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2012年5月3日、65回目の憲法記念日を京都で過ごした。
今年は、震災・原発事故と25条(生存権)、大阪を震源とする「君が代禍」と19条(良心の自由)、自民憲法案の国家主義の地金に対する13条(個人の尊重)の価値など、例年にまして現行憲法の重要さを感じる5月3日となった。 あらためて、9条、11条、13条、19条、24条、25条など日本国憲法が持つ政治道徳の指針の幅広さと可能性、普遍性を感じる。自民党的国家主義の地金、新自由主義の趨勢、橋下ポピュリズムなどに対抗する人々が依拠すべき、大きな政治理念の指針と感じる。われわれが依拠すべき「対抗軸」は、日本国憲法にあると思える。 今年、5月3日を「建国記念日」とする意見があり、共感した。この国には2月11日を「建国記念日」とし、5・3を唾棄すべき諸悪根源とする人々がいる。反面、5月3日を自尊の気持ちで迎え、実質的に、現行憲法の理念下になるわれわれの政治社会への愛着と誇りを更新する人々もいる。 2月11日の日本と5月3日の日本という「二つの日本」があろう。ベルクソンをもじれば、2・11の日本は「閉じた日本」になりがちであり、5・3の日本は「開かれた日本」につながりうる可能性があると感じる。日本国憲法という固有の価値を、いかに「開いた日本」につなげていくか。それは、この列島で生じる事柄の当事者性を、「国民nation」から「民衆people」へ広げていくことと感じる。 # by akai1127ohi | 2012-05-16 00:29 | 政治時評 | Trackback | Comments(0)
韓国では4月11日に迫った総選挙を前に、最大野党の民主統合党と、統合進歩党との野党共闘が実現した。
金大中の流れを引く最大野党の旧民主党は、盧武鉉系のウリ党出身の人たちと合同し、現在の民主統合党となった。代表には金大中政権で女性相、盧武鉉政権で首相を務めた韓明淑氏が就任。韓氏の党運営は、候補者選定過程では親盧派を優遇したとして批判されたが、とりあえず乗り切ったようだ。 統合進歩党は、韓国の政党では最左派であった民主労働党と、「盧武鉉精神の継承」を唱える国民参与党などが糾合した左派政党である。(旧民主労働党は、盧武鉉大統領の下、韓国政治が進歩主義に傾いた2004年の総選挙で躍進し、長らく権永吉という人が党首をしていたが、2010年から李正姫に代わった。国家保安法がなければ「社会」労働党ではなかったかと思う)。民主労働党時代から引き続き、李正姫氏が共同代表を務めている。 結果的に、民主党統合党は親盧派を取り入れることで若干左傾化し、統合進歩党は「盧武鉉精神継承」の国民参与党などを合同したことで若干リベラル化したので、韓国の野党圏は、全体的に一致点が左に移動した形で、両党は相対的に近づいたといえよう。 *** 民主党統合党と統合進歩党との野党圏共闘運動は、各選挙区における両党間の「予備選挙」によってなされた。選挙区の有権者に世論調査を行い、支持率の高かった方の候補を野党圏統一候補として両党が支持するという仕組みだ。 企業に単に「私的結社」に留まらない公共的責任があるように、政党もまた単に私的結社に限定されない公共性があろう。その意味で、政党内での候補者選定の過程にまで有権者の意向を反映させるこの「予備選挙」は、日本の政党も参考に値するだろう。 しかし、「予備選挙」の過程で、統合進歩党の李正姫代表の選挙区(ソウル)で、李正姫陣営によるでの予備選挙への不正介入が明らかになり、民主統合党側がこれを強く非難、野党共闘は崩壊の危機に瀕した。最終的に、李正姫が総選挙への出馬を辞退するという決断を示し、民主統合党もこれを尊重、最終的に、野党圏共闘が確固としたものとなった(ハンギョレ新聞日本語版)。いずれにせよ、李正姫氏の今後の活躍に大に注視し、期待したい)。 予備選への不正介入は、倫理高潔を唱えてきた進歩党にとっては少々「あこぎ」とされよう。しかし、それで李正姫自身が立候補辞退というのは、大変厳しい判断であり、不釣合いなほど重いとも感じる。しかしいずれにせよ、進歩統合党は、進歩の「道義性」を見せつけるがごとく十分すぎるほどの責任をとった。民主統合党はこれを重く受け止め、野党圏共闘の精神を尊重すべきであり、実際、動きはそのようになっているようである。あらためて、野党圏共闘というものが、多くの困難と障壁を乗り越えた末のものであると痛感する次第だ(野党連合の選対本部立ちあげのニュース)。 *** 4・11総選挙、そして12月の大統領選挙を控え、韓国の政治は、大きく貯めを作り、エネルギーを充満させた二つの大きなみこしが、紆余曲折をへても最後には団結し、堂々とぶつかる如きダイナミズムがある。いずれにせよ、4月の総選挙を注視して行きたい。 # by akai1127ohi | 2012-03-26 13:07 | Concerned Citizen | Trackback | Comments(2)
東京都S区の留学生会館で、地下ボイラー室の管理人がアジアからの留学生(女性)を大声で怒鳴る現場に遭遇した。同会館のラウンジでのテレビのチャンネルをめぐる争いが発端であった。ボイラー管理人は、泊まり込みなのだろうか、夜半に泥酔しており、「排外的」とされる(べき)言葉を繰り返した。そして手に持ったビール缶を床に叩きつけると、床上に泡が吹き出た。すでに、ある種の絶望的な現場であることは、自明なのである。 留学生は賢明にも中途で退散したが、かけつけた寮の警備員と私の前で、ボイラー管理人は、大阪の某がメディアで頻繁に口にして以来われわれの社会の人口に膾炙したあの言葉を、決めセリフのように口にした。「俺は税金を払っている。あいつら税金で暮らしてるんだろう」。 深い皺の刻まれた初老のボイラー管理人の前で、私はどのような「常識」を述べるべきか戸惑った。「税金を払っている」ことが鬼首をとったかのような決め台詞として流通することにも強い違和感を感じた。しかし同時に、正直、留学生に対して「理解者」の如くふるまう私自身の顔にも、なぜかそこはかとない居心地の悪さを感じた。 地下室のボイラー管理人は、泥酔の上、留学生の国籍に特徴づけた否定的言辞を言い立てた。そこには、自分のストレスの発散という機能もあるのだろう。この場で理性的に反論ないし説得することは無意味というよりむしろ逆効果であり、何より眼前の激高を鎮めることが肝要だと私は感じた。同時に、「理性的に説得する」ことを放棄するとは、「排外的」言辞との原理的対峙を(少なくともその場では)回避することでもある。 他方、留学生に対しては「安心」させたいと思った。このような国籍を理由にした攻撃的言辞を表明する人物が異国での生活の場に日常的にいるというのは、私であれば不安だ。 しかし、「排外的」言辞を(当の発言者に対しその場で)不問にしながら、留学生には「安心」を感じさせようとする時の私の「顔」というのは、鏡に映るとどう見えるのだろうか。私は、そのような自分の顔を見たいと願った。それはおそらく、この上なく「きまりの悪い顔」であろう。さらに加えて、このような言辞に自身の憤懣の爆発先を見いだすボイラー管理人の前で、いわば「和の精神」とでもいうべき凡庸な「常識」でその場を取り繕う以外に、私にすべきことがあるのかと、無空の暗闇のなかに、誰かれもなく問いたい思いにも駆られた。 事態が収束した後の現場に、先ほどボイラー管理人が叩きつけたビールの飛沫だけが、どこか虚しい香気を漂わせていた。 # by akai1127ohi | 2012-03-19 09:44 | 散文 | Trackback | Comments(4)
60年安保闘争後、「群盲象をなでる」という言葉が口にされた。一部を見て全体を論評する弊を戒めるものらしい。たしかに各人が見える範囲は限られている。しかし各人は、その範囲では確実に象に触れてもいる。「いくらか見えながら、しかし時には大半のことが見えないままで歴史に参加する」(日高六郎)というのが、人と同時代との関わり方の常であろう。「群盲象をなでる」という言葉は、本義に反し、自分の認識の誤謬性と確実性の双方を想起させるように思える。
*** デモは、「参加すべき」ものではない。「もしよろしければいかが」で語られるべき類のものであろう。デモは義務ではない。あくまで個人の都合や主体性に俟つべきものであろう。 3月11日に私が参加したデモでは日比谷から国会へ、そしてヒューマン・チェーンへ。子ども、若者、高齢の人など多様な参加者であった。天気雨が通り過ぎるたびに、雨上がりの薫風が漂った。「イルコモンズ」というバンド即興演奏が大変素晴らしく、国会図書館前の路上で聞き入った。奥にそびえる国会図書館が北京故宮になり、清朝の大雅楽団が現れたかの様相であった。国会を取り巻くヒューマン・チェーンは、60年安保以後はじめてという声もあった。 3・11という「象」。その日、おそらく多くの人が、それぞれの場所で、それぞれの思いで、今日という大きな象の「一部」をなでたのだろう。私が触れた、ささやかな「象」の一面だ。「復活継承60年安保精神」「想起継承脱原発精神」。昨年の今ごろ、原発事故後の不安のなかで夜を過ごしたあの緊張感を想起する、そんな意義のある日としたいと感じた。 ![]() 写真は日比谷公会堂を出発するデモの人々。 ![]() 写真は経産省・脱原発テント前。 ![]() 写真は国会を取り巻くヒューマン・チェーン。 # by akai1127ohi | 2012-03-15 22:07 | Concerned Citizen | Trackback | Comments(0)
球場の本質は静寂である
動作といえば 帽子をかぶり直したり 滑り止めのロジン・バックをいじったりする 投手の準備活動だけである 球は投手によって管理されている 不意の牽制により白球の軌跡が描かれても せいぜい一塁手のグローブに落ち着く 球はダイヤモンドのなかで管理されている 牽制で生じた逸脱も 投手がプレートに足をかければ 球場は再び静寂へ回帰する 次の瞬間、乾いた打球音が響く 球は突如 守備陣の支配下を勢いよく飛びだし 二遊間を突き抜ける 画鋲で止められた地図上の記号のごとく 左右対称を維持していた9人の布陣は 不意を衝かれて定点を崩される 攪乱された均衡の間隙を縫うように 打者は一塁を駆け抜け 二塁を目指し あわよくば三塁への野心を表す 突如乱されたフォーメーションはしかし ものの5秒で一直線の中継線を形成し 外野の奥深くから中継手へ 中継手から内野手へ 球は迅速にダイヤモンドへ返却される 追加の襲撃を警戒する野戦兵の眼差しで 内野手は二塁塁上の走者を睨みつけると 球を静かに投手へ委託する にわかに三塁への色気を見せた走者が 自身の不遜を悟るかの如く塁上で汗をぬぐえば ひとまず事態は収束する 球は再び投手の管理下におち 球場は静寂という本質へ回帰する # by akai1127ohi | 2012-03-08 00:25 | 詩 | Trackback | Comments(4)
湯浅誠「社会運動への立ち位置」(『世界』3月号)は、ネットや社会運動において多くの議論を喚起するものであった。これに対して、私の考えを一つだけ書いておきたい。
これまで、湯浅論文の社会運動論に対する批判の一つの型は、デモや直接行動がかつてなく興隆した昨年の大衆運動、とりわけ米国での占拠運動に依拠したものであった。たとえばブログ「世に倦む日日」は、湯浅氏の「変節」を批判しつつ、「米国のOWSは[湯浅氏を]どう見るだろうか」(2/14)と結び、数日後にもあらためて湯浅氏のデモクラシー論に言及した上で、「私自身は、湯浅誠が言う『強いリーダーシップ』でもなく、『議会制民主主義』でもなく、第三の道の可能性があると考えていて、それがOWSや辺野古の政治だと思っているけれども」(2/17)と結論づけている。 米国での占拠運動の事例を引証基準としながら湯浅氏の「調整」重視を批判する意見は、たしかに妥当な部分もあろう。しかし以下では、アメリカの占拠運動に加え、昨年の同時期に並行して生じていた、韓国ソウルの市長選挙の展開も意識するかたちで、湯浅論文の意味を再考してみたい。 *** 元来、近代の民主政治は常に一国代議的な営みであり、それはナショナルな領域と構成員の画定を前提とし、領域の広さを代議制によって「克服」してきた。しかし、経済とそれに伴う不平等のグローバル化という現代の趨勢を前に、米国の占拠運動は、既存の一国代議民主制に対する人々の疎外感を示したものであったといえよう。「我々は99%だ」という主張は、その99%が政治の過程に表象されない現状への告発であり、米国占拠運動の求めているものは、「リベラル/左の政治家」ではなく、「政治家一般」に示される一国代議民主制それ自体の克服であったと思える。 もっとも、占拠運動が掲げた銀行課税や社会保障といった要求は、現実的には既存の政治制度のなかに回収され、オバマ政権のリベラル回帰を意識させた。しかし、占拠運動に示された、一国代議民主制にすでに「当事者意識」を持てないという告発は、先進国に共有された意思表示であろう。その意味で、既存の一国代議民主制そのものを根本的に問い直した点にこそ、占拠運動の固有の意義があると思える。換言すれば占拠運動とは、既存一国代議制とその下での「調整」そのものを問い直し、まさに既存デモクラシーの「枠組」それ自体を問うた社会運動の真骨頂であったと思える。 *** 他方、昨年秋には米国の占拠運動に並行して、韓国ソウルでもソウル市長選挙をめぐり市民運動と既成政党を巻き込んだ広範な運動が生じていた。 市長選挙に際して野党圏からは、金大中の流れをくむ民主党、労働運動とつながりの深い最左派の民主労働党、そして市民社会勢力の支援を受ける形で市民運動家の朴元淳氏の三氏が立候補の意思を示し、テレビ討論での陪審や市民3万人が参加した予備投票によって、朴氏が進歩系野党陣営の統一候補に選出されたのだ(KBSニュース)。 昨年9月に三週間ソウルに滞在した折、私はちょうど、進歩陣営統一候補に朴氏が選出される時期に立ち会うことができた。地下鉄のキオスクでは毎日朴氏の顔を見たといってよい。帰国後、米国占拠運動とソウル市長選の双方をフォローするようになった。 朴氏を押し上げたのは20代から40代の若年層であり、その背景には失業、教育、不安定な雇用、非正規職問題などが指摘され、彼らは「IMF経済危機から本格化した新自由主義政策の弊害が呼んだ不安定労働の最大の被害者」(レイバー・ネット)とされる。 しかし、朴氏はそもそも運動圏の支援を受ける形で立候補したので、行政権力に入ることに対して社会運動や市民運動からの朴氏批判はほぼ皆無であった。その朴氏は民主党からの再三の入党要請を断るも、「精神は民主党員」として、新村にある金大中図書館に向い、李姫鎬氏に支持を要請している。野党第一党の民主党は結果的に統一候補を譲るかたちになったが、党利党略ではなく全体の公算を優先させ、一介の市民活動家を全力で支援した度量も特筆に値しよう。これら市民運動と組織の糾合団結は、「反MB=反ハンナラ」によって野党圏と運動圏が確実に統一した成果であった。繋がるべきものが繋がり、一体となって支えるべきものを支える、そんな政治的な力をつとに感じた。 *** 米国占拠運動とソウル市長選は、ともに2011年の市民運動、社会運動の成果であるが、それらの達成は大きく性質を異にしている。 米国占拠運動は、前述のように、既成の一国代議的政治制度の限界を告発し、その枠組自体の克服を志向する社会運動の真骨頂であった。他方、ソウル市長選にいたる韓国の運動圏と野党圏のダイナミズムは、社会運動や市民運動が既存の代議的政治制度における選挙や「調整」を最大限に活用し、その枠内において大きな政治的成果を勝ちとった社会運動の真骨頂であった。それはまた、「社会」が「政治」に抵抗するだけでなく、「社会」を守るために「社会」がそれ自体で「政治」に参与し、行政権力そのものを獲得する動きであったともいえよう。 もちろん、韓国における新自由主義政策は金大中政権になって本格化したという側面もある。しかし、朴元淳市長が掲げる福祉政治は、ソウルにおいてそれを修正しようとしている。その成果はまだ未定であり、判断は時期尚早であるが、少なくともそこには、「政治」が導入した新自由主義を、「政治」の力で修正しようとする回路がある。すなわち、そのような歴然たる「社会」の政治性と、それによる「政治」の自己修正能力がある。 *** 湯浅氏は、毎日新聞(2011年12月16日)に、「興味深い新市長あいさつ」として、朴元淳氏の新市長宣誓を紹介している。弁護士の中村和雄氏が自身のHPで同コラムを全文掲載している野で紹介する(中村氏HP)。また、以下は、同コラムでとりあげられた、朴元淳ソウル市長の就任宣誓である。 私は朴元淳氏の市長宣誓は、大変すばらしいものだと思う。限りある財源において率直であり、「政治の役割」において進歩的な理念があり、それらの兼ね合わせの上でなすべきこと判断する実行力が感じられる。その実行力とは、われわれの国で現在巷の流行語たる「強いリーダシップ」などとは、およそ似て非なるものであろう。 湯浅氏が「調整」への参加を呼びかける時、念頭にあるのはおそらくこのような達成ではないかと推測する。私は、われわれ自身の政治単位においてわれわれもまた、このような理念を現実の政治的力とし、自分たちの力で大きな達成を実現することを、心の底から願っている。 *** ソウル市長選に関する日本語での報道は、2012年から在外選挙権が認められる在日韓国人に向けた事前広報を除き、少なかった。「世に倦む日日」や社会運動の側も、米国OWS運動を引証した上での湯浅氏批判が主であった。もちろん、ソウル市長選に言及していないから悪いと言いたいのではない。ただ、米国OWS運動だけを基準に湯浅氏の「変節」を論難するのでは、抜け落ちるものがあるのではないか、ということだ。 米国OWS運動は、一国代議民主制を超克する萌芽を示した。その可能性は確実に汲み上げられなければならない。同時に、それは既存の一国代議民主制やその枠内での行政への参与を放棄することではない。隣国において社会がその内から政治を担う力を輩出し、その政治が社会を守ろうとするデモクラシーの地力が示されてもいるなかで、その経験に注視することなく、われわれがただ既存の政治制度への参加や「当事者性」を禁忌していては、端的にマクロ権力を全面的に新自由主義に委ねることを意味するだろう。 米国OWS運動はたしかな指針だ。しかし、既存の政治制度においてなお、政治の力で経済を統御し、社会を守ろうとする力強い可能性が残されてもいないか。そのような視点を欠いたままでの湯浅論文批判は、湯浅氏の論文が孕む建設的な可能性の一つを、掬い損ねたままにならざるえないのではないかと思える。 # by akai1127ohi | 2012-02-19 19:36 | Concerned Citizen | Trackback | Comments(1)
昨年2011年は、日本においては震災と原発事故を契機に「脱原発デモ」が大いに盛り上がり、中東では民主化運動、米国では9月以降、オキュパイ・ウォール・ストリート運動が生じた。(私としては、ソウル市長選をめぐる韓国の民主運動もこれに付け加えたい)。総じて、デモや社会運動の高まりを見せつけた一年であった。
その一方で、日本では2009年の政権交代以後、政権は鳩山から菅へ、昨年は菅から野田へと変わり、現在は、自民にも民主にも失望したと「大阪維新」が不気味な台頭を見せている。大衆運動という視点からしても、日本のマクロな政治はおよそ状況悪化の一途をひた走っているといえよう。 現在の状況とは、このようなものと思える。 *** SNSなどを中心に、湯浅誠「社会運動の立ち位置」(『世界』3月号)に対して一定の議論が生じており、やはり湯浅さんの発言の影響力の強さを感じる。ブログ「世に倦む日日」の意見(http://critic5.exblog.jp/17801323/)は、湯浅論文に対する社会運動の活動家や運動家からの批判をよく象徴・整理するものといえよう。 ただ問題は、そのような(現場/前線?)の社会運動の理論家の思いと、湯浅氏のように政権や行政の会議などの「調整」に「も」参加する人々の思いが、分極化の様相を呈していることではないだろうか。 その背景には、消費税や「税と社会保障の一体改革」をめぐる理論上の問題と、社会運動のあり方をめぐる考え方や感情の問題が、おそらく部分的にリンクした形であると思える。前者については、理論上の差異が明確になることは、建設的であり、また必要であろう。後者については、それぞれの社会運動についての考え方に対する理解が深まるにつれ、自己の認識の展開と、他者への共感が生む余地があると思える。 もとより私は、調整役ぶったりするつもりもないし、そんな力量もないし、そんな「できた人間」でもないと自覚している。ただ、湯浅論文に対する批判が、湯浅氏や「湯浅的傾向」なるものに対して賛成か反対か、今の政治状況のにおいて「どちらかの側につくのか」、というような選択を強いるような方向性に向けてられてはならない。 そのようなスタンスから、湯浅さんとそれを批判する議論を前に、主として湯浅さんの意図を汲むような気持も含めて、私自身のI thinkをいくつかだけ書いておきたい。 # by akai1127ohi | 2012-02-15 00:56 | Concerned Citizen | Trackback | Comments(0)
NHKで、山口県の漁港での「栽培漁業」を紹介する「日本とことん見聞録」というテレビ番組に遭遇し、それを見ていると、養殖漁業と栽培漁業の違いを学び、興味深く感じた。
養殖漁業は、稚魚から成魚にいたる全行程を生簀設備で行う。他方、栽培漁業とは、外敵に脆弱な産卵直後から稚魚までの時期のみを生簀設備で生育させ、稚魚が3センチ程度にまで成長すると海に放流し、成魚となるのを待つという漁業だ。ヒラメやスズキ、カサゴなど主として高級魚で行われているようだ。 一匹25円だという、小さな木の葉のようなヒラメを、数千匹だろうか、漁師がバケツで海に放していく。せっかくの稚魚を、一旦、人為の及ばぬ海中に手放すようで、もったいないという気もする。成長後の雄姿とはおよそ似つかない、何とも心もとない、吹けば飛ぶようなヒラメの稚魚だ。 このうち、成長して再び漁師の網にかかるのは二割程度だという。残りの八割は、大魚に食べられたり、釣り人に釣られたり、そのまま海で生涯を終えたりするのだろう。だが、その八割も、自然の大きな食物連鎖の中で、海を豊かにするという諦念と希望ゆえであろう。 栽培漁業とは、海を信頼し、海に祈りをかけるような、そんな人間の営みと感じた。 # by akai1127ohi | 2012-02-04 19:46 | 散文 | Trackback | Comments(0)
そこには距離がある
女と男との 若者と老人との 漁村と都会との 知識人と労働者との 在日外国人と日本人との 私とあなたとのあいだに 常に距離がある どこまでいっても 超えることのできない距離がある 相手と一体化せんとする不可能に傷つき 相手と絶縁たろうとする不自然さをも悟り パチンコ玉が無数の釘に小突かれる様にして そんな試行錯誤の末に ようやく距離が定まる そして距離が分かれば、位置がわかる 位置は、距離によって定まる 友情とは一つになることではない 愛情とは相手を呑み込むことではない 連帯とは距離を知ることであり その距離を尊重することだと 距離とは、「空気を読むこと」 距離とは、一心不乱に机に向かう人の ふと集中が途切れたその隙に そっとあめ玉を一つ添えること # by akai1127ohi | 2012-01-17 02:03 | 詩 | Trackback | Comments(2)
彼らは今もコーヒー・キャラメルを舐めている
その味にいいかげん倦怠しながらも吐き捨てることなく 終わりのない甘味苦味の反復を惰性的に反芻している 彼らはかつて天邪鬼たることに失敗した 愛する対象への愛の表明によってそれらに結合するのでなく 愛するがゆえに反抗することによって承認を得たいと願った 彼らはかつて愛する対象との差異によって自分たちを表現した 愛する対象に徹底的に抗うことによって 自分たちが実は愛する対象を最も継承していると確認されたいと願った 人は愛する者から最も深い理解を得たいと願う その焦慮に駆られた自己表現は他者への批判によってなされる しかし批判を目的化する人は嫌悪で返礼される それゆえ、最も愛する者から最も嫌悪されるという不幸が生じる 愛する対象を愛しているとは言わず また愛する対象を痛罵した過去の自分たちを否定することもないまま 今なお彼らは、甘くて苦いコーヒー・キャラメルを口の中で転がしている # by akai1127ohi | 2012-01-11 03:24 | 詩 | Trackback | Comments(2)
橋下・大阪市長に平身低頭する労働組合の代表の記事を読み、年始から不愉快な思いをした(テレ朝ニュース)。
橋下氏の「大阪維新」はアンチ既成政党というが、その多くは元自民党議員からなり、自民や立ち上がれ、日本創新党などへの敵対は演技的といえよう。他方、橋下氏が府知事時代に実際の標的としたのは教育委員会や教員組合、朝日新聞や「クソ週刊誌」など、市長になってからは労組だ。教員や労働組合を「既得権」と位置づけ、「保護者/労働者になり代わって」それらを叩いていると言わんばかりだ。反既成政党、反既存政治というポーズを演出した上で、本質的には、ネオリベ的効率性と右翼的象徴の混合物と思える。 *** 歴史的現象としてのファシズムは、本当に複雑な現象と感じる。ファシズムの性格定義は、基本的には、後発帝国主義における資本代弁者とされてきた(ディミトロフ)。ナチは、失業対策や公共事業などによって国家「社会主義」の建前を完全虚偽としない程度に資本と対峙したが、それらは資本協力という絶対的枠内での話であった。 しかし間接・直接にナチを支持した層は多様で、閉塞感を持つプチブル層、マルクス主義を敵視する大資本、大企業との競争に喘ぐ小商店主、現状打破を求める若者、借金苦の農民、ベルサイユ条約に不満の元軍人、ワイマール体制に飽き足らない急進層、ユダヤ人と競合して職を奪われていると感じる不遇専門職・知識人などといわれる。 支持の理由は相互に幻想であり、小商店主は大企業の征伐者として、大資本はマルクス主義の攻撃者として、農民は借金圧政からの解放者として、ファシズムに期待した。「国家社会主義(ナチズム)」の、左右超越したボナパルト的性格がある。 ファシズムやそれに類する現象は、何らかの打開策が必要な閉塞時代に、異なる人々が同床異夢のまま、一刀両断的解決や目的不在の決断力・実行力を雪崩れのように選択する時に生じると思える。そして、ファシズムと橋下政治(ハシズム)は、似ている点とそうでない点があるが、似ている所は怖いほど似ている。 *** 地震・原発事故で分断し、とにかく敵を求める世論、韓流文化の席巻と中国の強大化、傷ついた「国家プライド」、長引く不況と既成政治の閉塞、ロスジェネと排外的言説……。橋下氏はその閉塞の裂け目に登場し、朝鮮学校などへの攻撃と一見ラディカルな脱原発言辞を織り交ぜ、左右を超越した「決断実行」を演出し、今、世論はそれに魅惑懐柔吸引されるか如きだ。 とりわけ危惧されるのは、本来なら橋下氏の強引で粗雑な政治手法に眉をひそめる人々でさえ、橋下は支持しないけど聞けば結構いいこと言ってる、というそこはかとない声だ。例えば朝日新聞は、橋下氏や「維新」に注文を付けつつすでに目がトロンとして懐柔・陶酔されている印象だ(具体的には坪井ゆづる記者、前田史郎記者、村上憲郎紙面委員などだ)。 私は、橋下氏の考えや政治手法を全く信用しておらず、その言動ばかりを取り上げるメディアの風潮にも反対でいる。55年体制に代わる統治合理性が必要なのは明瞭だ。しかし、それが橋下的思考/手法でなされてはならないと思える。 # by akai1127ohi | 2012-01-08 23:47 | Concerned Citizen | Trackback | Comments(1)
「ぼくの村で洪水が起ったとき、お坊さんとか神主とか学校の先生が集まって、それぞれいままで予期しなかったような新しい知恵を発揮して頑張りました。半年ぐらいそのまま緊張している。それから弛緩して、もとにもどってしまいましたけれども。そういう、洪水後六ヶ月くらいの復興期の感情が、[創刊当時の]この雑誌に満ち満ちていると思うんです。」(大江健三郎、「『世界』の40年」、岩波書店、1985年、p16)
**** 3・11 と原発事故の後、この列島に住まう誰もが緊張し、また、誰もが「当事者」であった。「洪水後六ヶ月間」の緊張を、いかに維持しえるか。その緊張をどこかで意識しつつ、論文に取り組む年にしたいと思います。 2012年元旦 大井赤亥 # by akai1127ohi | 2012-01-01 13:58 | Trackback | Comments(2)
菅直人前内閣は、近年で最もリベラルな内閣であった。
私が菅前内閣を評価するのは以下の点だ。(1)内閣府参与へ湯浅誠氏を起用したこと、(2)浜岡原発を止めたこと、(3)「脱原発依存」を明確に表明したこと、(4)二年続けて閣僚が一人も靖国参拝しなかったこと、(5)死刑制度に相対的に懐疑的立場をとったこと。 もちろんこれらを不十分とする意見もあるし、私自身の理想からも程遠い。しかし、ならばなおさら括目すべきは、われわれ日本の有権者は、「この程度」の政権さえ維持する力量を持たなかったということだ。「この程度」の政権さえ持続化させえず、「この程度」でさえ掲げた目標を達成させえず、良識保守からリベラル、穏健左派、社会運動まで、「脱原発」を望むわれわれ皆が、居酒屋でもツイッターでもあれほど気炎を上げながら、野田政権という「旧権力」への回帰をまんまと目の当りにしているということだ。 私は菅氏を支えられなかったことを残念に思うし、率直に今、後悔をしている。 *** 菅氏自身の個人的資質もあると思われるが、7割以上が脱原発を望みつつも、メディアの徹底した「退陣」「居座り」批判のなかで、その圧倒的な雰囲気に狼狽し、結局、菅氏を支持する勇気と大胆さを欠いた、この国の世論の弱さがあろう。 産経、読売、日経などが「菅おろし」の論陣を張ったのは当然だ。彼らは、40年にわたり自民党と一蓮托生した「旧権力の残滓」だからだ。 朝日新聞は、脱原発の立場をとりながら、時流に乗じて「菅おろし」に掉さした。『前衛』もまた、渡辺治論文(2011年8月号)のように、法人税やTPPについては的確に指摘しつつ、菅内閣が四面楚歌のなかで気力を振り絞った「脱原発依存」について、何も触れなかった。「週刊金曜日」も菅首相を叩きながら、本当に最後の最後で、「今はこんな単細胞が良いのかもしれない」というような形で、あまりに遅きに失した、応援ともいえない「応援」を示唆するだけだった。 驚くべきほど菅批判の一色だった。その画一的な風潮のなかで、脱原発のために菅首相を留まらせるべきだと主張したのは、私を含め、本当に少数だった。私の同時代での、一つの「踏み絵」ではなかったかとさえ感じている。 そもそも菅首相の7月13日の「脱原発依存」表明は、官庁や電力会社の圧力、メディアの「延命」批判大合唱のなかでの、一進一退のぎりぎりのところでの踏ん張りだったのは自明だろう。その後に明らかになった、九州電力をめぐる絵に描いたような利権構造は、目を覆わんばかりであった。これまでの自民党政治の構造と産業、地方自治体の癒着に骨の髄まで蝕まれながら、「中央に振り回される弱い地方」を演じて見せた九州電力と佐賀県知事の罪は二重であり、決して許されるべきではない。 その中で、ただでさえ追い詰められている首相を、なぜ「朝日」も「赤旗」も『週刊金曜日』も、左からあえてまた追い詰める必要があっただろうか。まことに残念に思う。左からの菅批判、いわば「善意からの菅批判」は、率直にいって、菅内閣がおかれた政治磁場全体へのプラグマティックな認識を欠いた、ナイーブな議論ではなかったかと諫言したい。菅辞任で推進されるのは、民主党の「自民党化」であり、あるいは大連立の容易化であり、あるいは自民党の政権参画であろう。野田政権の後継は、それを物語るものであろう。 *** 民主党「トロイカ体制」なるものが、そのまま小沢・鳩山・菅の対等連合だったと取るならば、それは政局観の欠如に他ならない。「トロイカ」なるものは、常に実質、小沢・鳩山vs菅の「2対1」であった。菅氏は社民連出身であり、圧倒的に保守優位の永田町において常にその「スティグマ」を抱えたいたのに対し、小沢氏は自民党経世会の領袖、鳩山由紀夫氏も田中派出身であった。すなわち二人とも、政治姿勢は自民党中枢であった。トロイカがかかる2対1であったことなど、おそらく最も基本的な政局地図の一つであったのではあるまいか。 党内最大たる小沢グループと保守的機会主義者たる鳩山氏周辺に対する権力闘争の渦中におかれ、菅氏は行きがかり上、ネオリベ色の強い松下政経塾出身の若手に依存せざるえなかった。党内基盤が脆弱な菅氏は、対小沢権力闘争のなかで必然的に松下政経塾系の若手勢力に依存せざるえず、それゆえTPPや法人税へ傾いた。菅氏が大企業に屈した、と批判することはたやすい。消費税発言などの唐突な提案は、たしかに「策士、策に溺れる」であった。同時に、最後の「脱原発依存」表明に至っては、そのような策を弄する余裕のない状況での態度表明だっただけに、実直であった。 別の言い方をすれば、菅氏のような市民運動出身、「左翼思想の持主」(「正論」)は、元来からして、清濁あわせのまねば民主党の党内権力闘争を生き残れず、したがって、濁を飲まねば、浜岡停止も、「脱原発依存」表明もなかった。菅氏がそのように政界遊泳しなければ、法人税もなかったが、浜岡停止もなかった。消費税発言もなかったが、湯浅誠氏起用もなかった。TPP傾斜もなかったが、「脱原発依存」表明もなかった。 菅内閣に対する評価は、必然的に、複眼的にならざるえないであろう。「脱原発」表明後の菅氏の土俵際での踏ん張りは目を見張るものがあった。文字通り、刃折れ矢尽き、精根尽き果てた上での退陣であった。下痢腹痛で逃げ出した某とは雲泥の差であった。若年雇用の問題、震災原発後の脱原発の方向性、それらに関する菅前首相の努力はいずれも支持に値するものであり、歴史的な評価を待ちたい。 *** 2009年「政権交代」なるものが皮肉にも明らかにしたのは、共産党が指摘する「二つの敵論」の正しさである。日本を支配する「二つの敵」、すなわち「アメリカ帝国主義」と「日本独占資本」である。 鳩山内閣は、個人的善意によってであれ、沖縄米軍基地に取り組んだ。それにより、アメリカの世界戦略に刃向う属国政権は自国の親米メディアの総叩きにあって潰されることを証明した。菅内閣は、福島原発大事故に端を発したのであれ、産業・官庁・学界が一体化した「原子力ムラ」に抵抗の兆しを示した。そして、産業や電力会社に刃向う政権は、メディアの総叩きの前に孤立無援なまま潰されることを証明した。 その背景には、沖縄基地撤去を主張しながら、あるいは脱原発を求めながら、「人に任せて文句を垂れる」まま、「当事者性」を持ち得ない、われわれのデモクラシーの未成熟さがあった。 *** ![]() 写真は1998年の金大中大統領の訪日時。手前が金大中大統領、一人おいて、菅直人民主党代表(肩書はいずれも当時)。 菅首相では「力不足」だという意見は、なるほど同意しないでもない。オバマの前ではおどおどしていたし、国会では自民党の野次に防戦一方だった。「両院代議士会」なる名前の民主党の罵倒糾弾会では、涙をこらえるに精いっぱいだった。 いずれにせよ、菅前首相は、金大中にはなれなかった。 では、金大中はなぜ存在したのか? なぜ金大中は大統領となったのか? どんな逆境、どんな弾圧、どんな迫害にもめげず、金大中を励まそうと、ソウル奨忠壇公園を、光洲を、木浦を、敵地大邱までを埋め尽くした、あの勇気ある韓国の有権者によってだ。日本に、それほど勇気ある有権者がいたか? お前は韓国民主化を美化しすぎだ、といわれるかもしれない。しかし私は断固美化しよう。美化には、美化された対象と張り合って自ら美しくなるという効用があるからだ。美化たされた対象によって自己を問い返し、自分たちも美しくなろうと努力するからだ。 菅前首相は金大中になれなかった。なるほど、その通りだ。 しかしそんなことよりも、菅前首相を見殺しにした日本「有権者」が、金大中を押し上げた韓国「有権者」よりも、全く勇気に欠け、全く度胸がなく、全く自律的に物事を考えなかったことを、何よりも想起するのが先だろう。菅前首相の力不足を嘆く前に、7割強が脱原発を望みつつも、メディアの菅批判の同調化圧力に屈し、菅前首相支持の声を発せなかった、その「勇気」のなかった、われわれ日本国民の脆弱さを嘆くべきではあるまいか。 一言にして菅前首相の弱さは、平和と平等にむけた「日本リベラル左派政権」を期待する、われわれ自身の弱さに他ならないはずなのである。 *** 菅内閣退陣後、野田氏が民主党新代表に選出された。 海江田氏と野田氏との間で行われた民主党代表決選投票は、「政権交代」なる期待の終焉を如実に示すものであった。それは、「生活が第一」=疑似社民化した旧自民党員たち(小鳩)と、自民党在籍経験のない若手による自民党政治(松下政経塾連合)との競合であったといえよう。どちらに転んでも、民主党の「自民党化」を示すものとなった。 菅内閣の終焉をもって、「政権交代」は終わった。「政権交代」なる言葉に示されてきた希望や期待は、ついえた。すなわち、2009年「政権交代」革命は、終焉した。 *** 激しい退陣怒号に包まれた菅政権末期、メディアを通して知る限り、菅首相を支えた数少ない存在は、辻元清美総理補佐官だった。結果として辻元氏は、菅氏と同様に市民運動家出身でありながら、菅前首相の個人的資質の限界を知ると同時に、菅前首相に対する退陣圧力の磁場を熟知した稀有な政治家となった。 政治混迷の現在において、平和と平等を求めるわれわれ、「日本リベラル左派政権」を期待するわれわれが、菅前首相を見殺しにしたこ教訓を踏まえ、次に同様の機会があれば、辻元氏のような人物を絶対に見殺しにすべきではないということは、「政権交代」革命の失敗が残した、一つの教訓と思える。 *** 民主党「政権交代」とは、自民党を下野させたことに大きな意義があった。換言すれば、それに尽きた。40年にわたる自民党の政治支配を終えさせたことは、「政権交代」のまごうことなき大達成であろう。2009年政権交代とは、いわば、ロシア帝政を終焉させた二月革命である(十月革命ではない)。それはいわば、清朝支配を終焉させた辛亥革命である(1949革命ではない)。 自民党支配を自力で拒否した後、本当にこの国の政治を、社会経済的平等、公正な富の分配、企業の拡大ではなく人間の福利に基礎をおく社会、憲法9条と平和主義、人間の個性と多様性の尊重へと進める「第二革命」のため、民主党以外の方途の再編がより一層まじめに模索されてよい。再度強調するが、2009年政権交代には、自民党を下野させた大きな意義があった。政権交代は、「自民党を下野させる革命」であり、その意義は消えていない。その先にどのような日本を描くか、その先にどのような「第二革命」を実現しえるか。それは依然として、われわれの政治的力量に俟つべきものである。 依然として、「革命いまだ成らず」(孫文)である。 平和と平等に向けた「日本リベラル左派政権」への期待を胸に、大きな希望に満ち溢れて、新年を迎えます。 # by akai1127ohi | 2011-12-31 02:25 | Concerned Citizen | Trackback | Comments(5)
「左翼」のイメージをめぐるインタビュー(新宿BERG店長のブログ)を、興味深く読むと同時に、複雑な気持ちになった。
「左翼=反権力、権力にアカンベー」というイメージは非常に日本的だ。それは、肯定点もあるが限界もあろう。左派が国家権力を禁忌し、なぜかそれを自慢さえするようになった。左派的なものが「任せて文句を垂れる文化」(宮台氏)のイメージになってしまった。日本でなぜこれほど、デモなるものが多数の人々から嫌悪されるかの遠因とも関係しよう。 やはりその背景には、1968年以降(1960年ではない)の学生運動が示した未熟さや暴力性、無責任さがあり、それをパターン化して繰り返し消費してきた「語り/言説」があろう。また、68年に端を発する学生運動・社会運動の内実が、アングラ的な「ちゃらんぽらんさ」のスタイルの称揚に流れ込み、今はそのような文化左翼の実践としてのみ生き残っている、という点もあろう。 若松孝二監督「実録・連合赤軍あさま山荘への道」しかり、道浦母都子『無援の抒情』しかり、結果的に小熊英二『1968』もしかり、「政治と理想に燃えた若者の現実と挫折…」というような「語り」が反復されてきて、その都度、インテリや当事者世代向けの「学生運動もの」として消費される一方、よく知らない若い世代に対しては、学生運動=ゲバ棒、デモ=世間迷惑、政治署名=狂信的で危険というイメージだけが反復再生産されてきた。 「左翼とは反権力、反体制だ」というイメージ、デモや署名なるものへの若い世代におけるそこはかとない嫌悪感や拒否感は、そのような「語り/表象」の上にあるものだろう。 *** ロベスピエールやレーニンはおそらく衆目一致する「大左翼」だろう。しかし、レーニンは絶対に「反権力」ではないし、「権力にアカンベー」など口が裂けても言わないだろう。無茶苦茶「権力追求」だった。権力への当事者性が漲りほとばしる人だったろう。それが「左翼を生んだ国」の、普通の左翼だろう。 *** ドイツの学生運動の経験はその後に緑の党や社民党に結実したが、日本での68年学生運動は、「ミクロな政治課題」を顕在化させた意義はあったものの、その後「反権力/権力にアカンベー」となり、あるいは「連赤」のトラウマから(もしくはそれを口実にして)端的に没政治化していった。その意味で菅直人氏は、日本の学生運動に関わった団塊世代で政界に入った、稀少例であった。 *** 今年最後に、菅直人前内閣の評価に対する私の思いの丈を率直にぶちまけて、気持ちよく新年を迎えることにしたいと思います。 # by akai1127ohi | 2011-12-30 00:16 | 床屋政談 | Trackback | Comments(0)
金正日死去により、2000年、07年に同氏と南北会談を行った金大中、盧武鉉の三人とも故人となった。あらためて金大中、盧武鉉時代の対北政策の強い理念を率直に想起させられる。今は、李姫鎬氏の言動と影響力が貴重に感じられる。次の時代が次の人々によって担われるのだろうが、当座先行不明の感だ。
*** 光州事件(1980年)の「首謀罪」で二年半のあいだ投獄された金大中の獄中書簡を収めた『金大中獄中書簡』(岩波1983)。手紙のほぼ全ては、「尊敬し愛するあなたへ」で始まる。李姫鎬氏に宛てたものだ。両者は文字通り同志という関係が窺える。 金正日死去に際して、その李姫鎬氏が訪朝した(朝日12/27)。延坪島砲撃からまだ一年あまり、金正日への弔意をめぐり韓国世論が分断され、韓国では多くの人が複雑な対北感情と思われる所、深く考えさせられるニュースだ。率直にいうと、憎悪と敵意が蔓延したかのような今年の世相において、それでも新しい年への展望を、鼓舞するようなニュースと感じる。 *** 『金大中自伝』(岩波2011)で面白かったは、金大中がひょんな所で年齢にこだわる点だ。いわく、金正日は**歳下だが礼儀正しかった、ブッシュJr大統領は**歳下のくせには横柄だった、など。しかし、浪人留年留学し、年下からタメ語ばかり受ける私としては、その気持ちは実はよくわかった。 若干28歳で国家を背負う金正恩氏のプレッシャーもあろう。私は、「外部者」として、朝鮮半島については分をわきまえて発言したい。が、金正恩氏は私からも2歳下、李姫鎬氏からすれば61歳も下だ。89歳の李姫鎬氏が、この真冬に、少なからぬ批判もある中、弱った足腰ゆえに両脇を抱えられるようにして38度線を超えた。私のような「外部者」にであれ、その気概というものは感じられざるえない。金正恩氏には、どうか、それを重く受け止めてほしいと願うばかりだ。 # by akai1127ohi | 2011-12-28 03:05 | 床屋政談 | Trackback | Comments(2)
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