯浅誠氏を起用したこと、(2)浜岡原発を止めたこと、(3)「脱原発依存」を明確に表明したこと、(4)二年続けて閣僚が一人も靖国参拝しなかったこと、(5)死刑制度に相対的に懐疑的立場をとったこと。
もちろんこれらを不十分とする意見もあるし、私自身の理想からも程遠い。しかし、ならばなおさら括目すべきは、われわれ日本の有権者は、「この程度」の政権さえ維持する力量を持たなかったということだ。「この程度」の政権さえ持続化させえず、「この程度」でさえ掲げた目標を達成させえず、良識保守からリベラル、穏健左派、社会運動まで、「脱原発」を望むわれわれ皆が、居酒屋でもツイッターでもあれほど気炎を上げながら、野田政権という「旧権力」への回帰をまんまと目の当りにしているということだ。
私は菅氏を支えられなかったことを残念に思うし、率直に今、後悔をしている。
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菅氏自身の個人的資質もあると思われるが、7割以上が脱原発を望みつつも、メディアの徹底した「退陣」「居座り」批判のなかで、その圧倒的な雰囲気に狼狽し、結局、菅氏を支持する勇気と大胆さを欠いた、この国の世論の弱さがあろう。
産経、読売、日経などが「菅おろし」の論陣を張ったのは当然だ。彼らは、40年にわたり自民党と一蓮托生した「旧権力の残滓」だからだ。
朝日新聞は、脱原発の立場をとりながら、時流に乗じて「菅おろし」に掉さした。『前衛』もまた、渡辺治論文(2011年8月号)のように、法人税やTPPについては的確に指摘しつつ、菅内閣が四面楚歌のなかで気力を振り絞った「脱原発依存」について、何も触れなかった。「週刊金曜日」も菅首相を叩きながら、本当に最後の最後で、「今はこんな単細胞が良いのかもしれない」というような形で、あまりに遅きに失した、応援ともいえない「応援」を示唆するだけだった。
驚くべきほど菅批判の一色だった。その画一的な風潮のなかで、脱原発のために菅首相を留まらせるべきだと主張したのは、私を含め、本当に少数だった。私の同時代での、一つの「踏み絵」ではなかったかとさえ感じている。
そもそも菅首相の7月13日の「脱原発依存」表明は、官庁や電力会社の圧力、メディアの「延命」批判大合唱のなかでの、一進一退のぎりぎりのところでの踏ん張りだったのは自明だろう。その後に明らかになった、九州電力をめぐる絵に描いたような利権構造は、目を覆わんばかりであった。これまでの自民党政治の構造と産業、地方自治体の癒着に骨の髄まで蝕まれながら、「中央に振り回される弱い地方」を演じて見せた九州電力と佐賀県知事の罪は二重であり、決して許されるべきではない。
その中で、ただでさえ追い詰められている首相を、なぜ「朝日」も「赤旗」も『週刊金曜日』も、左からあえてまた追い詰める必要があっただろうか。まことに残念に思う。左からの菅批判、いわば「善意からの菅批判」は、率直にいって、菅内閣がおかれた政治磁場全体へのプラグマティックな認識を欠いた、ナイーブな議論ではなかったかと諫言したい。菅辞任で推進されるのは、民主党の「自民党化」であり、あるいは大連立の容易化であり、あるいは自民党の政権参画であろう。野田政権の後継は、それを物語るものであろう。
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民主党「トロイカ体制」なるものが、そのまま小沢・鳩山・菅の対等連合だったと取るならば、それは政局観の欠如に他ならない。「トロイカ」なるものは、常に実質、小沢・鳩山vs菅の「2対1」であった。菅氏は社民連出身であり、圧倒的に保守優位の永田町において常にその「スティグマ」を抱えたいたのに対し、小沢氏は自民党経世会の領袖、鳩山由紀夫氏も田中派出身であった。すなわち二人とも、政治姿勢は自民党中枢であった。トロイカがかかる2対1であったことなど、おそらく最も基本的な政局地図の一つであったのではあるまいか。
党内最大たる小沢グループと保守的機会主義者たる鳩山氏周辺に対する権力闘争の渦中におかれ、菅氏は行きがかり上、ネオリベ色の強い松下政経塾出身の若手に依存せざるえなかった。党内基盤が脆弱な菅氏は、対小沢権力闘争のなかで必然的に松下政経塾系の若手勢力に依存せざるえず、それゆえTPPや法人税へ傾いた。菅氏が大企業に屈した、と批判することはたやすい。消費税発言などの唐突な提案は、たしかに「策士、策に溺れる」であった。同時に、最後の「脱原発依存」表明に至っては、そのような策を弄する余裕のない状況での態度表明だっただけに、実直であった。
別の言い方をすれば、菅氏のような市民運動出身、「左翼思想の持主」(「正論」)は、元来からして、清濁あわせのまねば民主党の党内権力闘争を生き残れず、したがって、濁を飲まねば、浜岡停止も、「脱原発依存」表明もなかった。菅氏がそのように政界遊泳しなければ、法人税もなかったが、浜岡停止もなかった。消費税発言もなかったが、湯浅誠氏起用もなかった。TPP傾斜もなかったが、「脱原発依存」表明もなかった。
菅内閣に対する評価は、必然的に、複眼的にならざるえないであろう。「脱原発」表明後の菅氏の土俵際での踏ん張りは目を見張るものがあった。文字通り、刃折れ矢尽き、精根尽き果てた上での退陣であった。下痢腹痛で逃げ出した某とは雲泥の差であった。若年雇用の問題、震災原発後の脱原発の方向性、それらに関する菅前首相の努力はいずれも支持に値するものであり、歴史的な評価を待ちたい。
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2009年「政権交代」なるものが皮肉にも明らかにしたのは、共産党が指摘する「二つの敵論」の正しさである。日本を支配する「二つの敵」、すなわち「アメリカ帝国主義」と「日本独占資本」である。
鳩山内閣は、個人的善意によってであれ、沖縄米軍基地に取り組んだ。それにより、アメリカの世界戦略に刃向う属国政権は自国の親米メディアの総叩きにあって潰されることを証明した。菅内閣は、福島原発大事故に端を発したのであれ、産業・官庁・学界が一体化した「原子力ムラ」に抵抗の兆しを示した。そして、産業や電力会社に刃向う政権は、メディアの総叩きの前に孤立無援なまま潰されることを証明した。
その背景には、沖縄基地撤去を主張しながら、あるいは脱原発を求めながら、「人に任せて文句を垂れる」まま、「当事者性」を持ち得ない、われわれのデモクラシーの未成熟さがあった。
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写真は1998年の金大中大統領の訪日時。手前が金大中大統領、一人おいて、菅直人民主党代表(肩書はいずれも当時)。
菅首相では「力不足」だという意見は、なるほど同意しないでもない。オバマの前ではおどおどしていたし、国会では自民党の野次に防戦一方だった。「両院代議士会」なる名前の民主党の罵倒糾弾会では、涙をこらえるに精いっぱいだった。
いずれにせよ、菅前首相は、金大中にはなれなかった。
では、金大中はなぜ存在したのか?
なぜ金大中は大統領となったのか?
どんな逆境、どんな弾圧、どんな迫害にもめげず、金大中を励まそうと、ソウル奨忠壇公園を、光洲を、木浦を、敵地大邱までを埋め尽くした、あの勇気ある韓国の有権者によってだ。日本に、それほど勇気ある有権者がいたか?
お前は韓国民主化を美化しすぎだ、といわれるかもしれない。しかし私は断固美化しよう。美化には、美化された対象と張り合って自ら美しくなるという効用があるからだ。美化たされた対象によって自己を問い返し、自分たちも美しくなろうと努力するからだ。
菅前首相は金大中になれなかった。なるほど、その通りだ。
しかしそんなことよりも、菅前首相を見殺しにした日本「有権者」が、金大中を押し上げた韓国「有権者」よりも、全く勇気に欠け、全く度胸がなく、全く自律的に物事を考えなかったことを、何よりも想起するのが先だろう。菅前首相の力不足を嘆く前に、7割強が脱原発を望みつつも、メディアの菅批判の同調化圧力に屈し、菅前首相支持の声を発せなかった、その「勇気」のなかった、われわれ日本国民の脆弱さを嘆くべきではあるまいか。
一言にして菅前首相の弱さは、平和と平等にむけた「日本リベラル左派政権」を期待する、われわれ自身の弱さに他ならないはずなのである。
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菅内閣退陣後、野田氏が民主党新代表に選出された。
海江田氏と野田氏との間で行われた民主党代表決選投票は、「政権交代」なる期待の終焉を如実に示すものであった。それは、「生活が第一」=疑似社民化した旧自民党員たち(小鳩)と、自民党在籍経験のない若手による自民党政治(松下政経塾連合)との競合であったといえよう。どちらに転んでも、民主党の「自民党化」を示すものとなった。
菅内閣の終焉をもって、「政権交代」は終わった。「政権交代」なる言葉に示されてきた希望や期待は、ついえた。すなわち、2009年「政権交代」革命は、終焉した。
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激しい退陣怒号に包まれた菅政権末期、メディアを通して知る限り、菅首相を支えた数少ない存在は、辻元清美総理補佐官だった。結果として辻元氏は、菅氏と同様に市民運動家出身でありながら、菅前首相の個人的資質の限界を知ると同時に、菅前首相に対する退陣圧力の磁場を熟知した稀有な政治家となった。
政治混迷の現在において、平和と平等を求めるわれわれ、「日本リベラル左派政権」を期待するわれわれが、菅前首相を見殺しにしたこ教訓を踏まえ、次に同様の機会があれば、辻元氏のような人物を絶対に見殺しにすべきではないということは、「政権交代」革命の失敗が残した、一つの教訓と思える。
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民主党「政権交代」とは、自民党を下野させたことに大きな意義があった。換言すれば、それに尽きた。40年にわたる自民党の政治支配を終えさせたことは、「政権交代」のまごうことなき大達成であろう。2009年政権交代とは、いわば、ロシア帝政を終焉させた二月革命である(十月革命ではない)。それはいわば、清朝支配を終焉させた辛亥革命である(1949革命ではない)。
自民党支配を自力で拒否した後、本当にこの国の政治を、社会経済的平等、公正な富の分配、企業の拡大ではなく人間の福利に基礎をおく社会、憲法9条と平和主義、人間の個性と多様性の尊重へと進める「第二革命」のため、民主党以外の方途の再編がより一層まじめに模索されてよい。再度強調するが、2009年政権交代には、自民党を下野させた大きな意義があった。政権交代は、「自民党を下野させる革命」であり、その意義は消えていない。その先にどのような日本を描くか、その先にどのような「第二革命」を実現しえるか。それは依然として、われわれの政治的力量に俟つべきものである。
依然として、「革命いまだ成らず」(孫文)である。
平和と平等に向けた「日本リベラル左派政権」への期待を胸に、大きな希望に満ち溢れて、新年を迎えます。