IE9ピン留め

【詩】距離  

2012年 01月 17日

そこには距離がある

女と男との
若者と老人との
漁村と都会との
知識人と労働者との
在日外国人と日本人との
私とあなたとのあいだに
常に距離がある

どこまでいっても
超えることのできない距離がある

相手と一体化せんとする不可能に傷つき
相手と絶縁たろうとする不自然さをも悟り
パチンコ玉が無数の釘に小突かれる様にして
そんな試行錯誤の末に
ようやく距離が定まる

そして距離が分かれば、位置がわかる
位置は、距離によって定まる

友情とは一つになることではない
愛情とは相手を呑み込むことではない
連帯とは距離を知ることであり
その距離を尊重することだと

距離とは、「空気を読むこと」
距離とは、一心不乱に机に向かう人の
ふと集中が途切れたその隙に
そっとあめ玉を一つ添えること

# by akai1127ohi | 2012-01-17 02:03 | | Trackback | Comments(2)

【詩】コーヒー・キャラメル  

2012年 01月 11日

彼らは今もコーヒー・キャラメルを舐めている
その味にいいかげん倦怠しながらも吐き捨てることなく
終わりのない甘味苦味の反復を惰性的に反芻している

彼らはかつて天邪鬼たることに失敗した
愛する対象への愛の表明によってそれらに結合するのでなく
愛するがゆえに反抗することによって承認を得たいと願った

彼らはかつて愛する対象との差異によって自分たちを表現した
愛する対象に徹底的に抗うことによって
自分たちが実は愛する対象を最も継承していると確認されたいと願った

人は愛する者から最も深い理解を得たいと願う
その焦慮に駆られた自己表現は他者への批判によってなされる
しかし批判を目的化する人は嫌悪で返礼される
それゆえ、最も愛する者から最も嫌悪されるという不幸が生じる

愛する対象を愛しているとは言わず
また愛する対象を痛罵した過去の自分たちを否定することもないまま
今なお彼らは、甘くて苦いコーヒー・キャラメルを口の中で転がしている

# by akai1127ohi | 2012-01-11 03:24 | | Trackback | Comments(2)

ファシズムと橋下政治(ハシズム)の差異と共通性  

2012年 01月 08日

橋下・大阪市長に平身低頭する労働組合の代表の記事を読み、年始から不愉快な思いをした(テレ朝ニュース)。

橋下氏の「大阪維新」はアンチ既成政党というが、その多くは元自民党議員からなり、自民や立ち上がれ、日本創新党などへの敵対は演技的といえよう。他方、橋下氏が府知事時代に実際の標的としたのは教育委員会や教員組合、朝日新聞や「クソ週刊誌」など、市長になってからは労組だ。教員や労働組合を「既得権」と位置づけ、「保護者/労働者になり代わって」それらを叩いていると言わんばかりだ。反既成政党、反既存政治というポーズを演出した上で、本質的には、ネオリベ的効率性と右翼的象徴の混合物と思える。

               ***

歴史的現象としてのファシズムは、本当に複雑な現象と感じる。ファシズムの性格定義は、基本的には、後発帝国主義における資本代弁者とされてきた(ディミトロフ)。ナチは、失業対策や公共事業などによって国家「社会主義」の建前を完全虚偽としない程度に資本と対峙したが、それらは資本協力という絶対的枠内での話であった。

しかし間接・直接にナチを支持した層は多様で、閉塞感を持つプチブル層、マルクス主義を敵視する大資本、大企業との競争に喘ぐ小商店主、現状打破を求める若者、借金苦の農民、ベルサイユ条約に不満の元軍人、ワイマール体制に飽き足らない急進層、ユダヤ人と競合して職を奪われていると感じる不遇専門職・知識人などといわれる。

支持の理由は相互に幻想であり、小商店主は大企業の征伐者として、大資本はマルクス主義の攻撃者として、農民は借金圧政からの解放者として、ファシズムに期待した。「国家社会主義(ナチズム)」の、左右超越したボナパルト的性格がある。

ファシズムやそれに類する現象は、何らかの打開策が必要な閉塞時代に、異なる人々が同床異夢のまま、一刀両断的解決や目的不在の決断力・実行力を雪崩れのように選択する時に生じると思える。そして、ファシズムと橋下政治(ハシズム)は、似ている点とそうでない点があるが、似ている所は怖いほど似ている。

               ***

地震・原発事故で分断し、とにかく敵を求める世論、韓流文化の席巻と中国の強大化、傷ついた「国家プライド」、長引く不況と既成政治の閉塞、ロスジェネと排外的言説……。橋下氏はその閉塞の裂け目に登場し、朝鮮学校などへの攻撃と一見ラディカルな脱原発言辞を織り交ぜ、左右を超越した「決断実行」を演出し、今、世論はそれに魅惑懐柔吸引されるか如きだ。

とりわけ危惧されるのは、本来なら橋下氏の強引で粗雑な政治手法に眉をひそめる人々でさえ、橋下は支持しないけど聞けば結構いいこと言ってる、というそこはかとない声だ。例えば朝日新聞は、橋下氏や「維新」に注文を付けつつすでに目がトロンとして懐柔・陶酔されている印象だ(具体的には坪井ゆづる記者、前田史郎記者、村上憲郎紙面委員などだ)。

私は、橋下氏の考えや政治手法を全く信用しておらず、その言動ばかりを取り上げるメディアの風潮にも反対でいる。55年体制に代わる統治合理性が必要なのは明瞭だ。しかし、それが橋下的思考/手法でなされてはならないと思える。

# by akai1127ohi | 2012-01-08 23:47 | Concerned Citizen | Trackback | Comments(0)

謹賀新年・2012  

2012年 01月 01日

「ぼくの村で洪水が起ったとき、お坊さんとか神主とか学校の先生が集まって、それぞれいままで予期しなかったような新しい知恵を発揮して頑張りました。半年ぐらいそのまま緊張している。それから弛緩して、もとにもどってしまいましたけれども。そういう、洪水後六ヶ月くらいの復興期の感情が、[創刊当時の]この雑誌に満ち満ちていると思うんです。」(大江健三郎、「『世界』の40年」、岩波書店、1985年、p16)

               ****

3・11 と原発事故の後、この列島に住まう誰もが緊張し、また、誰もが「当事者」であった。「洪水後六ヶ月間」の緊張を、いかに維持しえるか。その緊張をどこかで意識しつつ、論文に取り組む年にしたいと思います。
                    
                       2012年元旦 大井赤亥

# by akai1127ohi | 2012-01-01 13:58 | Trackback | Comments(2)

菅内閣の退陣と「政権交代」革命の終焉  

2011年 12月 31日

菅直人前内閣は、近年で最もリベラルな内閣であった。

私が菅前内閣を評価するのは以下の点だ。(1)内閣府参与へ湯浅誠氏を起用したこと、(2)浜岡原発を止めたこと、(3)「脱原発依存」を明確に表明したこと、(4)二年続けて閣僚が一人も靖国参拝しなかったこと、(5)死刑制度に相対的に懐疑的立場をとったこと。

もちろんこれらを不十分とする意見もあるし、私自身の理想からも程遠い。しかし、ならばなおさら括目すべきは、われわれ日本の有権者は、「この程度」の政権さえ維持する力量を持たなかったということだ。「この程度」の政権さえ持続化させえず、「この程度」でさえ掲げた目標を達成させえず、良識保守からリベラル、穏健左派、社会運動まで、「脱原発」を望むわれわれ皆が、居酒屋でもツイッターでもあれほど気炎を上げながら、野田政権という「旧権力」への回帰をまんまと目の当りにしているということだ。

私は菅氏を支えられなかったことを残念に思うし、率直に今、後悔をしている。

               ***

菅氏自身の個人的資質もあると思われるが、7割以上が脱原発を望みつつも、メディアの徹底した「退陣」「居座り」批判のなかで、その圧倒的な雰囲気に狼狽し、結局、菅氏を支持する勇気と大胆さを欠いた、この国の世論の弱さがあろう。

産経、読売、日経などが「菅おろし」の論陣を張ったのは当然だ。彼らは、40年にわたり自民党と一蓮托生した「旧権力の残滓」だからだ。

朝日新聞は、脱原発の立場をとりながら、時流に乗じて「菅おろし」に掉さした。『前衛』もまた、渡辺治論文(2011年8月号)のように、法人税やTPPについては的確に指摘しつつ、菅内閣が四面楚歌のなかで気力を振り絞った「脱原発依存」について、何も触れなかった。「週刊金曜日」も菅首相を叩きながら、本当に最後の最後で、「今はこんな単細胞が良いのかもしれない」というような形で、あまりに遅きに失した、応援ともいえない「応援」を示唆するだけだった。

驚くべきほど菅批判の一色だった。その画一的な風潮のなかで、脱原発のために菅首相を留まらせるべきだと主張したのは、私を含め、本当に少数だった。私の同時代での、一つの「踏み絵」ではなかったかとさえ感じている。

そもそも菅首相の7月13日の「脱原発依存」表明は、官庁や電力会社の圧力、メディアの「延命」批判大合唱のなかでの、一進一退のぎりぎりのところでの踏ん張りだったのは自明だろう。その後に明らかになった、九州電力をめぐる絵に描いたような利権構造は、目を覆わんばかりであった。これまでの自民党政治の構造と産業、地方自治体の癒着に骨の髄まで蝕まれながら、「中央に振り回される弱い地方」を演じて見せた九州電力と佐賀県知事の罪は二重であり、決して許されるべきではない。

その中で、ただでさえ追い詰められている首相を、なぜ「朝日」も「赤旗」も『週刊金曜日』も、左からあえてまた追い詰める必要があっただろうか。まことに残念に思う。左からの菅批判、いわば「善意からの菅批判」は、率直にいって、菅内閣がおかれた政治磁場全体へのプラグマティックな認識を欠いた、ナイーブな議論ではなかったかと諫言したい。菅辞任で推進されるのは、民主党の「自民党化」であり、あるいは大連立の容易化であり、あるいは自民党の政権参画であろう。野田政権の後継は、それを物語るものであろう。

               ***

民主党「トロイカ体制」なるものが、そのまま小沢・鳩山・菅の対等連合だったと取るならば、それは政局観の欠如に他ならない。「トロイカ」なるものは、常に実質、小沢・鳩山vs菅の「2対1」であった。菅氏は社民連出身であり、圧倒的に保守優位の永田町において常にその「スティグマ」を抱えたいたのに対し、小沢氏は自民党経世会の領袖、鳩山由紀夫氏も田中派出身であった。すなわち二人とも、政治姿勢は自民党中枢であった。トロイカがかかる2対1であったことなど、おそらく最も基本的な政局地図の一つであったのではあるまいか。

党内最大たる小沢グループと保守的機会主義者たる鳩山氏周辺に対する権力闘争の渦中におかれ、菅氏は行きがかり上、ネオリベ色の強い松下政経塾出身の若手に依存せざるえなかった。党内基盤が脆弱な菅氏は、対小沢権力闘争のなかで必然的に松下政経塾系の若手勢力に依存せざるえず、それゆえTPPや法人税へ傾いた。菅氏が大企業に屈した、と批判することはたやすい。消費税発言などの唐突な提案は、たしかに「策士、策に溺れる」であった。同時に、最後の「脱原発依存」表明に至っては、そのような策を弄する余裕のない状況での態度表明だっただけに、実直であった。

別の言い方をすれば、菅氏のような市民運動出身、「左翼思想の持主」(「正論」)は、元来からして、清濁あわせのまねば民主党の党内権力闘争を生き残れず、したがって、濁を飲まねば、浜岡停止も、「脱原発依存」表明もなかった。菅氏がそのように政界遊泳しなければ、法人税もなかったが、浜岡停止もなかった。消費税発言もなかったが、湯浅誠氏起用もなかった。TPP傾斜もなかったが、「脱原発依存」表明もなかった。

菅内閣に対する評価は、必然的に、複眼的にならざるえないであろう。「脱原発」表明後の菅氏の土俵際での踏ん張りは目を見張るものがあった。文字通り、刃折れ矢尽き、精根尽き果てた上での退陣であった。下痢腹痛で逃げ出した某とは雲泥の差であった。若年雇用の問題、震災原発後の脱原発の方向性、それらに関する菅前首相の努力はいずれも支持に値するものであり、歴史的な評価を待ちたい。

               ***

2009年「政権交代」なるものが皮肉にも明らかにしたのは、共産党が指摘する「二つの敵論」の正しさである。日本を支配する「二つの敵」、すなわち「アメリカ帝国主義」と「日本独占資本」である。

鳩山内閣は、個人的善意によってであれ、沖縄米軍基地に取り組んだ。それにより、アメリカの世界戦略に刃向う属国政権は自国の親米メディアの総叩きにあって潰されることを証明した。菅内閣は、福島原発大事故に端を発したのであれ、産業・官庁・学界が一体化した「原子力ムラ」に抵抗の兆しを示した。そして、産業や電力会社に刃向う政権は、メディアの総叩きの前に孤立無援なまま潰されることを証明した。

その背景には、沖縄基地撤去を主張しながら、あるいは脱原発を求めながら、「人に任せて文句を垂れる」まま、「当事者性」を持ち得ない、われわれのデモクラシーの未成熟さがあった。

               ***


写真は1998年の金大中大統領の訪日時。手前が金大中大統領、一人おいて、菅直人民主党代表(肩書はいずれも当時)。

菅首相では「力不足」だという意見は、なるほど同意しないでもない。オバマの前ではおどおどしていたし、国会では自民党の野次に防戦一方だった。「両院代議士会」なる名前の民主党の罵倒糾弾会では、涙をこらえるに精いっぱいだった。

いずれにせよ、菅前首相は、金大中にはなれなかった。

では、金大中はなぜ存在したのか?
なぜ金大中は大統領となったのか?

どんな逆境、どんな弾圧、どんな迫害にもめげず、金大中を励まそうと、ソウル奨忠壇公園を、光洲を、木浦を、敵地大邱までを埋め尽くした、あの勇気ある韓国の有権者によってだ。日本に、それほど勇気ある有権者がいたか?

お前は韓国民主化を美化しすぎだ、といわれるかもしれない。しかし私は断固美化しよう。美化には、美化された対象と張り合って自ら美しくなるという効用があるからだ。美化たされた対象によって自己を問い返し、自分たちも美しくなろうと努力するからだ。

菅前首相は金大中になれなかった。なるほど、その通りだ。
しかしそんなことよりも、菅前首相を見殺しにした日本「有権者」が、金大中を押し上げた韓国「有権者」よりも、全く勇気に欠け、全く度胸がなく、全く自律的に物事を考えなかったことを、何よりも想起するのが先だろう。菅前首相の力不足を嘆く前に、7割強が脱原発を望みつつも、メディアの菅批判の同調化圧力に屈し、菅前首相支持の声を発せなかった、その「勇気」のなかった、われわれ日本国民の脆弱さを嘆くべきではあるまいか。

一言にして菅前首相の弱さは、平和と平等にむけた「日本リベラル左派政権」を期待する、われわれ自身の弱さに他ならないはずなのである。

               ***

菅内閣退陣後、野田氏が民主党新代表に選出された。

海江田氏と野田氏との間で行われた民主党代表決選投票は、「政権交代」なる期待の終焉を如実に示すものであった。それは、「生活が第一」=疑似社民化した旧自民党員たち(小鳩)と、自民党在籍経験のない若手による自民党政治(松下政経塾連合)との競合であったといえよう。どちらに転んでも、民主党の「自民党化」を示すものとなった。

菅内閣の終焉をもって、「政権交代」は終わった。「政権交代」なる言葉に示されてきた希望や期待は、ついえた。すなわち、2009年「政権交代」革命は、終焉した。

               ***

激しい退陣怒号に包まれた菅政権末期、メディアを通して知る限り、菅首相を支えた数少ない存在は、辻元清美総理補佐官だった。結果として辻元氏は、菅氏と同様に市民運動家出身でありながら、菅前首相の個人的資質の限界を知ると同時に、菅前首相に対する退陣圧力の磁場を熟知した稀有な政治家となった。

政治混迷の現在において、平和と平等を求めるわれわれ、「日本リベラル左派政権」を期待するわれわれが、菅前首相を見殺しにしたこ教訓を踏まえ、次に同様の機会があれば、辻元氏のような人物を絶対に見殺しにすべきではないということは、「政権交代」革命の失敗が残した、一つの教訓と思える。

               ***

民主党「政権交代」とは、自民党を下野させたことに大きな意義があった。換言すれば、それに尽きた。40年にわたる自民党の政治支配を終えさせたことは、「政権交代」のまごうことなき大達成であろう。2009年政権交代とは、いわば、ロシア帝政を終焉させた二月革命である(十月革命ではない)。それはいわば、清朝支配を終焉させた辛亥革命である(1949革命ではない)。

自民党支配を自力で拒否した後、本当にこの国の政治を、社会経済的平等、公正な富の分配、企業の拡大ではなく人間の福利に基礎をおく社会、憲法9条と平和主義、人間の個性と多様性の尊重へと進める「第二革命」のため、民主党以外の方途の再編がより一層まじめに模索されてよい。再度強調するが、2009年政権交代には、自民党を下野させた大きな意義があった。政権交代は、「自民党を下野させる革命」であり、その意義は消えていない。その先にどのような日本を描くか、その先にどのような「第二革命」を実現しえるか。それは依然として、われわれの政治的力量に俟つべきものである。

依然として、「革命いまだ成らず」(孫文)である。

平和と平等に向けた「日本リベラル左派政権」への期待を胸に、大きな希望に満ち溢れて、新年を迎えます。

# by akai1127ohi | 2011-12-31 02:25 | Concerned Citizen | Trackback | Comments(5)

「左翼=反権力」イメージの形成と再考  

2011年 12月 30日

「左翼」のイメージをめぐるインタビュー(新宿BERG店長のブログ)を、興味深く読むと同時に、複雑な気持ちになった。

「左翼=反権力、権力にアカンベー」というイメージは非常に日本的だ。それは、肯定点もあるが限界もあろう。左派が国家権力を禁忌し、なぜかそれを自慢さえするようになった。左派的なものが「任せて文句を垂れる文化」(宮台氏)のイメージになってしまった。日本でなぜこれほど、デモなるものが多数の人々から嫌悪されるかの遠因とも関係しよう。

やはりその背景には、1968年以降(1960年ではない)の学生運動が示した未熟さや暴力性、無責任さがあり、それをパターン化して繰り返し消費してきた「語り/言説」があろう。また、68年に端を発する学生運動・社会運動の内実が、アングラ的な「ちゃらんぽらんさ」のスタイルの称揚に流れ込み、今はそのような文化左翼の実践としてのみ生き残っている、という点もあろう。

若松孝二監督「実録・連合赤軍あさま山荘への道」しかり、道浦母都子『無援の抒情』しかり、結果的に小熊英二『1968』もしかり、「政治と理想に燃えた若者の現実と挫折…」というような「語り」が反復されてきて、その都度、インテリや当事者世代向けの「学生運動もの」として消費される一方、よく知らない若い世代に対しては、学生運動=ゲバ棒、デモ=世間迷惑、政治署名=狂信的で危険というイメージだけが反復再生産されてきた。

「左翼とは反権力、反体制だ」というイメージ、デモや署名なるものへの若い世代におけるそこはかとない嫌悪感や拒否感は、そのような「語り/表象」の上にあるものだろう。

               ***

ロベスピエールやレーニンはおそらく衆目一致する「大左翼」だろう。しかし、レーニンは絶対に「反権力」ではないし、「権力にアカンベー」など口が裂けても言わないだろう。無茶苦茶「権力追求」だった。権力への当事者性が漲りほとばしる人だったろう。それが「左翼を生んだ国」の、普通の左翼だろう。

               ***

ドイツの学生運動の経験はその後に緑の党や社民党に結実したが、日本での68年学生運動は、「ミクロな政治課題」を顕在化させた意義はあったものの、その後「反権力/権力にアカンベー」となり、あるいは「連赤」のトラウマから(もしくはそれを口実にして)端的に没政治化していった。その意味で菅直人氏は、日本の学生運動に関わった団塊世代で政界に入った、稀少例であった。

               ***

今年最後に、菅直人前内閣の評価に対する私の思いの丈を率直にぶちまけて、気持ちよく新年を迎えることにしたいと思います。

# by akai1127ohi | 2011-12-30 00:16 | 床屋政談 | Trackback | Comments(0)

金正日死去と李姫鎬氏の訪朝  

2011年 12月 28日

金正日死去により、2000年、07年に同氏と南北会談を行った金大中、盧武鉉の三人とも故人となった。あらためて金大中、盧武鉉時代の対北政策の強い理念を率直に想起させられる。今は、李姫鎬氏の言動と影響力が貴重に感じられる。次の時代が次の人々によって担われるのだろうが、当座先行不明の感だ。

               ***

光州事件(1980年)の「首謀罪」で二年半のあいだ投獄された金大中の獄中書簡を収めた『金大中獄中書簡』(岩波1983)。手紙のほぼ全ては、「尊敬し愛するあなたへ」で始まる。李姫鎬氏に宛てたものだ。両者は文字通り同志という関係が窺える。

金正日死去に際して、その李姫鎬氏が訪朝した(朝日12/27)。延坪島砲撃からまだ一年あまり、金正日への弔意をめぐり韓国世論が分断され、韓国では多くの人が複雑な対北感情と思われる所、深く考えさせられるニュースだ。率直にいうと、憎悪と敵意が蔓延したかのような今年の世相において、それでも新しい年への展望を、鼓舞するようなニュースと感じる。

               ***

『金大中自伝』(岩波2011)で面白かったは、金大中がひょんな所で年齢にこだわる点だ。いわく、金正日は**歳下だが礼儀正しかった、ブッシュJr大統領は**歳下のくせには横柄だった、など。しかし、浪人留年留学し、年下からタメ語ばかり受ける私としては、その気持ちは実はよくわかった。

若干28歳で国家を背負う金正恩氏のプレッシャーもあろう。私は、「外部者」として、朝鮮半島については分をわきまえて発言したい。が、金正恩氏は私からも2歳下、李姫鎬氏からすれば61歳も下だ。89歳の李姫鎬氏が、この真冬に、少なからぬ批判もある中、弱った足腰ゆえに両脇を抱えられるようにして38度線を超えた。私のような「外部者」にであれ、その気概というものは感じられざるえない。金正恩氏には、どうか、それを重く受け止めてほしいと願うばかりだ。

# by akai1127ohi | 2011-12-28 03:05 | 床屋政談 | Trackback | Comments(2)

日本における既存「社会民主主義」の試み  

2011年 12月 24日

先日、図書館で升味準之輔『日本政党史論(全7巻)』(東大出版会)を散読した。その際、近隣の政党史関係も通観した。興味深かったのは『社民連十年史』(同刊行会1989)である。戦後日本でなぜヨーロッパ並みの「社民政党」が存立しえなかったか、という問題意識は政治学において共有され始めている。

               ***

日本社会党から派生した「革新政党」は三つだ。第一に民主社会党(1960)、第二に社会民主連合(1978)、第三に新社会党(1996)である。

第一の民主社会党および「民主社会主義」では、最終的に「民主」社会主義が「反共」社会主義となった印象が強い。これらは、社会党に対する右からの不満といえよう。元来、左右社会党の分岐は1950年の講和安保条約を契機としており、民社党はその後日談といえよう。

第三の新社会党は、自衛隊および安保の「容認」に飽きたらず社会党を出たという点で、左からの社会党批判といえよう。

民社党、新社会党のいずれも、社会党に対する左右からの不満という印象が強い。

その点、『社民連十年史』を通観すると、社民連には「道路線」への内在的異議と西欧社民主義への模索が窺える。田英夫代表には、エコなど明確にポストマテリアル価値への志向がある。田英夫、江田五月と並んで、若き日の菅直人が活躍している。菅内閣に対する私の評価を、今年中に再度、率直に思いの丈を述べておきたい。

# by akai1127ohi | 2011-12-24 02:34 | Concerned Citizen | Trackback | Comments(3)

【詩】この街のどこかに  

2011年 12月 08日

この街を行きかう喧騒の向こうに
いつも何かが待っている気がする
この街のどこかに、あなたがいる

あなたを探す旅の途中で
実に多くのものに出会った

早熟で柔らかい反骨心の記憶
私の本当の青春
湿った下水道に投げ捨てた
蛍のように消え行く煙草の光

この街には、夕暮れがある
それはもう一人の私の
ありうべき終生の原風景だろう

一日が終わり
夕陽が遠い山々を照らす頃
家路につく学生やサラリーマンたちが
交差点に立ち止まる

私が今この街にいるのは
私もこの街の一部だからか
それとも
「地球の表面を共同に所有する権利」の
ささやかな行使にすぎないのか

今日もまた
あなたに会えないまま
交差点の信号が青に変わり
家路を急ぐ人々が歩き出す

この街に夕暮れが沈もうとしている


    (photo taken by syuru, sept 2011)

# by akai1127ohi | 2011-12-08 02:28 | | Trackback | Comments(4)

「1911(原題・辛亥革命)」(チャン・リー監督、2011年)  

2011年 12月 03日

チャン・リー監督、「1911(原題・辛亥革命)」を見た。

この映画はジャッキー・チェン出演100作目にあたり、売り出す宣伝側も、受け取る観客側もジャッキーの話題ばかりが先行し、歴史映画としては一段低く見られてしまったようで不幸でした。辛亥革命を描いた映画としては、それなりによく出来たまじめな映画だと思いました。



               ***

「孫氏一度説いて東西民族覚醒の事に及ぶや、肩揚り頬熱し、深更に及んで談尚尽くるを知らず。其意気、其風貌今尚髣髴として眼底にあるを覚ゆる」(1918年、パリ講和会議出席の途上、上海で孫文と面会した近衛文麿の日記。筒井清忠『近衛文麿』p37から孫引)。

               ***

イギリスの庭園の茶席で、欧米人を前に駐英清国大使と孫文が言い合うシーンが印象的だ(上記you tube では55:50~)。清朝の無自覚な傲慢錯誤と、その無自覚をおだて乗じることによって中国利権を奪う欧米「紳士」に囲まれ、業を煮やした孫文が羊の丸焼きを無遠慮に切り分け、「これは山東半島、これは香港」といって欧米人の差し出しては、一同の顰蹙を買う。

外国に自民族の内輪もめを曝さざるえない情けなさ、それによって列強に自国を弄ばれる愚かさ……。その狭間にありながら、もはや「自虐」でしか憂国の至情を表現する術のなく、「自虐」でしか漢民族の覚醒を促す術のない映画劇中の孫文の孤独に、私は強く共感した。

               ***

民国臨時大総統の地位をめぐっての孫文と袁世凱の「協定」にいたる逡巡葛藤も興味く描かれていた。権力奪取に不可欠な無慈悲なリアリズムと、合法立憲制に対する尊重との相克。孫文は、決定的な所でレーニンにはな(ら/れ)なかった。それが、孫文の同時代的弱みであり、歴史的高潔さであろう。

               ***

同時に、革命における男女の描き方についてはステレオ・タイプで、その点で違和感を持つ人がいるかもしれません。徐宗漢を演じたリー・ビンビンは、「徐宗漢の一生を演じるような映画、女性の一生を描く映画に出てみたいですね」(パンフレット)と述べていることを付記しておきます。

# by akai1127ohi | 2011-12-03 17:09 | 映画評 | Trackback | Comments(2)

慶熙大三週間―(終) 사랑하는선생님들과학생들   

2011年 11月 23日

*「사랑하는선생님들과학생들」とは、「愛する先生たちと学生たち」という意味です。

教師の資質とは、何を教えるかではなく、何を教えないか、かもしれない。正確にいえば、生徒の発達段階に応じて「教えること」を加減すること、かもしれない。

英語の「5文型」は学問的には不誠実だからといって、中学生に「25文型」を教えたとすれば、生徒は英語嫌いになるだろう。良心的な人ほど、一度にたくさんのことを教えてくれてしまう。教師とは、どれだけ教えるか、というより、どれだけ教えることを抑制するか、という資質とも思える。

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慶熙大学での韓国語授業で、私のクラスの 선생님 (先生)は、二人とも私と同じ年くらいの女性だった。あるところでは空気を引き締め、あるところでは笑い話で場を緩め、教室の雰囲気は見事に 선생님 の手綱でコントロールされていたように思う。

先生はとにかく積極的に話すことを鼓舞し、私が間違いだらけの韓国語で話すと、先生は新鮮な驚きや笑いを示した上で、ある間違いは指摘し、他の間違いは黙認した。それゆえ私は、間違いに無自覚であるがゆえに、さらに話そうという気になった。その結果、街角でも食堂でも、かなり怖いもの知らずに、どんどん話しかけた。

その後、学習の段階が進むにつれ私は、あの時先生が黙認した間違いを、独力で自覚するようになった。同時に、その間違いを黙認した先生の対応にも、理があったのだと悟るようになった。


写真は回基駅近くの交差点

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慶熙大学の三週間語学課程の参加者の大半は女性で、基本的に、クラスは「女の園」といってよかった。何度説明されてもよくからない韓国式の年齢の数え方だと、私はすでに3X歳だそうで、先生から、アカイ氏早く結婚しなきゃ!とネタにされた(先生から強制的に前に呼ばれて私の相手役を務めてくれた T さんには感謝している)。

当てられてはその都度たどだとしい韓国語でトンチンカンな答えばかりしてしまい、クラスでは率先して恥をかく役回りだったと自負している。そんな感じで三週間はあっという間だった。

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この語学課程には、数人だが年配の参加者もいた。関西の中小企業の元社長さんで、リタイヤ後に韓国留学をしている60代の「イワタさん」もその一人だった。現役時代の剛腕ぶりを感じさせる豪快かつ魅力的な人柄で、ジェンダー的には問題発言連発ながら、韓国語は実にトーカティブで、私より一つ上級のクラスでしたが、実に新鮮な出会いでした。

回基の焼肉屋で二人で瓶ビール 6 本開けて、イワタさんが隣の大学生やOLに所構わず話しかけて、その後二人で回基駅から高麗大まで往復三時間の散歩をした夜もあった。

「韓国では『ちょっと一杯』というのが一番難しんや」

というイワタさんの言葉通り、高麗大の前の大衆酒場では、マッコリが水のようにやかん一杯に注がれて出てきて、結局二人でも飲みきれずに隣の大学生グループにおすそ分けした。

イワタさんは、「こういう所(語学学校)では、バカにならなきゃ損よ」といわれた。要するに、間違っていても馬鹿みたいに積極的に話し、馬鹿みたいに恥をかいて、その分しっかり吸収せよ、という意味だろう。同感だ。先生からも、街で通行人に話しかける際は、自分が知っていることでもあらためて尋ねていい、と言われた。本当に同感だ。

それほど意気投合したのに、最終日になっても、「イワタさん」とは互いに名前さえ正確に交わさぬまま別れるところが、語学学校の粋、一期一会の粋、人生の粋、というものだとも感じた。


写真は慶熙大学の正門前の通り

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物事の習得の過程では、3 にまつわる期間が一つのめどになるという。目の前に初めての楽器を渡されて、3 分でとりあえずの様子がわかり、3 時間で一つめのコツが掴めて、3 日続ければとりあえずの軌道に乗る、というように。その後、3 週間、3 か月、3 年間、30 年間……で、一回りずつその事柄に精通していく。

私の韓国語学習は、3 週間目のコツをつかみかけたところで終了となった。日本に戻り、勉強を続けながら次の 3 を目指すことにしよう。

(慶熙大三週間・終わり)

# by akai1127ohi | 2011-11-23 01:14 | 잠깐만요! | Trackback | Comments(2)

慶熙大三週間―(6)全羅北道・群山への旅  

2011年 11月 14日

9月末、語学過程を終えた後、全羅道の港町、群山を旅した。

全羅道は韓半島(朝鮮半島)の南西部であり、かつての百済の南端に位置する。主要都市は群山、光州、木浦などであり、南端からは済州島への船が出ている。

軍事政権時代、慶尚道出身者が優遇されてきた反面、全羅道は長らく経済的・社会的に不利を強いられ、そのような地域主義の恨を一身に背負い、金大中の圧倒的支持基盤であり続けた。1997年の大統領選挙では、全羅北道で92.3%、全羅南道で94.6%、光州特別市では97.3%が金大中に投票している。

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ソウル・群山間は KTX (高速鉄道)がなく、セマウル号で行った。所要時間は約3時間で、片道13500ウォン(約1000円)でした。


写真はセマウル号からの車窓。
全羅道の穀倉地帯は、実りの秋を迎えている。


写真は帰路のムグンファ号の食堂車。


写真は群山駅にて。下車後、セマウル号を見送る。

群山は錦江という大河の河口に位置する古い港町で、映画「八月クリスマス」の舞台としても有名です。映画「ペパーミントキャンディ」にも錦江の渡船の風景が出てきますが、現在、錦江には大橋が建設中で、渡船は廃止になってしまったようでした。


写真は、群山の裏路地。


写真は、群山の港近くのタルトンネ(月街)の階段。


タルトンネから海方面を見渡す。

イタリアやフランスの風景や生活抒情をありがたがり、あこがれる人々は多いが、すぐ隣の国の小さな街にこのような美しい裏路地があること、またそれが今再開発の波に飲まれていること、になぜ無頓着なのか、私はいささか疑問でもある。

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群山は何より港町であり、海岸沿いをひたすら歩いた。
潮汐と風、魚や船の匂いが、私の故郷・広島仁保の海岸を思い起させた。


写真は埠頭で釣りをする人々。

同。


この人は名人らしく、背後にギャラリーができていた。


名人は、ギャラリーの期待を裏切ることなく、せわしく大ぶりのハゼを釣り上げていた。秋口のハゼは丸々と太り、小型のスズキ(セイゴ)かと思うほどです。そういえば今頃、太田川放水路でもハゼの入れ食いの季節だろう。

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群山は、木浦と同様、かつて「日本人」が多く住み、現在も日本人家屋が多く残る街です。静かな旧市街を端から端まで歩き、気の向くままに写真をとった。

私は、日本人家屋という歴史の残留遺跡が今後どうされるべきかについて、意見を持つ資格はありません。確実なのは、意図的な撤去、というよりもむしろありうべき開発によって、遠くない時期に姿を消していくだろう、ということです。

以下、一つの記録的価値として、紹介しておきます。


写真は群山旧市街における旧「日本人家屋」。以下同じ。














# by akai1127ohi | 2011-11-14 22:30 | Trackback | Comments(0)

ウォール街占拠運動と民主制の変容  

2011年 11月 12日

ニューヨークでのウォール街占拠運動が始まって一カ月以上が過ぎた。この現象に対しては批判も見られるが、ここでは占拠運動を既存デモクラシーに対する根本的な問い直しの契機と位置づけ、その意義を提示してみたい。

元来、近代の民主政治は常にナショナルで代議的なそれとして実践されてきた。それはナショナルな領域と構成員の画定を前提とし、領域の広さを代議制によって「克服」してきた。しかし現在、金融や経済のグローバル化と、それに伴う不平等のグローバル化という趨勢を前に、一国単位での代議的な民主的決定の機能不全が生じつつある。

占拠運動の背景には、このような既存の一国代議民主制に対する人々の疎外感があろう。「我々は99%だ」という主張は、その99%が政治の過程に表象されない現状への告発といえる。ここでは、「政治家」なる言葉が左右を問わず既成制度の象徴として使われている。占拠運動が求めているのは、「リベラル/左の政治家」ではなく、「政治家一般」に示される一国代議民主制それ自体の克服なのである。

占拠運動は、二つの点で一国代議民主制とは異なるイメージを示している。第一に、それは産業先進国を中心にグローバルな広がりを見せている。フェイス・ブックといった国際的SNSの活躍はすでにおなじみであろう。第二に、占拠運動の意思決定の場であるジェネラル・アセンブリーでは直接的な参加スタイルが採用され、公園という場に根差した自治的慣行が形成されている。総じて占拠運動は、既存のナショナルで代議的なデモクラシーに対して、グローバルで直接的なデモクラシーの方向性を示している。

では、占拠運動はこれまでの一国代議民主制にどのような影響を与えるだろうか。第一に、占拠運動に放出された要求の一部は、既存の代議民主制のなかに取り込まれるだろう。元来、占拠運動は政党政治への批判を含んでおり、具体的な要求項目の提示はそれ自体で政府の正統性を認めることになりかねないとして消極的であった。しかしそれでなお、銀行課税や社会保障を求める声は政府による公正な税分配に回収され、オバマ政権のリベラル回帰を促すだろう。そしてこれは、副次的であれ、運動にとっても一定の成果となろう。

しかし第二に、占拠運動に示されたグローバルで直接的なデモクラシーへの希求は一過性のものではない。一国代議民主制にすでに「当事者意識」を持てないという告発は、先進国に共有された意思表示であろう。もちろん、既存の代議民主制に代わるデモクラシーの形態に関しては、占拠運動も具体的な構想を示していない。しかしそれは、運動の構想力の弱さというよりも、そのような構想を可能にする条件が未形成であることに起因するものであろう。グローバル化により民主的決定に付されるべき問題はグローバル化した。しかし、その問題を解決する民主的決定のグローバル化は、追いついていない。占拠運動は、一国代議民主制の変容を迫り、新たな民主的決定の方法を求めるための、必然的な陣痛といえよう。

大切なことは、既存の一国代表民主制の枠内での不公平の是正を最大限に実践しつつ、同時に、グローバルで直接的なデモクラシーのあり方を模索し続けることだろう。そしてこの二つの試みは、矛盾せず両立しえるものと思える。(1340字)

# by akai1127ohi | 2011-11-12 05:59 | 床屋政談 | Trackback | Comments(0)

「最近の社会学」に対する違和感  

2011年 11月 05日

「週刊読書人」を50週間購読したが、少し期待外れだ。もちろん購読してこそ得られる情報もある。しかし、全体的に紙面構成の基軸的信条が見えにくく、第一面に限れば、いわゆる「社会学」のある種の流行・趨勢を追っかけているという印象も受ける。

「開沼博・古市憲寿対談 3・11以前/以後の世界」(「週刊読書人」8/26)は、それなりに興味深く拝読した。

しかし、古市憲寿氏「若者はもっと「自己中」になって社会を変えろ」(BLOGOS、10/28)に及んでは、同意することはできない。最近の「社会学」なるものに対し、私は強い違和感を表明しておきたい。

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古市氏の議論は、「現代の若者の生活満足度は過去最高」、「現在の若者は過去最強の『豊かさ』の中で暮らしていると言える」という認識が前提となっている。ここでいう若者の「豊かさ」は、ユニクロで服を買って大戸屋で食事するといった、極めて短視眼的な幸福であり、雇用や労働条件、結婚や出産、親の介護や自身の老後などは捨象されている。

私はむしろ、海外に行く度に、生活水準や社会インフラにおける日本の「遅れ」を痛感している。韓国と比べインターネット環境は大幅に遅れているし、イギリスの大学環境と比べ、日本の学生寮のいくつかの住環境は、19世紀マンチェスターのスラムといって過言ではない。日本の豊かさは「過去最強」という認識は、端的に日本を相対化しえていないように思える。

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「学生運動」やデモに関しての古市氏の意見は、元来、言葉があまりに漠然としており、また正確な経緯に基づいていないため、本人の印象や偏見が何も問われないまま前提化されている。

デモに対する古市氏の姿勢は、脱原発デモでどれだけ社会的インパクトを与えられるかは不明であり、「40年間デモに参加してます、みたいなおじさん」に対してはむしろ頭を下げて政治家に陳情する方が効果的だと示唆する。それでもデモをしたければ、原発に対する不安を解消する「ガス抜き」にはなるだろうから、「生暖かく見守ってあげるほかない」というものである。

私自身も、「学生運動」における60年と68年、マクロな政治関与とミクロな政治批判、デモなど直接行動と代議民主制の活用の双方が必要と考えている。しかしそれは、それは古市氏のように「デモをする暇があれば政治家に頭を下げてネゴれ」ということでは毛頭ない。古市氏の論理は、結果的に、単にデモに冷や水を浴びせる理屈となっている。

おそらく、「現代の若者の生活満足度は過去最高」という認識から議論を組み立てきたため、原発批判や生活不安をかつてないほど表出させた「デモ」に冷や水を浴びせる方向に行かざるをえなくなったのであろう。その背景には、「デモ」なるものに対する古市氏本人の偏見や嫌悪も透けて見える。

本人は、曽野綾子氏や渡辺昇一氏などを「残念な保守老人たち」とし、主観的には自らを左右双方を批判する超然的立場においているのだろう。しかし、原発や格差をめぐり政治の拮抗が続くなかで、このような言論は結果的に「保守的」、「現状維持的」機能として消費される他にないであろうと危惧する。

# by akai1127ohi | 2011-11-05 19:55 | Trackback | Comments(3)

ウォール街占拠運動に関するいくつかの解釈  

2011年 11月 03日

ニューヨークでのウォール街占拠から一か月がすぎ、この間、藤原帰一氏「時事小言」(朝日夕刊、10/19)や久保文明氏「論点」(読売10/21)などいくつかの解釈が提示された。しかし、前者は学者的謙抑性から占拠運動の性格の不明さを指摘するに留まり、後者は占拠運動と民主党の結合によるアメリカ政治の左右イデオロギー分裂を危惧する内容で、占拠運動自体を既存の「アメリカ政治」に回収するものであった。

一方、高祖岩三郎氏「ウォール街占拠の思想」(朝日夕刊11/1)は、運動に内在した視点からその希望と危機を指摘するもので、対照的に読んだ。高祖氏は、占拠運動における二つの潮流、すなわち、要求に基づき運動を組織化しようとする党派的動きと、多様な形態を通して新たな政治空間の創出を目指す動きとの緊張を説明し、その状況下での占拠運動の一進一退を指摘している。

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同様の運動内緊張は、たとえば60年安保闘争時における「既成左翼」とブントとの緊張とも通底するものであり、広範な社会運動で反復されているものかもしれない。しかし、運動内のそのような緊張関係が顕在化すること自体、運動が多様性を包含した裾野を十分に含んでいることの証左であるとも感じる。

安保闘争の際、「既成左翼」、「近代主義者」、そしてブント・全学連の学生たちといった三つのエネルギーの架橋点となったスタンスとして、日高六郎が挙げられよう。日高には、それぞれのエネルギーの昇華を目指しつつ、「分裂におちいらない多様性」と「画一主義におちいらない統一」を、いかに創出しえるかという「ジレンマ」が窺える。

具体的要求に基づき運動を組織化しようとする立場と、新しい政治空間の創出を求めて「山猫的行動」を求める立場との間には、常に一定の「ジレンマ」があると思われる。しかしさしあたり、それは、「ジレンマ探し」を目的化した結果ではなく、運動の広がりと多様性に伴う必然的な「ジレンマ」であり、それを再び継承することにさえ、一定の意義があると感じる。

# by akai1127ohi | 2011-11-03 00:31 | Concerned Citizen | Trackback | Comments(0)

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